見出し画像

ただ生きる ─ 孫と触れ合いながら老子の「無為」について考えた

今、娘の一家が帰省しています。
孫が2人います。

5歳と3歳。

2人ともよく動きますが、特に3歳が止まらない。
よくこんなに動き続けられるものだと感心します。


エネルギー源は?


ソファーに座って動かない私の近くに来てはワーワー言って離れ、
いろんなものを手づかみしては投げ、
また来ては私のひざに乗り、
降りたらソファーの上でジャンプ。

よく疲れないものですね。
あのエネルギーはどこから来るのか?

5歳のほうはテレビに集中すると動きません。
彼も3歳の頃は弟と同じように動いていました。
3歳って、心の中はどうなっているのでしょう?

3歳は先生


以前、

私は4歳

という記事を書きましたが、
3~4歳の頃には自分の原点があると思っています。

でも、本物の3歳を見て、

「私は4歳、と言うのは無理がある」

と思いました(笑)。

小さい頃、自分もこんなに動いていたのか?
母にだっこやおんぶをねだっていたのはよく覚えていますが。

3歳の孫は目の前のことに夢中になっているように見えます。
もちろん、悩みなどなさそう。
ただ笑っている。

うーん、こんなふうになりたい。

5歳はたまに思案顔


それに対して、5歳の孫はたまにお兄ちゃんの顔を見せます。
もちろん、成長の証。

であるとともに、

私たちの仲間に入りかけている

感じがするのです。

「考える」

ことの多くは、願望実現や問題解決のための機能と言えるかもしれません。
「こうありたい」という思いが生まれるからこそ、「現実との差」に悩む。
極めて重要なものですが、それは幸せや不幸せという状態に直結している気もします。

これに対して、3歳の孫は幸せか不幸せかを考えるより、その瞬間を生きているように見えます。
ただ、その場その場を生きている。

60代を、ただ生きる


もしかしたら、これが人生の極意なのかも、とも思うのです。

余計な欲や不安に振り回されず、その時その時を自然に生きる。
幸せになろうと力まず、不幸を過度に恐れず、その時その時を自然に生きる。

老子の「無為」とは、そういう境地なのかもしれません。

孫たちと触れ合いながら、大事なことを学ばせてもらっていると思う私です。

いいなと思ったら応援しよう!

濱本克哉 よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!