ときめきに呪われた者達へ
前に大森靖子さんのイミテーションガールに関する文章を投稿した。その際に、いつか「魔法使いは二度死ぬ」の感想も書きたいと記した。
今回は有言実行、久しぶりに感想駄文を綴っていこうと思う。
もし良かったらこちらも覗いて頂ければ、私の制作するポエムの世界観のようなものが何となくわかるだろう。勿論今作から読んで頂いても全くもって支障は無い。
何かを制作する人間というのは、皆等しくその「何か」に酷く取り憑かれているのだ。
絵画でもいい、音楽でもいい、文章でもいい。とにかく自己表現を必要とする人は全員、表現の対象を心の底から愛し、そして呪われている。
曲中で魔法は「何の役にも立たないもの」と、創作をする者を「魔法使い」と言い表されている。正しくその通りだと思う。どれ程心を削って生み出しても、結局は誰かを救うことは不可能。どれ程素晴らしい技術を使っても、所詮はただのガラクタに過ぎない。
この作品で世の中を良くしたいと願ったところで大して何も変わらないのだ。なのに、無用の長物を延々と作り続けている。そんな存在を世の中はクリエイターと呼ぶ。畏敬も侮蔑も込めて。
昨今のクリエイション業の収入はずば抜けて低い。きっと他の職業と比べると重要度が高くないからだろう。有っても無くても大差ないものに拘泥する様は、さぞ滑稽に見えるだろう。
更に言えば、世間から認められるクリエイターはほんのひと握りだ。個人の能力で一定以上の地位を確立することは最早不可能に近い。周りから価値を認められなくても創作を続けることを強いられるのが、クリエイターの運命なのである。
誰から、ではない。自分自身が創作を続けることを望み、自身が生み出した作品に囚われている。いわば自らの首を絞める行為だ。
一度クリエイターになったら、もうクリエイターになる前の人間には戻れない。そんな苦悩を曲中では「魔法使いなんてならなきゃよかった」と表現している。これ以上無い秀逸な言い方だ。
「私が考えたこと 全部噓ならいいな」
靖子ちゃんならではの悩みではないかと思う。圧倒的な知名度を誇る彼女は、彼女自身の内面を不特定多数に覗かれている。特に私達のような希死念慮を抱える人間に多く聞かれている。
下手すれば彼女の曲を聞きながら命を絶った人もいるだろう。彼女の曲で言われている"噓"を本当にした人もいるだろう。だからこそ「何かを作る側の苦しみ」を謳った歌詞の中に「著名なクリエイター特有の苦しみ」を混ぜ込んでいるのではないだろうか。
あくまでも想像でしかないが、この曲を聞きながら私は上記のようなことを考えている。そして、私も自分が作り出したときめきに呪われている事実からは二度と逃げられないと、ある種の諦めを感じながら今回のnoteを執筆している。
