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元には戻らない心

どうにも結婚して実家から離れてから、実の両親に会うのが億劫になった。
27年間実家暮らしで、一人暮らしなどしようと思わなかったのに、それくらい実家が金銭的にも内面的にも安定していたのに、今の生活の方が楽しいし、楽だし、感情の起伏がない。

実家にいた時は父親や母親がイライラするたび内心自分のせいかも?と思いビクついてたし、喧嘩したら怒鳴り合うのがデフォだったので常に感情が爆発していた。でも、それでも「実家が心地よい」と感じていたのは何故なんだろう。わからない。井の中の蛙だったのかも?

両親は私の自己肯定を下げる言動が得意だ。長女の私は何もできない、頼りない、不出来。要領が悪い。昔からこう言われていたので、大人になった今でも自分の決断を信じられずにいるし迷ってしまうし自分を認めてあげられずにいる。
こうやって自覚できているだけまだマシなのかもしれない。

結局、親から承認されたいからずっとこの気持ちがこびりついているんだろうし、でも承認されないからずっと思考の渦に溺れ続けている。

一人前の人間ってどうやったらなれるんだろう。

妹みたいに子どもを産めばいいのか?
でもそれって子どもを利用することになるよね。
本当私って自己保身ばかりで最低。

と、ずっと同じことを考え、否定して、何もできずにいる。

今年のお盆も会うのを断った。
母方の義理の母の何回忌めかの供養で従妹とその子ども達、叔母、母、妹が来る。
どうせ……姪の話になる。
子育ての話。
買った家の話。
妊娠出産の話。
ワー子どもかわいーって他愛もない話。

その場にヘラヘラして談笑できる気がしないので断った。
もちろん適当な理由をつけて母に言った。
「供養よりそちらの予定が優先?」
と来た。
なんだそれ。なんだよそれ……。
私にとって思い出も血のつながりも記憶もない義理の祖母だぞ。結婚するまでは集まりにも参加していただろうに。

母は世間体が大事なんだ。
あーーあ……と事実を受け入れざるを得なくて、縋る糸を切られた気がして、落胆した。

異なる価値観

母妹含め、従妹と叔母はいわゆる「自然が一番」という考えなので、出産も自然分娩派。子も兄弟、姉妹がいないとかわいそう!という思想。
一方私は避けれる痛みは避けたいので無痛分娩を希望している。
小心者でキャパも狭いので一人できたら万々歳とも思っている。

真逆の思想なので、より一層集まりたくない。
真っ向から私の思考を否定はされないだろうが、「無痛選ぶって赤ちゃんの事考えてないんだ」とか思われたら、死ぬ。一瞬でも思われたら壁を作る。

私は私で、夫や友人と楽しい思い出だけを作っていたい。
大切にしてくれない人達の間に入りたくない。
自分を守りたい。

子どもは欲しい。
子どもができたら私みたいな自己否定ばかりする人間になってほしくない。
辛い。私も私を許してあげられるような人間になりたい。
書きなぐってたら、子どもだなんだとグチグチ言ってるが結局両親からの承認と無償の愛を欲しているだけなんだなとわかった。
だが、それは難しい願いなんだろうともわかった。

趣味の話

話は変わって、明日劇団四季ノートルダムの鐘を観劇しに行く。
みーたろうの件があってから中々趣味を楽しめずにいたが、ようやく心から観劇を楽しめるように戻ってきた。
ノートルダムの鐘はD版では幼少期から見ていたが四季版は2023年の京都公演で初観劇。
その時は1公演しか見れなかったが迫力と歌唱力の高さに度肝を抜かれたのを覚えている。今に至るまで劇団四季はたくさん観劇したがその中でもノートルダムの鐘は群を抜いて歌の暴力性が高い。

また感想でもあげられたらいいな~。

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