産学連携が生んだラム酒『HAL distillery』の「おいしい」ロジック
産学連携で開発されたクラフトラム『HAL distillery』。フルーティーな香味の核心は熊本大学開発の酵母『ジャポニカス Kumadai株』にあった。酵母開発者の谷時雄教授と科学者のキャリアを持つ蒸留家・大石恭介氏。2人の「科学者」による対談でおいしさの秘密を紐解く。
『HAL distillery』を生み出した「サイエンス」の共通言語
クラフトラム『HAL distillery』の誕生には、酵母研究の第一人者である熊本大学・谷 時雄教授のバイオサイエンス研究と、大石酒造6代目当主・大石恭介氏の科学者としてのバックボーンが大きく寄与している。 実はディスティラーを務める大石氏は、家業を継ぐ以前は博士号を持つ「科学者」として、海外で長年DNA研究に従事してきた経歴を持つ。谷教授とは「サイエンス」という共通項で深く結びついていた。

大石氏: 「大石酒造に入社する前、約10年間デンマークの研究機関などで“DNA損傷修復(※1)”の研究に従事していました。参加した学会で谷先生の研究発表を拝見した際、示されたデータを見て直感したんです。“この酵母を使えば理想のラムができるはずだ”と。そして酵母の『ジャポニカス(japonicus)』という種名が『日本(Japan)の』を意味するラテン語であることにも強く惹かれました」

谷教授: 「研究領域が近かったこともあり、私の発表意図を瞬時に理解していただけたのでしょう。研究会の懇親会でも非常に深いディスカッションができましたね。最先端の研究キャリアをお持ちの方が、伝統ある酒造メーカーの代表を務めていらっしゃるとは驚きでした。現在の酒造りの世界で、サイエンスの知見はどう活きていますか?」

大石氏: 「“なぜそうなるのか”を思考し、要因を科学的に分解する際に役立ちますね。また、同じようなサイエンスのバックボーンを持つ工場の杜氏とも、感覚的な話だけでなく論理的な共通言語で議論ができます。“職人の経験”に加え、“科学的な根拠”に基づく製品造りに役立っています」
※1 DNA損傷修復: 細胞内のDNAが紫外線や化学物質などで損傷を受けた際に、修復酵素によってその傷を治す機能のこと。
偶然が生んだ奇跡の発見。分裂酵母『ジャポニカス』
1928年に九州大学農場のイチゴから分離された分裂酵母『シゾサッカロマイセス ジャポニカス (Schizosaccharomyces japonicus)』。長らく遺伝学研究のモデル生物としての利用が主であり、酒類醸造に使われることはなかった。しかし、谷教授の研究チームはこの分裂酵母を改良し、酒造りに適した独自の『Kumadai株』の開発に成功した。

谷教授: 「この酵母が産み出す香りの発見はまったくの偶然でした。あるとき実験室の培養機器が故障して停止し、酸素が供給されない状態になってしまったのです。普通なら実験失敗として培養液を廃棄するところですが、ふたを開けてみると、まるで大吟醸酒のようなフルーティーな香りが漂ってきました。『これは新たな発見かもしれない』と直感した瞬間でした」
大石氏: 「まさに偶然ですね。しかし、そこから酒造りに応用しようとされた谷先生の思考の柔軟性が素晴らしいと思います」
谷教授: 「酵母は約1400種以上存在しますが、私たちが研究している『分裂酵母』はわずか4種しか確認されていない希少な存在です。通常、酒造りに使われるのは『出芽酵母サッカロマイセス セレビシエ (Saccharomyces cerevisiae)』かその類縁種であり、分裂酵母は約5億年前に出芽酵母と分岐した全く別属の酵母です。ヒト細胞と同じように二分裂して増殖するこの『ジャポニカス』を使えば、酒類の世界に多様性をもたらし、社会に貢献できるのではないかと感じて研究を進めました。そうして育種開発されたのが、吟醸香をより高く生産する『Kumadai株』です」
分裂酵母『ジャポニカス』のKumadai株は、既に日本酒や焼酎に応用され、「吟醸香」と呼ばれる華やかな香りを生み出すことに成功している。そして今回、大石氏との出会いによって『HAL distillery』にも採用されることとなった。分裂酵母『ジャポニカス』を使用しているラム酒は世界的にも極めて稀であり、画期的な試みと言える。
ロジックで作り上げた理想のエステル香
大石氏の目指す理想のラム酒において欠かせない「エステル香」。これは酵母の発酵過程で生成されるフルーティーで芳醇な香り成分のこと。バナナ、パイナップルのような独特の南国系フルーツやスパイス、フローラル、時にはワックスのような香りが混ざり合った香りを指す。『HAL distillery』の開発では大石氏が理想とするエステル香の再現は困難を極めた。そんな最中に前述の研究会で谷教授の発表データを見た瞬間、大石氏の脳内ではラム酒製造におけるロジックが確立されたという。

大石氏: 「目指すエステル香をどうやって生み出すかには苦労しましたね。そんな最中、研究会で発表された谷先生のデータを見て驚きました。『ジャポニカスKumadai株』が生み出す成分バランスが、私が追い求めていた香味の構成と合致していましたので」
谷教授: 「ラム酒への応用は当初頭にありませんでしたが、大石さんからお話をいただいた際、この酵母の“糖への耐性”が活きると感じていました。サトウキビの搾り汁のような糖度が高い環境でも、この酵母なら問題なく発酵可能だなと。科学的なマッチングも完璧でしたね」
大石氏: 「新しい試みには不安がつきものです。でも、谷教授のバックアップがありましたし、科学的な裏付けやこれまで培った経験があった。だから、迷いなく製品開発を進めることができました」

『ジャポニカスKumadai株』酵母が生み出す「エステルの魔法」
今回『HAL distillery』がリリースする商品『JAPONICUS/JAPONICUS KABUTO』。そこに使用された酵母は、大石氏が求めた理想のエステル香を実現し、製品の完成度を飛躍的に高めた。
谷教授: 「使用した『ジャポニカス』酵母のM23株は数回にわたる育種により、リンゴのような香りの『カプロン酸エチル』、バナナのような香りの『酢酸イソアミル』、そしてバラのような香りの『β-フェネチルアルコール』といった成分をバランスよく、かつ大量に生成するように改良されています。これが『HAL distillery』の独特の香りを生み出しています 」
大石氏: 「酵母のおかげで、理想とするラム酒のエステル香に近づけました。味わいも非常に複雑です。トップノートには熟したバナナやリンゴのような濃厚な甘みがあり、中盤にはフルーツ・ティーのような華やかさが広がります。そしてフィニッシュには、力強いパイナップルの風味が長く続き、アップルミントのような爽快感も残る。これらを多層的に感じられるはずです」
谷教授: 「フルーティで非常に飲みやすいラム酒ですよね。研究室のメンバーにも大好評です。アルコール度数は50度以上ありますが、その強さを感じさせないほど、刺激が少なくまろやかな酒質になっています。これはまだ科学的にも完全には解明しきれていない“分裂酵母『ジャポニカス』の魔法”ですね」
大石氏: 「そうなんです。口に含んだ際のアルコールによるアタック感がなく、驚くほど滑らか。エステル香の豊かさとこの飲みやすさは、この酵母だからこそ実現できた特徴だと感じています」
『HAL distillery 』が体現する産学連携の理想形
『HAL distillery JAPONICUS /KABUTO』。このボトルはディスティラーと研究者がロジックで積み重ねた成果と情熱が交差して完成した逸品だ。
大石氏: 「自身の研究開発に費やした時間とほかの方の積み重ね。それぞれが正しい論理の上にあれば、掛け合わせたときに必然的に整合性が取れるのだと改めて感じました。今回はラム酒製造開発と熊本大学の酵母研究という2つの積み上げたものが掛け合わさり、“産学連携”ですばらしい製品が生まれました。引き続き谷先生には新商品の開発などで、ご相談できればと考えています」

谷教授: 「私は基礎研究を一筋にやってきましたが、社会に貢献できる、目に見える“産学連携”の形になることは稀です。お酒造りのスペシャリストであり、サイエンスを理解する大石さんとチームを組むことで、クラフトラムという形になった。本当に研究を続けてきてよかったと感慨深いですね」
『HAL distillery』の誕生は、ゴールではなくスタート。大石氏はディスティラーとして、既に新たな製品開発の構想やアップデートを策定している。九州から生まれた『JAPONICUS』(日本の)という名にふさわしい、世界に誇れるクラフトラムが完成した。
インタビュー
谷 時雄(たに ときお) 放送大学 熊本学習センター 所長/熊本大学生物環境農学国際研究センター特任教授 九州大学理学部卒業後、筑波大学大学院修了。企業の研究員を経て、九州大学理学部助教授、熊本大学大学院教授、同大学理学部長を歴任。分裂酵母のRNA研究の第一人者でその成果は『Nature』にも掲載。基礎研究のかたわら世界初となる分裂酵母「ジャポニカス」を用いた醸造技術を開発。
大石 恭介(おおいし きょうすけ) 大石酒造株式会社 代表取締役社長/ディスティラー
1981年福岡県生まれ。茨城大学卒業後、京都大学大学院で博士号を取得。デンマーク・コペンハーゲン大学Dr.Groth研究室にてDNA修復やエピジェネティクスの研究に従事。2021年に妻であり現在は取締役を務める大石晶子さんの実家である大石酒造の継承を機に大石酒造へ入社。その後2025年に代表取締役社長に就任。
HAL Distillery(ハル・ディスティラリー)
日本・鹿児島の大石酒造のスピリッツブランド。厳選したサトウキビから酵母、水に至るまで、すべてを日本の風土から育まれた素材で仕上げたジャパニーズ・クラフトラム。
執筆
6WORKS
クリエイティブディレクターとしてブランド、企業のクリエイティブコンサルタントを手がける。またエディター・ライターとしてもライフスタイル、グルメメディアなどでも執筆多数。日本ラム協会「ラム・コンシェルジュ」の資格を所持。
撮影/石田大慈
