【史実と小説の間】 第一章「軍縮の幽霊」
1929年10月、ジュネーブ。
主人公・黒瀬誠一郎が初めて登場するシーンだ。
外務省欧亜局の31歳の書記官として、国際連盟の軍縮委員会に出席している。
そこで一人の女と出会う。
ミリアム・カッツ。
シオニスト連盟のジュネーブ代表だ。
タバコを一本もらえますか――。
その言葉から、物語が動き始める。
■ 史実① 1929年、軍縮という「幻想」
第一次世界大戦終戦から11年後のこの年、世界は軍縮を信じていた。
1928年には「不戦条約(ケロッグ=ブリアン条約)」が63カ国に署名され、
戦争を「違法」と宣言した。
国際連盟の軍縮委員会はジュネーブで断続的に会議を続けていた。
翌1930年にはロンドン海軍軍縮会議が開かれ、日米英が主力艦の保有比率を再交渉する。
しかしこの「軍縮の幽霊」は、すでに足元が崩れていた。

1929年10月24日――「暗黒の木曜日」。
ウォール街が崩壊した。
世界恐慌が始まった。
職を失った人々が街に溢れ、欧州では民族主義と右翼運動が台頭し始める。
軍縮の理想が輝いていたのは、経済が回っていた時代だけだった。
■ 史実② ヘブロン事件、そしてシオニズムの焦り

小説の中で黒瀬は、ジュネーブに来る直前、ある公電を読む。
「ヘブロンでアラブ人による暴動が起き、ユダヤ人六十七人が死んだ」
これは史実だ。
1929年8月、パレスチナのヘブロンでアラブ人によるユダヤ人虐殺が起きた。
67人が殺され、生存者の多くは隣人に匿われて助かった。
英国委任統治当局の対応の遅さが批判された。
この事件はシオニスト運動を大きく揺さぶった。
「パレスチナは、本当に安全か」
ユダヤ人の故郷をどこに作るのか。議論は続いていた。
シオニスト組織の内部では、パレスチナ以外の「代替地」案が何度も浮かんでは消えた。
アルゼンチン、ウガンダ、マダガスカル……どれも実現しなかった。
■ 小説の「もし」― 樺太という発想
廊下でミリアムに出会った黒瀬は、思わず一言漏らす。
「樺太」
自分でもなぜその言葉が出たか分からなかった、と書かれている。
樺太(サハリン)。
南樺太は1905年のポーツマス条約で日本領になっていた。
1929年時点の南樺太には、すでに数十万人の日本人移民が暮らしていた。
鉄道が敷かれ、製紙工場や炭鉱が稼働し、豊原(現・ユジノサハリンスク)には百貨店まであった。

「空き地」ではない。
すでに人が根を張り、産業が動いている土地だ。
そこにユダヤ人の国をどう作るのか。
誰が納得し、誰が反発するのか。
ロシア(ソ連)との国境が北緯50度線で引かれたままという地政学的な難題も残っていた。
黒瀬の「樺太」という一言は、ロマンティックな夢想ではなく、
そうした複雑な現実を全部引き受けた上での、外交官としての直感だった。
「広い。人が少ない。ロシアと日本の間で宙ぶらりんになっている島」
黒瀬がそう感じたのは、史実の地政学的文脈から見ても不自然ではない。
実際、戦間期には「シベリアへのユダヤ人入植」を検討したソ連の事例(ビロビジャン計画)もあった。
この一言が、物語全体の核になる。
■ 1929年の日本と国際連盟
当時の日本は、国際連盟の常任理事国だった。
外交的には欧米との協調路線を維持しており、黒瀬のような若手外交官が
ジュネーブで活躍していた時代でもある。
しかしこの2年後、満洲事変が起きる。
その4年後、日本は連盟を脱退する。
黒瀬が軍縮委員会の会議室で感じていた「言葉が沈殿する重さ」は、
来るべき嵐の前の静けさだったのかもしれない。
■ この章で描かれること
第一章は「出会い」の章だ。
黒瀬とミリアムが出会い、「樺太」という言葉が生まれる。
二人は軍縮の幻想が漂うジュネーブで、まったく別の問題を抱えていた。
外交官と、ユダヤ人難民運動の代表。
政治の言葉と、生存の切実さ。
その出会いが、「もし日本が別の選択をしていたら」という問いを動かし始める。
第一部「樺太の種」完全版が、Amazon Kindleで読めるようになりました。
note、カクヨム、小説家になろう、NOVEL DAYS、アルファポリスでは引き続き無料公開中です。
続編 第二部
「太平洋の夢 Ⅱ 海洋国家宣言」がAmazon Kindleで公開されました。
Kindle Unlimited(読み放題プラン)に含まれています。
