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夢と鰻とオムライス 第16話

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 腹も膨れて車に戻ると、エアコンの涼しい風にほっとしたのか、瞼がとろんと重くなった。日差しも眩しい。俺が目を閉じてシートにもたれていると、
「瞬太のやつ、寝ちゃったのかな?」
 こうちゃんが言った。ふふふと恵梨子さんの笑い声がする。
「あらホント。可愛いわね」
   かっ、可愛い?
 同級生の女子に言われたらむっとするところだが、恵梨子さんに言われると、羽毛で頬を撫でられたみたいにくすぐったい気持ちになる。
 このタイミングで「起きてるよ」と目を開けるのも、照れくさい。俺はこのまま狸寝入りを決め込むことにした。

「いやぁ、でも本当にこんな偶然ってあるんだなぁ」
 こうちゃんがしみじみ言っている。
「おじいちゃんのお導きかな」
「え?」
「おじいちゃんの夢を見たのよ。それで思い立ってお墓参りに来たの」
「あの、ほうとう好きのおじいちゃんか」
「そう。縁側におじいちゃんが座っててね。手招きしているの。私が子供の頃に遊びに行った昔の家だった。目が覚めたとき、一緒に縁側でぶどうを食べたのを思い出して……懐かしかったわ。今は家も建て替えちゃって、縁側もないけどね」
 俺もそんな光景をどこかで見たような気がするが、思い出せない。

「こうちゃんは今、どの辺に住んでるの?」
「前と同じだよ。マンション売るのやめたんだ。今もあそこに住み続けてる」
「そう……」
 二人の間の沈黙をかき消すように、トラックが追い越す音が聞こえた。轟音が徐々に遠くなり、車内が静かになる。
「あのさ……」
 こうちゃんの声が固くなった。

「……別れるときに、きちんと話せなかったけど、俺があのとき独立を急いだのは、チャンスとかタイミングとか、そんなことだけじゃなかったんだ。本音を言うと、実家の歯医者を継いだ兄貴に追いつきたかった……」
 盗み聞きするつもりはないものの、どうしても聞き耳を立ててしまう。

「今更、親父が俺のことを認めてくれるなんて思っちゃいなかったけど、それでもどこかで認めてほしかったんだろうな。一国一城の主になれば、見直してくれるかもしれない。あの頃、親父が病気でもう長くないって聞いてたから、焦ってた。でも結局、それで恵梨子につらい思いをさせた。職場でいじめに遭ってたのも、気づいてやれなかった。俺のせいだ。ごめん」

 こうちゃんの謝罪に、恵梨子さんは、ううん、と言った。
「私のほうこそ、仕事が忙しかっただけなのに浮気を疑ったりして……私が悪いのよ」
「いや、悪いのは俺だ」
「私よ」
「いや、俺だって」
「私だってば」
「何言ってるんだよ、俺だよ」
「ううん、私が悪いのよ」
 二人とも強情だ。
 まるで、ファミレスのレジ前で伝票を奪い合うお客さんみたいだ。そのうち二人も、このやり取りの滑稽さに気づいたらしい。どちらからともなく、くすくすと笑いがこぼれ、固かった空気が一気に和んだ。

  あのさ、その……今、誰か良い人いるのか?」
 一瞬の間の後、恵梨子さんの笑い声が聞こえてきた。
「やだ、いないわよ。そんな人」
「じゃあ、戻ってきてくれないか」
 唐突だった。ここで言うのか。
「でも……」
「頼む」
 どうしよう。今更、寝たふりしているなんて言えない。
 俺は二人にわからないように静かに固唾を呑み、恵梨子さんの返事を待った。

「……本当に、戻ってもいいの?」
 うおぉー!
 思わず叫び声を上げそうになったが、何とかこらえる。こうちゃんは間髪入れずに
「もちろん!」
 と言い、急速に話がまとまった。決まるときは一気に決まるものだ。

 これでひと安心、と思った途端、閉じていた瞼が、更にずっしりと重くなってきた。二人の再会に立ち会えて、俺もだいぶ興奮していたらしい。その興奮はまったりとした心地よさに変わり、全身を包み込んでいった。

 遠のいた意識が、別の場所に辿り着くのを感じた。
 まどろみの向こうに、ぼんやりと何かが見える。近づいていくと、そこには、見覚えのある古い木造の家屋があった。縁側に、誰かが座っている。

「お疲れさん。本当にありがとう」
 今度はその声を聞いただけで、するすると記憶がよみがえってきた。
「あぁ、正じい」
 俺が呼びかけると、正じいは「いやぁ」と言って、頭を掻いた。
「君に謝らないといけないんだ」
「なんで?」
「実はさっき、君にうっかり憑依しちゃったみたいなんだ。ごめんなぁ」
 憑依……。言葉だけ聞くと、なんだか物々しい。

「いやぁ、もう、無我夢中だったんだよ! あの野郎、あんなに未練たらたらなくせに、いざとなると、『もう関係ない』だの『嫌がられる』だの、ぐずぐず言い出すんだもんなぁー」
 思わず笑ってしまった。
 あの野郎、というのはこうちゃんのことらしい。

「だからつい、腹が立って『お前、いいかげんにしろ! 早く行けー!』って、言っちまった。そしたら、君の声で甲州弁が聞こえてきたから、びっくりしたよ」
 そういえば、大声でこうちゃんに何か口走ったような気がする。あれは、甲州弁だったのか。
「わざとじゃないとはいえ、本当にすまん。体、大丈夫か? 疲れてないか?」
 かれはしたけど、疲れてはいない。
「うん、大丈夫。俺も、あのとき、こうちゃんに同じことを言おうと思ってたから、手間が省けたよ」
「ああ、それならよかった」
 そう言うと正じいは、ほっと胸を撫で下ろしていた。

「じゃあ、昨日、ワインカーヴで見たあれも、正じいのせい?」
「ん? あれって?」
「え? ほら、昨日の……」
 一から説明すると、長くなりそうだ。俺はいったん話すのを止め、なんて言おうか迷っていると、正じいは自分の肩を、気怠そうに叩きながら、
「あー、どっこいしょ」
 また縁側に腰掛けた。俺もひとまず、隣に座る。

「昨日の朝、君の夢に出てからは、ずっと、恵梨子のところにいたんだ。そばについてさ、『墓参りにおいでー。今すぐおいでー』って、ずーっと話しかけてた。でも、さすが俺の孫だよ。こっちの気持ちがわかって、すぐに来てくれたんだからなぁ」
 嬉しそうに笑う正じいの顔を見ていると、昨日のことなど、もう、どうでもよくなってしまった。

「鈍いこうちゃんとは大違いだね」
 俺が言うと、
「ああ、まったくだ」
 正じいは笑った。
 こんなところで噂されているとは、こうちゃんも思うまい。

「あぁー、本当にやれやれだ。これで安心して、向こうに戻れるよ」
「え?」
 それを聞いて、ああそうか、と思う。
 そろそろ九月。お盆もとうに過ぎている。あの世のルールはわからないが、ずっとこっちにいるわけにもいかないのだろう。

「そっか。正じい、帰っちゃうのか」
 胸の内に、急に寂しさが湧いた。俺がうつむくと、
「大丈夫だよ。君は起きたらいつも俺のこと忘れてるんだから、寂しいのは今だけだ」
 正じいの声は晴れやかだった。
「でも、やっぱり俺、忘れたくないなぁ」

 こうちゃんと恵梨子さんを再会させるために、二人とも骨を折った。今となっては、俺と正じいは同志みたいなものだ。話した回数こそ少ないが、夢の中、という特別な場所で出会ったこの人のことを、簡単に忘れてしまうのは惜しかった。

「君が忘れても、俺が忘れないから大丈夫だ。恵梨子の義理の甥っ子には、こんなに賢くて、気持ちのいい子がいる。俺が憶えている。だから君は、安心して忘れなさい」
 そう言って正じいは、可愛い孫にするみたいに、俺の頭に手を置いた。
 ふと涙がこぼれそうになって、慌てて目を閉じる。

 すると突然、全身がガクガクと上下に揺れ始めた。驚いて目を開けると、自分の鼻の頭や前髪が、上下に震えているのが見える。小刻みな振動を繰り返す度に、俺の体がみるみる縮んでいき、着ていた服がぶかぶかになって肩がずり落ちた。ようやく振動が止まり、自分の体を眺めてみて驚く。
 俺の体はあっという間に、子供の頃の姿に戻ってしまった。
 これが夢だとわかっていても、うろたえてしまう。

「正じい!」
 すがるように発した声も、変声期前の高い声に変っている。
 正じいはそのことに驚くでもなく、目を細めて、小さくなった俺の頭をぐりぐりと撫で回した。

「君はちっちゃい頃から、賢くて可愛い坊主だったんだなぁ」
 さっき撫でてもらったときよりも、正じいの手が大きく感じて心地良い。手の温かさが俺の小さな体に伝わって、ほこほこと温かい気持ちになった。
 ……おじいちゃんに頭を撫でてもらうって、こんな感じなんだ。
 もしかしたら俺は、祖父に邪険にされて泣いたあの日の自分に戻って、正じいに頭を撫でてもらいたかったのかもしれない。俺のことを、賢い子だと言ってくれた正じいに、子供になってきちんと甘えてみたかったのだ。

「……おーい」
 聞き覚えのある声が、遠くのほうから聞こえてくる。
 正じいはもう、前みたいに慌てふためくことはなかった。俺にもう一度、何かを伝えようとゆっくり動く口許を見つめる。そうしているうちに、意識が遠のき、視界が白飛びするように明るくなっていった。


 



 第17話につづく

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