【創作大賞感想】②野やぎさん『生きてるだけで加害を生き抜く。』
「大きくなったねぇ」という、親戚の集まりで何気なく交わされる一言から、この物語は静かに、しかし容赦なく幕を開ける。エンジニアの端くれとして、私は物事を因果関係で捉える癖があるのだが、この作品が突きつける「言葉の変容」というバグに近い現象には、正直に言って目眩がした。かつて17世紀のヨーロッパで女性の胸を「そびえ立つ岬」と称えた高尚な比理が、現代では即座に通報対象となる。この残酷なまでの文脈のズレを、著者の野やぎ氏は「マインスイーパー時代」と鮮やかに定義してみせた。
50代も後半になり、定年を経て「和洋ブックス」などと銘打って文筆の真似事を始めようとしている私にとって、本書は単なるエッセイではない。それは、無自覚に地雷を踏み抜き続けてきたかもしれない過去への懺悔録であり、同時に明日を生きるための精密な設計図だ。エレベーターで異性と二人きりになった際、スマホを眺めて「私は無害です」と念じるあの息苦しさ。夜道で歩調を緩める、あの申し訳なさ。がんを経験し、死の淵から生還してなお、私は「生きているだけで誰かを傷つけているのではないか」という薄氷を踏むような恐怖と隣り合わせにいる。
特筆すべきは、会話のターンにかかる「0.2秒」という刹那への執着だ。このわずかな隙間に、配慮、考慮、思慮という三点活用を詰め込み、脳内マナー講師と格闘する描写には、思わず膝を打った。ルッキズムの地雷を避けつつ、相手の変化を肯定する「(スッ)たしかに印象変わりましたね」という着地点。これはもはや、高度な通信プロトコルの最適化に近い。
国立の理系を出て、仕様書通りに動く機械を相手にしてきた私には、この「正解のない最適解」を求める作業が、どれほど知的で、かつ血を吐くような労働であるかが痛いほどわかる。日本語教師である妻に言わせれば、言葉は生き物だそうだが、本書はその生き物とどうにか共生し、捕食し合わずに済むための「餌付け」の作法を教えてくれる。
サイドスローFIREなどと称して悠々自適を気取っていても、社会というネットワークから完全に切断されることはできない。誰かを傷つけることを恐れて貝になるのではなく、傷つける可能性を抱えたまま、それでも0.2秒の戦場に立ち続ける。その胆力こそが、令和を生き抜くサバイバルスキルなのだと教えられた。読後、少しだけ深呼吸が楽になった気がする。噛まないように、意識せずを意識して、私もまた明日、誰かと「印象」の話をしてみようと思う。
