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【企画短編#noteでBL※R18】月光

毎月恒例、BL祭りに今回も参加いたします。
なみさん、いつもありがとうございます!!

企画開始から今回で1年とのこと、一周年おめでとうございます(≧▽≦)

1年ずっと同じ企画を続けて、今では「これ1日で全部読んでまとめるの大変だな…」という人数が参加される人気企画に育てられたなみさん、本当にすごいです。
私が参加させていただいたのは2月投稿のバレンタイン企画からなので、半年でしょうか。あの時も特別企画だったな、懐かしい。
今では私にとって月に一度の楽しいお祭り、毎月待ち遠しくてなりません。
Xのスペース等、新しい試みも始まってこれからますます楽しみです。
これからもどうぞよろしくお願いします!

さて本作。
テーマの事前発表時から思ってたのですが、やっぱり難しかったです!
二転三転右往左往した結果、当初想定していた死別カプや転生カプは軒並み退場しなんか……思ってたのとは違うものに。
死をテーマにできているのか……?
若干どころじゃなく不安ですが、いちおうラストに登場人物の死生観は出てくるので、テーマに沿っていると言い張り、投稿します!

※※※注記(重要)※※※
企画参加者・企画閲覧者を含め、未成年者の方は閲覧をお控えください。

本作は、自分的にはいつもとけっこうテイストが違う気がしております。
暗いしオチ(変化)も救いもありません。(※重要)
ハピエン好きの方には特に辛い展開かと思いますので、ページクローズでお願いします!
なお、内容に性的支配や暴力の示唆を含む表現があります。
対象者は成人ですが、苦手な方は特にご注意ください。

書いてて自分でも辛かったので、もう一作、いつもの雰囲気に近いやつも書きました。
なみさん、ただでさえいつもより字数が多いのに、読む手間増やしてすみません。
本作の口直しも含め、いつもの感じがお好きな方はそちら(↓)をどうぞ☆
(ただしそちらもハピエンではない)

それでは、よろしくお願いいたします!!


本編

※※BL要素を含みますので、苦手な方はご注意ください※※
【テーマ】お題でBL(~10,000字)
【お題】 生きる時間(『死』をテーマにしたブロマンス~BL)
【タイトル】月光(スペース除き約8,400字)

 月が沈もうとしている。

「起きていらっしゃったのですか」
 問いかけに応えはない。
 黒曜石の瞳は無表情に光を弾き、すぐに再び沈みゆく月に向けられる。
「早朝はまだ冷えます」
 細い肩に上掛けを羽織らせる。応えることのない横顔。
 薄い寝間着に包まれた白い肌のあちこちに、花びらのような痣が散っている。
 吸われた熱をまだ宿すかのように、牡丹色に、つつじ色に、薄桃色に。首筋に、うなじに、胸元に。
 刻印のように、縛めのように、その肌のどこかに、常に痣が咲いている。
 その身が誰のものであるかを示すために。

 月が沈もうとしている。
 主が去った部屋。寵愛の痕を、去り行く月光が仄白く撫でる。

1.

 襖の向こうで、千歳ちとせが身支度を進める音がする。
 加賀美は袖口のボタンを確かめ、タイミングを測る。かたん、と小さく襖が鳴った。
「おはようございます」
 廊下に出た主人に頭を下げる。
 一瞬、千歳の輪郭が朝の光に溶けるような気がした。瞬きで消えるほどの幻影でも、それは確かに加賀美の胸を刺す。
 今日もまた、彼の心はここにはない。
 千歳は目線で応えると、そのまま一言もなく歩き出す。渡り廊下の先、彼らの主人である当主が待つ、母屋へ。
 
 運命というものがあるならば。
 眼前の光景に、加賀美は今日もその言葉を思う。
 当主は長い脚を組み、テーブルに肘を突いて千歳を見上げている。そんな仕草が無作法に見えないのは、ひとえに彼の端正な容姿と、旧家当主たる風格のためだ。
 彼は当主となるべく生まれ育ち、若くして跡目を継いだ時には、その地位に必要なものをすべて身につけていた。
 知性も、胆力も、風格も。
 冷酷さも。
 長い指が、頭を下げる千歳のネクタイを掴む。当主の手元には、繊細な細工が美しいタイピンとカフスボタンが置かれていた。
「……手のかかることだ」
 冷たい笑みを浮かべて、当主は毎朝、千歳のタイピンとカフスボタンを付け替える。
 使用人のひとりに過ぎない千歳の装飾品を当主自ら整えるなど、通常では考えられない。
 そもそも、千歳の身なりは華美でないにしろ細部まで配慮され、糸くず一筋の乱れもない。当主の腹心という立場であれば当然のことだ。
 だから初めてこの光景を見た時、加賀美は言葉を失った。
「これでいい」
「お手を煩わせ、申し訳ございません」
 されるがまま微動だにしなかった千歳は、一礼すると何事もなかったかのようにスケジュールの確認を始める。
 手帳にペンを走らせる手元、窓からの陽を弾くカフスボタンは、当主のものと対をなす。本来、使用人が身につけられるものではない。
 千歳は使用人のひとりに過ぎない。
 そしてまた、ただの使用人ではない。
 それを毎朝、こうして見せられ続けている。
 
 千歳の付き人として屋敷に仕えることが決まった時、加賀美はそれを僥倖だと思った。
 とうの昔に縁が切れた、かつての主家。再び仕えられるだけではなく、常に千歳の傍にいることを許されるなど、考えられない幸運だと。
 今にして思えば短慮に過ぎる。報告を受けた両親は、確かに一瞬息を呑んだ。
 彼らにはわかっていたのだ。この屋敷で、千歳がどのような立場にあるかを。
 自分だけが何も知らず、再会に浮かれていた。

 運命というものがあるならば。
 地獄というものが、あるならば。
 それはもしかしたら、こんな姿をしているのかもしれない。

 日々、千歳は淡々と業務をこなす。
 世間ではようやく勤め始める程度の年齢で重責を担うのは、既に十年を超える使用人生活の間、彼が当主の望みに応え続けてきた結果だ。
 当主は端正な容姿と柔和な物腰で憧憬を集める一方、有能な支配者の多くがそうであるように、時に冷酷ですらある。屋敷を支える使用人の扱いを慈悲や酔狂で決めることはない。
 彼が千歳に右腕といえる立場を与えたのは、千歳がその任に相応しいからだ。
 淡々と、粛々と、当主が望むとおりに、屋敷と一族をあるべき方向に調整していく。
 それがどれほど過酷なものか、その静かな顔からは読み取れない。それ以外のすべてを忘れたように、千歳は業務に没頭していた。
「千歳さま」
 呼びかけると、シャボン玉が弾けるように、千歳を取り巻く空気が変わる。
 夢から覚めたような表情。
 主人の集中を途切れさせたことを詫びながら、加賀美は彼にグラスを差し出す。
「そろそろ、休憩なされたほうが。……お水だけでもお摂りください」
 瞬きの後、千歳はふっと息を吐いた。ありがとうと呟いて、静かにグラスを受け取る。
 意識的なのか無意識なのか、自分から顔を背けてぼんやりと水を飲む、無防備な横顔。業務中とは別人のようなその表情に、加賀美はかつての彼を見る。
 自分の弟として育った、少年の頃の千歳を。

 千歳が屋敷に引き取られたのは十二になる年だ。跡目を継いだばかりの若き当主の命で迎えが来た時、加賀美と千歳は初めて、自分たちが兄弟ではないと知った。
 怯え、嫌だと泣く千歳に、誰も何もしてやれなかった。
 千歳は主家に連なる身。故あってこの家に預けられていたが、新当主のもと、あるべき場所に還る。そう言われれば、抗う術などなかったのだ。
 けれどもしもその時、千歳を迎える当主の意図を知っていたら。
 詮無いことと知りながら、加賀美は今でも、そう思わずにはいられない。
 もしもあの時、離れたくないと泣く千歳を連れて、逃げることができていたら。

 千歳は昨夜も当主の部屋に向かった。
 屋敷内の離れ。隣り合う部屋、息遣いすら聞こえる距離で生活しながら、千歳の心はどこまでも遠い。
 加賀美の生家にとって、千歳は主筋の生まれだ。再会してもかつての関係に戻れないことはわかっていた。
 それでもやはり願っていたのだ。たとえ主人と使用人でも、ふたりだけで過ごす離れでは、あの頃の表情を見せてくれると。
 今にして思えば短慮にすぎる。屋敷での生活は、千歳からかつての面影を奪うには十分な、あまりに過酷なものだったのだ。
 当主の元に向かった千歳。あの肌に、昨夜また新たな花びらが散ったはずだ。
 彼はもう自分の弟ではない。
 彼のすべては、当主のものだ。

「午後の庭園会の打ち合わせですが、道が混んでいるようです。出発時間を早められたほうがよろしいかと」
「わかった」
 短く応えて、千歳は書類に目を落とす。わずかな休憩も惜しむように。業務に没頭することを望むように。
 書類を扱う手元で輝くカフスボタン。スーツの下に咲く花びらの痕。
 昼も夜も、彼はすべての時間を当主に捧げる。
 その心に、どうしても手が届かない。
「千歳さま」
 千歳は瞬きで応える。無表情な瞳に、言葉はいつも喉で消える。
 自分は何を言おうとしているのだろう。
 あるいは、問いかけたいのだろうか。
「……失礼しました。ご用があるまで、私は隣で控えております」
 わずかに問いかける気配を見せた千歳は、すぐに興味を失ったように頷く。
 襖を閉じる瞬間に見た横顔は、加賀美の存在自体を忘れたかのように、一心に書類を見つめていた。

 誰かがこちらへ向かってくる。
 そう気づき、身体が冷たく緊張する。
 普段、千歳の執務室に近づく人間はほとんどいない。緊急事態にしては、気配はあまりに静かだった。
 ならば、これは。
 がらりと襖が開く音。ご当主さま、と呟く千歳の乾いた声。
 訪れたその人の意図を思い、加賀美の心は重く沈む。
「……お戻りのご予定はないと、」
「自分の屋敷だ。予定が必要か?」
 忍び笑いに、千歳はそれ以上何も言わない。
 部屋に入る足音。机をペンが転がる音。息を呑む気配。
 しゅるりとネクタイを解く音が、やけに大きく響いた。
「……午後から庭園会の打ち合わせがあります。外出を……」
 千歳の声は静かだ。それでも、その奥にかすかな揺らぎを感じてしまう。
 当主もきっと同じだろう。低く、嗤いを含んだ声が応えた。
「鷹守に行かせる」
 膝のうえで拳が震えた。
 与えられた役割さえ、その一声で意味を失う。千歳をどう扱うか、すべては当主の心ひとつで決まるのだ。
 襖の向こうで畳が鳴る。膝を突く音。上着を脱ぎ捨てる音。
 絶え間ない衣擦れの合間に、押し殺した息遣いが混じり出す。
 低く嗤う声。震える吐息。畳を擦る音。襖の向こうで、空気が揺れる。
 膝のうえで握った拳の感覚がない。
 感覚を失くしてしまいたいのは、自分ではないのに。

2.

 季節が定まり始めたその日、夕方から悪寒がすると言っていた千歳は、日が沈む頃熱を出した。
 往診に来た医者は淡々とした口調で風邪でしょうと告げ、去り際、あまり無理をさせないようにと呟いた。届かない忠告であることを、医者自身がわかっている声だ。
 千歳は固く目を閉じて、乾いた唇から苦しげな息を漏らしている。
 起こして水分を摂らせるべきか。悩みつつ、額に張りつく髪を梳いた。
 小さく喉が動いて、手を避けるように顔がわずかに背けられる。その様子に、思いがけない痛みが胸を刺した。
  おにいちゃん。
 遠く、声が甦る。

 幼い頃、千歳は季節の変わり目によく熱を出した。
 髪を梳いてやると気持ちよさそうに息を吐いて、おにいちゃん、と甘えるように加賀美を呼んだ。もっと撫でて、と。

 血のつながりはなくても、加賀美にとって千歳は確かに弟だった。
 怖い夢を見た。お気に入りの本が見つからない。そんなことで瞳を揺らして、この手を求めた小さな弟。あの頃の千歳はもういない。
 今、この手は束の間の安らぎにさえならない。

 思考は気配に破られた。膝を立てるより早く、無言で襖が開かれる。
「ご当主さま」
 呼びかけの語尾が掠れる。佇むその人自身から、冷たい夜気が発せられているようだ。
 寝込む千歳と控える加賀美を一瞥して、当主はかすかに瞳を眇めた。
 部屋に入ると、彼は上気する千歳の頰にふれる。眉間にかすかな皺を刻みながら、千歳が薄く瞼を開いた。
「……失礼しました」
 身体を起こそうとした千歳を、当主が布団に押さえつける。寝間着の合わせ目が開かれて、汗ばむ肌が露わになった。
 無理はさせないほうがいいという、諦めを含んだ医者の声。髪を梳いてやった遠い日、大きく吐き出された熱い息が、記憶の底で心を灼く。

「畏れながら申し上げます」
 空気が凍る。千歳の潤んだ瞳のなかで、自分の姿が揺れている。
「医者からも無理はさせないようにと忠告を受けております。……どうか、今夜だけはご容赦を」
「……なんだと」
 加賀美は手を突いて顔を伏せる。言葉を、どうしても堪えることができなかった。
「どうか……今夜だけはご容赦ください」
「加賀美」
 自分を呼ぶ千歳の声に息が詰まる。
 熱に浮かされてなお、その声は意志に満ち、はっきりと自分を拒んでいた。
 彼はこの手を求めていない。
「……いいだろう、ならばおまえが選べ」
 嗤いを含んだ声。
 不穏に高鳴る鼓動を抱えて顔を上げると、冷たく燃えたぎる当主の瞳が加賀美を射た。
「このままそこで見ているか、俺の代わりにおまえが抱くか。……おまえならば無理はさせまい。なぁ、加賀美?」

 千歳の身体が凍りつくのがわかった。
「……ご当主さま」
 声が震えるのを、抑えることができない。
「なんだ、加賀美」
 名を呼ぶ声はどこまでも冷たく、痺れるほどに甘い。
 千歳を迎え入れることも、彼はこの声で命じたのだろうか。
「……出過ぎたことを申しました。どうかお赦しください」
「赦す?」
 当主の瞳が細められる。
「俺は選べと言ったのだ」
 見ているか、抱くか。
 狙い定めた獲物を追い詰める冷たい声。愉悦に満ちたその声の甘さから、その心の闇から、逃げることはできない。
 痺れたように疼く頭の隅で、遠く自分の声を聞く。
「見て……おります」
 千歳が細く息を吐く。やわらかく崩れるその双眸が胸を刺した。
 これは安堵だ。
 ふれないという自分の選択に、千歳は心から安堵している。
 握りしめた拳が震える。今にも喉を迸りそうな言葉を必死に呑み込む。
 なぜそれほどまでにこの手を拒む。
 当主の行為を、望んでいるはずはないのに。
「もったいないことだな」
 低く嗤って、当主の手が千歳の肌を滑る。淡く色づいた肩が、声を呑み込む喉が震える。
「なぜ声を殺す。聞かせてやればいい。おまえの加賀美が、おまえを抱くより望んだことだ」
 猛禽の爪が獲物の肉に喰い込むように、冷たく甘い声が心を裂く。
「愛しい兄にこんな姿を見られるのは辛いだろう。終わりにしてやると言ったはずだ。なぜ拒む?」
 千歳の指が色をなくすほどシーツを握る。紅く染まった目元が濡れる。
 涙が伝う耳元で、当主は囁く。まるで睦言のように。
「一度でいい。おまえが俺の名前を呼んで、自分から俺を求めたら。この関係を終わらせてやる」
 千歳は応えない。目眩を堪えながら、加賀美は自分の心に、当主と同じ問いを聞く。
 なぜ、と。 
「なぜ拒む。何を考えている。……母の代わりに、このまま一生、俺に抱かれて生きるつもりか」
 母の代わりに。父であったかもしれぬ俺に。
「なぜ耐える。それほどまでに嫌なのか」
 この名前を呼ぶことは。
 この手を求めることは。
 なぜだ千歳、と叫ぶ声は、当主と自分、どちらのものか。
 千歳は答えない。ただ声を殺して、与えられる快楽に耐える。
 その姿に灼けつく当主の心が、手に取るようにわかる気がした。
 同じなのだ、彼と自分は。
 あまりに遠い心に焦がれて、問わずにはいられない。
 なぜ届かない。
 なぜ求めない。
 一体、何を願っている?
 張り裂けるようなその問いに、千歳が答えることはない。
 熱に浮かされた吐息だけが、どうしようもなく甘やかに、冷たい部屋を満たしていく。
 
 運命というものがあるならば。
 当主の去った部屋。気を失うように眠った千歳の顔を見ながら、そう思わずにはいられない。
 彼を見たものが一様に息を呑むその容貌は母親譲りだという。瓜二つだと呟いたのが誰だったのかは、もう思い出せない。
 かつて当主の許嫁であった彼女は、十六という若さで父親の知れぬ子を身籠った。婚約の破談では済まず、先代当主の手によって、彼女の生家は断絶させられた。
 その時から、千歳をめぐる輪は回り出したのだ。
 千歳の誕生とともに母親はこの世を去り、断絶の原因となった赤子に手を差し伸べるものはいなかった。千歳の生家に永く仕え、命を落とした母親と深い絆で結ばれていた、加賀美の両親以外には。
 そうして自分も、千歳をめぐる輪の一部になったのだ。
 彼をめぐる輪。人が運命と呼ぶそのすべてが、彼を苦しめるために選ばれたようだ。
 父親に似ていたら。
 あるいは女児であったなら。
 当主はきっと、こんなやり方で千歳を抱きはしなかった。

 千歳の寝顔に手を伸ばす。
 もしも何かひとつでも、彼をめぐる輪が欠けていたら。 
 届かない心を思いながら見ている夜は、きっと存在しなかった。

3.

 熱が引いた日の夜、千歳は当主の元に向かった。何事もなかったかのように、彼の日常が還ってくる。
 どうしても寝付くことができず、その夜、加賀美は庭に出た。
 千歳の帰りを待たなくなったのはいつからだろう。煌々と冴える月を眺めながら、己の心の闇を覗く。
 千歳の帰りを待ち、眠れない夜もあった。今では、夢うつつに千歳が布団に入る気配を聞くだけだ。
 人は慣れる。それがどんな夜でも。そこで生きていくために。
 広い庭を当てもなく歩くと池に出た。鏡のような水面に、ふたつめの月が輝いている。
 その池の縁で、千歳がぼんやりと水面を眺めていた。
 呼びかけようとした声が喉に絡む。夜のなかでも紛うことなく白い肌が、虚空を見つめる瞳があまりに美しく、人ならざるもののようだ。
 千歳の心はここにはない。
 声をかけることも立ち去ることもできないまま、加賀美はその横顔を見ていた。

 どのくらいそうしていただろう。吹き過ぎた風が髪を揺らし、瞬きをした千歳がふわりと池に身を乗り出した。
「千歳さま!」
 落ちる、と思った時には、その腰を強く引き寄せていた。
 見開かれた瞳に映っている自分を、どこか夢のように見る。薄い唇がかすかに動いて、加賀美、と呼んだ。
 細い腰。乱れた寝間着の隙間から、鮮やかな花びらの痕が覗く。
「……何をする」
 一瞬の後、千歳は確かな声で加賀美を咎めた。
「……失礼しました。池に、落ちてしまわれるかと……」
 腰に回した手を離す。吐息のような声で応えて、千歳は静かに距離を取る。その横顔に、どうしようもなく胸が詰まった。
「何をお考えですか」
 千歳は無事だった。許可なく主人の身体にふれた非礼を詫びて、加賀美は立ち去るべきだった。
 けれどその夜はどうしても、問いかけることをやめられなかった。
 時満ちた月が水面で輝く。
 細い首がゆっくりとめぐって、黒曜石の瞳が自分を映す。初めて、加賀美の存在を認めたように。
 主人の唇がゆっくりと動くのを、加賀美は夢のような思いで見ていた。  
「水面に映る月は、黄泉の国にかかるものだという言葉を……思い出していた」
 黄泉の国にかかる月。
 冷えていく心に突き動かされるように、言葉がこぼれる。
「黄泉を、お望みですか」
「……なに?」
「池に落ちようとなさったのですか。黄泉を望まれたのですか?」
 自分の声が震えている。瞳を揺らした千歳は、小さく息を吐いて言った。
「月を、眺めていただけだ」
 風が揺らした水面に目を凝らし、思わず身体が傾いただけ。
「千歳さま」
 主人の顔はあまりに静かで、その心には手が届かない。
 そのことが、今夜はなぜかひどく辛い。
「黄泉を望まれるなら」
 千歳の眉がかすかに寄る。続けるべきではないと知りながら、言葉を止めることができない。
「黄泉を、望まれるなら……」
「加賀美」
 強い声。
 主人の声だ。
「俺は黄泉など望んでいない」
 風がふたりの間を吹き抜ける。 
 水面が揺れて、月が滲む。
「ではなぜ、抜け出そうとなさらないのですか。なぜ耐え続けていらっしゃるのですか」
 言うべきではない。わかっていても、言葉は溢れて止まらない。
「今夜でなくとも。いずれ、この世を捨てるおつもりではないのですか」
 黄泉の国にかかる月。
 次にこの池に満月が映る時、彼はここにいるのだろうか。
 浮かぶ考えに心が冷える。
 彼を呑み込んで揺れる月。脳裏に浮かぶその姿は、あまりにも美しかった。
「千歳」
 見開かれる瞳。
 その瞳に、今、確かに自分が映っている。
「教えてくれ。何を考えている。なぜ、救われることを願ってくれないんだ」
 風が吹く。水面で月が揺れる。
 千歳の瞳が月の光を弾いている。
 永遠のような一瞬の後、千歳はゆっくりと瞬いた。
「救われる必要などないから。これが俺の生の形。ただ、それだけだから」
「……なに、」
 言葉の意味がわからない。
 その生が、運命があまりに過酷だからこそ、人は救いを求めるのではないのか。
 逃れたいと、思うのではないのか。
「救われなければならないようなことを、逃げなければならないようなことを、俺は何もしていない。ただ生まれ落ちただけ。……俺の生には、誰の赦しもいらない」
「おまえが何もしていないなら、何の罪もないならなおさら、なぜこの不条理に耐えなければならないんだ。なぜ終わらせろと言わない!」
「俺がこの屋敷で生きていることは事実だから。俺はあの方のもの。それは変えられない。……変えることが赦しや救いを必要とするなら、そんなものはいらない」
 風が吹く。
 心が冷える。
 千歳が遠い。
「……救いを乞うくらいなら耐えると言うのか、これほどの不条理に。救いを乞うてもおまえはおまえだ。何が汚されるわけでもない。その身に鞭打つ必要はない」
 千歳の瞳で月光が溶ける。その美しさに息を呑む加賀美に、吐息のような言葉が届いた。
「あなたは俺を、救いを乞う必要があるものにするのか」
 千歳の言葉が、夜に溶ける。
「ただこの生を引き当てただけで、俺が俺であるだけで、誰かに救われなければならないものだと。誰かに赦されなければならないものだと、そうでなければ生きられないものだと、あなたは俺にそう言うのか」
「千歳」
 違うと言う言葉は喉で凍りつく。
 救いたいという自分の願いを、千歳ははっきりと拒んでいた。
「俺の生にはなんの理由も、意図もない。この形だっただけ。ここだっただけだ。だから俺はただ生きて、俺という人生を終える」
 誰の赦しも救いもいらない。
 この生のあり方を、自分以外の誰にも決めさせない。
 目眩がして、加賀美は強く目を瞑る。
「部屋に戻る」
 呟く千歳の声は、言葉は主人のものだ。
 垣間見えた彼の心は、再び遠くに去っていく。


 運命というものがあるならば。
 去っていく千歳の後ろ姿に、そう思わずにはいられない。
 ただ自分として生きるということが、なぜ彼にはこれほど過酷なのだろう。
 なぜ彼は、引き受ける強さを持ってしまったのだろう。
 詮無いことと知りながら、そう思わずにはいられない。

 鏡のような水面に、黄泉の国にかかるという月が輝いている。


あとがき


おい何を読まされている??
という声が聞こえる気が……

……なんでしょうね……??(おい)
死別カプは考えてる間にどっか行きました。

なお本文中では書ききれませんでしたが、千歳は花のうてなっぷる絶対回避勢です。今生の救い同様、転生も不要派(転生の存在は否定しないが今生との因果関係は否定)。テーマを全力で否定してくる主人公。
ん?主人公は加賀美か?ごめん、君、影薄くて……

構想ではラストの池のシーンは「来世を願うか」みたいな会話になるはずだったんですが、その手前で終了でした。
加賀美の力不足(かわいそうな評価)

そして書いてみて気づいたこと。
耽美向いてないな???

上流階級、当主に囲われる美青年、出生の秘密、見守るしかない付き人と、思いつく限りの不穏耽美要素を詰め込んだのになぜこうなる。
自分でもびっくりしたよ。

余談ですが、輪廻とか再会で考えた時、最初に浮かんだストーリーは「愛する人(の転生後)を自分の子どもとして育てることになったら」でした。

養父×少年+養父の実子、という構図にして、養父をめぐるカインとアベル的な要素も入れて泥沼な感じを……!と。
参加表明のコメントで書いた『血と執着の昭和テイストメロドラマ』はこっちのつもりだった、んですが。

なぜか養父が50代のロマンスグレーでイメージ固定されてしまい、ロマンスグレー×少年(中学生のイメージ)……?か、書いていいやつ??と不安になってボツにしました。
そもそもロマンスグレーを書ける気がしない。

そこから千歳が生まれた経緯はもはや覚えていませんが、普段会話劇中心なくせに必要最低限も会話しないやつらを書こうとしたせいでめちゃくちゃ苦戦することに……
同じような文字量で書いた前回の不穏系(↓)はほぼ2日くらいで書いた気がするのですが(少なくとも苦戦した記憶はない)、今回は約3週間。
ウソやろ……

そして前回のを出してみて思ったけど、もしかして三角関係好きか……?

とまぁいろいろありましたが、今回のために普段考えないことを考えるのは楽しかったです!
性癖の原点にも再会したし(↓)。

真堂先生と浅見先生のXもフォローしちゃった(´∀`*)ウフフ
中高生で四龍島スーロンとうシリーズに出会ったらそりゃこうなるよね!(暴論)

Xもなみさん・かし子さんのスペースのおかげで始めたし、この企画にどれだけ支えられてるんだ問題。
いつもありがとうございます!!

さてさて、皆さんはどんなお話なんでしょう。
楽しみですヽ(=´▽`=)ノ

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