ハンズオンの10倍?――AI活用事例を「止めて、掘る」授業検討会
「俳句のGemを作った。配るかどうか迷った。結局、使っても使わなくてもいいよ、と言って配った」
ある国語教師のAI活用実践である。
この三行から、何が分かるだろうか。
俳句づくりを支援するGemを作ったこと。
配るかどうか迷ったこと。
最後には、使うかどうかを生徒に委ねたこと。
そこまでは分かる。
しかし、この教師が何を見て、何に迷い、何を守ろうとして、なぜその方法を選んだのか。肝心の判断の中身は、ほとんど分からない。
判断の中身が分からないまま、私たちは日々、こうした実践報告を聞いている。
研究授業を十回やるほどの学び
ド昭和の頃、教師の世界では、こんなことがよく言われていた。
「授業が上手になりたければ、自分から手を挙げて研究授業をやれ」
研究授業を引き受ければ、指導案を何度も書き直す。教材を調べる。子どもの反応を予想する。人に見られる授業を行い、授業後には多くの教師から意見をもらう。
確かに、研究授業を経験することで教師は鍛えられる。
ところが、その後、これに対して少し挑発的な主張が現れた。藤岡信勝さんが提案した「ストップモーション方式による授業研究」である。
藤岡さんは、『授業づくりネットワーク』の特集記事の中で、一本の授業をビデオに撮り、映像を止めながら複数の教師で協働的に検討すれば、研究授業を十回行うほどの学びが得られる、という趣旨の主張をした。
もちろん、「本当に十倍なのか」と問われれば、厳密な効果量を示した数字ではないだろう。
一つの授業経験から学びを取り出す密度が、それほど高くなるという仮説的なスローガンである。
授業は、そのままでは一度きりで流れていく。
しかし映像にすれば、気になる場面で止められる。教師の発問の直後に、ある子どもが何をしていたのかを見直せる。授業者が気づかなかった出来事を、別の教師が見つけることもある。
一回の授業を、何度も学び直せる。
それが、授業ビデオを使った授業検討の「十倍」の意味だったのではないか。この方法が提案された「授業づくりネットワーク」で、かつて私は三代目の代表を務めた。
だから私は、この発想の続きを、AI時代の授業研究として考えてみたい。
映像は授業を止め、質問は判断を止める
映像は、流れて消える授業を止めた。
質問は、流れて消える判断を止める。
映像は、授業中の行為を止め、何度も見直せるものにした。
質問リレーは、教師の判断をいったん止め、何人もの問いによって掘り下げられるものにする。
止める対象が、行為から判断へ移る。
だから、あえてこう言ってみたい。
AIの使い方を10個習うよりも、一つのAI活用事例を30分問い直すほうが、教師の授業づくりは「10倍」育つ。
ビデオの「十倍」は、一つの授業を何度も見直せることだった。
質問リレーの「十倍」は、一つの判断を何人もの問いで掘れることである。
現在、生成AIのネタや使い方を実際に試すハンズオン型の講座が、各地で活発に開かれている。
その熱気の理由はよく分かる。
生成AIは、まず触ってみなければ始まらない。
プロンプトを入力して教材を作る。画像を生成する。ワークシートや指導案を改善する。実際に手を動かすことで、教師の中にAI活用の新しい引き出しが増えていく。
これは、教師がAI活用を始めるうえで、とても重要な段階である。
しかし、その次の授業づくりのステージも考えてみたい。
実際の授業で教師が直面するのは、「このプロンプトを知っているか」という問題だけではない。
なぜ、この場面でAIを使ったのか。
AIを使わない選択肢はなかったのか。
その判断によって、教室に何が残ると考えたのか。
授業づくりで問われるのは、AIの使い方の数だけではない。
目の前の子どもや授業の状況を踏まえて、AIを使うか、使わないか、どのように使うかを決める教師の判断である。
質問が始まるための「5行事例」
そこで提案したいのが、「質問リレー方式による授業検討会」である。
この授業検討会では、実践者が事前に短い「5行事例」を書く。
ただし、実践をきれいに説明し切るための文章ではない。
実践の輪郭を示し、まだ決着していない問いを参加者へ手渡すための文章である。
書く項目は五つある。
① タイトル(学年・教科)
その実践を一文で表すラベルを書く。
評価語は入れず、「何をした実践か」「何が起きたか」が分かればよい。
② ねらい・意図
その場面で何を意図していたのかを書く。
一般論ではなく、当時の意図を簡潔に示す。
③ 展開
問いの起点になる具体的な場面を書く。
解釈や感想は入れず、事実を中心にする。
④ 予想外だったこと
自分の想定が揺れたポイントを書く。
成功・失敗の判断や原因分析は行わない。
⑤ いま残っている問い
結論ではなく、まだ答えを出していない問いを書く。
立派で一般的な問いよりも、口に出すのを少しためらうような、小さく具体的な問いがよい。
この問いが、質問リレー全体の向かう先になる。
ただし、質問リレーの目的は、その問いに手早く正解を出すことではない。
なぜ、その問いが残ったのか。
どの場面で想定が揺れたのか。
実践者は何を見て、どのような選択肢の間で迷い、何を大切にしようとしていたのか。
参加者の質問によって、問いの背後にある判断の地形を見えるようにしていく。
5行事例は、完成した実践報告ではない。
実践を閉じず、質問へ開くための文章である。
判断は、質問によって掘り出される
質問リレー方式による授業検討会では、参加者はすぐに助言や評価をしない。「こうすればよかった」と結論を急ぐのでもない。
実践者に対して、順番に質問をリレーしていく。
「なぜ、そこでAIを使おうと思ったのですか」
「一番迷ったのは、どの部分ですか」
「ほかに、どんな選択肢がありましたか」
「その中で、絶対に選びたくないものはありましたか」
「その判断によって、教室に何が残ると考えましたか」
質問に答えているうちに、実践者自身も、それまで十分には意識していなかった判断に気づいていく。
質問する側も、一つの実践の背後に、複数の選択肢や小さな理由があったことを知る。
ここで掘り出されるのは、単なるAI活用のネタではない。
別の授業場面にも持ち運べる、教師の見方や考え方である。
一人の実践を、集団の知恵に変える
新しい実践が一つ現れただけでは、教師集団の知恵にはならない。
「あの先生だからできた」
「特殊な授業だった」
「面白いAIのネタだった」
と受け止められれば、一人の実践で終わる。
同じプロンプトをコピーすることはできるかもしれない。
しかし、それだけでは、状況が変わったときに使えない。
判断が言葉になれば、ほかの教師は自分の授業に置き換えて考えられる。
改善された一つの実践は、その場面で役立つ。
言葉になった判断は、次の場面にも持ち運べる。
判断の言語化は、自分の行為を後からきれいに説明するためのものではない。
一人の教師のAI活用を、教師集団が共有できる知恵へ変えるために必要なのである。
「水が噴き出す喜び」の、その先へ
ハンズオンには、「本当にできた」「授業に使えそうだ」という、水が噴き出す喜びがある。
だから、まず水が出ることは大切である。
しかし、水が出たことと、その水が暮らしに根づくことは同じではない。
ハンズオンは、ポンプから水を噴き出させる。
質問リレー方式は、その水を授業づくりの地形へ流す水路を掘る。
判断が言葉になることで、AI活用は一人の工夫から教師集団の知恵へ変わる。
ハンズオンで共有するのは、水が噴き出す喜びである。
質問リレー方式による授業検討会で共有するのは、新しい授業文化が生まれる喜びである。
新しい授業文化とは、教師全員がAIをたくさん使う文化ではない。
AIを使うことも、使わないことも、途中で使い方を変えることも含めて、その判断を教師同士が問い合える文化である。
三行では見えなかったもの
冒頭の三行に戻ろう。
「俳句のGemを作った。配るかどうか迷った。結局、使っても使わなくてもいいよ、と言って配った」
30分の質問リレーのあと、この三行の背後にあった判断は、次のように語られた。
カップラーメンができ上がるくらいの時間、その場でじっと考え込んだ。
頭の中では、「さっさと配っちゃえよ」とささやく悪魔の声と、「お前は教育者だろう」という天使の声が、両方聞こえていた。
一度配れば、技術的には使用を止められても、「俳句にAIを使っていいんだ」という空気は教室に残り続ける。
選択肢は四つあった。
渡さない。
任せる。
義務づける。
黙認する。
黙認だけは、絶対に選びたくなかった。
そして、渡すときにこう言った。
「先生は一人しかいないから、これがお留守番の代わりだよ」
三行では見えなかったものが、30分で出てきた。
AIの使い方を10個習う。
それに加えて、一つのAI活用事例を30分問い直す。
まずは、あなたのAI活用を三行で書いてみてほしい。
