「設計された檻」と「管理される生命」:機械設計士が考える養豚と培養肉の境界線
普段は、いかに効率的で狂いのない機構を作るか、図面と格闘する日々を送っています。しかし先日、非常に刺激的な記事を目にする機会がありました。アーティスト・ユニットのMESと、マンガ家・アーティストの小宮りさ麻吏奈さんによる対談です。
一見、設計という実務とは遠い世界の「養豚」や「細胞培養」をテーマにした芸術活動ですが、読み進めるうちに、私たちが日常的に扱っている「管理」や「システム」の本質を突きつけられるような感覚に陥りました。
今回はその要約と、設計士としての私なりの感想・考察を綴ってみたいと思います。
【記事の要約】生命を管理する「システム」への問い
この記事は、2025年7月に開催された二つの個展を軸に展開されます。
MESは、震災を生き延び野生化しかけた豚が、再び人間の手で家畜として管理されていくプロセスに注目しました。彼らは、豚を効率的に育てるための「分娩ストール」などの冷徹な金属製設備を、一種の「統制システム」の象徴として提示しています。農場を単なる平和な場所ではなく、人間の社会システムが凝縮された場所として捉えているのが特徴です。
一方で小宮りさ麻吏奈さんは、自身の細胞を培養して「肉」を作るプロセスを表現しています。自分の体から離れた細胞が、培養液という外部環境で増殖する様子を通じ、「細胞の権利」や「自己の他者化」を考察しています。これは歴史的に搾取されてきた細胞の問題や、生殖に関する権利(リプロダクティブ・ライツ)とも地続きの議論です。
両者に共通しているのは、人間が「管理対象」として生命を線引き(種差別)することへの違和感であり、アートを通じてその「隔たり」を問い直す姿勢です。
感想と考察:システムは誰のためにあるのか
1. 「効率」という名の設計思想の暴力性
MESが着目した養豚の設備について、設計士の視点で見ると、それらは極めて「合理的」です。給餌、清掃、スペースの最大活用。目的を果たすために無駄を削ぎ落とした結果が、あの金属の檻(分娩ストール)です。
しかし、設計のパラメーターから「豚の自由」や「生命の尊厳」を排除した瞬間に、それは単なる「効率化された生産ライン」へと変貌します。私たちが普段、工場の自動化設備を設計する際、そこにある「生命」をどう定義しているのか。設計思想の根底にある「統制」という牙を、改めて認識させられました。
2. 「境界線」の設計とエラー
小宮さんの「細胞の権利」という視点は非常に新鮮でした。機械設計において、システムの内(パーツ)と外(環境)を分ける境界線は明確です。しかし、それが「自己の細胞」となると、境界は曖昧になります。
培養液の中で増殖する細胞は、設計図通りに動く部品ではなく、予測不可能な「生命」です。システム(培養装置)が生命を完全に管理しようとするほど、そこからはみ出す「個」の存在が際立つ。設計士として「完璧なシステム」を追い求める一方で、そのシステムが個体や生命をどこまで抑圧しているのか、という倫理的エラーチェックの重要性を感じました。
3. 「隔たり」を架橋するインターフェース
記事の結びでは、現代社会における差別や統制意識についても触れられていました。設計とは、本来「人とモノ」「目的と結果」を繋ぐインターフェースを構築することです。
しかし、もしそのインターフェースが「隔たり」を固定化し、特定の存在を「管理される側」に閉じ込めるためのものだとしたら? 私たちは、単に便利な機械を作るだけでなく、その機械が社会のどのような「境界線」を補強しているのかに自覚的でなければならない。そう強く感じた次第です。
おわりに
「養豚」と「細胞培養」。この二つのアプローチは、私たちが当たり前のように受け入れている「管理社会」の冷たさを、金属や培養液の質感を通して伝えてくれました。
効率や合理性の追求は設計士の宿命ですが、そこに「声なき生命の声」を拾い上げる余白があるか。図面を引く手が少し止まるような、深く、鋭い読書体験でした。
皆さんは、自分を取り巻く「システム」や「境界線」を、どのように感じていますか?
この記事に登場した「分娩ストール」のような家畜管理の仕組みや、バイオテクノロジーにおける倫理設計について、さらに掘り下げた考察を続けてみたいと思います。もし興味があれば、ぜひフォローやコメントをいただけますと幸いです。
