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父の陽炎。 -「小説・藤圭子」 37 

 陽炎の中、父、母、幼い娘、三人の旅芸人がつながって歩いて行く。信濃川の土手は一段、高くなっていて、上気した空気は土手を立ち上がり、揺れている。喘ぎながら天に上るように一団は歩いている。
 三人は家がない、三人にははっきりした行くあてはない。だが前に進むしかない。
 熱風の中でさすらうのは、いのちを陽炎の中に拡散させることを意味している。いのちは蒸発し、呼気とともに消えそうになる。

 今年は、熱い。
 ぼくは2年かけて「小説・藤圭子」を書いた。その37話に書かれた巡業(よく言えばだが)の様子は、今年の暑さに酷似している。

 旅芸人が送った夏の「さすらい」。それを再現するように、知ってもらうには、今年がいちばんなのだろう。この文章を読んでもらうことに気がついた。長い小説の一部なので、直接、夏の暑さに関わらない部分も多くあるが、(言わば人生の熱さの一部として)手を入れずそのまま掲載した。

 ぼくは、藤圭子が信濃川を歩くシーンを思い出すとどうしても泣いてしまう。こんな苦労をしたものが、なぜ幸福に死ぬことができなかったのか。あまりの理不尽さに、悲しくて仕方がない。

                ○

 「小説・藤圭子」 37  父の陽炎。


 藤圭子は、父親を憎んでいたのか。ぽっかりそんな疑問が湧いてきた。

 どうしてか、さあ、どうしてそんな疑問が浮かぶのかと言えば、藤圭子の男性への関わり方にどうにもわからないないことがあるからだ。
 確かに藤圭子は母親のために父と母親を別れさせた、縁を切らせたとされている。
 紅白を落ちたいちばんの原因も、六本木の家から「父親を追い出した」ことにあるという声さえある。けれど、それだけで父との縁は切れるのか。なんのこころ残りもないというのか。父親は、藤圭子の男性への関わり方にどんな影を残しているのか。

 あの陽炎の季節を過ごした家族に、どんな不和があったというのだ。

 カーッと脳天を突くような日差しが降ってくる。セミの声が熱線のように背中を刺す。
 照り付けられる人の辛さを笑うように、みずみずしい桃が身をつけている。新潟の夏は、冬の寒さを裏返すように熱い。おいしい米が作られるには、これはど残酷な光が必要なのだろうか。

 陽炎の中を3人の行列が続く。先頭は男で首に巻いたタオルで汗を拭きながら歩いている。三味線を抱えた女性、そしてとぼとぼ小さい女の子がついていく。女の子の靴は半ば口が空いていて、耳をすませばパコパコと音が聴こえそうだ。川からの照り返しが3人の行列を包むように踊り、真昼の夢のような無音のシーンが流れていく。

 この映像をあなたはどこかで見たことがあるでしょう。老優、加藤嘉と子供が歩く、あの「砂の器」の映像がそのまま再現されている。川面の光は、見るからにボロボロの3人の家族の上に蜃気楼のように埋め尽くす。

「父ちゃん、水が飲みたい」

 いちばん後ろの女の子の声に振り返る。男はぐるっと見回す。
「ちょっと待ってろや、頼んでみっから」
 近くの農家の庭先に回り込み、老婆に頼み込む。
「えーろー、よしよしそこに待っとりや」
 老婆はスイカを手にして戻ってきた。
「オメェたち、これ、食べてくれりゃ」
 3人はかぶりついた。男は女の子の父親で、かぶりつく娘の姿を見ていた。

 父親は、出番の前に決まって楽屋で口にタオルを当て発声の稽古をする。タオルを使うのは客に声を聞かれないためだ。声を塞ぎ、少しづつ声を大きくする。
(う、う、う…なうにがなうにして~)
 だんだん音を声を上げ唸っていく。顔が紅潮するくらい声が出るまで、力を入れる。
(なうにがなうにして~なうんとやら~頃は、頃は、頃は)
 松平i國二郎は浪曲しかない男だった。

 博打の精算で関東所払いになった、と言われているが本当のところはわからない。けれど藤圭子の父、松平國二郎は浪曲を捨てることができなかった。もしかすると他に何もできるものがなかったというのが本当のとこなのだろう。旭川で仕事がない時に、
「左官の手伝いを一緒にやっていたよ」
という伝聞はあるのだが手伝い止まりで、一人前の職人にはなれなかったようだ。季節が変わると松平國二郎はやはり浪曲師に戻った。

 松平國二郎こと阿部壮(つよし)は、癇性の強い人だった。腹が立つと母親に手を上げる。藤圭子は、それがどうしても嫌だった。だから
「いつか母ちゃんから引き離すんだ」
とこころに決めていた。

「ロクちゃんは、まだ帰って来ないよ」
 母親は答える。東京に出てから父親はまったく働かなくなった。働こうにも「お手上げだ」というのが実情だ。老人の、昔とは言え関東所払いになった浪曲師に仕事先は、まあ、見つからないのだろう。浪曲の元締めは浅草にある。そこに行こうとは思わないし、かと言って日雇いに出るかと言えばそれも少し無理がある。
 で、松平國二郎はロクデナシの「ロクちゃん」という名前になってしまった。そうして朝早くからパチンコに出て、夕方になるとやられて帰ってくるという毎日になっていた。

 当座の稼ぎは、藤圭子の流しに頼るようになっていた。

 藤圭子が石坂まさをの家に住込の弟子になりヒットしてから、事務所に無心にくるようになった。それを合図にするように石坂に金を作ってもらい母親と別れさせた。松平國二郎こと阿部壮(つよし)は、若い女と岩手に帰り、そして亡くなった。
 デビュー前のスポニチでのインタビューで、父親を「殺したい」と発言し、いくらなんでもと大騒ぎになったこともある。

 繰り返すと、藤圭子は、父親を憎んでいたのか。
 藤圭子の不幸はほぼ男によって作られている。そして、それはひとつの傾向を持っている。どういう傾向なのか、それは「強く」主張することに引きずられる、と言って良いだろう。新潟のあの陽炎の情景、とぼとぼとついていく女の子の姿がどうしても目に浮かぶ。スターとなってからは、さまざまなわがままを主張できる立場になった。けれど純ちゃんは、やはり純な子でしかなかったのではないか。
「強い」が「正しい」ことだと理解してしまう、純で弱い女らしさというものが藤圭子生きる背景だったのではないか。
「あたしはね、あたしってのはねぇ」
と男の子のような口の利き方するのだけれど、実のところは古い女らしさそのものの姿が浮かぶ。
 ステージの上で、小林繁に後ろから肩を突かれ
「え、えっ、えっ、あたしのこと」
と指で自分をさし、慌てている様子。あの時、あなたが毅然としていたら不幸ははじまらなかったのに。けれど「強さ」に押された藤圭子は戻れない道を歩き出す。

 藤圭子は、ある種普通の言葉になるのだが男の強さに憧れていたのではないか。それは陽炎の中、先頭を歩く父の姿をどうしても忘れることができなかったからだ。「父ちゃん」の強さに引っ張られていく快感に、身を委ねていたかったのだ。ずーと、ずーと。ぼくにはそう思えて仕方ない。

 喉の手術の後、藤圭子は声を取り戻すために発声の稽古をはじめる。藤圭子は普段レッスンの姿を人に見せることはない。けれどこの時のレッスンは、松平國二郎がやったように口にタオルを当て大きな声を出すことだった。
(うぅ~う、あぁ~あ、あぁたしがぁ、おとこにぃ~)
声を潰そうと思ったのだろう、浪曲師がやるように。この苦労は、まもなく藤圭子に全音域にわたって地声で歌える声の強さを作り出した。
「あー、これでいけるかもしれない」。「本気唱法」が生まれた瞬間だった。

 藤圭子はこころの中で(父ちゃん、ありがとう)と言っていたに違いない。

※mixi日記で連載中の長篇小説「小説・藤圭子」より第37話を抜粋し、その情景とテーマを独自に解釈して再構成したものです。あくまで一個人の読後感としてお読みください。
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■「小説・藤圭子」シリーズ
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・「小説・藤圭子」37 父の陽炎。


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