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エッセイ「屋台の焼きそば」

    京で五山の送り火が終わる時期になるとね、自宅近くの寺で大祭が行われるんだよ。旧道と呼ばれる裏道には、三百メートルほどの長さに色々な露店がずらりと店を構える。私はね、人が押し寄せて大混雑する夜の時間を避けて、夕方には作務衣のままふらりと様子を見にいくんだよ。

​ しかし、久しぶりに歩く縁日というのは、すっかり様変わりしてしまったね。大人の事情なのか権利の問題なのか、アニメキャラクターのお面や、これまたキャラクターの印刷された袋に入れられて並ぶ綿菓子なんてものは、どこにもないんだ。代わりに韓国料理や串焼きだのの、こじゃれた店が幅をきかせている。

​ それでも嬉しいのは、焼きそば屋が変わらずに残っていることだ。あの見慣れた赤い屋根を見つけるだけで、なんだかホッとするし、やっぱり嬉しいじゃないか。

​ 屋台の焼きそばというのは、あの豪快な作り方がたまらないんだ。大きな鉄板の上に大量の麺をドサッと乗せてね、具材はキャベツと豚肉の切れっ端だけ。運が良いとそこにキクラゲが加わるんだ。あの黒いひと切れが混ざっているのを見つけたときは、ちょっとした特別感があるんです。

​ なぜあの焼きそばがあんなに美味しいのかといえばね、大きな鉄板で一気に作るから麺がほぐれやすいんだ。さらにね、焼き上がって鉄板の隅に寄せられた作り置きは、鉄板の優しい余熱で中がいいぐらいに蒸されるでしょう。この適度な蒸らしの時間があるからこそ、ソースの旨味が麺の芯までしっかりと染み込んでくれる。

​ 境内のベンチに陣取って、パックの蓋を開けて箸をつければ、言葉を飾る必要なんてどこにもない。ただただ懐かしいという気持ちが、ソースの香ばしさとともに口いっぱいに広がる。コクや深みなんかと無縁な業務用ソースの香り。少し香りが立ちすぎやしないかと思う、そんなソースが絡んだ麺を頬張る。不思議と箸を止めるのが罪深く感じるほどに止まらないんです。誰にも気兼ねなく「祭りを食べているんだ」というスパイスに、青のりの香りと口直しの紅生姜がさらに酔わせてくれる。こんな贅沢ありませんよ。

    これこそが、私にとってのお祭りの味なんだよね。

​ 最近じゃ、やれ衛生状態がどうのなんて眉をひそめる人もいるようだけどね、そんなこと考えてちゃ縁日なんて楽しめませんよ。それにね、昔は「売っているものなんだから食べられる」という暗黙の了解でみんな食べてたんだから、私はこれっぽっちも気にしない。

それにね、最近はパックの蓋が閉まらないどころか、完全に容積の1.5倍はあるんじゃないかと思うような特盛焼きそばなんていうのもあるみたいでね、まだまだ捨てたもんじゃないね。

 賑わう境内の古い椅子に腰掛けてね、冷えたビールと焼きそばを食べていると、ゆっくりと日が落ちてくる。露店にポツポツと灯りがともり、いよいよ祭りの濃密な雰囲気に包まれる。遠くで子供たちの声が響く中、空にしたパックに割り箸を添えてゴミ箱に捨てる。これが私の、夏の終わりを迎えた季節の見送り方なんです。


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山下静希 自分の記事の価値を知りたいと思っています。 いただいたチップで一杯の美味しいコーヒーを飲ませていただきますので、応援よろしくお願いします。