【BL短編】お気に召すまま(前編)
ポップで楽しいラブコメを目指して始めたBL約15,300字の前編(約8,300字)です。後編は明日投稿予定。
目指した結果がどうなったかは…どうぞ本編でご確認ください!
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「小森さん、僕の身体使ってみない?」
「は??」
何言ってんだこいつ。櫻井は目の前で嫣然と笑う。言葉の意味がわからず、ついでに状況も理解できず、俺はただぽかんとその整った顔を眺めている。
「セフレ的な。まぁ正確にはセフレですらないけど。とりあえず、身体の関係ってことで」
「は??」
何言ってんだこいつ。そもそもなんでこいつがいる。というか、なんで二人で一緒に寝ている?
「だめ?割り切った関係ならアリかなと思ったんだけど。僕のこと、好きにしていいから」
「いや、さっきから何言ってんだおまえ。ていうかなんでここにいる?それでなんでベッドに?」
「え…覚えてない?…酔ってたもんね…」
言動は割としっかりしてたから、大丈夫かと思ったんだけど…櫻井は困ったように眉を下げた。
「覚えてないってなると、一気に犯罪感出るなぁ。無理強いはしてないはずだけど」
「いやなんの話だよ!」
要領を得ない後輩の話に、俺は昨夜の記憶を手繰る。飲み会。二次会は断って、ひとりで酔い醒ましに近くの神社に寄った。ベンチでぼーっと、ほとんど葉桜になった桜を見て…
「…なんでおまえが、ここに?」
肝心な部分が思い出せない。ひとりの場面で記憶は途切れている。
「追いかけたんですよ、ちょっと心配だったから。で、拾って連れてきました」
住所も鍵の場所も普通に言ってくれたし、結構しっかりして見えたんだけどなぁ。櫻井はぶつぶつと呟いている。こいつはまたそうやって他人の世話を…面倒見の良さは先輩にまで発揮しなくていい。
「…連れ帰ってくれたのは、ありがとう」
「いいえ?」
「でもそれは、おまえと寝ている理由にはならない」
「気づいちゃいました?」
「おい、ふざけてんのかっ」
やだなぁ、僕はいつだって本気ですよ?
掴みどころのない笑顔。キラキラとイタズラ気な瞳は、いつも会社で見ているものと変わらない。
「付き合ってください、って言ったら嫌だって言われて」
「は?」
「じゃあ気持ちよくするだけならいいですかって訊いたら、それならいいって言ってくれたから」
「はぁ?」
「頑張ってご奉仕したんだけど?僕」
「はぁあ?」
何も覚えてないなんて寂しいなぁ。悦んでくれてたのに。キラキラと輝く瞳が狡猾な光を帯びて、その強い視線に絡め取られる。
「え?ヤッたってこと?おまえと?」
男同士なんだけど。その世界線では生きてなかったんだけど??
「どどど、どっちが……」
「あ、ヤッてはないです。僕もやり方わかんないし、初めてでそこまでは」
「お、おう、それなら…」
良かった…のか?
「でもおまえ、ご奉仕って…」
「はい、頑張りました」
にっこりと、まるで契約獲得の報告のように。さっきからこいつの口調と会話内容が噛み合わない。
「聞きたいですか?詳しく。何があったか」
「いや、いい」
「えー」
聞かないほうがいい気がする。こいつが話したそうにするのはきっと、ロクなことじゃない。
「まぁいいです。で、どうですか、さっきの」
「さっきのって?」
情報量が多すぎて処理が追いつかない。そもそも、何が起こっている?
「僕の身体を使ってみませんか、って。小森さんがしてほしいこと言ってくれれば、なんでもしますよ。だから」
僕を傍に置いてみない?
強くきらめく瞳。形よい唇から紡がれる言葉が、どうしても頭に入ってこない。
いったい、何が起こっている?
「小森さん?」
「帰れ」
「え」
「とりあえず帰れ、今すぐ。今。すぐに!」
「ええー」
「ええー、じゃない。帰れ!!」
ベッドから叩き出すと、櫻井は酷いだの残念だのせっかく休みなんだからゆっくり話しましょうよだのいろいろと言い募ったが、俺はただただ今すぐ帰れと繰り返した。
「まぁ今日はいいですけど。考えといてくださいね」
じゃあまた月曜日に。
柔らかな微笑みを裏切る強い瞳。目眩を覚えて、俺は乱暴に玄関のドアを閉めた。
これはきっと、悪い夢だ。
「こーもーり、さんっ」
「うわぁ!?」
突然後ろから声をかけられ、自分でも驚くほど大きな声が出た。人のいない場所で良かった。いや、人のいない場所だから声をかけられたのか。
混乱している。
「ひどいなぁ、今日一日全然顔合わせてくれないじゃないですか」
櫻井は満面の笑みで顔を覗き込んでくる。距離を取ろうとして、棚と櫻井の間で身動きが取れないことに気づいた。
「…近い」
「バレました?」
まぁ退かないんですけど。
とんでもないことを言って、長い腕が棚に伸びる。
これはアレか。いわゆる、壁ドン的な…(古い)。背後は壁ではないし、ドンと鳴ってはいないけれど。というか。
「ちちち近い!?」
「だって逃げちゃうじゃないですか。せっかく捕まえられたんだから、話きいてもらわないと」
ね?と微笑む顔は無駄に妖艶で、影のなかで見る瞳はそこだけ強く光っている。
まるで獲物を狙っているみたいだ。ということは。
「俺が獲物!?」
「獲物?」
「とりあえず離れろ、近い」
「えー。こんなもんじゃない距離感だったのに?」
「いやいや知らない、知らない知らない。認識してないことは存在しない」
「ふふ、バグってる小森さん初めて見たなぁ」
可愛いですね。
そこだけ低く囁いて、花咲くような笑み。
いやいや、いやいやいやいや!!
「と、とりあえず、金曜に何があったかは覚えてない。申し訳ないけど。だから忘れよう、全部。お互いなかったことに…」
「しませんよ?」
「いやしろよ。なんで全面否定なんだよ」
「だって僕、好きですもん、小森さんのこと」
「はぁあ?」
何を言っているのかわからない。
「おまえ、男が好きだったの?」
「どうなんでしょう。あんまり意識したことなかったけど、誰でもいいのかも?」
「それはたぶん意味が違う」
「確かに。で、どうします?僕を傍に置いてくれますか?」
「くれません。以上、よろしくお願いいたします!」
「えーーー。なんで?」
なんで、じゃない。予想していない展開で生きていくのはごめんだ。俺は平和で穏やかな日常を心から愛している。他人に振り回されることも、それが新たな地平を開くものであればなおさら、そんな劇的な変化はごめんこうむる。
「俺はひとりで、静かに生きていきたいの。恋愛とかもういいし、まして男とならなおさら、そんな新しい世界は俺にはいらないの。勝手知ったる今までどおりの日常が至高なの!」
「恋愛しなくていいですよ?僕が好きなだけなんで」
「いやもう意味がわからない…なんでそれで恋愛にならないんだよ」
「だからセフレ的なアレです。ヤッてはないけど。とりあえず、身体だけってことで割り切っていいんで」
混乱する。何を言っているのかわからない。
「い、いらないいらない。間に合ってます」
「えー。でも人間だし、あるでしょ欲求としては」
「ない、ないです。間に合ってます」
「押し売り撃退法みたいな返答やめてくださいよ」
押し売りのほうがきっとましだ。少なくとも、俺にとっては。
「とりあえず、その話はなし!俺とおまえは、単なる同僚。先輩後輩。今までも、これからも。未来永劫」
うわ、寂しいこと言う。大袈裟に眉を下げて、櫻井はしかたないですね、とため息を吐いた。
どうやら話は終わったようだ。
「長期戦かぁ…」
「いや終わったんだけど!?」
「何言ってんですか。好きだって言っちゃった以上、簡単に終わりにできるわけないでしょう」
なぜ呆れ返った口調なんだ。理解できない俺が悪いみたいじゃないか。
「諦めませんよ。こうなったら、なんとしてでも僕の存在を認めさせます」
「え、なんで?なんでそうなった!?」
意味がわからない。だが櫻井は「今度はどうしようかな」などと呟きながら、さっさと書庫を出て行った。
「…自由すぎるだろ」
本当に、意味がわからない。
「ねー小森さん。そろそろ僕を傍に置いとく気になりました?」
「なりません。離れなさい」
「えー。なんで?」
「な、なんで……?」
質問の意図がわからない。それより何より、顔が近い。
「だって僕、顔いいでしょ?見てると幸せになるって、みんな言ってくれますよ?」
「うわあ、清々しいほどの自己評価」
「それに割と何でもできるし。仕事も家事も、いいサポートになると思うけどなぁ」
「間に合ってます…」
それに…と囁く声が無駄に近い。
「ご満足いただけると思いますけど」
通販サイトか。
「間に合ってます!離れろ!!」
あー、また小森と櫻井がじゃれてるぅ。最近仲いいよねー。
給湯室前の廊下を、そんな黄色い声が楽しそうに遠ざかっていく。誤解だ。いや、解かないほうがいいのか?
「ね、みんなも仲いいって」
「その論法でいくと、誰かが『小森、〇〇ちゃんとお似合いだね』って言った瞬間におまえは終わる」
「確かに!?じゃあやっぱり外野は使えないか」
「そこは素直なのか」
「ねーー、どうしたら僕を傍に置いてくれますか?」
長い脚を組んでシンクにもたれ、こくんと首を傾けて俺を見てくる。その眉が不服そうに寄せられていて、こちらが悪いことをしている気にさせた。
美形はズルい。
「どうしたら、って。むしろどうしたら、おまえは俺をほっといてくれるわけ?」
「その選択肢はないじゃないですか」
「決定事項にするのやめてもらえますか」
「だって好きなんだもん」
もん、じゃない。
「なんでもするって言ってるのに」
「いや、他人といるってことが既に無理だから…おまえだから、とかじゃなくて」
「邪魔しませんよ。呼ばれたときしか行かないし、いいよって言われたときしかさわらないし」
「ええ…犬じゃないんだから」
「ねーお願いします。一回だけ試してみましょう?僕が使えるかどうか」
「いやいやいや…そんなモノみたいな扱いできるかよ」
「しぶといなぁ。こんなにお願いしてるのに」
子どものようなことを言って、櫻井は長いため息を吐く。ちらりと見たその横顔は、静止画のような真顔だ。
「なんです?見惚れてくれました?」
俺の視線に気づいて、すぐにその口元に笑みが咲く。ふわりと、心を隠すように。
「いや…もう昼休み終わるから。戻るぞ」
はーい、と渋々のように言って、櫻井は大人しく歩き出す。
あんな真顔初めて見るな、と、ちらりと思った。
「ふつうはね、これだけ連日迫られたら、根負けしてもういいかなとりあえず傍に置くくらい、ってなるんですよ」
「なるんですよ、じゃねーよ。離れろっつの!」
「もういい加減OK出しましょうよ。頑張りますから、僕」
「いやおまえこそいい加減諦めろよ。ていうか、まずは離れろ!」
えー。長机に突っ伏して、櫻井は恨めしそうに俺を見る。
「さぼってないで片付けろ」
「てか置いといてくれればいいですよ。僕やっときますし」
「いやそれはおかしいだろ。別におまえの仕事じゃないし」
複数でやったほうが早い。誰の仕事でもない雑用ならなおさらだ。それをこいつがいつもにこにこと「やっときます」なんて言うから、他の人間は甘えてしまう。
「…なんで他人といるのが嫌なんですか」
ぼそりと呟くように言う。不満です、と顔中に書いて。
「なんで、って。めんどうだろ、いろいろ。どうしたって気ぃ遣うし」
「僕には遣わなくていいです」
「そういう問題じゃないんだよ。例えば自分が何か飲もうと思ったら、『相手の分もいるかな』とか考えるだろ。そういうのがもうめんどくさい」
「ええ…そんなことあります?絶対無理じゃん、他人と過ごすの」
「だから無理だって言ってんの、人の話を聞け!」
「ええー…だって小森さん、人のこと超よく見てるじゃないですか。人好きなのかと思ってた」
「そんなことない。ていうか、別に仕事ならいい。ていうより、仕事で精一杯。プライベートでまで他人のこと見ていたくない」
「昔から?」
「え?」
訊かれて手が止まる。そういえばいつからだろう。こんなにもひとりでいたいと、強く思うようになったのは。
「…忘れた」
別にいつからだって変わらない。ひとりで、穏やかに生きていきたい。俺が望むのはただ、それだけだ。
「早く片付けろっての」
「はーい」
それ以上無駄口をきくことなく、櫻井は手際よく会議室を整えていく。口元には柔らかな笑みを浮かべて。どんなことでも、ふわりと受け流すように。
「こもりさぁぁぁぁん…」
「ええ…なんでこうなった」
櫻井がヘラヘラと赤い顔で笑いかけてくる。こらこら、と同期に捕まえられていないと、ひとりでは立ってもいられなさそうだ。
「なんか珍しく飲んでて…」
「いや誰か止めろよ」
「すみません、いつも平気だから気づかなくて」
「そうやっていつもこいつを放置してんの、ほんと良くないぞ。ちゃんと見ててやらないと、こいつだけいつも損な…」
「こーもーりーさぁぁぁぁんーーー」
後輩を窘める俺の周りで、櫻井が管を巻いている。うるさい。
「いいや、とりあえず連れて帰る。おまえらも気をつけて帰れよ」
「え、小森さんがですか?」
「こんな役、後輩にさせられないだろ。じゃあお疲れ」
メンバーと別れ、ヘラヘラしている櫻井をタクシーに押し込む。
「櫻井、住所は?」
「あー、こもりさんだぁー」
「…住所」
「うれしいなぁー」
「…すみません、ここにお願いします」
こもりさんーーーとうるさい櫻井を無視して、俺はスマホで自宅のマップを示した。
「なんでそんなに飲んだんだよ…」
なんとかソファまで運ぶと、櫻井は倒れ込むように寝てしまった。泥酔している姿は初めて見る。いつもの隙のない笑顔からは想像できない姿だ。
自分より体格のいい相手を歩かせるのは疲れる。寝顔を見ると一気に立っていられなくなり、俺もソファに座り込んだ。
…なんでこんなことに。
うー、と櫻井が低く唸る。綺麗な眉がぎゅっと寄って、喉が数回上下した。
ネクタイが苦しいのかもしれない。結び目に指をかけると、しゅるりと衣擦れの音が響いた。その音の思わぬ大きさに息を呑む。
別に疚しいことをしているわけじゃない。苦しそうだから、喉元を緩めてやるだけだ。動揺する自分自身に言い聞かせるように、そんなことを思う。
ワイシャツのボタンをふたつ外すと、寝ている櫻井が大きく息を吐いた。やっばり苦しかったんだろう。そう思うとホッとして、自然と自分も上着を脱ぎ、ネクタイを解いた。
「……こもりさん?」
ボタンに指をかけたところで、掠れた小さな声がする。
「あ、起きた?」
「…なんで…」
瞬きを繰り返し、櫻井はぼんやりとした顔で左右を見る。身体を起こして、困惑したように顔をしかめた。
「いいよ、寝てろ」
「…ここ」
「俺んち。おまえ、住所も言えねーんだもん」
泥酔してヘラヘラしていた顔を思い出すと笑ってしまう。困惑しきった今の顔とは雲泥の差だ。
「なんで、こもりさん…?ほかの、みんなは」
「帰ったよ。いや、二次会に行ったかもしれないけど。おまえはひとりじゃ歩けなさそうだったから、俺が送ろうと思って」
送れなかったけど。説明すると、ますます眉間の皺が深まる。
「なんでそんなこと…」
「だって置いとくわけにはいかないだろ。他のやつに送らせるのもな。俺が最年長だったし」
「…そんな理由で?」
その声に咎める響きを聞いて、思わずまじまじと顔を見た。深い眉間の皺。浮かぶのは単なる困惑ではなく、もっと強い感情に見える。
「…そんな理由って?」
「自分が最年長だから、なんて理由で、僕を家に入れたりしたんですか?」
「…そうだけど」
俺の答えに、櫻井は静かに目を伏せる。噛み締めた唇が白い。
「櫻井?」
「…僕の話、聞いてくれてなかったんですか」
なんのことだ。
「好きだって言いましたよね、僕。何度も。割り切った関係でいいから、傍に置いてほしいって」
何度も、何度も。
絞り出すような声に、すっと血の引く音がした。喉が凍りついたように、応える言葉が出てこない。
なんだ。なんで、こんな話に?
「ベッドで一緒に寝てた相手を、家に上げたんですか。毎日のように自分のことを好きだって言う人間を、なんとかして傍に置いてくれっていう人間を、今度は自分から家に上げたんですか?」
段々と早く、激しくなる櫻井の口調。それに呼応するように、俺の鼓動が暴れ出す。何度喉を鳴らしても、口のなかは乾ききって声が出ない。
「酔って寝てるから大丈夫だろうって?それとも、僕があなたの意思に反してあなたにふれたりしないって、信用してくれてるから?…その信用が、僕にとってどれだけ苦しいものなのかは、考えてくれないんですか」
「…さくらい」
「会社だから、仕事中だから。それがどれだけ僕にとって大事なリミッターなのか、小森さんは知らない。それでもどうしても苦しくて、あなたが誰かに笑顔を向けてるだけでやってられなくて、…だから。なのにあなた自身が、それを揺さぶってくるんですか。僕を受け入れるつもりはないのに、僕がどうしてもほしいものを目の前に、ノーガードで見せつけてくる。なんでそんなことするんですか」
「なんで、って…」
ほっとけなかったから。他の人間にはさせられなかったから。そんな言葉はどれも、喉元でつかえて出てこない。
それがなんの理由にもならないことを、既に俺自身が痛いほどわかっている。
「…ごめん。気が、回らなくて」
それしか言えない。言うべきことかもわからないまま。
櫻井は唇を噛んできつく目を閉じる。両手で乱暴に髪をかき回して、そのまま顔を覆って膝に突っ伏した。
「…もうやだ、おれ。小森さんのまえじゃ全然だめ」
苦渋に満ちた声が小さく聞こえる。くぐもったその声が嗚咽に似ていることに気づいてしまう。
「あのときもそうだったんだ。勝手に追いかけていったおれに、小森さんは笑って…ごめんな、時間使わせて、って。いつもいつも、おまえばっかり損な役してるよなぁ、って」
なんのことだ。
櫻井の声は小さくて独り言のようだ。それでも耳を澄まさずにはいられない。
「いつもひとりで頑張らせてごめんな、って。笑ってるから平気ってわけじゃないのに、甘えられてばっかりだと、いつの間にかそれが当たり前になっちゃうよな。…おまえが頑張ってること、顔だけじゃなくて努力だって一番だってこと、ちゃんと知っててもらいたいよな、って」
ぽろぽろと、櫻井の言葉が床に散らばるような気がする。拾うこともできず、俺はただこぼれて散らばっていくその様子を見ているしかない。
「もっとちゃんと自分を大事にしなきゃダメだ。こんなふうに、めんどうなことを自分から受け取ってばっかりじゃダメだって。おまえが知らない間に、おまえの心はどんどんしんどくなるよ。ちゃんと誰かに見てもらって、ちゃんと誰かに受け入れてもらわないと、って」
ゆっくりと、櫻井が顔をあげる。眉を寄せて、唇を震わせて、苦しそうな、泣き出しそうな顔。
「あなたが言ったんだ。俺が一番受け入れてほしかったあなたが、そんなこと思ってもいない笑顔で。ズルいよ、俺はずっと見てたのに。あなたは俺なんかよりずっとずっと周りを見て、いつも誰かのために黙って動いてる。俺がやってることだって、いつもあなただけが気づいて、黙って一緒にやってくれる。だから俺は大丈夫だったのに、そんな俺の気持ちなんて、あなたは全然気づいてない。俺が受け入れてほしいのはあなただけなのに。俺が見ててほしいのはあなただけなのに!」
櫻井、と呼ぶ自分の声が遠く聞こえる。呼んでどうするのかもわからないまま、ただすがるように名前を呼ぶ。櫻井。櫻井。その度に、苦しそうに長い睫毛が震える。
「好きになってくれなくていい。ただ傍にいさせてほしい。俺の心を救ってくれるあなたのためにできることなら、そのための形ならなんでもいい。だから」
「…そんな、こと」
「あのときも、小森さんは好きだって言った俺に困り果てて、ごめんなって言った。…なにかあったなんて嘘です。あなたはそんなふうに、俺にふれさせたりしない。あなたが寝てしまった後、顔を見てるだけなら許してもらえるかなって、勝手に潜り込んだだけ。…すみませんでした」
「…え…?え?」
突然の告白に状況が理解できない。櫻井はふらりと立ち上がると、ゆらゆらと歩き出した。
「櫻井?どこに」
「帰ります」
「いや危ないってそんな状態じゃ。住所言えるなら、せめてタクシーに同乗して送る」
「だからやめてください、そんなこと。ほんとに何するかわかりませんよ」
伸ばした俺の手は乱暴に払いのけられた。声を失う俺を、櫻井は黙って見ている。
まるで自分の手が払いのけられたように。今にも泣き出しそうな顔で。
「ご迷惑おかけしました。…失礼します」
静かにドアが閉まるのを、ただ黙って見ているしかできない。
(続く)
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