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談山神社①|藤原氏のはじまりと大化の改新の地──如意輪観音と十三重塔の伝説

@Ricoです。

奈良巡礼シリーズ。室生龍穴神社から室生寺、そして岡寺までを過去記事でお伝えしていきました。

そして、前回の岡寺の記事で「大化の改新(乙巳の変)の舞台と繋がる場所」として触れた、あの神社。
奈良県桜井市多武峰に鎮座する談山神社です。

この社は、日本という国のかたちを決定づけた一大転換点の舞台であり、その後1300年にわたって天皇を補佐し続けた藤原氏の原点でもあります。

今回の前編では、談山神社の御由緒から、早朝の到着と朝拝、そして境内東側の参拝──恋神社や如意輪観音堂、世界唯一の木造十三重塔とその不思議な伝説までを追っていきます。

談山神社の御由緒──藤原氏1300年のはじまり

談山神社(たんざんじんじゃ)は、奈良県桜井市多武峰(とうのみね)に鎮座する神社です。神仏霊場巡拝の道・奈良24番札所にも数えられ、旧社格は別格官幣社。現在は神社本庁の別表神社に位置づけられています。

<御祭神>
藤原鎌足公。

その名を耳にすれば、誰もが歴史の教科書を思い出すのではないでしょうか。

皇極天皇の時代、蘇我蝦夷・蘇我入鹿父子が国の政治を欲しいままにしていました。舒明天皇、さらには皇極天皇の時代にかけて、蘇我氏の権勢はますます増大し、朝廷の在り方そのものが危機に瀕していたのです。これに対し、天皇を中心とする国家体制の確立を志したのが、中大兄皇子(のちの天智天皇)と中臣鎌子(のちの藤原鎌足)でした。

二人の出会いは、法興寺(現・飛鳥寺)での蹴鞠会でした。
談山神社の境内には「蹴鞠の庭」があり、毎年11月3日には「けまり祭」が行われています。
談山神社の公式サイトおよび『多武峰縁起』から以下の内容が確認できます。

✔️ 皇極天皇4年(645年)5月、中大兄皇子と中臣鎌足は多武峰の山中にて極秘の談合を行う。
✔️ 「中大兄皇子、中臣鎌足連をひきいて城東の倉橋山の峰に登り、藤花の下に撥乱反正の謀を談ず」と記される。

この談合の場所が「談い山(かたらいやま)」「談所ヶ森」と呼ばれるようになり、社名「談山神社」の由来となりました。つまり、この神社の名前そのものが「国の未来を談じた山」という意味を持っているのです。

談合の結果、飛鳥板蓋宮にて蘇我入鹿が討たれ、大化の改新(乙巳の変)が成し遂げられます。この功績によって、中臣鎌足は天智天皇から「大織冠」という人臣最高位の冠位と「藤原」の姓を賜りました。
これこそが、以後1300年にわたって天皇を補佐し、日本の政治史に決定的な影響を与え続けた藤原氏のはじまりです。

天智天皇8年(669年)に鎌足公が薨去した後、御墓は摂津国阿威山(現・大阪府高槻市の阿武山古墳付近)に造られました。しかし白鳳7年(678年)、唐から帰国した長男・定慧和尚が父の遺骨の一部を多武峰山頂に改葬し、十三重塔と講堂を建立して「妙楽寺」と称しました。
さらに大宝元年(701年)には神殿が建てられ、鎌足公の御神像が安置されます。これが談山神社の創始です。

以来、多武峰の妙楽寺は藤原氏の氏寺としての性格を帯びつつ、独自の寺院勢力を形成していきました。寺は僧兵を擁し、平安時代から鎌倉時代にかけて、同じ藤原氏の氏寺である興福寺との間で度々抗争が起きています。藤原氏の始祖を祀る聖地であるがゆえに、その守護権を巡る争いは熾烈を極めました。

また、多武峰は「御破裂山」の鳴動伝承で朝廷とも深い関係を持っていました。国家に異変がある前に山が鳴動するとされ、そのたびに寺から朝廷に報告がなされ、朝廷から告文使が派遣されて平穏の祈願が行われたのです。これについては後編で詳しく触れます。

明治2年(1869年)の神仏分離令により妙楽寺は廃され、僧侶は還俗して神職となり「談山神社」と改称して現在に至ります。境内に残る多くの建造物は重要文化財に指定されており、その壮麗さから本殿は日光東照宮の手本になったとも伝えられています。

<参拝ポイント>
御祭神は藤原鎌足公。
御神徳は国家安泰・学業成就・出世開運。
社紋は藤原氏を象徴する「下り藤」。

早朝到着、開門を待つ──多武峰の朝

2024年11月、奈良巡礼の初日。いつものように夜行バスで奈良駅に到着し、桜井駅へ向かいます。桜井駅始発のバスに乗り、終点の「談山神社」バス停で下車。

バス停から境内入口へ向かう道すがら、お山からの朝日が美しく差し込んでいました。11月の多武峰は紅葉の最盛期。朝の冷たい空気と山の匂い、そして木々の隙間から射し込む光が、これから始まる参拝への期待を膨らませてくれます。

歩くこと数分。入口に到着するも、開門は午前8時30分。早朝に着いたため、しばし門前で待つことになりました。

この待ち時間に全体図をインプットし、境内の概要を把握します。
(入口から拝殿へ至る階段、その東側に広がる恋神社エリア、西側に佇む十三重塔と龍神社、そして奥に続く登山口。一通りの参拝ルートを把握したことで、後の参拝がスムーズに進みました)
門の隙間から覗く紅葉のグラデーションが、すでに圧巻。
そして調べているうちに「朝拝」の存在を発見します。

午前8時40分から拝殿にて、神職と一緒に大祓詞を奏上できるとのこと。

これは開門直後に急がなければなりません。

門の周辺には神幸橋が架かり、寺川の清流が流れています。この橋は祭礼時に使われる神聖な橋で、水と山に囲まれた多武峰の霊気を象徴する場所です。

朝拝──拝殿にて大祓詞を奏上

午前8時30分、いよいよ開門。

入口の階段を上がると、まず目に入るのが夫婦杉。
二本の杉が寄り添うように立つ姿は、鎌足公と鏡女王の夫婦像を彷彿とさせます。
階段の途中、右手に「恋の道」への分岐が見えますが、まずは朝拝に向かわなければなりません。紅葉の美しさに足を止めたい気持ちを抑え、まっすぐ階段を上がります。朝日に照らされた紅葉のグラデーションが左右に広がり、朝拝への高揚感が一歩ごとに増していきます。

楼門を抜けた先の階段を上がると、本殿と拝殿が並ぶ最奥の聖域に到達します。社務所でうかがうと「奥の階段を上がってください」とのこと。
向かって左が本殿、右が拝殿。正面に見える社紋は、藤原氏を象徴する「下り藤」です。

本殿は三間社春日造、漆塗極彩色の荘厳な建造物で、重要文化財に指定されています。元和5年(1619年)の造替であり、内部には鎌足公の御神像が祀られています。
朱塗りの柱、金箔の飾り金具、そして極彩色の彫刻が施された外壁は、日光東照宮造営の際に手本とされたと伝えられるのも頷ける豪華さです。

拝殿にて朝拝に参加しました。神拝詞を授かり、神職の方とともに大祓詞を奏上します。
朝の静謐な空気のなか、多武峰の山々に向かって言霊を発する体験は、日常では得られない清々しさに満ちていました。大祓詞の最後、言葉が山々に吸い込まれていくような不思議な感覚。1300年以上にわたって祈りが捧げられてきた場所の力なのかもしれません。

拝殿からの景色は絶景です。(拝殿は舞台造りの建造物で、山の斜面に張り出すように建てられています)
紅葉に彩られた山並みが眼前に広がり、この場所が単なる観光地ではなく、1300年以上にわたって祈りが捧げられてきた聖地であることを実感させてくれる眺望です。

拝殿内部には、展示スペースも設けられています。藤原氏に関する資料や、談山神社の歴史を伝える品々が並べられており、朝拝後にゆっくりと拝見することができました。

<参拝ポイント>
朝拝は8時40分頃から入場、9時から拝殿にて大祓詞を奏上。
拝殿は舞台造りで多武峰の山並みを一望。
本殿は重要文化財、三間社春日造・漆塗極彩色。

春日神社から東殿(恋神社)へ──鏡女王という女性

拝殿での朝拝と展示の拝見を終え、出口方面へ進むと、まず東宝庫が現れます。これは元和2年(1616年)に造営された校倉造の建造物で、重要文化財に指定されています。

その先に鎮座するのが春日神社です。朝日を浴びてキラキラと輝く佇まいに、思わず引き寄せられるようにお参りしました。

春日神社の存在は、談山神社と奈良の春日大社との深い繋がりを物語っています。春日大社は藤原氏の氏神として知られ、藤原不比等が鹿島神宮の武甕槌命を奈良に勧請したことに始まります。
談山神社と春日大社、そして鹿島神宮──藤原氏の信仰のネットワークが、ここでひとつに繋がるのです。

この春日神社との出会いは特別な感覚を感じます。実は今回の奈良遠征でも、3日目に春日大社の錬成会への参加が決まっていたのです。談山神社の境内で先に春日神社にお参りできたこと。この偶然とも必然ともつかない流れに、巡礼を重ねるなかで見えてくる「ご縁」の深さを感じずにはいられませんでした。

春日神社のすぐ近くに鎮座するのが、摂社・東殿。
通称「恋神社」です。

<御祭神>
鏡女王(かがみのおおきみ)、定慧和尚、藤原不比等の三柱。

鏡女王は、万葉の歌人・額田王の姉にあたる人物で、もともと天智天皇の妃でした。のちに藤原鎌足の正妻に迎えられ、藤原不比等の生母と伝えられています。
容姿端麗にして和歌に優れ、興福寺建立にも関わった才色兼備の女性です。「秋山の 木の下隠り 行く水の 我こそ益さめ 御思ひよりは」という万葉歌にも、その深い情感が伝わります。

「恋神社」と言われる由来は、以下の通りに伝えられます。

多くの妃を抱える天皇のもとではなく、鎌足公の正妃として丁重に扱われ、幸せな一生を送ったこと

東殿の周囲には「むすびの磐座」と「龍珠の磐座」があります。
むすびの磐座は古来より神の鎮まる場所とされ、岩を撫でて心に思うことを祈願する場です。龍珠の磐座は、妙楽寺時代に講堂を建立する際、光る石が発見されたと伝わる場所です。

案内板:「この手前にある岩は、古来より神の鎮まる磐座といわれ、信仰されてきました。
岩を撫でて心に思うことを祈願してください」
拝殿手前には、役割改新玉があります。
厄割り石は、土器に息を吹きかけ、悪縁や厄を移して石に投げ割ることで厄を祓うというもの。
後編で触れる総社エリアの「厄捨て石」と対をなす構成です。

<参拝ポイント>
東殿(恋神社)御祭神は鏡女王・定慧和尚・藤原不比等。
縁結びの御神徳。
むすびの磐座では岩を撫でて祈願。厄割り石で悪縁を断つ。

如意輪観音堂と談峯如意輪観音菩薩

東殿からさらに奥へ進むと、如意輪観音堂が現れます。

この場所は縁切り祈願の場として知られています。
東殿の「縁結び」と対になるような信仰が、ここにはあるのです。

結ぶべきものを結び、断つべきものを断つ。
その両面が一つの境内に共存している。

如意輪観音堂に安置されていた談峯如意輪観音菩薩坐像は、足腰の病に霊験あらたかな秘仏として知られています。
明治の廃仏毀釈という嵐のなかで多くの仏像が失われるなか、この観音菩薩だけが談山神社に唯一残されました。廃仏毀釈を乗り越えた仏像が、もとの「寺」ではなく「神社」となった場所に今なお安置されているという事実は、日本の宗教史の複雑さと、信仰の力の底深さを物語っています。
通常は非公開ですが、奈良県が主催する「祈りの回廊」特別開帳では、期間限定でその御姿を拝観することができます。

前日に訪れた岡寺で二臂の如意輪観音菩薩に手を合わせ、その翌朝に談峯如意輪観音の御縁に触れる。
如意輪さまの御縁が、この巡礼を通じて繋がっていく。その流れに気づいたとき、参拝の意味がまた一段と深まりました。

<参拝ポイント>
如意輪観音堂は縁切り祈願の場。
談峯如意輪観音菩薩坐像は廃仏毀釈を乗り越えた唯一の仏像。
通常非公開、「祈りの回廊」特別開帳で拝観可能。

三天稲荷神社──山中に佇む末社

如意輪観音堂から連理の木(御神木)を過ぎ、山道を5分ほど歩くと、末社・三天稲荷神社に到着します。

稲荷・天満・弁天の三つの信仰が合わさった珍しい構成
名前の「三天」はこの三柱の神に由来しています。
稲荷信仰は五穀豊穣と商売繁盛、天満は学業成就、
弁天は芸能上達と財福。三つの御神徳が一社に集まる

<御祭神>
宇賀魂命、菅原道真公、市杵島姫命の三柱。

稲荷・天満・弁天の三つの信仰が合わさった珍しい構成です。
入口は少し独特な雰囲気を纏っていますが、中に入ると温かな空気感が広がっています。

<参拝ポイント>
三天稲荷神社、御祭神は宇賀魂命・菅原道真公・市杵島姫命。
如意輪観音堂から徒歩約5分。
手前にある連理の木(縁結びの御神木)も必見。

十三重塔──世界唯一の木造十三重塔と「飛来」の伝説

三天稲荷神社から東殿方面に戻り、拝殿下の紅葉の廊下を通ります。
この廊下がまた絶景。拝殿の床下を通り抜けるような構造で、左右に紅葉が迫り、まるで紅葉のトンネルを歩いているかのよう。見上げれば拝殿の床板が天井のように覆い、見下ろせば石段の脇に紅葉が散り敷いている。紅葉の最盛期には、この廊下だけでも訪れる価値があると感じました。

西宝庫を過ぎると、いよいよ談山神社のシンボルである十三重塔が目の前に現れます。(西宝庫もまた東宝庫と同じく校倉造の重要文化財です)

目の前で見上げると、その存在感は写真で見るのとはまったく違います。
十三もの屋根が重なる塔は、上に行くほどわずかに逓減し、
均整のとれた美しいシルエットを描いています。

高さおよそ17メートル。木造十三重塔としては世界唯一の現存例です。
そもそもこの十三重塔は、供養のための塔婆(とうば)という位置づけです。つまり、鎌足公の「お墓」としての性格を持つ建造物となります。

藤原鎌足公の供養のため、長男・定慧和尚と弟・藤原不比等によって天武天皇7年(678年)に建立されたのが最初とされます。
現存する塔は享禄5年(1532年)の再建であり、唐の清涼山宝池院の塔を模して建てられたと伝えられています。

この十三重塔には不思議な伝説が残されています。

定慧和尚が唐にいた時、夢の中で多武峰に至り、父・鎌足に会います。
鎌足は「今、天に上った」と言い、「この地に寺塔を建てるように」と告げました。定慧は唐の清涼山に登り、宝池院の十三重塔の材木や瓦を船に積んで帰朝しようとしますが、船が狭いために一重分を棄てて帰ることになりました。

多武峰に遺骨を納め、その上に塔を建て始めたところ、十二層目までは順調に工事が進んだものの、材木が不足して工事が中断。定慧は所願を遂げることができないと嘆きました。

ところが、ある雷雨の夜を経た翌朝、定慧が塔を見に行くと、なんと十三層目が完成しているではありませんか。夜の間に雷神を筆頭に魑魅魍魎が塔の天辺を運んできたと伝わります。唐に残した一重分が、遥か海を越えて飛んできたのです。

談山神社所蔵の「多武峰縁起絵巻」

この伝説は、定慧和尚の孝行の深さと、鎌足公への祈りが超自然的な力を呼び寄せたという信仰を物語っています。

十三重塔の初層には、非公開ながら難陀龍王立像が安置されています。

難陀龍王は八大龍王の一尊で、雨乞いや止雨、天変地異を防ぐ力を持つとされる龍神です。

長谷寺の御本尊脇侍にも難陀龍王がいらっしゃいますので、奈良巡礼を続けている方には馴染みがあるかもしれません。

多武峰全体に流れる水と龍の信仰を象徴するものと捉えられるでしょう。
後編で触れる龍神社や閼伽井屋との繋がりを思うと、談山神社の境内全体が、龍と水の霊力によって守護されているかのような構成になっていることに気づかされます。

<参拝ポイント>
十三重塔は高さ約17メートル、世界唯一の木造十三重塔(重要文化財)。
現存は享禄5年(1532年)再建。
初層に難陀龍王立像(非公開)を安置。
「多武峰縁起絵巻」に記された飛来伝説が残る。


前編はここまでです。

後編では、十三重塔の隣に佇む権殿と龍神社の古代磐座信仰、末社エリアの神々、御破裂山への登拝、閼伽井屋の龍王出現譚、総社と神廟拝所の核心、そして「まさか」の出来事が待つ番外編──バスに乗り遅れた先に出会った破不動と不動滝での奇跡的な巡り合わせまでをお届けします。


では。

いつも、ありがとう^^


@Rico

幸せは自分のために
世界が平和であるために

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