木の芽起こし
北の地に春が訪れるとき、それは音もなく、しずかに始まります。
しとしとと降る「木の芽起こし」の雨に耳を澄ませながら、
芽吹きの気配に宿る“音”を感じに長万部まで出かけてみました。
しとしとと、静かにそぼ降る、春の雨。
町全体を包む雨に、耳を澄ませてみる。車の往来が途絶えた道沿い、誰もいない林の縁、ミズバショウが群れ咲く湿地のほとり――かすかに、葉擦れの音がした気がした。

木の芽を起こす春の雨――「木の芽起こし」。
春先の雨を、そんなふうに呼ぶことがあると知ったとき、胸の奥に、まだ名付けられていなかった感情がともった。
雪解けのぬかるみに足をとられながら歩く季節に、遠くの森から届く音。それは、春の足音ではなく、もっとずっと近く――地中の深いところで、植物たちが身じろぎする音なのかもしれない。

北海道の春は、他の土地よりも一歩、二歩、遅れてやってくる。暦の上ではすでに春でも、田畑はまだ、色を失ったまま。けれど、そんな遅れた春だからこそ、芽生えの瞬間が際立って感じられる。
雨に濡れた地面から、ミズバショウが顔を出していた。
ふっくらとした白い苞(ほう)が、まだ寒さの残る空気に溶け込んで、土地そのものが、ふうっと息をついたよう。春の湿原には花の香りはまだない。ただ、雨と、雨に打たれてかすかに揺れる花の気配があるだけ。

長万部町静狩 Oshamambe 20250413
「春の雨」と「春雨」は違う、と誰かが言っていた。春の雨が“季節の雨”なら、春雨は“気配の雨”なのかもしれない。
確かに、車のワイパーを忙しくさせる強い雨は、春といえど歓迎されない。一方で、このしとしとと降る、傘をさすのもためらわれるような雨には、どこか安どの気配がある。
音を立てず、地面に染み込み、草木の芯まで静かに届く。根の先までぬらした雨水が、芽吹きを促す。眠っていたものたちが、少しずつ目を覚まし、まだ名もなき葉のかたちで、地上へと顔を出す。

木の芽起こしは、風の音ではなく、大地の音だ。
人の耳には聞こえない。けれど、静けさの中に身を置けば、感じられるような気がする。枝先がふっくらと丸みを帯び、色味のなかった景色に、ひそやかな命の光が宿り始める。
音と言っても、実際に聞こえるわけではない。ただ、そうとしか言い表せない気配が、この雨にはある。そんな気配に出会えるのが、北国の春の醍醐味(だいごみ)なのだと思う。

「かさこそ」とでも聞こえそうな、ほんのわずかな揺らぎに耳を澄ませながら、雨の中でしゃがみ込む。ミズバショウのすぐそば、まだ枯れ草に埋もれた地面をじっと見つめていると、この雨は、ただの天気ではなく、目には見えない働きをしているのだと気づかされる。
芽吹きの音は、きっと、こんな雨の中に紛れている。


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