AI要約記録を“保育の質”に変えるには?
向山こども園では音声入力で記録を取りデータベースを作ります。これをもと、AIが保護者に配布する一人一人のその月の記録「月末メッセージ」を作るという取り組みを行っています。
この記録は、当然保育者も読むわけなので、保育の質向上に寄与していると思っていました。
しかし幼児教育実践学会の発表の打ち合わせの中で、記録のどこを読むのか?ということが違うと、この記録の持つ力がうまく引き出せないということに気が付きました。
そこで今日は、「人間である保育者だからこそ果たせる役割」と、「AIとともに生み出せる保育の質の向上」について、考えたことを書いてみたいと思います。
音声入力とAI要約が生み出す新しい記録のかたち
現場で保育をしながら、記録を詳細に書くことは簡単ではありません。
目の前の子どもと関わる時間を削ってまで、パソコンに向かうという選択に、ジレンマを感じていた方も多いのではないでしょうか。私もそのうちの一人です。
そこで導入したのが、音声で記録を残すという方法です。
保育者が、その時々の子どもの姿や関わりを、カンファレンスの中で「話し言葉」で記録する。それをデータベースとしてAIが要約し、月末メッセージとして整える。
このプロセスによって、保育者が記録から解放されるのではなく、他害に聞くことにより情報共有を迅速にできるばかりでなく、より深く子どもを見ることができる環境が整いました。
AIはあくまでも「補足者」であり、主役ではない
しかし、発表の打ち合わせをしているときに、AIが生成した文章の活用方法が私の想定とは異なることがわかりました。
AIは、保育者が話した一次情報をもとに、整理・言語化をしてくれる優秀な補助者です。しかし、子どもを見ているわけでも、感じ取ってるわけでも、感情を理解しているわけでもありません。
先日の打ち合わせの中で、遊びの様子をもとにAIが生成した文章に「夢中になって遊んでいた」という表現があり、それに対して「Aちゃんは夢中になって遊んでいたって、わかったんです」といった発言がありました。
しかしこのような表現は、あくまで保育者の話をAIが言い換えたものであり、AIがAちゃんの気持ちを理解して教えてくれたわけではありません。
むしろ、AIに子どもの気持ちを尋ねるような使い方になってしまうと、人が保育をする理由の半分が失われてしまいます。
もちろん、生身の人間が関わる意義は残りますが、保育においては子どもの気持ちにその場で応じることが何より大切です。
そのため、たとえ言葉にうまくできなくても、保育者は子どもの気持ちを感覚的にとらえる力を持っていることが求められます。
AI活用の本質は、「子どもの気持ちを読み取ること」ではなく、「保育の意味付け」にあると、私は考えています。
というのも、AIに文章を生成させる際のプロンプト(指示文)の中で、遊びや育ちについてわかりやすく解説するように求めているため、AIは保育の意味づけを行ってくれているのです。
例えば、保育者が「今日はYちゃんが友だちと遊んでいて、ちょっともめたけど、最後は一緒に遊べてよかったです」と記録すれば、AIはそこに「協調性の芽生え」「感情の整理」「関係構築の初期段階」など、意味づけを付加した文章を作り出します。
これはAIが「判断」しているのではなく、あくまでも人間が見たものをどう解釈できるかを、膨大なデータや指導要領などと照らし合わせて記載してくれています。
これをどのように活用するかによって、保育の質向上の道筋が見えてくるようになります。
月末メッセージは「意味付け」のたたき台
AIが示してくる「意味づけ」は、ときに保育者にとって新鮮な視点となり、自分が気づいていなかった育ちを言語化してくれることもあります。
しかし、当然ながら間違いもあります。
「そうとも言えるけれど、ニュアンスが違う」「ちょっと誇張しすぎている」など、AIが生成した意味付けを鵜呑みにするのではなく、「確かに、最近この子はこういう姿が多いな」「でもこれは協調性というより、まだ自己主張の段階かもしれない」と、自分の感覚と照らし合わせて育ちを検証するプロセスこそが、保育の質向上のために必要な議論となります。
私たち保育者は、これまで膨大な時間をかけても一人一人の育ちの検証をすることはなかなかできませんでした。
しかし、AIの登場によって、AIが生成した月末メッセージをたたき台として一人一人の育ちについて議論することができるようになりました。
保育者はただ記録を「出力する存在」ではなく、子どもの育ちを捉え、再解釈し、次の保育へとつなげるという流れができかけているのです。
しかし、この「意味付けを検討する」ということをしなければ、月末メッセージは、ただの保護者への説明資料となり、保育の質向上には寄与しません。
この意味付けに対しての再検討をするためには、クリティカルシンキング(批判的思考)が極めて大切な力となり、これからの保育者に求められる重要な思考方法となると私は考えています。
月末メッセージが「一人ひとりの1か月」を整理してくれる
もう一つの大きな利点は、子どもの1か月の歩みを俯瞰できることです。
日々の断片的なエピソードでは見えなかった、「ああ、この子は今月、こんなふうに遊びが発展していたんだ」「ずっと関わりを深めていたのはこの友達だったんだ」という気づきが、月末メッセージを通じて得られるのはとても大切なことです。
手書きの記録や、膨大な量の個人帳票からは、一人一人の1か月を俯瞰してみることはできません。
しかし、1人1人の1か月がA4 1枚にまとめられていることにより、一人一人の物語を俯瞰してみることができるようになりました。
それは単に記録の整理ではなく、子どもの育ちの“線”を見ることができる視点です。
さらにそれを一人ひとりについて確認していくことで、クラス全体としてどんな流れが起きていたのかも見えてきます。
自然物との関わりが増えていた、空間構成への興味が広がっていた、あるいは関係性におけるぶつかりが増えていた……
そのような視点で1人1人を振り返ったうえで、月の終わりにチームで振り返ることができれば、AIと保育者の協働による成果だと言えると私は考えています。
しかし、現実は、月末メッセージができるのと月の振り返りがかみ合っていないようなので、2学期から、連動させる方法を模索していきたいと思っています。
150点の保育とは、AIと人間の「掛け算」で生まれる
人間だけでも、AIだけでも到達できなかったもの──それが150点の保育です。
これは「完璧な保育」という意味ではなく、お互いの限界を補い合った上で、より深く豊かな保育を実現するという姿勢の象徴です。
保育者は、言語化や要約が苦手な場面があっても、子どもの表情や感情、流れを感じ取る力、いわば「フィーリング」を持っています。
AIは、そうした情報を構造的にまとめ、言葉にすること、つまり「ロジック」に長けています。
この両者が掛け合わさることで、より精緻に、より振り返りやすく、より再現性の高い保育記録ができあがる。
それは単に報告の質が上がるということではなく、保育そのものの質を上げるサイクルが動き出すということを意味しています。
人間であることの価値をもう一度見つめ直す
「AIができるから、私がしなくていい」「AIはきれいな言葉でまとめてくれる」ではなく、「AIがここまでしてくれるからこそ、私はもっと深く考えられる」というスタンスが、これからの保育者に求められる姿勢です。
保育者は、子どもと同じ時間を生き、同じ空気を吸い、目の前で起こる小さな気づきを拾い続けている存在です。
その感覚的で非言語的な営みを、どう言葉にして記録し、大人同士で共有できるか、そして保育の意味として育ちを捉えていくかをAIと一緒に考えていけること。
それが、私たち保育者が人間であることの意味であり、AIだけではできない大切な仕事です。
記録の仕方が変わったからこそ、保育の本質に立ち返ることができる。
音声で残す保育者の「声」には、その日感じた想いがあり、その想いをAIが整理し、私たちが改めて向き合うことで、保育の中に新しい視点が生まれます。
一人ひとりの育ちに向き合い、全体を俯瞰しながら月を振り返る。
そして、次の一歩を考える。
それが、AIとともに歩む新しい保育のかたちであり、人間だからこそできる保育の再定義だと私は思います。
発表は来週。
ぎりぎりまで、しっかりした発表になるように調整を重ねていきたいと思っています。
