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【企画短編#noteでBL①】贄呼び

毎月恒例、BL祭りに今回も参加いたします。
なみさん、いつもありがとうございます!!

後刻もう一作投稿します。
よろしければそちらも併せてご覧いただけますと嬉しいです!
(投稿しました↓)


ジャンル

和風幻想

あらすじ

ミモリさまは、この地を治める神さまだ。里にすべてをもたらす代わりに、贄呼びの風が吹いたら、里もミモリさまに差し出す。ミモリさまがいっとうお好きな、白く柔い幼子を。
その年贄となった玻璃音に、ミモリさまは「これからおまえを喰う」と言う。だが、怯えることなくミモリさまの眼を美しいと言った玻璃音に、ミモリさまは笑って言った。「おまえが俺の眼に飽きるまで、喰うのを待つ」。
もういいかい。まぁだだよ。隠れ鬼の真似事で続く、神と贄の森での生活。やがて成長した玻璃音は、ミモリさまにあることを求めるーー。

本編

【テーマ】お題で書くBL〜ブロマンス(10,000字以内)
【お題】激重感情仄暗不穏
 ※以下NG
 「死ネタ(名言されてなければOK)」
 「年下ワンコ攻め」
 「裏社会等のノワール、安易な暴力表現」
 「虐待、いじめ、迫害等の可哀想な過去」
【タイトル】贄呼び(字下げ含み約8,400字)



 梢を揺らす緑の風に、声が紛れる。
 笑うように、歌うように。

  もう、いい、かい

 長い指で、頬をそっと撫でるように。

  もう、いい、かい⋯⋯

 さわさわと吹く風のなか、遠く、近く、声が呼ぶ。緑の風。緑の声。
 瞼の裏で、いくつもの虹が弾けて舞い散る。

  まぁ、だ、だよ

 応えると、ざぁあ、と大きく梢が鳴った。
 笑うように、
 長い指で、そっと髪を梳くように。

  まぁ、だ、だよ⋯⋯

 応えながら、瞼に滲む七色を見る。





 ミモリさまは、この地を治める神さまだ。

 恵みの森も、命の川も、慈しみの大地も、すべてミモリさまのもの。ミモリさまが、我々にお貸しくださっているもの。そのおかげで生きていかれるのだと、里の子らは毎夜のように、寝物語に聞かされる。

 ミモリさまはすべてを生かし、すべてをお与えになる。だから、ミモリさまから求められた時には、我々も差し出さなければならない、と。

「なにを?」

 夢うつつに子らは訊く。すべてを治める神さまが、人間に何をお求めになるのだろう。

「なんでも」

 子らの髪を撫でながら、大人たちは秘め事のように囁く。差し出さなければならない。それがなんでも。求められるままに。

「それがさだめなのだから」

 だから贄呼びの風が吹いたら差し出さなければ。
 ミモリさまがいっとうお好きな、
 白くやわい、幼子を。


 ミモリさまは白いものが好きだという。
 柔く丸い、滑らかなものが好きだという。
 だからおまえがいっとう良い。そう言って、大人たちは玻璃音はりねの頭をやさしく撫でた。

「御側に上がれば、いっそ楽になるやもしれぬ」

 玻璃音は月の子だ。
 産まれた時から髪も肌も色を持たず、陽の恩恵を受けられない。いのちを育て、強くしなやかに伸ばす光は、玻璃音の眼や肌を容赦なく灼く。春まだ浅い日、庭を歩いただけで熱を出す玻璃音に、大人たちは深く深く息を吐いた。

 可哀想に、と呟く声を子守唄に、玻璃音は五つまでの時を過ごした。この子の肌は柔すぎる。この子の眼は脆すぎる。これではとても、大人になんぞなれるまい。

 そんな時だ、贄呼にえよびの風が吹いたのは。

「ミモリさまがお呼びなすった」

 大人たちはすぐさま集い、ぬか突き合わせて談じ合った。
 誰を遣る。
 この前はいつ、誰だった。
 同じ家ではあまりに惨い。
 しかしてお気に召すような、
 白く柔い幼子はーー、

「玻璃音が良い」

 そうして、玻璃音は贄に決まった。
 繁り始めた梢が揺れる、空が淡く滲むような、朱鷺色の夕暮れのことだった。
 いつもどおり部屋で伏せる、初夏の夕暮れのことだった。


 上澄みの真水で身を浄められ、白妙しろたえに包まれ、白花でいっぱいの輿に乗せられて、きょとんとする間に、玻璃音は森に運ばれた。

 ミモリさまの森だ。昼日向に出歩けぬ月の子の玻璃音は、森に入ったことがない。ひんやりと閉ざされた部屋の隅から、遠く眺めるだけの森。

 吹き抜ける風まで緑のような、いのちの匂いにあふれた森。纏った白妙が木漏れ日で淡い翠色に染まるのを見ながら、玻璃音は小さく息を吐いた。細い喉に、緑の息吹はあまりに濃い。とろりと身体に沁み込むようだ。

「ここで待っているんだよ」

 玻璃音を輿に乗せたまま、大人たちはそう言って去った。やさしく玻璃音の頭を撫でて。

「きっとおまえにも、このほうが良い」

 白布で覆われた輿のなかでも、初夏の陽は明るく身体を包む。熱を帯び始めた玻璃音の頬を、大人たちのため息のような声が掠めた。

「御側に上がれば、いっそ楽になるやもしれぬ」


 ちちち、とどこかで鳥が鳴く。
 輿を埋める白花が、陽に暖まって強く薫った。いまや燃えるように熱い身体が小さく震える。花の薫りと日差しと熱に、玻璃音の意識はとろりと溶け出す。

 いつ、いらっしゃるのだろう。
 どのような方なのだろう。
 自分はこれから、どうなるのだろう。

 とろとろ溶け出す意識のなかで、そんなことをぼんやりと思う。

 ミモリさま。
 それは、どのようなーー、

「おまえが贄か」

 ぱりん、と何かがれたような声だった。
 高くはない。低くもない。細くも太くもない。父にも母にも、兄にも姉にも似ていない。玻璃音が聞いたことのない音。
 驚きに見開かれた玻璃音の眼に、キラキラと輝く虹が見えた。

「⋯⋯月の子、」

 音にーー声に合わせて、キラキラと虹が色を変える。金に、銀に、光そのものに。
 それが瞳だと気がつくまで、玻璃音は息を止めて見入っていた。

「⋯⋯ミモリさま⋯⋯」

 近づく気配すらなかったのに、今、息がかかる距離で玻璃音を見つめるーー
 ひとではない方を、なんと表せばいいのだろう。

 年の頃は、この春嫁さまを迎えた大兄おおにいさまと同じほどだ。肩に流れる黒髪は、陽を受けて濃緑の艶を弾く。里一番の黒髪美人と言われる姉さまよりも、もっともっと艷やかな髪。
 そして何より、その瞳。それが瞳だと気づいてからも、玻璃音の意識は輝く虹に囚われていた。

 不思議な色だ。まるで七色の花弁の花のようだ。キラリキラリと陽を弾き、虹を生んで、空気まで輝かせるような。

 神さまの眼だ。

 ほぅ、と息を吐き出した玻璃音に、虹色の眼がきゅっと細くなった。

「何を見ている、」
「⋯⋯眼を、」

 玻璃音の答えに虹が散る。
 ふわりと吹き抜ける風に、チリリチリリと虹のかけらの音が鳴る。
 七色の花弁の花を見ながら、玻璃音は夢のように思う。
 ああ、なんて、うつくしい。

「妙なやつだな。おまえは今から喰われるのだぞ。よくもまぁ、俺の眼なんぞ見ていられる」
「⋯⋯喰われる、」
「まさか知らずに参ったのか? 贄と言えば喰われるに決まっているだろう」

 コロコロと鈴のような音がして、玻璃音はミモリさまが笑ったのだと理解わかった。応えるように、さわさわと頭上の梢が鳴る。
 森一番の、鎮守の古木。ここがミモリさまのお社だと、輿を置きながら大人たちは言った。里ができる前から在る、大人が何人手を繋いでも囲めぬほどの大木。けれどその根も幹も枝も、時を感じさせぬほど瑞々しい。

 振り注ぐ翠の木漏れ日を浴びながら、玻璃音は笑う神さまの姿に言葉を失くしていた。
 この心を表すことができないのは、玻璃音が幼いからだろうか。鈴のような声も、虹を生む瞳も、緑に艶めく髪も、目の前のすべてが心を捕らえて離さない。
 ああ、なんて、⋯⋯

「月の子を喰うのは、初めてだ」

 形良い唇を笑みの形に引いて、ミモリさまは玻璃音の頬をするりと撫でた。
 ひんやりと冷たい指先が、熱ばむ頬に心地良い。玻璃音の小さな唇から、またもほぅ、と息が漏れる。熱と心地良さに潤む視界で、七色の花弁がじんわりと溶けた。

「ほんとうに、妙なやつだな。喰うと言えばふつうは泣き出す。逃げようとしたやつもいた」

 リィン、と小さな鐘が鳴るような声。逃げようとした子はどうなったのだろう。そんなことをぼんやりと思う。
 この輿を飛び出して、大木の根を越えて⋯⋯どこでどうやって喰われたのか。

 喰われる。
 これから、自分は。
 目の前の、虹色の瞳の神さまに。

 ーー御側に上がれば、いっそ楽になるやもしれぬ   
 ーーだからおまえが、いっとう良い

 月の子の自分。
 布越しの木漏れ日にさえ灼かれる身体。
 可哀想に、という、子守唄のような呟き。

「怖いか、」

 熱に瞳を揺らす玻璃音に、ミモリさまが囁く。声の底で鈴が鳴る。
 ひんやりとした手のひらに知らず頬をすり寄せて、玻璃音は夢見るように答えた。

「こわくは、ないです。ただ⋯⋯」

 怖くはない。

 玻璃音はミモリさまのものだ。
 玻璃音も里も、森も、すべてが。ミモリさまが喰うというなら仕方がない。
 それが贄なら、仕方がない。

 それに自分は、大人になれない。
 だからきっと、今じゃなくても、変わらない。

 怖くはない。
 ただ。
 ただ⋯⋯

「ただ、なんだ」
「おん眼が、とても、うつくしいので⋯⋯もう少しだけ、見ていたくて⋯⋯」

 眩く光ったミモリさまの眼に、玻璃音の心が初めて揺れる。あやまってしまっただろうか。
 神さまに、粗相をしてしまっただろうか?

 ああ、だとしても。喰われることは決まっているのに、それ以上どうお詫びをすれば⋯⋯

「面白い」
「⋯⋯え、」

 ざぁあ、と梢が鳴り響く。ミモリさまが笑う。虹が散る。光が踊る。
 ミモリさまが、笑っている。

「月の子の贄は初めてだ。これまで喰った誰よりも白く、誰よりも柔い。良い贄だ。俺はおまえが気に入った。⋯⋯おまえを喰うのが、愉しみだ」

 神楽鈴のような声が玻璃音を包む。ひんやりとした両手が、玻璃音の頬を、額を、首を撫でる。

「だが今、おまえは熱すぎる。俺は冷えているほうが良い」

 ミモリさまの手の心地良さに、玻璃音は思わず目を閉じる。髪をやさしく風が揺らす。

「おまえが冷えるまで待とう。おまえは気が済むまで、俺の眼を見ていれば良い」
「眼を、」
「見ていたいのだろう?」

 ミモリさまが唇の端を引き上げる。内緒だぞ、と金平糖をくれる時の兄さまたちと同じ表情だ。
 神さまも、悪戯をすることがあるのだろうか。

「好きなだけ見ていると良い。気が済んだら、おまえを喰う」

 笑うように、古木の梢がざわわと鳴った。



 そのままずっと、玻璃音は森で暮らしている。

「もう、いい、かい」

 歌うように節をつけて、ミモリさまが髪を撫でる。ひんやりとした指の感触に目を閉じて、玻璃音はほぅと息を吐く。
 そんな様に、鈴の音のようにミモリさまは笑う。

「俺にふれられるのが好きか」
「はい」
「俺の眼が好きか」
「はい」

 コロコロとミモリさまは笑う。玻璃音を面白いと言う、不思議な神さま。くるりと指を回すだけで、玻璃音の棲家をたちまち作ってしまった神さま。
 玻璃音を喰うと言った神さまは、玻璃音の熱が引いた後も、虹色の瞳を見ていることを許してくれた。

「どうせすぐに飽きるだろう」

 喰うのはそれからで良い。他より柔い月の子ならば、少しばかり長じてからでも美味かろう。
 そう言って笑い、ああ愉しみだと丸い頬を撫でた神さま。

「もう、いい、かい」

 おまえたちがよくやっているだろう。隠れ鬼の真似事を、ミモリさまはそう言った。あれと同じだ。応えてみよ。

「⋯⋯まぁ、だ⋯⋯だよ、」

 コロコロとミモリさまは笑う。そうかまだか。まだ見ていたいか。そんなにこの眼が好きなのか。
 ミモリさまの笑いに合わせて虹が散る。玻璃音の脆い眼にもやさしい、眩いのに熱のない光。花のような虹。
 なんて美しいのだろう。

 髪を、頬を撫でる手に自分の手を添えて、玻璃音は不思議な神さまを見る。

「なぜ、わたしを喰わないのですか」
「喰うさ。おまえが俺の眼に飽きたら」
「あきなかったら?」

 くっくとミモリさまは笑う。ひんやりとした指先が、玻璃音の首筋をつぃ、と滑る。睫毛を震わす玻璃音の周りを、キラキラと銀の光が舞う。

「おまえの身体が陽に燃え尽きるか、おまえが俺の眼に飽きるか。どちらがどれだけ早いだろうな?」

 悪戯を囁く表情で言って、ミモリさまは歌うように、もういいかい、まぁだだよ、と呟いた。



 森でも変わらず、玻璃音は度々熱を出した。

「いのちの匂いが強すぎるのだ」

 玻璃音の背に腕を回したミモリさまは、熱いなぁと囁いて、玻璃音を抱えて地面を蹴る。ふわりと風が身体を包んで、銀の月が眼前に迫った。

 飛んでいる。

 思わず縋りつく玻璃音の肩を強く抱いて、ミモリさまは夜空を駆ける。ヒュンヒュンと風の音。さわさわと梢の音。ミモリさまの胸にしがみついて、玻璃音はぎゅっと目を瞑る。

「ほら」

 風の音が止む。目を開けると、鏡のような泉があった。木立の合間から月が覗く。泉でふたつめの月が輝く。玻璃音の口から吐息が漏れる。

 玻璃音を抱いたミモリさまが、すぃ、と泉に脚を進める。あ、と思った時には既に、月が割れて玻璃音の身体は冷たい水のなかにあった。

「み⋯⋯ミモリさま、」
「怖いのか」

 首に腕を回す玻璃音に、耳元でミモリさまが笑う。妙なやつだな。喰われることは怖くないのに、水のなかは怖いのか。

「つめたい、です」
「だから良い」

 背を抱く腕に力を込めて、ミモリさまは玻璃音の身体を水に浸す。ふたりの髪が水面に広がり、緩く絡む。白と黒、二条の蛇が睦み合うように。

「すぐに冷えよう」

 夜のなか、星より輝く虹色の瞳。じわりと溶ける花弁のなかに、自分の姿をぼんやりと見た。



 時が流れる。
 季節が巡る。
 花が咲き、緑が滴り、実が落ちて、雪が積もる。
 さわさわと鳴る風のなか、鈴の音の歌が耳をくすぐる。
  もう、いい、かい
 手を伸ばし、膝に乗り、背を抱かれ、虹色の瞳に息を吐く。
  まぁだ、だよ
 風が笑う。
 虹が散る。

 時が巡る。

  もう、いい、かい
  ⋯⋯まぁだ、だよ



 あの日以来、玻璃音が熱を出す度に、ミモリさまは夜を待って泉に連れ出す。夏でも冷たい清水のなか、髪を絡め、身体を寄せ合い、玻璃音が心地良く眠れるようになるまで、ひたひたとふたり、夜に漂う。

「おまえには月が良く似合う」

 水のように冷たい指で玻璃音の頬を撫でながら、ミモリさまはそっと囁く。収まりかけた熱が、熾火のように玻璃音の身の裡をチリチリと灼く。

「⋯⋯まだ、じゅうぶんに、おまえは柔い」

 そうだろうか。玻璃音は思う。もしも里で長じていたなら、いまや髪を上げる年だ。
 ミモリさまの首に回した自分の腕。細く白く、けれど堅い骨張った腕。餅のようだとミモリさまが笑った頬も、すっかり丸みが落ちてしまった。

 煌々と月が照らす、鏡のような泉のおもて。そこに映る自分の姿に、玻璃音は思う。幼子を脱した人間が、再び柔く美味くなるのは、女だけではなかろうか。姉さまの腕も嫁さまの腕も、とろとろと柔い肉に包まれていた。
 けれど自分は、そうではない。

「⋯⋯なぜ、私を喰わないのですか」
「喰うさ。おまえが冷えたらな」

 そう言って笑うミモリさまに、玻璃音はそっと目を閉じる。
 なぜ今、歌わないのだろう。ひんやりと心にまで沁みるような水のなか、玻璃音は思う。
 今問われたらきっと、自分は。
 あの瞳のなか、滲む自分の姿を見ながら。

 ーーもう、いい、かい

 今もし、そう問われたら。



 ミモリさまはものを食わない。

「俺は神だぞ。人以外には喰わずとも良い」

 果実を食む玻璃音を見ながら、可笑しそうに神さまは言う。

「人を喰わねば、どうなりますか」
「さぁな。喰わずにいたことがないから知らぬ」

 贄呼びの風は、五年から十年の間に吹く。吹いたその時、里で一番白く柔い幼子を差し出し、それをミモリさまが喰う。

「なぜ、赤子ではないのですか」
「あれは赤子という生き物だ。人とは違う」

 そうなのだろうか。しゃく、と果実を噛みながら、玻璃音はぼんやりと考える。

 人以外のものは食わないミモリさま。
 乳のみで生きる赤子。
 たくさんのいのちでできた人。

 玻璃音の前に吹いた贄呼びの風。
 ⋯⋯玻璃音を呼んだ風が吹いてから、もう⋯⋯

「なぜ、私を喰わないのですか」
「喰うさ。おまえがいいよと応えたら」

 ミモリさまは笑う。玻璃音の心に、じんわりと苦い想いが湧く。
 ならばなぜ、今問わない。
 眉を寄せる玻璃音の頬に、ミモリさまの手が伸びる。たやすく骨格を探り当てた指先が、つい、と頬から顎へ、首筋へと滑る。玻璃音のかたちを確かめるように。

「⋯⋯今日は、良く冷えているな」

 虹色の瞳が金に光る。リン、と空気が硬く弾ける。
 かすかにあたたかいその指先に、玻璃音は頬に血が昇るのを感じる。



 古木の枝は月の光に濡れるようだ。

「いつからここに?」
「さぁな。気がついた時には俺は俺で、ここにいた」
「その時から人を?」
「おそらくな。喰いたいと思うと風が吹き、人が来る。それがどこの里で、いつからなのかは俺も知らぬ」

 人が絶え、里が絶え、新たに人が住み着いて、里になる。そうして幾度も繰り返す。風が吹き、贄が来て、それを喰う。
 樹々が繁り、果実が実り、魚が跳ねて、獣が育つ。

「ただ、それだけだ。幾度も幾年も繰り返す。始まり、終わり、また始まる。呼び、喰い、また呼んで、俺が満ちると森が満ちる。幾度もやってきたことだ。だが」

 七色の花弁がふわりと開く。月光のなか、キラキラと銀のかけらが舞う。

「月の子の贄は初めてだ。⋯⋯怯えも泣きも惑いもせずに、眼を見ていたいなどと言った子も」

 なぜ喰わない、と問いかける子も。

 おまえは本当に面白い。
 おまえを喰うのが愉しみだ。
 ミモリさまは今宵も笑う。鈴のような声で。だから玻璃音は、破れそうな心をぎゅっと握りしめる。古木の枝に並んで月光を浴びながら。虹色の瞳にくるくる廻る光を見ながら。
 丸さを捨てて久しい頬に、あたたかい手を感じながら。
 なぜ、喰わない。
 なぜ、問わない。

 この時は、一体いつまで続くのだろう。



 笑うような翠の風が吹いている。

「久しぶりだな、熱を出すのは」

 玻璃音の髪を梳きながら、ミモリさまは鈴のような声で言う。
 こんな日だった。幼いおまえが、ここに来たのも。
 そうだ、こんな初夏の日だった。白妙の衣。白花の輿。虹色の瞳の神さま。

「私は、もう⋯⋯幼子では、ありません」
「そうだな」

 ミモリさまが可笑しそうに笑う。見ればわかる。やわやわとした新芽のようだった幼子は、とうに伸びやかな若木の姿だ。
 大人になれぬと言われた玻璃音も、里では嫁を求める年。

「いくら、私が、月の子でも⋯⋯今ではもう、いっとう柔くは、ありません」
「そうだな」
「柔いものが、お好きだと⋯⋯だから、幼子を呼ばれると、聞いておりました」
「⋯⋯そうだな」
「ならば、私は⋯⋯」
「もう良い」

 七色の花弁が銀に光る。
 そのまますぐに、金に滲む。

「もう、その話は良い」
「⋯⋯ですが、」

 ミモリさまの手が頬に伸びる。あたたかい手。頬を撫で、背に回されて、強い力で抱き寄せられる。

「日が沈んだら、泉に行くぞ」
「いいえ」
「玻璃音、」

 名を呼ばれるのは、初めてだ。

「いいえ。⋯⋯今」

 木立の合間、陽は眩く降るだろう。泉は明るく煌めくだろう。
 そこに揺蕩う、自分の身体。

「今、すぐに。⋯⋯灼いてください」

 ーーおまえの身体が陽に燃え尽きるか、
 ーーおまえが俺の眼に飽きるか。
 ーーどちらがどれだけ早いだろうな?

「私が御目を、見飽きることはありません。喰わないのなら、灼いてください」

 頬を撫でた手。背に回された手。熱に燃える身体でもわかる、あたたかい手。
 あの日、ひんやりと冷たかった手。

 ーー人を喰わねば、どうなりますか。
 ーー俺が満ちると森が満ちる。

 熱は玻璃音の身体を侵す。
 ならばこの方の、あたたかい手は。身体は。

「喰ってください。今、少しでも柔いうちに。私は、元より、あなたのものです」

 なぜ喰わない。喰うはずなのだ、贄なのだから。神なのだから。そのために、自分をここに呼んだのだから。白く柔い、幼子として。
 それなのに。

 ーー喰うさ。おまえが、⋯⋯

 なぜ喰わない。喰えるはずなのだ、いつでも。自分はもう、まだとは言わない。なのにこの方は問うてくれない。
 自分はすでに幼子ではない。喰われぬ贄は、なんのために側に在る。喰わぬ神は、森はどうなる。
 新たな贄は呼ばれない。
 なのに、自分は。なぜ、この方は。

 ーーもう、いい、かい

 記憶の底で、あの日の声が心を灼く。

 ミモリさまの眼が光る。金に。銀に。虹色に。
 誘うように。
 滲むように。

「喰ってください。どうか、⋯⋯私は⋯⋯」

 あなたの、ものです。

 言葉は喉を熱く塞いで、眼から雫となって溢れる。濡れる眦を長い指が拭う。
 熱に溶ける玻璃音の視界が、七色の花弁の花で満ちる。ふたりの吐息が甘く混ざる。

 重なる手のひらが熱い。灼ける心に、玻璃音、と自分を呼ぶ声が、鈴よりも鐘よりも透明に響く。
 玻璃音。
 玻璃音⋯⋯、
 ああ、この方が呼んでいる。そう思いながら、玻璃音はようやく、求めてやまない言葉を聞いた。


「⋯⋯もう、いいか」




 ミモリさまは、この地を治める神さまだ。

「すべてはミモリさまのもの。だから求められたら、必ず差し出さなくてはならない」

 里の子らは、今宵も寝物語を聞く。かつて吹いた贄呼びの風。それに応えて差し出された子ら。ミモリさまのお好みになる、里で一番の白く柔い子。

 最後の贄は、月の子と呼ばれた白い子ども。

「どうして今は、贄呼びの風が吹かないの?」

 子らの問いかけに大人たちはやさしく笑う。さぁね、と呟くように言って。

「月の子が余程お気に召して、他には要らぬとお思いなのか」

 あるいは、と子らの髪を撫で、大人たちはほんの小さな息を吐く。

 あるいは。


「⋯⋯もう、おやすみ」


 贄呼びの風はいまだ吹かない。
 森では今年、鎮守の古木の根が割れた。

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