自分が世界一可愛くてかっこいいと信じないと生きられない日
似合わない街に行こう 睨まれて帰りたいな
これは大森靖子さんの「イミテーションガール」の一節だ。ひょんなことから彼女の曲に出会い、頻繁に聞くようになった。
なんてこのご時世のルッキズムを体現しているのだろう。
家で必死に着飾って、自分が可愛いのだと思い込んで外に出て、周りに溢れるもっともっと可愛い子たちに囲まれて、苦しくなる。死にたくなる。
背が低いのが嫌だから、足が痛くなっても重い厚底の靴を意地でも履き続けて。真夏日だろうと猛暑日だろうと、ズタボロになった腕を隠すアームカバーを着けて。目つきの悪く小さい一重を片方だけ長い前髪で覆い隠して。
とにかくコンプレックスを見えなくするために足掻く自分が惨めに感じる。どうして自分はこんなに顔面偏差値が低いのかと思った。受け継いだ全ての遺伝子を恨んだ。
世間から向けられる視線がそのまま、自分が自分を見る時の色眼鏡になってしまう。どれだけ可愛い、かっこいい服を着ても、どれだけ赤いアイシャドウを重ねても、どれだけ髪をセットしても「ブス」というフィルターが剥がれない。
可愛い女の子たちが客引きをする繁華街に降り立った。何もかも初めて見る感動と同時に、自分の醜さに打ちひしがれた。
猫耳を着けた女の子の瞳に不細工な自分の顔が映って、あぁ、この子と自分は住むべき世界が違うんだ、という事実を否が応でも突きつけられた。たくさんの可愛い子たちが動き回る店内で、本来自分はこんなにも可愛い空間にいてはいけないんじゃないかと思った。
偽物の笑顔を貼り付けてニコニコしている学校生活だけじゃなくて、プライベートで自分を可愛く見せたくてもボロが出る運命なのだ。
悲しいね。報われないね。死にたいね。などと自分に言い聞かせても、ふとした拍子にスマホの画面に映る自分から目を背けたくても、深夜に布団を被って泣いても、一向に傷は癒えなかった。
思えば、努力と願望と期待が報われないのは昔からだ。ならば今でもルッキズムに囚われて消えてしまいたくなるのも納得だった。
友人たちは自分なんかよりずっとビジュがいい。顔面偏差値が高いと言ってしまえばそれまでだが、何より友人たちは"より"可愛くなろうと毎日努力している。もう既に自分の見た目と比べたら雲泥の差だと言うのに。
だから劣等感が脳内で暴れて、絶望が肺の中に充満して、希死念慮が全身を巡る。
だがそれでも尚「可愛い」を身に纏いたいと思ってしまうのが「女の子」の性なのだ。矛盾したことを願ってしまう。傍から見たら滑稽な、馬鹿げたことを願ってしまう。
何が自分にしか表現できない「可愛い」という概念なのかもわからないまま。
こんなことを書いておいてなんだが、一端の物書き__しかもフォロワーもいいね数もひと握りしか存在しない弱小ブロガー__としては、イミテーションガールよりも「魔法使いは二度死ぬ」のほうが共感できる部分がある。自己投影するほどによく聞いているので、また今度そちらについても文章を綴りたいと思っている。
自分は正直なところ、何故大森靖子が人気なのかわからなかった。どうして俗に言う「病み垢」が彼女の歌に熱中するのかわからなかった。
しかし実際に手を出してみると、今まで言語化できずに抱えてきた感情をひっくるめて表現されていて驚いた。惹かれた。何度もリピートするようになった。
大勢の"生"に対して悩みを持つ人間の思いを素晴らしい楽曲に昇華する。なるほど、これは人気な訳だ、と納得したのが一週間前のことだった。
