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日吉大社②東本宮|比叡山の地主神・大山咋神と霊泉が語る自然神道の原風景

@Ricoです。

日吉大社シリーズの第二回、「東本宮編」をお届けいたしますね。

前回の西本宮編では、大和の三輪山から勧請された大己貴神を祀る西本宮エリアを巡りながら、日吉大社に重なる「三つの層」──自然神道、国家鎮護、神仏習合──の重層性を読み解いてきました。

今回は、いよいよ日吉信仰の原点へと歩みを進めます。

東本宮の御祭神・大山咋神(おおやまくいのかみ)は、『古事記』に記された比叡山の地主神。西本宮が「後から来た神」の世界であるならば、東本宮は「もともとこの地にいた神」の世界です。

西本宮エリアの参拝を終え、三宮遥拝所・牛尾宮遥拝所を過ぎると、東本宮の楼門が見えてきます。

続いては、東本宮楼門から参りましょう。

東本宮こそが「本来の主」──旧称「二宮」に秘められた逆転

西本宮編で、旧称「大宮」(西本宮)と「二宮」(東本宮)の序列についてお伝えしました。

後から勧請された大己貴神が筆頭に据えられ、地主神の大山咋神は「二宮」の位置に置かれた、という構図です。

しかし、東本宮に足を踏み入れると、ここが「二番目」の場所ではなく、日吉大社の信仰そのものの原点であることが体感として伝わってきます。

『古事記』には、大山咋神について「亦の名は山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)──この神は近淡海国の日枝山に坐す」と記されています。

日本の神話に登場する神の中で、比叡山(日枝山)と直接結びつけて記された唯一の神さまです。

さらに注目すべき事実が呼称の歴史に表現されています。

戦前までは「西本宮」「東本宮」という呼び方はほとんど使われておらず、東本宮こそが「本宮」と呼ばれ、西本宮はむしろ摂社として「大神神社(おおみわじんじゃ)」と呼ばれていたとされています。

明治の神仏分離に際しては、『古事記』に名の見える大山咋神を主神として重視する立場から、一時的に東本宮が主神に据え直されたほどです。
(昭和17年に再び戻されています)

こうした経緯を知ると、西本宮の「大宮」「二宮」という序列は、比叡山延暦寺との関係において西本宮が重んじられた時代の産物であり、日吉信仰の本来のかたちは、この東本宮を中心とするものであった可能性が高いことが分かります。

東本宮楼門

東本宮の楼門をくぐります。重要文化財に指定されています。

西本宮の楼門と同様に格式ある構えですが、東本宮エリアに入ると、空気の質が変わるのを感じます。
より静謐で、山の気配が近い──比叡山の裾に抱かれた、地主神の領域に足を踏み入れたのだという感覚が自然と湧いてきます。

樹下宮(じゅげぐう)──山王七社・十禅師

楼門をくぐってまず目に入るのが、樹下宮(じゅげぐう)です。

御祭神:鴨玉依姫神(かもたまよりひめのかみ)
御神徳:安産・子育て・水の神
御由緒:旧称は「十禅師社(じゅうぜんじしゃ)」
天仁2年(1109年)創建。文禄4年(1595年)再建。
山王七社(上七社)のひとつ。本殿・拝殿ともに重要文化財。

鴨玉依姫神は、東本宮の御祭神・大山咋神の妃神です。
京都の下鴨神社(賀茂御祖神社)に祀られる御祭神でもあります。

現地案内板によれば、樹下宮は神体山である八王子山を拝むようにして建てられており、本殿の床下には霊泉湧き出る井戸があります。

ここで注目したいのは、東本宮エリアの空間構成です。
東本宮の参道(楼門→拝殿→本殿)に対して、樹下宮の参道(拝殿→本殿)は直角に交わる特異な配置になっています。二つの社の参道が十字を切るように交差するこの構成は、東本宮と樹下宮がもともと別々の信仰系譜を持っていた痕跡と読むことができます。

左に見えるのが、樹下宮。正面が東本宮拝殿。

樹下宮の旧称「十禅師社」は、山王神道において非常に特異な地位にありました。

中世の天台宗では、十禅師権現は稚児(童子)の姿で現れる神とされ、「一児二山王」──すなわち十禅師(稚児神)は山王権現よりもさらに上位に置かれる──という思想が流布していました。

天台宗の秘儀「児灌頂」を受けた稚児は十禅師権現の化現とされ、比叡山の神聖な代表者と考えられていたのです。現在の穏やかな「安産・子育ての神さま」というお姿の奥に、中世の深い神学的背景が潜んでいます。

また、樹下宮の本地仏は地蔵菩薩とされていました。
西本宮編でお伝えした山王三聖(大宮=釈迦如来、二宮=薬師如来、聖真子=阿弥陀如来)に対し、十禅師には地蔵菩薩が配されていたのです。
子どもを守る地蔵菩薩と、安産・子育ての御神徳。ここにも神仏習合の時代に形成された信仰の論理が、現在の御神徳の中にまで浸透していることが読み取れます。

樹下若宮

樹下宮のそばには、樹下若宮が鎮座しています。

大山咋神と鴨玉依姫神の御子をお祀りするお社です。
親神さまのそばに寄り添うように建つ若宮の佇まいは、東本宮エリア全体に漂う「家族」の空気を体現しています。

東本宮拝殿・本殿──国宝・日吉造の地主神の社

一段高いところに上がると、東本宮の拝殿(重要文化財)が正面に見えます。

方三間(正面三間・側面三間)の拝殿は、西本宮の拝殿と同形式ですが、滋賀県にはこのような方三間の拝殿の秀作が多いことが知られています。

拝殿の奥に、東本宮本殿(国宝)があります。

御祭神:大山咋神(おおやまくいのかみ)
亦の御名:山末之大主神(やますえのおおぬしのかみ)
御神徳:方除け・家内安全・夫婦和合・縁結び

東本宮本殿は、西本宮本殿と同じ日吉造(ひえづくり)で建てられています。文禄4年(1595年)の再建で、西本宮本殿(天正14年・1586年)よりわずかに後の造営ですが、ほぼ同じ様式を踏襲しています。

ただし西本宮本殿との違いがあります。
東本宮本殿は背面の三間の床が一段高くなっているのが特徴です。西本宮を訪れた際に、背面に庇を設けず屋根を切り落とした日吉造の独特の構造をお伝えしましたが、東本宮でもその構造は同じです。
背後の比叡山そのものを御神体とし、社殿がその拝殿としての性格を持つ──この信仰のかたちは、地主神を祀る東本宮においてこそ、より本来的な意味を持つと感じます。

本殿の両脇にも力強い狛犬が守護しており、木製の獅子と狛犬が本殿の上に置かれている点は西本宮と共通しています。

『古事記』の記述をもう少し丁寧に読み解いてみましょう。

大山咋神は「亦の名は山末之大主神。この神は近淡海国の日枝山に坐し、また葛野の松尾に坐す。鳴鏑(なりかぶら)に成りませる神なり」と記されています。
「鳴鏑」とは矢の先端につける音を発する鏑矢のことです。

本居宣長は『古事記伝』において、この「鳴鏑」の記述と京都の賀茂社の縁起を結びつけました。

下鴨神社の伝承では、鴨玉依姫が川で丹塗りの矢を拾い、それを持ち帰ったところ懐妊し、賀茂別雷神(上賀茂神社の御祭神)が生まれたとされています。この矢こそが大山咋神であり、すなわち大山咋神は鴨玉依姫の夫であり賀茂別雷神の父である──と宣長は論じています。

東本宮に大山咋神、樹下宮に鴨玉依姫神が祀られている現在の構成は、こうした『古事記』の記述と賀茂社の伝承を結びつける解釈の上に成り立っています。京都の上賀茂・下鴨の両神社と、近江の日吉大社が、一つの家族の物語として繋がっていることになります。

亀井霊水──社殿を巡る水の聖性

東本宮本殿のそばに、亀井霊水があります。

西本宮編で、日吉大社権禰宜・嵯峨井建氏の研究を紹介しました。
──日吉信仰の原初は「山頂の磐座と、山麓に湧出する霊泉を信仰的に関連づける自然神道」であったという推定です。

東本宮エリアに足を踏み入れると、この推定が机上の理論ではなく、まぎれもない体感として伝わってきます。

東本宮エリアを流れる水は、背面にある比叡山の山裾から湧き出ており、各社殿の足元には水の溝が引かれています。
山裾から湧き出た水は、まず最も高い位置にある大物忌神社の社殿を一周し、次に東本宮本殿を一周します。そこで亀井霊水の水が合わさり、続いて樹下宮本殿を一周。
さらに樹下宮本殿の床下に湧く霊泉の水と合わさって、最終的に大宮川へと流れ込んでいきます。

後方に配される山からいただく水の流れ。
ここで清められる感覚を持ちながら、少し考察を深めてみます。

山から湧き出た水が、父神(大物忌神社・大年神)→主神(東本宮・大山咋神)→妻神(樹下宮・鴨玉依姫神)の順に、社殿を一つ一つ「清めながら」流れ下っていく様子。
それは、水が神々を繋ぐ目に見えない紐帯となっている様子として捉えられます。つまりは、嵯峨井氏が推定した「霊泉をたえずあふれ出る神の恵みと感得する」自然神道の感覚と同一のものでしょう。

社殿神道の時代にも、水路という形で空間に組み込まれ、今もなお生きているのです。

亀井霊水のそばに立ち、東本宮エリアを包む水の音に耳を澄ませていると、この地が「水の聖地」であることが、理屈ではなく五感を通して伝わってきます。

新物忌神社・大物忌神社──大山咋神の父神と母神

東本宮本殿の背後、さらに一段高い場所に、新物忌神社と大物忌神社が鎮座しています。

新物忌神社(しんものいみしゃ)
御祭神:天知迦流水姫神(あめちかるみずひめのかみ)
旧称:新行事 山王二十一社のうち中七社に列する。

現地案内板によれば、天知迦流水姫神は東本宮の大山咋神の母神であり、大年神の妃神です。御名から「水の神・瑞々しく美しい神さま」と説明されています。

大物忌神社(おおものいみしゃ)
御祭神:大年神(おおとしのかみ)
御神徳:五穀豊穣 山王二十一社のうち中七社に列する。
大津市指定有形文化財。

現地案内板によれば、大年神は東本宮の大山咋神の父神をお祀りしています。
東本宮の主神の父母を、本殿の背後で一段高い場所からお守りするように祀る構成は、「隠居して後ろから見守る」ような趣があります。

そして、ここ東本宮エリアの神々が「大山咋神の家族」として構成されている点がエリア全体に強く感じられます。
大山咋神を中心に、父・大年神、母・天知迦流水姫神、妻・鴨玉依姫神という家族的な体系が形成されていますが、この構成は神仏分離の際に日吉大社の社司・樹下茂国が、『古事記』と本居宣長の『古事記伝』を根拠に再編したものであることが研究で明らかにされています。

つまり、現在私たちが東本宮エリアで出会う「家族の神々」の姿は、明治維新という大きな転換点を経て形づくられたものです。しかし、それゆえにその意味が軽くなるわけではありません。明治以降150年以上にわたり、参拝者はこの家族的な神々の配置の中で祈りを捧げ、安産・子育て・家内安全を願ってきました。歴史学的な成立過程と、信仰としての実践の重みは、別の次元で共に尊重されるべきものでしょう。

東本宮の美しい茅葺き。
屋根に彫刻が光り、葵の紋が施されています。

稲荷社・二宮竈殿社

巡拝路に沿ってさらに進みます。

稲荷社
御祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
五穀豊穣・商売繁盛の神として広く信仰される稲荷神をお祀りしています。

二宮竈殿社
西本宮エリアの大宮竈殿社と同様に、東本宮の御祭神・大山咋神の食事・調理を司る神さまをお祀りするお社です。
西本宮にも東本宮にも竈殿社があるという構成は、「食」を通して神々の生活を支えるという信仰が、両本宮に共通して息づいていることを示しています。

美しい御神輿

楼門入って右の社(神輿庫)には、美しい御神輿が鎮座されています。

ここで紹介したいのが、山王祭です。
山王祭では、山王七社の七基の神輿(一基あたり約1500キログラム)が登場し、壮大な渡御が行われます。4月12日の「午の神事」では、氏子衆が八王子山の急斜面を駆け上がり、牛尾宮・三宮の神輿を東本宮拝殿まで担ぎ降ろします。
1200年以上続くこの勇壮な神事は、山と里を行き来する神の力を、人の体を通して受け止める行為であり、里宮と山宮を結ぶ信仰の姿が、祭祀の中で今も息づいていることを証明しています。

日吉雄梛・日吉雌梛──天地和合を象徴する樹

東本宮の境内には、雄梛(おなぎ)と雌梛(めなぎ)という二本の木が立っています。

雌梛は、女性が男性の幸せを祈る木。
雄梛は、男性が女性の幸せを祈る木。

「ナギ」は「凪ぐ」「和む」に通じ、天地和合を象徴するとされています。

ここで注目したいのは「自分のために祈る」のではなく「相手のために祈る」という現れです。
男性は女性の幸せを、女性は男性の幸せを──自分ではなく、大切な人の幸いを願う。この「祈りの方向」は、東本宮の夫婦神(大山咋神と鴨玉依姫神)の関係そのものを映しているようでもあり、日吉大社の御神徳である「夫婦和合」の本質を、一対の木が静かに教えてくれています。

家内安全・夫婦和合・縁結びにご利益があるお守りも授与されています。

内神子社(うちみこしゃ)と惡王子社の碑

神輿庫に隣接して内神子社、その奥には惡王子社(あくおうじしゃ)の碑が残されています。

内神子社
御祭神:猿田彦神
導きの神であり、開運招福の御神徳とされます。

「悪王子」という名は、現代の感覚では驚くかもしれません。しかし古語における「悪(あく)」は「悪い」という意味ではなく、「強い」「荒々しい」「猛々しい」を意味します。つまり惡王子とは、強い力を持つ王子神──荒魂の力強さを表す称号です。

京都の八坂神社にも「悪王子社」があり、素戔嗚尊の荒魂を祀っています。日吉大社においても、荒魂と和魂の対構造は信仰の根幹を成しており、東本宮(大山咋神の和魂)と奥宮・牛尾宮(大山咋神の荒魂)という里宮・山宮の構造にも、同じ原理が貫かれています。

荒魂とは、活動的で力強く、時に厳しい側面を持つ魂の働き。
和魂とは、穏やかで調和的な、恵みをもたらす魂の働き。

同じ神さまの中にある二つの側面を、里と山の二つの社殿に分けて祀るということは、人間の内にもある「強さ」と「穏やかさ」の両面を認め、それぞれに手を合わせるということでもあります。惡王子社の碑は、その構造への入口をひっそりと示してくれています。

東本宮楼門から外へ──須賀社・岩瀧社・猿岩

楼門を出て階段を下っていくと、東本宮エリアの外周部に点在する小社や霊石に出会います。

須賀社
御祭神:須佐之男尊奇魂
「須賀」は「清々しい」を意味し、素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した後に詠んだとされる歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作る その八重垣を」にちなむ須賀の地名と通じます。

岩瀧社
御祭神:市杵島姫命・タギツヒメ命
山から流れ落ちる水の力を祀るお社です。東本宮エリア全体に脈打つ「水の聖性」が、ここでも感じ取れます。

猿岩
日吉大社の神使である「神猿(まさる)」にちなむ霊石です。
自然の岩が猿の姿に見えることから、この名がつけられたと伝わり、方除け・厄除けの象徴として大切にされてきました。

八柱社・氏永社・氏神神社

さらに進むと、三社が並ぶ一角があります。

八柱社(やはしらしゃ)
御祭神:五男三女神(ごなんさんにょしん)
山王二十一社のうち中七社に列する。
天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)によって生まれた八柱の神をお祀りしています。

氏永社
日吉大社の社家に関わる神をお祀りするお社です。

氏神神社(うじがみじんじゃ)
御祭神:鴨建角身命(かもたけつのみのみこと)・琴御館宇志麿(ことのみたちうしまろ)
山王二十一社のうち下七社に列する。

琴御館宇志麿は日吉社の社家の始祖とされる人物で、鴨建角身命とともにお祀りされています。鴨建角身命は京都の下鴨神社にもお祀りされている神であり、東本宮の祭神・大山咋神の妻神である鴨玉依姫神の父にあたる関係です。ここにも「家族」の系譜が連なっています。

奥宮への階段を上がる──清々しい風の中で

東本宮の参拝を終え、あらためて奥宮へ向かう登拝口へ。
三宮遥拝所と牛尾宮遥拝所に挟まれた急勾配の石段から、八王子山への道が始まります。

境内の登山口から奥宮までは約1キロメートルの道のり。
片道およそ30分。
石段があるのは最初と最後だけで、途中は急な山道が続くとのことです。

日吉大社の公式サイト

今回の参拝では、奥宮への登拝は次回の楽しみとさせていただきました。
しかし、階段を途中まで上がらせていただいた、あの清々しい空気は今も鮮明に記憶に残っています。

一歩上がるごとに、里の気配が薄れ、山の気配が濃くなっていく。
木々の間から差し込む光の質が変わり、空気が澄んでいくのがわかります。足元の石段は段差が大きく、急勾配を感じる箇所が多々あり、登拝の道が「安楽な散策路」ではなく「山に入る行為」であることを、身体が教えてくれます。

緑豊かな木々の間を、鳥の声が軽やかに響き渡ります。その声に耳を澄ませていると、里の世界と山の世界の境界を、音の変化で感じ取ることができます。東本宮エリアの参拝で体感した「水の聖性」に加え、ここでは「山の気」が直接肌に触れてくるのです。

途中で振り返ると、木々の合間から坂本の町並みや琵琶湖が見えるとも聞きます。次回の登拝では、山頂の金大巌まで歩みを進め、日吉信仰の最も古い原点に手を合わせたいと思います。

八王子山の山頂付近には、牛尾宮(御祭神:大山咋神荒魂)と三宮(御祭神:鴨玉依姫神荒魂)が懸造(かけづくり)の社殿で鎮座しています。

そしてその背後には、高さ約10メートルの巨大な磐座「金大巌(こがねのおおいわ)」が屹立しています。
『古事記』に記された大山咋神が宿る磐──日吉信仰の最も古い原点です。

山王祭の「午の神事」では、氏子衆がこの急斜面を駆け上がり、約1トンの神輿を担いで山頂から里へと一気に駆け降ります。山と里を結ぶ信仰の源が、祭の中で今も脈打っていることに思いを馳せながら、次の登拝の日を心に刻みました。

緑豊かな大地と、この自然が生み出す穏やかで調和を感じる景色。
鳥の声が軽やかに響き渡るこの場所で、日本が平和であることを祈りました。

まとめ──東本宮が教えてくれること

西本宮編では、日吉大社の「三つの層」をお伝えしました。
自然神道の層、国家鎮護の層、神仏習合の層。

西本宮が、その三つの層のうち第二の層(国家鎮護)と第三の層(神仏習合)を色濃く映し出す場であるならば、東本宮は第一の層──山と水の自然神道──を、最も直接的に体感できる場です。

東本宮エリアで私が最も深く感じたのは、「水」の存在です。

樹下宮の床下に湧く霊泉。
亀井霊水。
社殿を一周して流れ下る水路。
新物忌神社の御祭神・天知迦流水姫神の「水」の御名。

そして、奥宮への登拝路を包む清浄な空気の中にも、比叡山から湧き出る水の気配が満ちていました。

嵯峨井建氏は、日吉信仰の原初を「山頂の磐座と、山麓に湧出する泉を信仰的に関連づける自然神道」と推定しましたが、東本宮エリアを巡ると、この推定が学術的な仮説にとどまらず、今もなお参拝者の五感に働きかけてくる生きた現実であることがわかります。

山頂の磐座(金大巌)と、山麓の霊泉(樹下宮の井戸・亀井霊水)。
山の荒魂(牛尾宮・三宮)と、里の和魂(東本宮・樹下宮)。
そしてその間を結ぶのが、水。

水は山から里へ流れ、社殿を巡り、人を清め、大宮川へと注いでいく。
この流れの中に身を置くとき、「自然神道」という言葉は抽象概念ではなくなり、足元を流れる水の音そのものになるのです。

西本宮が「国家と仏教の力学で構築された信仰の世界」であるとするならば、東本宮は「山と水と家族の神々が織りなす、地主神の原風景」と感じられます。

この二つの世界が、一つの境内の中で共存し、互いを照らし合っている──それが日吉大社という場所の豊かさであり、参拝者に与えてくれる気づきの奥深さなのでしょう。

次回「山王礼拝講と神仏習合編」では、参拝当日に偶然立ち会うことができた千年の祭礼の記録と、日吉大社における神仏習合の意味を、さらに深く掘り下げていきます。


では。

いつも、ありがとう^^

@Rico

幸せは自分のために
世界が平和であるために

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