山火事は人災か?──スギの植林と“燃える森”
序章|なぜ山は燃えるのか?
ニュースで山火事の映像を見たとき、私たちはどこかで思っている──
「自然の力は怖いな」と。
だが、そこで一度立ち止まって問い直す必要がある。
その“自然”は、本当に自然なのか?
林野庁の調査によれば、日本で発生する山火事(林野火災)の多くは、たき火・火入れ・放火・タバコといった人為的な火種によるものだ。
その件数は年間1,000件以上。決して少なくはない。
だが、もう一つ問わねばならない。
なぜ、火がここまで広がってしまうのか?
それは、火種の問題ではなく、“燃えやすさ”そのものの問題である。
第1章|スギ林は、なぜ燃える?
山火事の被害が拡大する要因には、明確な特徴がある。
それは、日本全国に拡がった「スギ林」という人工環境だ。
スギには次のような性質がある:
• 油分が多く、揮発性が高い(乾燥時に発火しやすい)
• 木が密集しており、風が通らず湿度が低くなる
• 落ち葉・枯れ枝が積もりやすく、火が地面から広がる
そもそも生木(=水分を含んだ生きた樹木)は、通常は燃えにくい。
にもかかわらず、スギ林は「燃える」。
それは、「手入れされない人工林」が、自然林とはまったく異なる環境を作り出しているからだ。
つまり、燃えやすい森を“人が作った”のだ。
第2章|戦後植林政策という構造
この燃える森は、自然発生したものではない。
その起源は、戦後の拡大造林政策にある。
• 戦後の復興期、木材需要が急増
• 経済性の高いスギやヒノキが全国的に植林される
• 本来の多様な雑木林は伐採され、単一種・人工的・効率主義的な林業モデルが採用された
しかし、高度経済成長とともに木材輸入が自由化され、
国産材は価格競争に敗れ、誰も“山に入らなくなった”。
結果、間伐されず、管理されないまま放置されたスギ林が山を覆い、
そのまま**“燃えやすい構造物”として野放しにされている**のが現在の実態だ。
これは、「林業政策の失敗」とも言えるし、
もっと厳密に言えば、「自然環境を産業化し、放棄した結果」とも言える。
第3章|倫理なき森林政策──“緑化”という欺瞞
さらに問題なのは、この状態が「緑」として讃えられてきたことだ。
「森が豊か」「自然が豊か」というイメージは、スギの山にも当てはまるかのように見える。
だが実態はどうか?
• 生態系の多様性は失われ、動植物の種も減少
• 花粉症などの健康被害の温床に
• 山の保水力が落ち、土砂崩れや干ばつのリスクが増加
つまり、緑はあっても、命の循環がない。
そこにあるのは、管理放棄された“構造としての災害”である。
そしてこの構造を見えにくくしているのが、「緑は良いものだ」という道徳的な前提。
倫理の錯覚が、現実の破綻を覆い隠している。
結|“火種”は外から、“燃える構造”は内にある
山火事の出発点は、たしかに人間の不注意や過失だ。
だが、それだけではすぐに山全体は燃え上がらない。
本当の問題は、“燃えやすくしてしまった社会構造”である。
火種は外にあっても、燃料は内にある。
山は燃えている。
だが、燃えているのは木だけではない。
無策の政策、放置された倫理、そして私たちの想像力の不在もまた、静かに炎を上げている。
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