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投資で大切なのは出口戦略より設計戦略である

副題:S&P500かオルカンかより、生活が破綻しない仕組みを考える

序章|投資は、最終金額だけで考えると危うい


投資を考えるとき、私たちはよく出口から考える。

老後までに3000万円を作る。
5000万円を作る。
1億円を目指す。
FIREするにはいくら必要か。
年金と合わせて、どれくらいあれば安心なのか。

もちろん、目標金額を考えることには意味がある。

目的地がなければ、現在地からどちらへ進めばいいのか分かりにくい。

しかし、投資を出口の金額だけで考えると、かなり危うい。

なぜなら、投資はゴール地点だけを見ていればよいものではないからである。

その途中には、暴落がある。

失職がある。

病気がある。

家族の急な出費がある。

インフレがある。

円安がある。

収入低下がある。

そして、精神的に耐えられなくなる局面もある。

どれだけ立派な出口戦略を描いていても、途中で生活が壊れ、市場から降りざるを得なくなれば、その戦略はそこで終わる。

だから本当に重要なのは、最終的にいくら作るかだけではない。

どの設計なら、途中で生活が破綻しないかである。

この記事では、それを設計戦略と呼ぶことにする。

ここでいう設計戦略とは、最終的にいくら作るかではなく、そこに至るまで生活が破綻せず、市場から退場しない仕組みを作ることである。

前の記事では、オルカンかS&P500かという問いを、商品の優劣ではなく、人生の局面で変わる問題として考えた。

関連記事
『オルカンかS&P500か──答えは商品ではなく、人生の局面で変わる』

資産形成期ならS&P500に厚く乗る考え方がある。

資産保全期ならオルカンのような世界分散が意味を持つ。

さらに資産が大きくなれば、金、債券、現金、外貨のような守りの資産も重要になる。

だが、この記事ではさらに一段深く考えたい。

投資で大切なのは、何を買うかだけではない。

どんな生活構造の中で買うのかである。

出口戦略とは、最後にいくら持っていたいかを考えることである。

設計戦略とは、そこに至るまで退場しない仕組みを作ることである。

投資で最も危ないのは、目標金額に届かないことではない。

目標に向かう途中で、生活が壊れて市場から降りざるを得なくなることである。


第1章|S&P500かオルカンかは、問いの一部でしかない


S&P500かオルカンか。

この問いは、投資を始める人にとって身近である。

米国株式に集中するべきか。

全世界株式に分散するべきか。

S&P500は、米国の大型企業に厚く乗る商品である。

長期的に米国経済や米国企業の成長を信じるなら、魅力的な選択肢になる。

一方、オルカンは世界全体に分散する商品である。

どの国が将来勝つのか分からないから、世界全体に乗るという考え方である。

どちらが正しいか。

この問いに、単純な答えはない。

なぜなら、同じ商品でも、買う人の状態によって意味が変わるからである。

20歳のS&P500と、60歳のS&P500は同じではない。

20歳のS&P500は、労働時間と入金力を背景にした攻めの資産になりやすい。

仮に暴落しても、働きながら買い続け、回復を待つ時間がある。

だが、60歳のS&P500は意味が違う。

退職直前に大きく下落すれば、生活費として取り崩す時期と暴落が重なる可能性がある。

同じ商品でも、若い頃は攻めになり、退職前には危険になり得る。

つまり、問題はS&P500かオルカンかだけではない。

その人に、どれだけの時間が残っているのか。

どれだけの資産があるのか。

毎月いくら入金できるのか。

生活防衛資金はあるのか。

健康に働き続けられるのか。

家族への責任はどれくらいあるのか。

失ったときに戻ってこられるのか。

これらによって、同じ投資商品の意味はまったく変わる。

投資の正解は、商品名だけでは決まらない。

その商品を持ち続けられる生活構造があるかどうかで決まる。


第2章|年齢は、回復に使える残り時間である


投資において、年齢とは何だろうか。

それは単なる数字ではない。

年齢とは、回復に使える残り時間である。

20歳の人が暴落に遭うのと、60歳の人が暴落に遭うのでは意味が違う。

20歳なら、まだ働ける時間が長い。

毎月の給与から積み立てを続けることができる。

暴落時には、むしろ安く買える可能性もある。

時間を味方につけやすい。

だが、60歳ではそうはいかない。

退職が近づき、入金力は落ちていく。

これから働いて損失を埋める時間も限られる。

資産を取り崩す時期が近ければ、暴落を待つ余裕も小さくなる。

だから、若い頃と同じ感覚でリスクを取ることは危うい。

たとえば、20歳から40歳まではS&P500を中心に買う。

40歳から50歳までは、オルカンのような世界分散を増やしていく。

50歳から65歳までは、債券、現金、金、外貨などを組み合わせ、退職直前の暴落に備える。

この考え方は、かなり堅実である。

若い時期は、入金力と時間をリスクヘッジとして成長資産に乗る。

中年期は、米国集中を少しずつ緩め、世界分散へ移す。

退職前は、株式だけに依存せず、守りの資産を増やす。

これは、単に商品を変える話ではない。

人生の残り時間に合わせて、資産の役割を変えていく話である。

若い頃の投資は、増やすための投資である。

中年期の投資は、偏りを減らすための投資である。

退職前の投資は、失敗しないための投資である。

ただし、ここで重要なのは、新しく買う商品を変えるだけでは足りないということだ。

20歳から40歳までS&P500を買い続けていれば、40歳時点で資産の多くは米国株に偏っている可能性がある。

そこからオルカンを買い始めても、過去に積み上がったS&P500の比率が大きければ、資産全体のリスクは高いままかもしれない。

だから本当に大事なのは、年齢ごとの購入先だけではない。

その時点の資産全体が、どんな比率になっているかである。

投資とは、年齢とともに商品を変えることではない。

年齢とともに、リスクの置き場所を変えていくことである。


第3章|資産額は、損失を吸収する余白である


年齢だけでも、投資方針は決まらない。

もう一つ重要なのは、資産額である。

同じ100万円でも、その重みは人によってまったく違う。

大富豪にとっての100万円は、生活にほとんど影響しない余剰資金かもしれない。

だが、低所得者にとっての100万円は、失職、病気、家族の急な出費に備えるための命綱かもしれない。

つまり、投資におけるリスクは、金額そのものでは測れない。

その金額を失ったとき、生活構造が壊れるかどうかで決まる。

100万円を失っても生活が変わらない人にとって、100万円の投資は挑戦である。

しかし、100万円を失えば家賃、医療費、生活費、将来の選択肢が崩れる人にとって、それは挑戦ではなく、生活基盤を賭ける行為になる。

だから、リスク許容度は性格だけでは決まらない。

勇敢だからリスクを取れるのではない。

臆病だからリスクを取れないのでもない。

リスクを取れる人には、失っても立て直せる余白がある。

リスクを取れない人には、失えば戻れない現実がある。

投資で重要なのは、何を買うかだけではない。

自分にとって、その金額が余剰資金なのか、生活防衛資金なのかを見極めることである。

大富豪の100万円と、低所得者の100万円は、同じ金額であっても、同じリスクではない。

ここを見誤ると、投資は危険になる。

他人が100万円をリスク資産に入れているからといって、自分も同じことをしてよいとは限らない。

他人にとっての余剰資金が、自分にとっての命綱であることもある。

投資のリスクとは、値動きの大きさだけではない。

その値動きによって、自分の生活がどこまで壊れるかである。


第4章|入金力は、損失から戻る速度である


資産額だけでも、投資方針は決まらない。

もう一つ重要なのは、入金力である。

資産はほとんどない。

だが、収入が高く、支出を見直せば毎月大きな金額を投資に回せる人がいる。

たとえば、これまで浪費家だった高年収の人が投資を始める場合である。

この人は、現在の資産額だけを見れば、資産形成の初期段階にいる。

だが、構造は単なる低資産層とは違う。

なぜなら、生活を整えれば、毎月の入金力によって損失を回復できる可能性が高いからである。

同じ貯金ゼロでも、毎月1万円しか投資できない人と、浪費をやめれば毎月20万円を投資できる人では、取れるリスクの意味がまったく違う。

前者にとっての10万円の損失は重い。

取り戻すのに長い時間がかかる。

だが後者にとっての10万円の損失は、数週間から数カ月で回復できる範囲かもしれない。

つまり、リスク許容度は現在の資産額だけでは決まらない。

将来の入金力によっても決まる。

資産が多い人は、すでに積み上がった余白でリスクを吸収する。

入金力が高い人は、未来の収入でリスクを吸収する。

どちらも、失ったときに戻ってこられる力である。

ただし、ここには注意もある。

高年収でも、固定費が高すぎる人は危ない。

家賃、車、保険、交際費、ローン、家族の生活費が膨らみすぎていれば、見た目の年収ほど入金力は残らない。

本当に見るべきなのは、年収ではない。

可処分所得でもない。

投資に回しても生活が壊れない、継続可能な余剰資金である。

高年収の浪費家が投資を始めるとき、最初にやるべきことは、銘柄選びではない。

生活の固定費を下げ、入金力を投資へ向け直すことである。

浪費とは、未来の資産を現在の快楽に変える行為である。

投資とは、現在の余剰を未来の選択肢に変える行為である。

だから、高年収の浪費家が投資家になるということは、単に証券口座を作ることではない。

お金の流れる方向を、現在消費から未来資産へ変えることである。

資産がないことと、資産を作れないことは違う。

入金力がある人は、まだ使っていない未来の資産を持っている。


第5章|健康と知識は、将来の入金力を作る


ここまで考えると、金融商品への投資より先に考えるべき投資が見えてくる。

それは、自分の身体と知識への投資である。

若い時期に重要なのは、S&P500を買うことだけではない。

健康を維持すること。

働き続けられる身体を作ること。

知識を増やすこと。

技能を磨くこと。

収入を上げること。

固定費を下げること。

これらは、すべて将来の入金力を高める。

そして入金力は、投資における最大の武器である。

毎月1万円しか入金できない人と、毎月20万円を入金できる人では、同じ利回りでも到達点がまったく違う。

さらに、入金力が高い人は、多少の損失からも戻ってこられる可能性が高い。

つまり、健康と知識への投資は、将来の収入を高めるだけではない。

損失から回復する力も高める。

身体を壊せば、入金力は落ちる。

知識が古くなれば、労働単価は上がりにくくなる。

技能が増えなければ、選べる仕事も増えない。

だから、若い時期の最優先投資は、金融資産だけではない。

自分自身の稼ぐ力を太くし、その継続性を担保することである。

株式は、元本があって初めて意味を持つ。

元本は、入金力から生まれる。

入金力は、身体、知識、技能、信用から生まれる。

だとすれば、最初に磨くべき資産は、自分自身である。

金融投資とは、余剰資金を未来へ送る行為である。

自己投資とは、未来の余剰資金そのものを大きくする行為である。

健康は、入金力の継続性である。

知識は、入金力の倍率である。

技能は、労働単価である。

信用は、機会へのアクセスである。

金融資産は、その上で初めて機能する器である。


第6章|少額のリスク資産は、必ずしもギャンブルではない


リスク資産にも、置き方がある。

たとえば、数万円だけ仮想通貨を買うことは、それだけで直ちにギャンブルとは言い切れない。

もちろん、仮想通貨は価格変動が大きい。

株式や債券とは違うリスクもある。

取引所、規制、流動性、詐欺、ハッキング、値動きの激しさなど、注意すべき点は多い。

だが、数万円であれば、失ったとしても、数カ月の節約、残業、副業、賞与、生活改善によって取り戻せる可能性がある。

つまり、その損失は人生を壊す損失ではなく、回復可能な損失に収まりやすい。

もちろん、誰にとっても同じではない。

数万円でも重い人はいる。

生活費を削らなければ出せない数万円なら、それは軽い金ではない。

だが、余剰資金の中から、失っても生活が壊れない範囲で持つなら、それは一種の実験枠とも言える。

問題は、何を買うかだけではない。

どれだけ買うかである。

生活防衛資金を削って買う仮想通貨は、投資ではなく賭けに近づく。

借金して買う仮想通貨は、さらに危険である。

だが、余剰資金の中から数万円だけ買い、値動きや技術や市場の空気を学ぶために持つなら、それはギャンブルとは少し違う。

リスクを取ること自体が悪いのではない。

リスクの大きさを、自分の生活構造に合わせられていないことが危ないのである。

危ない資産を一切持たないことが正解なのではない。

危ない資産を、危ない比率で持たないことが重要なのである。


第7章|危ないのは商品ではなく、戻れない金額を賭けることである

では、投資とギャンブルを分けるものは何か。

それは、商品名ではなく、損失から戻ってこられるかどうかである。

数万円の仮想通貨がギャンブルになりにくい理由は、単に少額だからではない。

失っても、労働や節約や時間によって取り戻せる可能性が高いからである。

つまり、ここでもリスクを吸収しているのは商品ではなく、回復力である。

投資のリスクは、値下がりするかどうかだけではない。

値下がりしたあと、自分が戻ってこられるかどうかで決まる。

数万円なら、失っても数カ月の節約や残業、副業、賞与、生活改善で取り戻せる可能性がある。

しかし、数百万円ならそうはいかない。

年収や生活費によっては、数年分の努力が必要になる。

その間に、病気、失職、家族の出費が重なれば、生活設計そのものが崩れるかもしれない。

つまり、リスクの大きさは、損失額と回復力の関係で決まる。

ここでいう回復力とは、収入、貯金、労働できる時間、健康、固定費の低さ、家族構成、再挑戦できる環境などである。

同じ10万円でも、毎月30万円を余らせられる人にとっては軽いかもしれない。

だが、毎月1万円しか余らない人にとっては、10カ月分の余白である。

同じ100万円でも、数カ月で回復できる人と、何年もかかる人では、リスクの重みが違う。

だから、ギャンブルとは、危ない商品を買うことではない。

戻ってこられない金額を賭けることである。

S&P500でも、生活防衛資金まで突っ込めば危険な賭けになる。

オルカンでも、借金して買えば危険である。

債券でも、仕組みを理解せず、必要な時期に大きく値下がりすれば危ない。

仮想通貨でも、資産のごく一部であれば実験枠になることがある。

商品名だけで、安全か危険かは決まらない。

賭け方で決まる。

戻ってこられる範囲に収められているか。

失っても生活が壊れないか。

損失から立ち直る回復力があるか。

そこが投資とギャンブルの分かれ目になる。


第8章|出口戦略より、設計戦略


ここまで考えると、投資で本当に大切なものが見えてくる。

それは、出口戦略より設計戦略である。

出口戦略とは、最後にいくら持っていたいかを考えることである。

設計戦略とは、そこに至るまで退場しない仕組みを作ることである。

老後に3000万円必要だ。

5000万円ほしい。

1億円を目指したい。

そう考えることは悪くない。

だが、その金額に向かう途中で生活が壊れれば意味がない。

暴落したときに売らずに済むか。

病気になったときに生活費を確保できるか。

失職したときに投資資産を取り崩さずに済むか。

家族の出費が来ても耐えられるか。

老後直前に暴落しても生活設計が崩れないか。

この方が、単純な目標金額より現実に近い。

投資で重要なのは、最高到達点ではない。

途中で折れない構造である。

年齢は、回復に使える残り時間である。

資産額は、損失を吸収する余白である。

入金力は、損失を取り戻す速度である。

健康と知識は、入金力の土台である。

生活防衛資金は、市場から退場しないための壁である。

商品選択は、その上に乗る手段である。

この順番を間違えてはいけない。

投資商品を選ぶ前に、生活構造を見る必要がある。

S&P500を買うべきか。

オルカンを買うべきか。

金や債券を持つべきか。

仮想通貨を少しだけ持つべきか。

それらはすべて、生活が破綻しない設計の上で初めて意味を持つ。

生活防衛資金がないままリスク資産を買うことは、土台のない家に屋根を乗せるようなものである。

入金力がないまま大きなリスクを取ることは、戻る橋を壊して海に飛び込むようなものである。

健康を壊してまで投資に金を回すことは、元本を作る機械を壊すようなものである。

だから、投資の設計は、利回りから始めるべきではない。

生活が壊れないラインから始めるべきである。


終章|投資とは、市場に居続けられる生活構造を作ること


投資とは、勝つ商品を当てることではない。

生活が破綻しない構造の中で、市場に居続けることである。

S&P500かオルカンか。

金か債券か。

外貨か円か。

仮想通貨を持つか持たないか。

もちろん、それらは重要である。

だが、それらはすべて手段である。

本当に重要なのは、途中で退場しないことだ。

投資で最も危ないのは、リスク商品を買うことそのものではない。

自分の回復力を超えた損失を抱えることである。

戻ってこられない金額を賭けることである。

生活防衛資金まで市場に晒すことである。

健康や知識への投資を削り、将来の入金力を細らせることである。

投資は、人生の一部であって、人生そのものではない。

金融資産を増やすことは大切である。

だが、金融資産を増やすために、健康、仕事、家族、生活の安定、学ぶ力を壊してしまえば、本末転倒である。

投資の目的は、未来の選択肢を増やすことである。

そのためには、資産額だけでなく、生活の継続性を守らなければならない。

出口戦略は、未来の数字を描く。

設計戦略は、その未来まで生き残る構造を作る。

そして、多くの場合、投資で本当に大切なのは後者である。

最終的にいくら作るかよりも、どの設計なら破綻しないか。

どの金額なら失っても戻ってこられるか。

どの比率なら暴落しても眠れるか。

どの生活なら入金し続けられるか。

どの働き方なら健康を保てるか。

どの学びなら将来の入金力を高められるか。

それらを考えることこそ、投資の本体である。

投資とは、資産額を最大化するゲームではない。

少なくとも人生においては、破綻確率を下げながら、未来の選択肢を増やしていく設計である。


最終命題


投資とは、勝つ商品を当てることではない。

生活が破綻しない構造の中で、市場に居続けることである。


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投資で重要なのは、最終金額を夢見ることではなく、生活が破綻しない仕組みを作ることである。

この考え方は、身体にもそのまま当てはまる。

体重を落とすこともまた、根性ではなく、食事・知識・記録・習慣の設計で決まる。

カロリーの赤字が身体を変えるように、家計の黒字が資産を作る。

その意味で、ダイエットと資産形成は、どちらも生活構造を再設計する行為である。

『経済的自由は、iCloud代から始まる』
経済的自由とは、資産額そのものではない。
生活の負担と投資の危険を、一つの収入源や一つの資産へ集中させない配置である。

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