ジョニ・ミッチエルと藤圭子。
ジョニ・ミッチエルと藤圭子。
(これは、2024年10月05日に初出した文章です)
藤圭子の命日は、2013年8月22日です。享年62才でした。
ジョニ・ミッチエルの話しを書いていると、途中からですが「なにかこう」藤圭子の死のまわりの不充足を解き明かす鍵があるような気がして書き進めました。それは今も変わらなくて、今年はAIの助けも借りて書きついでいます。
前ページ「藤圭子、あなたをジョニ・ミッチェルにしなかった理由」です。二つを読んでいただき、心に届くところがあったら幸せです。よろしくお願い申し上げます。
(他に「小説・藤圭子」も書いています)
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ぼくはボブ・ディランにノーベル文学賞を与えるべきだ、とディランの70歳の誕生日にこのmixiに書いた。もちろんぼくの文章がノーベル賞の選考委員の目にとまったわけではない。
まちがいない。
が、6年後、ディランはノーベル文学賞を受賞した。
ぼくのカンは当たるのさ、と人知れず思う反面
「これでぼくらの時代の役目も終わりかあ」
自分で自分の葬儀車の後押しをするのか。やれやれ。やれやれと21世紀初頭の夕暮れをやっとの思いで歩く、そう思っていたのだけれど、
「あー、あの人のことを言わなきゃいけない」
ということに気がついた。
ジョニ・ミッチエルのことだ。
流行り歌が時代の核心を映す、
20世紀ならではの現象を引き起こしたのは、女性では彼女なんだろう。
「いろんな山を登りたかったんだ。
でも、雲が邪魔したよ」
という哲学的なフレーズはぼくらの世代のほとんどの人はおぼえていると思う。たくさんの人に人生ってのはそういうものかと、ため息をつかせたものだった。
「これトーマス・エリオットかい。えー違う、そうなのかい」
「ジョニ・ミッチエルというただの女の子さ」
「時代は巡る、巡るよ
サークルゲームの中を」
こちらならもっとたくさんの人が知っているのかな。
上は「ボスサイド・ナウ」、(日本名タイトル「青春の光と影」)
下は「サークルゲーム」 (「いちご白書」の主題歌)
ポリオの治療に悩んでいた少女が16歳で描いた曲「ボスサイド・ナウ」が
「16歳に人生を描かれてたまるかい」
と世間のたくさんの大人の反発をよんだ。ところがどうだい、時が過ぎる度に信憑性は増すばかりでジョニの詩がくすむ事はなかった。
そのジョニは(50歳頃)脳動脈瘤で倒れたのだが回復し、ガーシュウィン賞を受賞し歌った。驚くことに79歳になっていた。自分の曲の前に、まずガーシュウィンの名曲「サマータイム」を歌い、「サークルゲーム」を歌った。あの可憐な声は透き通って揺るがないものになっていた。
なにに揺るがないのか。それは時というものにさ。
ジョニの声は揺れる。揺れながら時代の上に立っている。人前であまり歌わなくなってからでもかれこれ30年は経っている。でも、歌いはじめればなにも媚びることはしない。
「さあ、私は歌手で、素手で歌っている」
ぼくは若い時、「サークルゲーム」をCMに使わせて欲しいと依頼したことがある。答えは
「私には、もうこれ以上のお金なんていらないから」
というものだった。断られたけれど、
「あー、やっぱりジョニ・ミッチエルだな。そうだよね」
とスッキリさせられたものだった。
藤圭子は、なぜ79歳で歌おうとしなかったのか。どうしてジョニ・ミッチエルになれなかったのか。実は、それがここで本当に言いたいことなのだ。
「バカ野郎がいたのさ、そいつが、すべてをダメにしちゃったのさ」
ジョニの、79歳の、素晴らしい歌を聴いていると「ボスサイド・ナウ」の真ん中に、藤圭子が立っている姿が見えてくる。
いっときは雲のはるか上に立ち、いっとき後には雲の下で雨や風に叩かれ、ずぶ濡れになっている。その実、なにも人生をわからぬままに過ごしてしまった人生。そういうことなのだろう。
歌えれば、歌えばいつだって一瞬のうちに人生は開けてきたのだろうに。けれど、49歳以降、彼女にはステージはなかった。
ジョニ・ミッチエルといえば、中島みゆきを持ち出すのが普通だろう。
けれどぼくには藤圭子を思い出される。藤圭子は本当を歌いたがっていた歌手だった。技術なんていらないし、できるだけ省いて、素のままで歌うのだ。本当に届くのは、本当の気持ちしかない。これが、藤圭子の歌のすべてだった。
干からびた技巧を使わない、化粧なんてない、つまりスッピンの79歳の歌を(日本ではじめて)歌わせたかった。
ジョニの、79歳の揺るがない歌を聴いていると、藤圭子にこの淀みのない澄んだ世界を味あわせたかった。
そしてね、「あーここまで生きていてよかった」という声をもう一度聞いて見たかった。
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■「小説・藤圭子」シリーズ
・「小説・藤圭子」40 「天国」のある場所。
・「小説・藤圭子」37 父の陽炎。
