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友達のいない私が、noteに居場所を求める理由

前回の記事で、友達のいない私のことを書きました。
今回はその続きです。
前回の記事と併せて読んでいただけたら嬉しいです。


ひとりで悩んでいるだけでは、もう動けない

正直なところ、私はずっと「ひとりでなんとかしよう」としてきました。
人間関係のことも、仕事のことも、メンタルのことも、「自分で考えて、自分で処理する」と思っていました。

私は、誰かに弱音を吐くのが苦手で、
「こんなこと話したって仕方ない」「わざわざ聞かせるほどの悩みじゃない」と、
自分の中で勝手に仕分けして、ほとんどを自分の中だけにしまってきました。

でも、気づいたんです。

ひとりでぐるぐる考えているだけだと、
結局、同じ場所で同じ考えを何周もしているだけだな、って。

前に進んでいるつもりで、実は足踏みしているだけの感じ。
それが、じわじわつらくなってきました。

noteには、いろんな「孤独」が並んでいる

そんなときに見つけたのが、noteでした。
最初は読むだけのつもりで、誰かの書いた文章をただ眺めていました。

そこには、いろんな人の「孤独」が並んでいました。

家族とうまくいっていない人。
職場で居場所がないと感じている人。
病気や生きづらさを、自分なりの言葉で綴っている人。

読み進めていくうちに、
「あ、ここにも同じことで悩んでいる人がいるんだ」と思う瞬間が何度もありました。

もちろん画面の向こうの誰かで、住んでいる場所も、年齢も、背景も違う。
それでも、その人の言葉の中に、自分の心の一部に似たような感覚。

それが、私にとっての「noteの第一印象」でした。

友達はいない。でも、まったくの孤独でいたいわけでもない

私は今でも、「友達がたくさんいる世界」を想像しても、あまりピンときません。
グループでわいわいすることも、頻繁に誰かと予定を合わせることも、やっぱり得意ではありません。

だからといって、「誰ともつながりたくない」と思っているわけでもありません。

本音を言えば、

  • ちょっとした悩みを投げたら、「わかるよ」と一言返してくれる誰か

  • 自分の文章を読んで、「自分もそうです」とそっと言ってくれる誰か

  • コメントまではいかなくても、同じようなことを考えている人が、どこかで静かに読んでくれているかもしれない、という感覚

そういうものを、どこかで求めている自分もいます。

友達はいない。
それでも、人間関係を完全にゼロにしたいわけじゃない。

その「中間地点」みたいな場所を、私はnoteに探しているのかもしれません。

noteで、同じ悩みを持つ人たちと出会いたい

noteには、本当にいろんな人がいます。
キラキラした成功談を書く人もいれば、
ひっそりと自分の生きづらさを置いていく人もいる。

その中には、きっと、私と同じように

  • 友達がいないことをどこか後ろめたく思っている人

  • ひとりが楽だけど、それでもたまに寂しくなる人

  • 自分の居場所を、現実世界のどこにも見つけられずにいる人

が、たくさんいる気がします。

私は、そういう人たちと、
「いきなり友達になる」のではなくて、

まずは文章を通して、
遠くからそっと存在を感じ合うくらいの距離で、
交流してみたいと思っています。

スキを押してみたり、
ときどきコメントを残したり、
同じタグの記事を読んで、「あ、この人もいるんだ」と思ったり。

そんな静かなやりとりが、
私にとっての「新しい居場所」になればいいな、と感じています。

友達のいない私が、noteに居場所を求める理由

改めて言葉にすると、私がnoteに居場所を求める理由は、たぶんこうです。

独りで悩んでいても前には進まないと感じたから。
そして、同じような悩みを持つ人たちと、少しだけつながってみたいから。

大人数の輪の中で笑うのは、きっとこれからも苦手です。
でも、画面越しのどこかで、同じように生きづらさを抱えている人たちがいて、
お互いの文章を読み合って、少しだけ心が軽くなる。

そんな関係なら、私にも続けていけるかもしれない。

友達のいない私だからこそ、
文字の世界で、同じような孤独を抱えている誰かと出会えるのではないか。

その、淡い期待みたいなものに、
私は今日も、そっと文章を重ねています。

こちらは、こあらの祈りさんの記事です。
同じように孤独を感じながらも、臆することなく
前に進もうとされていらっしゃる姿勢に心を打たれました。
もしよろしければ一緒にお読みいただけたら嬉しいです。


最後まで読んでくださりありがとうございました。

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