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大星百貨店跡地❶ 業火【創作大賞2026・ミステリー小説部門】


【あらすじ】

1993年12月、クリスマス前で賑わう福岡。
老舗『大星タイセイ百貨店』で、もうすぐ11歳になる少女・高瀬琴音タカセコトネが忽然と姿を消した。

少女が最後に目撃されたのは、監視カメラの存在しない職員通路。そしてそこは、一部の従業員だけが噂する「存在しない地下三階」へ向かうエレベーターの前だった。

少女の行方が分からぬまま迎えた六日後、大星百貨店で大規模火災が発生する。

燃え上がる地下空間、閉ざされた避難経路、地下で見つかった謎の宗教施設ーー

あの日、少女はどこへ消えたのか。
なぜ彼女は、炎の中へ向かっていったのか。

これは、1993年冬の百貨店を舞台に描く、失踪事件と火災事故、そして、「たった六日間だけ本物の親子だった」母と娘の物語。



序章 2026年・秋


 今日、僕は40年近く務めてきた大星タイセイ百貨店の外商ガイショウ部を定年退職する。

 本っ当に長かった。

 けれど、終わってしまうのかと思うと、妙にあっけなかった気もしてくる。

 一歩一歩、雪道を歩くように大理石調の床を踏み締めながら、40年分の記憶が染み付いた各フロアを歩いて回った。

 平日の夕方だというのに、館内は驚くほど静かだった。 

 僕が入社した頃の大星百貨店はもっと騒がしかった。

 地下食品売り場では威勢の良い声、屋上遊園地ではしゃぐ子ども達、エレベーターガールの案内、包装紙の匂い、レストランに並ぶ家族連れ。

ーーあの日も、そうだった。

 1993年12月5日。

 福岡は冷たい雨だった。



【第一部】 業火


第一章 16時21分


ーー1993年12月11日

『お客様にお知らせいたします。ただいま7階催事場にて、お歳暮ギフトセンターを開催しておりーー』

 館内に流れるクリスマスソングに重なるように、落ち着いたアナウンスが響く。

「いらっしゃいませー! 今晩のおかずにいかがですかー!」

「お鍋用のつみれ、お買い得ですよー!」

 地下食品売り場は、夕飯の買い物客で賑わっていた。

 揚げ物の油の匂い。
 焼き魚の煙。
 惣菜を包む店員たちの慌ただしい手つき。

 誰もが、いつも通りの夕方を過ごしていた。


 正面玄関では、高瀬香苗タカセカナエと夫の真一郎シンイチロウ、それに外商員の柏木浩平カシワギコウヘイが、通り過ぎる客へ必死にチラシを配っている。

「情報提供をお願いします!」

「高瀬琴音、11歳です。よろしくお願いします!」

 冷たい外気が自動ドアの開閉と共に吹き込む。


「6階でございます。子ども服売り場、おもちゃ売り場はこちらでございます。」

 上品なエレベーターガールの声。

 この大星百貨店に居る誰も、自分たちの足下で起きていることを知る者は居なかった。


「花瓶だ!! 花瓶の水かけろ!!」

「口押さえて!! 煙吸っちゃだめ!!」

「助けてええぇ!!!」

「誰かあああぁ!!!」

 怒号と悲鳴が入り乱れる。

 白い布は一瞬で炎を呑み込み、壁へ燃え移った。

 花瓶の白い花たちも、熱に炙られ、黒く縮れていく。

 天井へ溜まり続ける真っ黒な煙。

 熱気は凄まじく、呼吸をするたびに喉が焼けるようだった。

「諦めるな!! エレベーターまで行くぞ!!」

「みんな離れないで!! こっち!!」

 一部の者たちは、水道から汲んできたバケツの水や、花瓶の水を炎へ浴びせ続けた。

 だが、火勢は止まらない。

 床に撒かれた揮発性の液体は、火を抱え込むように燃え広がり、逃げ道を次々に塞いでいった。

 やがて窓のない空間は黒煙によって、暗闇に包まれた。

 もう、自分の手すら見えない。

「あつい……あつい……」

「助けて……息が……」

「……っ……あ……」

 煙は床近くまで降りてきていた。

 咳き込みながら逃げ惑っていた人影が、一人、また一人と崩れ落ちる。

 ――ばたっ。

 ――ばたっ。

 ――ばたっ。

 部屋の奥へ奥へと人が折り重なる。

 あちこちから聞こえていた悲鳴も、もう殆ど聞こえない。

 代わりに聞こえるのは、ゴウゴウと燃える炎の音に混じる、複数の小さな呻き声だった。

 その中で、一人の年配の女性は薄れゆく意識の中、黒煙の向こうを見つめていた。

「……ご……めん……なさい……」

 そう、絞り出し意識を失った。


 ここまで、あっという間の出来事だった。

 16時28分。

 空は澄み渡る快晴、雲のひとつもない。

 乾いた冷たい風が、街路樹の葉をかすかに揺らしている。


 作業服を着た若い電気係の男性が、地下2階の電気室へ定期点検に向かっていた。

 電気室へは裏の職員通路を通る。

 その途中、彼はかすかな焦げ臭さに違和感を覚えていた。

 しかし、異変を確信したのは、電気室全体が白い煙に包まれているのを見た瞬間だった。

 電気系統からの小火ボヤを疑った彼は、反射的に保安室へ走った。


 その頃一人の痩せた若い女性が、全身の力が抜け立ち上がれない中、なんとか床を這って1階でエレベーターから降りていた。 

 思考が朧げな中、最後に見た景色だけはくっきりと覚えていた。

 女性にはもう、その場から動くだけの体力も気力も残っていなかった。

 静かに瞼を閉じ、その場へ横たわる。

 その直後、地下2階の火災報知器が作動した。

 ーージリリリリリリリリリリリリリ!!!

 突然の警報音に皆辺りを見廻す。

 広い館内のそこら中に音が反響して、どこからの音かさえ分からない。

「お次でお待ちのお客様ー!」

 全く気にする様子のない店員も多かった。

 タバコの煙なんかに反応して、数年に1度は誤作動もある。

 それに、全館に散らばっているどの従業員からも、火事を知らせるインカムや内線が無かったことも、後に避難の初動を遅らせる大きな要因となった。


 ーーリリリリリリリリリリリリリリリリリ……

「か、火事です!! 火事!! け、煙が!! 電気室っ……!!!」

 保安室に電気係の男性が駆け込む。

「おい、なんだなんだ。落ち着いて話せ、この警報は電気室からなのか?」

 男は、膝に両手をついて息を整えた。

「電気室に、白い煙が充満しています。知らせようと戻ってる途中で火災報知器の音が……」

 上司の男性は、部下が話し終える前に、保安室にあった消化器を手に持ち走り出した。

「マニュアル通りだ! まず初期消火! ついて来い!」

『(ピーンポーンパーンポーン)……お客様にご案内申し上げます。只今、館内におきまして、非常ベルが鳴動しておりますが、係員が確認中でございます。現在のところ、危険は確認されておりませんので、どうぞ落ち着いてお待ち下さいませ。……(ピーンポーンパーンポーン)』

 館内に張り詰めていた緊張の糸がふっと解けた。

 夕刻の大星百貨店は、西陽を返して赤く染まっている。

 堂々と佇むその姿に、一寸の脆弱性も感じられない。 

 一箇所を除いては……


「な、なんだこれ……」

 上司は息を呑んだ。

 ついさっきまで白煙が充満していた機械室に、真っ黒い煙が注ぎ込まれていた。

「おい、火元探すぞ。ここで消そう。」

 煙の充満する部屋に、二人は口元を押さえ姿勢を低くして入っていった。

 濃煙が二人の目と喉を襲う。

 どうにか部屋の奥まで確認したが、火元が分からない。

 そうこうしているうちに、黒い猛煙で部屋は満たされ、中に入ることも難しい状況になった。

「ただ事じゃないな……すぐ戻って防災センター長へ連絡するぞ。走れ。」

 二人はもと来た道を走る。

 連絡手段は保安室にある内線しか無かった。


「領収書はご入用でしょうか?」
「お子様用のお取皿をお持ちしますね。」
「よかったらお試しになられますか?」

 大星百貨店は日常に戻りつつあった。

 店内にはクリスマスソングが流れ続け、外からの客足もあった。

 屋上遊園地では、観覧車が寒空を背にゆっくりと回っており、その足元では子供たちの笑い声が天高く響いていた。


 地下2階、A7エレベーター隣にある東階段。

『ここに物を置かない』

 そう書かれた張り紙のある階段脇には、段ボールに入ったお歳暮用の包装紙材が山積みにされている。

 その包装紙材に、A7エレベーターシャフトからの火の手が届いたのとほぼ時を同じくして、防災センター長に連絡が入った。

「なに!? 電気室から煙?」

 防災センター長は眉をひそめた。

「火は見たのか?」

「い、いえ……でも煙が……かなり……」

「電気系統からに決まってるだろ、他にどこから発火するんだ? もう一回火元確認してこい。」

「は、はい!」

「消防には俺から連絡入れる! 急げ!」

 16時37分、ここで初めて百貨店側から消防署への119通報が入る。

「指令、指令。中央区天神、大星百貨店にて自動火災報知設備作動。地下2階電気室からの黒煙を確認との情報あり。中央隊、南隊、警防隊、救急一隊、出動してください。」


「これは‥‥」

 電気係の二人は、言葉を失い立ち尽くした。

 勢いよく真っ黒な煙が階段を上ってきており、電気室はおろか地下2階に下りることさえ難しい状況だった。

「早くみんなに知らせないと……」

 二人は走って引き返す。


「ママ……なんかくさい……」

 地下1階食品売り場で、初めに異変に気付いたのは子どもだった。

 わずかな臭いと、白っぽいモヤがかかり始めていた。

 ただ、5階以上のフロアではそれ以上にはっきりとした変化が見てとれた……


「え……何……」

 ふと天井を見上げた店員が見たのは、天井にうっすら溜まる黒い煙だった。

 天井の照明が遮られて、幻想的な影を床に写し出している。

「何これ、火事? ここに居たらまずいんじゃない?」

 異変に気づく客も多い。

 何も知らずに下層階からエスカレーターやエレベーターで上ってきた客たちも、驚いて引き返して行く。

 煙は秒単位で、時間の経過とともにその厚みを増していく。


 一部の客たちが騒めきながら建物を後にする中、真一郎たちはその場に留まっていた。

「ちょっと僕も誘導の手伝いに行ってきます。お二人もお気をつけて下さいね。」

「はい。柏木さん……今日も本当にありがとうございました。」

 真一郎と香苗は深々とお辞儀をして柏木と別れた。

 通りの向こう側。

 夕暮れのビルの間に、赤い光が何度も明滅していた。

 赤い光は、サイレンと共にこちらへ近づいてくる。

 ーーウゥゥゥゥゥン……

 その音は近づくにつれ、そこにいる誰もが今まで聞いたことのない、街全体の唸りのようになっていった。

 ーーウゥゥゥゥゥン……
 ーーウゥゥゥゥゥン……
 ーーウゥゥゥゥゥン……

 街全体が異常な雰囲気に呑まれていく。


 「え、なんか外音すごくない?」

 「なんかあったのかな?」

 この時、1階から4階のフロアでは煙が目視できず、まだ多くの客が、建物内に残っていた。

 一部の店員はレジ対応を続けているほどだ。

 16時51分。

 正面玄関前に、消防車が急停止した。

 続いて、さらにもう一台。

 サイレンは止まらなかった。

 救急車や梯子車までが次々と百貨店前へ集結していく。

 赤色灯が百貨店の窓ガラスに反射して辺り一帯を赤く染め上げた。

 勢いよく、消防隊員たちが降りてくる。

「おい客の避難始めろ! 逃げ遅れの状況確認!」

「お前らはホース伸ばせ!」

「はい!!!」

「図面どこだ、早く!」

「はい! こちらです!」

「火元は、地下2階の電気室って言ってたな、西側か。」

 隊長は図面を睨みながら指示を出す。

「よし、お前らは火元探してこい。くれぐれも気をつけろ。」

「分かりました!」

 『(ピーンポーンパーンポーン)……お客様にご案内申し上げます。只今、館内地下階にて火災が発生しております。お客様は係員の指示に従い落ち着いて避難して下さい。ハンカチなどで口を覆い、低い姿勢で移動してください。エレベーターの使用はできませんので、階段をご利用ください。……(ピーンポーンパーンポーン)』

 消防の指示を受け、全館に放送が行われた。

 正面入口から沢山の人たちが外に出ていく。

 皆、慌てる様子はなく落ち着いた雰囲気だ。

「隊長! 隊長!!」

 背中に銀色のボンベをつけた隊員が二人走ってきた。

「隊長、それが……機械室、どこにも火元がありません……ただ、煙の量が異常でして……」

「別の場所か……?」

 隊長はすぐに図面を開いた。

 地下2階の電気室。
 西側機械室。
 売り場裏の通路。

 無線で確認を飛ばすたび、返ってくる答えは同じだった。

『火元なし。』
『こちらも確認できません。』
『煙のみ見えてます。』

 火が見えない。

 なのに、煙だけが建物の中を這うように広がっている。

「この壁にある、換気口から流れ込んできているような感じがしました……」

「……この煙は一体どこから……」

 隊長は首を傾げた。


「口を押さえて! 階段から降りて! 急いでください!」

 その頃、7階では柏木が消防隊員と一緒に避難誘導に当たっていた。

 屋上遊園地から降りてきた子どもが、母親に抱えられながら泣き叫んでいる。

「いやだあああああ! まだ帰らん!! わあああああ!」

 その声に、柏木は一瞬だけ足を止めた。

 六日前、外商サロン前を横切ったオレンジ色のワンピース。

 声をかけていれば……

 ほんの一言だけでも。

「すいません! 他に階段はありますか?」

 消防隊員の声で、柏木は我に返った。

「この南階段の他に、北階段と西階段があります! あと、職員通路内に東階段があります!」

「案内できますか?」

「はい!」

 柏木は外商サロン横の職員用扉へ向かった。

 扉の向こうから、微かに焦げたような臭いが漏れている。

 消防隊員が扉に手を掛けた。

「開けます。あなたは下がって!」

 次の瞬間、黒煙と凄まじい熱気が一気に噴き出した。

「うわっ……」

 隊員は反射的に後退りした。

『こ、こちら南隊! 7階東階段、熱と煙で進入不能! 使用不可です!』

『本部了解。 くれぐれも気をつけろよ。』

「東階段……?」

 隊長は手元の図面を睨みつけた。 

『本部より中央隊、東階段の地下2階の状態確認できるか?』

『中央隊、向かいます。』

 まもなく、中央隊から切迫した声が飛んだ。

『中央隊より本部! 東階段側です! 火、見えました!』

『本部了解! 東階段の右側にA7エレベーターがある。様子確認できるか?』

 短い沈黙。

 各隊員たちは手に汗を握った。

『確認できました。シャフト内かなり燃焼中! 階段脇の段ボールにも延焼しています!』

『本部了解! 各隊、A7シャフト周囲警戒! 上階の逃げ遅れ至急確認!』

『中央隊了解! 1階確認向かいます!』
『南隊了解! 5階確認向かいます!』
『西隊より本部! 7階天井付近に煙確認!』

『中央隊より本部! 1階A7エレベーター付近、女性用救助者1名発見!意識レベル低下、煙吸入あり! 搬送します!』

『本部了解! 救急隊向かわせる!』

 救急隊に引き継がれるまでに、その女性は一度だけ、誰かの名を呼んだ。



第二章 消えた少女


ーー火災5日前。

『12月6日、福岡県の朝のニュースです。福岡市天神の大星百貨店にて、昨日午後5時頃から姿が見えなくなっている高瀬琴音ちゃん10歳について、福岡県警は本日午前より、本格的な捜索に乗り出す、との事です。琴音ちゃんは当時、オレンジ色のワンピースに……』

 香苗と真一郎は昨夜、一睡もできないまま朝を迎えた。

「私が琴音を置いてお手洗いなんか行かなければ……私のせい……ごめんね琴音……」

 香苗はずっと自分を責め続けている。

「そんなこと言うな。無事を信じて俺らにできる事、しよう。」

 真一郎は琴音を捜すため、職場に無理を言って休みを取った。

 開店直後の大星百貨店に、制服姿の警察官が何人も行き来している。

 昨日まで至る所から聞こえていたのに、今日は子どもの笑い声が少ない。

 それでも館内には、いつも通り開店の音楽が流れている。

 まるで何も無かったかのように……


 警察は、事件と事故の両面で捜査を行なっており、当日の目撃情報などを館内の店員たちに聞いて回っていた。

「あの、すいません……僕、当日琴音ちゃんに特徴がよく似た服装の子を7階で見かけました。」

 外商員の柏木は、近くに居た警察官に自分から話しかけた。

「本当ですか、是非詳しく聞かせて下さい。」

 警察官は胸のポケットから、黒い革の手帳とペンを取り出した。

「昨日17時半前、7階の外商サロン奥にある職員通路に向かって一人で歩くオレンジのワンピースの女の子を見ました。」

「具体的な場所を教えていただけますか?」

 そう言うと警察官は大星百貨店の図面を取り出した。

「丁度この辺りです。この扉を抜けると職員通路になっていて、すぐ近くにこのA7エレベーターがあります。」

 柏木は図面を指でなぞった。

「A7ですか……その時の少女の様子はどんな感じでした?」

 警察官は眉間に深いシワを寄せ、図面を見つめたまますぐには顔を上げなかった。

「接客中だったのではっきりは見ていませんが、自分の意思で真っ直ぐ歩いて行ってた感じでしたよ。」

 警察官の動揺を感じ取った柏木は、続けて尋ねた。

「あの……A7エレベーターがどうかしたんですか?」

「実は……今日の朝方、清掃員のご高齢の男性にお話を伺った際、妙な事を言われまして。」

「妙な事……?」

「その……この建物には、地下三階がある、と。」

「いやいやいや……僕、ここで働いて5年目ですが、そんなの聞いた事もないですし、エレベーターや階段も地下2階までしか無いですよ。」

「そうなんですよね……僕も図面を何度見ても、地下三階なんて見当たらないし、最初はからかわれたのかな、くらいに思っていました。」

 柏木は本能的に、何か触れてはいけないものに近付いている気がして、息を飲んだ。

「でもその後、防災室に立ち寄って、監視カメラ位置のチェックをしている時にあることに気付いたんです」

 警察官は、一瞬沈黙した。

「A7エレベーター付近だけ全く無いんです……監視カメラ。」

 その頃防災室では、複数の監視映像が無音で流れ続けていた。

 地下食品売り場。
 北側入り口。
 屋上遊園地。

 その隅。

 真っ直ぐ、A7エレベーター方向に向かう人影が映っている事に、誰も気付いてはいなかった。



第三章 地下三階


「違うな、ここも怪しいところはないし……やっぱりガセじゃないですか?」

 あの後、僕は警察官と一緒に地下三階を探して回っているが、それらしき階段やエレベーターは見つからない。

 警察は、監視カメラが少ないからという理由でA7エレベーターを怪しんでいる。

 だが、エレベーター内を何度見ても地下二階までの押しボタンしかない。

「そもそも、隠された地下三階なんてあったとして誰が何の目的で……」

 外商員の僕なんかがおこがましいのは百も承知だ。

 だけど、もう他の線を当たった方が良いのでは……という言葉がもうそこまで出掛かっている。

「おかしいな……」

 近くで警察官同士が話している。

「琴音ちゃんなんだが、確かにA7エレベーターのある職員通路に向かう途中で監視カメラの死角に入っていくのが確認できている。」

 年配の警察官が、皮の手帳を見つめながらそう言った。

 「だけど、その後どの出入口の監視カメラにも姿がないそうなんだ……」

 警察官たちも頭を抱えている。

「おう柏木、何か進展はあったか?」

 そこに副店長が通りかかり、声を掛けてきた。

「副店長。」

 居合わせた警察官が頭を下げた。

「実はですね……このデパートに地下三階があるって証言がでてきておりまして。しかもA7エレベーター付近に監視カメラが全く無いんです。」

 副店長の表情が一瞬だけ固まったことを柏木は見逃さなかった。

「副店長……?」

「いや……。」

 副店長は周囲を見渡した後、小さく息を吐いた。

「柏木、お前は外せ。」

「え……?」

「これはお前みたいな若いのが関わる話じゃない。」

「いや、僕も居ます。」

 柏木は、あの時声をかけていれば、と後悔の念に苛まれていた。

「……地下三階、本当にあるんですね?」

 警察官が尋ねた。

「僕も実際に見た事はありませんよ……着いてきて下さい。」

 副店長は真っ直ぐにA7エレベーターへと向かった。

 エレベーターホールに着きボタンを押すと、エレベーターが来るのを待ちながら言った。

「僕から聞いたという事は伏せていただけますか?」

「……それは誰に対してですか?」

 副店長は警察官の質問に答える前に、丁度到着したエレベーターに乗り込んだ。

 副店長はエレベーターの扉が閉まるのを確認した後、一度、僕と警察官に目線を向けた。

 そして、操作盤の『B2』のボタンを長押しした。

 するとB2のさらに下に、小さく『B3』が点灯した。

 よく見ると、操作盤の一番下、金属の継ぎ目みたいに見えていた場所に、小さなボタンが埋め込まれていた。

 僕は息を飲んだ。

 一瞬の沈黙。

「……僕が手助けできるのは、ここまでです。」

 副店長が切り出した。

「この下には一体何が……?」

「僕も詳しくは分かっていません。それと柏木もここで降ろさせてもらいます。」

「副店長、僕は大丈夫ですから。」

「あの人達を舐めない方が良い。知り過ぎた者は皆、このデパートから追い出された。」



【第二部 URL】


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