P32:「いい母」じゃなく、「わたしの母親像」を選びたい
優しさのあとで、生き方を選びなおす|vol.4
育児に、自分の基準を取り戻す
子どもが生まれてから、
「いい母でいなきゃ」という言葉に
何度も心を締めつけられてきた。
叱り方、褒め方、食事、生活リズム…
“正解”のようなものが世の中にはあふれている。
けれどそれを追いかけるほど、
自分の中の声が小さくなっていった。
1|「いい母」の定義は、誰のもの?
「いい母親」って、誰が決めたんだろう?
SNSや育児書の中にある理想像は
どこか遠くて、完璧で、
そこに届かない自分を責めてしまう。
でも、子どもの性格も、家庭の環境も違う。
同じ毎日を過ごしていても、
その家族にとっての“最適”はまったく別だ。
わたしが思う「いい母」は、
正しいより、楽しい人かもしれない。
今日を一緒に過ごせてよかったと
お互いに思える人。
形よりも、空気の温度で測れる関係。
それが結果的に「正しい」ように思えてきた。
2|「周りの目」から「子どもの目」へ
子どもが小さいころ、
「ちゃんとしてるね」「偉いね」と言われるたびに
どこかで少し安心していた。
その安心は、いつも 外からの評価でつくられていた。
でも、子どもたちが見ていたのは
外の世界ではなく、家の中のわたしだった。
小さなころから彼らは、
わたしの“外側”ではなく 内側の揺れにすぐ気づいた。
なにも言わずに近づいてきたり、
ただ隣に座ってくれたり。
その小さな気配に触れるたび、
「いい母でいなきゃ」という力みが
ほどけていった。
わたしが見るべきなのは“周りの目”ではなく、
この小さな人たちの眼差しなのだと気づいた。
その目に映るわたしを思ったとき、
「どんな母でいたいか」を
改めて考えるようになった。
3|「母親像」は、選んでいい
「母はこうあるべき」という枠から外れたとき、
ようやく呼吸ができた気がした。
“理想の母”より、
“わたしらしい母親像”を選びなおす。
それは、子どもを通して
自分の生き方を再定義することでもある。
完璧じゃない姿のまま、
一緒に成長していけばいい。
おわりに
母親である前に、
ひとりの人間としてのわたしがいる。
そのバランスを見失わないことが、
きっと家族にとってのやさしさになる。
今日も「わたしの場合」のやり方で、
静かに、できることをしていこう。
優しさを信じたいと思いながら、
ときに傷つき、立ち止まることもある。
それでも、もう一度、自分の心を整えて、
“どう生きていきたいか”を選びなおしていく。
このnoteは、
シリーズ「優しさのあとで、生き方を選びなおす」の
一編です。
HSP気質のわたしが、
人との関わりや自分との向き合いの中で
見つけた「やさしい視点」の記録。
静けさの中にある強さを、
一緒に見つけていけたらうれしいです。
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