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エッセイ「悪魔の野菜の所業」

    最近じゃあ、白くて生で食べられるとうもろこしがあるなんて話を聞いて、思わず腰を抜かしてしまったね。品種改良がなされてね、美味しいものが増えるのは結構なことなんだろうけどね、私に言わせれば、生で食べる「もろこし」なんてものは邪道、冒涜、なんなら悪魔の所業ですよ。

​ 私が子供のころというのは、家で出てくるもろこしと言えばね、「茹でとうもろこし」と相場が決まってたんだ。「どうして家では香ばしく焼いてくれないのか?」と聞いたこともあるんだけどね、「醤油をたっぷり塗って焼くとガスコンロが汚れるでしょう」という至極身も蓋もない理由が返ってきた。

    まあ、子供心にさもありなんと納得してしまったものですよ。

​ それでもね、大きな鍋で茹で上げられたもろこしの、あの黄色い粒から弾ける素朴な甘みと香りは、しっかりと私の記憶に「夏の味」として刻まれている。自然な甘みとほのかな塩味はシンプルだからこそ、いつまでも記憶に残るんだ。それにね、夏になるとお中元として家に届く箱のどれかには、必ずと言っていいほどカルピスの原液が入っていたでしょう。茹でもろこしの横に、祖母が特別に濃くこしらえてくれた冷たいカルピスが添えられるんだ。それが揃う光景というのが、私の中の夏の思い出になっているわけなんです。

​ そんな家での茹でた味に対してね、憧れの「焼きとうもろこし」は、夏祭りの縁日で食べるのが何よりの楽しみだったんだよ。

​ 熱々のやつを片手に持ち、歩きながら歯でこそぎ落とすようにかじりつく。するとね、香ばしく焦げた醤油の甘辛い香りが、縁日の熱気と歓声の中にどこまでも吸い込まれていくんだ。かき氷だと両手が塞がってしまうし、歩きながら食べるには少々収まりが悪いでしょう。だからね、やっぱり私にとって縁日の一番のお目当ては、あのもろこしだったんです。

​ そうやって、焦げた醤油の香りと濃いカルピスの甘みに浸りながら、少年の夏休みはあっという間に過ぎ去っていく。

​ 最後の最後に、まったく手をつけないまま残された宿題という、本物の悪魔の所業だけがテーブルの上に鎮座していたままなのは言うまでもない。


​了


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