古いインターネット規格は、なぜ消えないのか
副題:IPv4、IPv6、NAT、デュアルスタックから考えるネットワークの地層
はじめに|IPv6があるのに、なぜIPv4は終わらないのか
IPv6は、IPv4の後継として作られた。
IPv4では不足するIPアドレスを大幅に増やし、これからのインターネットを支えるための規格である。
それなら、IPv4はすでに役割を終えていてもよさそうに見える。
しかし、現在もIPv4は使われている。
家庭のルーターにも、企業のネットワークにも、ウェブサービスにも、監視カメラや工場設備にも、IPv4は残っている。
私たちは普段、自分がIPv4とIPv6のどちらを使っているかをほとんど意識しない。
画面に表示されるのは、
「Wi-Fi」
「4G」
「5G」
といった接続方式であり、その内側で使われるIPの種類までは見えないからだ。
だが、インターネットの内部では、古い規格と新しい規格が複雑に重なっている。
IPv4だけで動く機器。
IPv6に対応した機器。
両方を使える機器。
IPv6の通信をIPv4へ翻訳する装置。
一つのIPv4アドレスを、大勢で共有する仕組み。
インターネットは、IPv4からIPv6へ一斉に引っ越したわけではない。
古い街を使い続けながら、その隣に新しい街を造り、二つの街を橋や翻訳者でつないでいる。
この記事では、IPv4とIPv6の関係から、
なぜ新しい規格が登場しても、古い規格は簡単に消えないのか
を考えていく。
第1章|IPアドレスは、インターネット上の住所である
インターネット上でデータを届けるには、送り先を示す必要がある。
手紙に住所が必要であるように、ネットワーク上の機器にも宛先が必要になる。
その役割を担うのが、IPアドレスである。
たとえば、スマートフォンでウェブサイトを開くとき、私たちは通常、数字のIPアドレスを直接入力しない。
サイト名を入力すると、DNSという仕組みが、その名前に対応するIPアドレスを調べる。
そして、データはそのIPアドレスを宛先として運ばれる。
ただし、IPアドレスは人間の住所と完全に同じではない。
一人に一つ固定されているとは限らない。
接続するたびに変わることもある。
一台の機器が複数のIPアドレスを持つこともある。
反対に、複数の機器が一つのグローバルIPアドレスを共有することもある。
IPアドレスとは、個人の身分証明書ではない。
あくまでも、
その時点で、ネットワークのどこへデータを届ければよいか
を示すための識別子である。
そして、この住所の書き方には世代がある。
現在、主に使われているのがIPv4とIPv6である。
第2章|IPv4の住所は、最初から有限だった
IPv4は、1981年に公開されたRFC 791によって規定されたインターネットプロトコルである。
IPv4アドレスは32ビットで表現される。理論上の組み合わせは2の32乗、約42億9千万通りとなる。ただし、特殊な用途や予約領域があるため、そのすべてを一般の機器へ割り当てられるわけではない。
初期のインターネットにとって、約43億という数字は十分に大きく見えた。
当時は、世界中の人が一人で何台もの通信機器を持つ時代ではなかった。
しかし、その後インターネットが普及した。
パソコンだけでなく、
* スマートフォン
* タブレット
* テレビ
* ゲーム機
* サーバー
* 監視カメラ
* 家電
* 自動車
* 工場設備
まで、さまざまなものがネットワークへ接続されるようになった。
住所を必要とする機器が、急激に増えたのである。
2011年2月3日、IANAが管理していた中央の未割り当てIPv4アドレスプールは、最後の大きなブロックを地域インターネットレジストリへ割り当てたことで枯渇した。
これは、その日からIPv4通信ができなくなったという意味ではない。新しく配れる大規模な未使用領域が、中央在庫からなくなったという意味である。
本来なら、住所が不足すれば、より広い住所体系へ移る必要がある。
そこで作られたのがIPv6だった。
しかし、IPv4は消えなかった。
その理由の一つが、IPv4を長く使い続けるための延命技術が発達したことにある。
第3章|NATは、IPv4を延命した
家庭にあるWi-Fiルーターへ、複数の機器が接続されているとする。
スマートフォン。
パソコン。
テレビ。
ゲーム機。
これらの機器が、それぞれ一つずつ世界で通用するIPv4アドレスを必要とするなら、住所はすぐに足りなくなる。
そこで家庭や会社の内部では、外部のインターネットで直接使わない「プライベートIPアドレス」が利用される。
同じプライベートIPアドレスは、別の家庭や会社でも繰り返し使える。
たとえば、ある家のパソコンが「192.168.1.10」であっても、別の家にも同じ番号の機器が存在できる。
それぞれが別の閉じたネットワーク内にいるため、直接衝突しない。
プライベートネットワーク用のIPv4アドレス領域はRFC 1918で定められ、IPv4アドレス資源の寿命を延ばす役割も担ってきた。
ただし、そのままではプライベートIPアドレスからインターネットへ出られない。
そこでルーターが、内部のアドレスを外部で使えるアドレスへ変換する。
これがNATである。
より正確には、家庭用ルーターではIPアドレスだけでなく、通信に使うポート番号も組み合わせることで、複数の機器の通信を一つのグローバルIPv4アドレスへまとめる方式が広く使われている。
NATは、内部の複数アドレスと外部のアドレスとの対応関係を管理し、多数の内部通信を少数の外部アドレスへ集約できる。NATは当初から、IPv4アドレス枯渇に対する短期的な対策の一つとして提案されていた。
これは、ホテルに似ている。
ホテル全体の住所は一つしかない。
しかし、内部には多数の客室がある。
外部から荷物が届くと、ホテルの受付が部屋番号を確認して、それぞれの宿泊客へ渡す。
インターネットから見えるのは、ホテルの住所に相当するグローバルIPv4アドレスである。
家庭内の各機器は、客室番号に相当するプライベートIPアドレスとポート番号で区別される。
つまりNATは、
一つの住所を、多数の機器で共有する仕組み
なのである。
第4章|通信会社の内部でも、IPv4は共有される
家庭内のNATだけでは、IPv4アドレスの不足を完全には解決できない。
家庭ごとに一つのグローバルIPv4アドレスを割り当てるだけでも、多数のアドレスが必要になるからだ。
そこで通信事業者側でも、一つのグローバルIPv4アドレスを複数の契約者で共有することがある。
これがCGN、Carrier-Grade NATである。
家庭内のルーターで一度変換し、さらに通信事業者の設備でも変換する。
利用者から見ると、二重に受付を通ってインターネットへ出ていくような構造になる。
CGN向けには、通信事業者の内部で使用する共有アドレス空間として、100.64.0.0/10が予約されている。CGNでは、複数の加入者が一つの公開IPv4アドレスを共有できる。
これによって、IPv4はさらに延命された。
しかし、共有には代償もある。
外部から家庭内の機器へ直接接続しにくくなる。
オンラインゲームや一部の通信方式で問題が起きることがある。
自宅にサーバーを置くことが難しくなる。
同じ公開IPアドレスを複数人で共有するため、通信記録を確認する際には、IPアドレスだけでなくポート番号や時刻も必要になる。
一つの住所に大勢が住むほど、住所だけでは個人を特定できなくなるのと同じである。
つまりNATは、IPv4の不足を解決したのではない。
限られたIPv4アドレスを細かく共有し、足りない状態のまま使い続けられるようにした
のである。
この成功が、IPv4からIPv6への移行を支えた。
同時に、急いでIPv6へ移らなくてもよい状況も作った。
IPv4が長く残ったのは、IPv6が役に立たなかったからではない。
IPv4を延命する技術が、あまりにも実用的だったからでもある。
第5章|IPv6は、IPv4の高速版ではない
IPv6という名前を見ると、IPv4を単純に高性能化したもののように感じる。
しかし、中心的な違いは通信速度ではない。
IPv4アドレスが32ビットなのに対し、IPv6アドレスは128ビットで表現される。
理論上の組み合わせは2の128乗、約3.4×10の38乗通りである。現実には用途や割り当て構造があるため、すべてを一台ずつへ単純に配るわけではないが、IPv4とは比較にならないほど大きな空間を持つ。
IPv4が約43億の部屋を持つ建物だとすれば、IPv6は部屋を増築した程度ではない。
都市の数そのものを、ほとんど数え切れない規模まで増やしたようなものである。
だが、IPv6は住所の桁数だけを増やしたものでもない。
IPv6はIPv4とは異なるパケット形式や処理規則を持つ、別のインターネットプロトコルとして定義されている。
そのため、
IPv6に変えれば、自動的に通信速度が何倍にもなる
というものではない。
実際の速度は、
* 通信経路
* 回線の混雑
* 接続先サーバー
* ルーターの性能
* 通信事業者の設備
* 変換処理の有無
などによって決まる。
IPv6の方が速くなる場合もある。
IPv4の方が速くなる場合もある。
IPv6の本質は、速度競争ではない。
IPv4では足りなくなった住所空間を拡大し、今後もネットワークを成長させられる基盤を作ること
にある。
第6章|なぜ全世界で一斉に切り替えられないのか
IPv6の住所が十分にあるのなら、ある日を境にIPv4を停止し、すべてIPv6へ切り替えればよいように思える。
しかし、インターネットには全体を一括管理する中央の電源スイッチがない。
インターネットは、多数の独立したネットワークが接続された集合体である。
通信会社。
企業。
大学。
行政機関。
家庭。
データセンター。
海外の通信網。
それぞれが別の設備を持ち、別の時期に更新する。
IPv6で通信するには、自分の端末だけが対応していればよいわけではない。
家庭のルーター。
通信事業者。
途中のネットワーク。
接続先のサーバー。
DNS。
監視装置。
ファイアウォール。
業務アプリケーション。
これらがIPv6を適切に扱えなければならない。
古い設備の中には、IPv4しか理解できないものもある。
更新できても、交換費用が大きい場合がある。
現在問題なく動いている業務システムを変更すれば、思わぬ障害が発生する可能性もある。
これは、街中の住所を一晩で変更することに似ている。
新しい住所体系を作るだけならできる。
しかし、住民票、地図、郵便、宅配、カーナビ、看板、契約書、顧客名簿をすべて同時に変更することは難しい。
しかも、その間も荷物を運び続けなければならない。
インターネットは、通信を止めて改装できない。
世界中の人が使い続けている状態で、内部の仕組みを入れ替える必要がある。
第7章|デュアルスタック――二つの言語を同時に話す
IPv4からIPv6へ一斉に移れないなら、移行期間には両方を使う必要がある。
その代表的な方法が、デュアルスタックである。
デュアルスタックに対応した端末やルーターは、
* IPv4
* IPv6
の両方を扱える。
相手がIPv6に対応していればIPv6を使う。
相手がIPv4にしか対応していなければIPv4を使う。
これは、二つの言語を話せる人に似ている。
相手に合わせて言語を選ぶため、新旧どちらの世界とも会話できる。
IPv6への基本的な移行方式として、IPv4とIPv6の両方を実装するデュアルスタックはRFC 4213で定義されている。近年のIPv6展開状況をまとめたRFC 9386でも、デュアルスタックは主要な共存方式として扱われている。
ただし、デュアルスタックにも負担がある。
IPv4とIPv6の二つの設定が必要になる。
二つの経路を管理しなければならない。
ファイアウォールや監視も、両方に対応する必要がある。
IPv4側では安全でも、IPv6側の設定が不十分なら、別の経路から問題が起きる可能性がある。
つまりデュアルスタックは、移行を簡単にする一方で、
古いネットワークと新しいネットワークを、同時に運営する
仕組みでもある。
新しい道路を造ったあとも、古い道路の補修を続けなければならない。
移行期が長引くほど、二重管理も長く続く。
第8章|二つの世界の間には、翻訳者がいる
すべての端末やネットワークが、IPv4とIPv6の両方を持てるとは限らない。
IPv6だけで動く端末が、IPv4にしか対応していないサーバーへ接続したい場合もある。
しかし、IPv4とIPv6は、そのままでは同じ形式の住所を使っていない。
そこで必要になるのが、二つの通信を変換する仕組みである。
代表的なものがNAT64とDNS64である。
DNS64は、IPv4しか持たない接続先に対して、IPv6側から利用できるように見せるためのDNS情報を生成する。
NAT64は、IPv6の通信とIPv4の通信を途中で変換する。
これによって、IPv6しか持たない端末から、IPv4のサーバーへアクセスできる。
これは通訳に似ている。
IPv6だけを話す利用者が、IPv4しか話せない店へ注文する。
途中の通訳が言葉を変換し、返ってきた回答をもう一度翻訳する。
利用者と店は、相手の言語を直接理解していない。
それでも、通訳がいることで通信が成立する。
さらに、464XLATという仕組みでは、端末側と通信事業者側の変換を組み合わせ、IPv6を中心としたネットワーク上でも、IPv4を必要とするアプリケーションやサービスへ接続できる。
この構造は興味深い。
表面上はIPv4を使っているように見えても、その下の通信網はIPv6で動いていることがある。
反対に、IPv6で通信しているように見えても、途中でIPv4へ変換されていることがある。
つまり、現在のインターネットでは、
古い規格と新しい規格が、単純に隣り合っているだけではない
のである。
古い通信が新しい網の中を通る。
新しい通信が古い網を経由する。
途中で包まれ、変換され、別の形式として運ばれる。
インターネットの内部には、目に見えない翻訳が存在している。
第9章|IPv4は、古いから価値がないわけではない
IPv6の方が新しい。
住所空間も広い。
それでもIPv4には、現在も価値がある。
なぜなら、IPv4で作られた世界が巨大だからである。
IPv4に対応したサーバー。
IPv4しか扱えない機器。
IPv4を前提として作られたソフトウェア。
企業内のネットワーク。
工場の設備。
古い監視装置。
長期間更新されていない組み込み機器。
こうした設備が残る限り、IPv4へ接続できること自体に価値がある。
ここで重要なのは、規格単体の性能ではない。
周囲とのつながりである。
新しい言語が文法的に優れていたとしても、古い言語で書かれた本が世界中に存在するなら、古い言語を読める能力には価値が残る。
同じように、IPv4が古い規格であっても、IPv4でしか接続できない相手が存在する限り、IPv4との互換性は必要とされる。
技術の価値は、その技術だけで決まらない。
その技術によって、どれだけ多くの既存設備や利用者へ接続できるか
によって決まる。
IPv4は、最新規格ではない。
しかし、巨大な過去と接続するための共通語として残っている。
第10章|インターネットにも地層がある
私たちがウェブサイトを開くとき、画面には文章や画像しか見えない。
しかし、その下には多くの技術が重なっている。
まず、物理的な通信路がある。
* 光ファイバー
* LANケーブル
* 携帯電話の電波
* Wi-Fi
* 海底ケーブル
その上に、同じネットワーク内でデータを運ぶ仕組みがある。
* Ethernet
* 無線LAN
さらに、異なるネットワークの間でデータを届ける仕組みがある。
* IPv4
* IPv6
その間をつなぐ仕組みがある。
* NAT
* CGN
* NAT64
* 464XLAT
* デュアルスタック
その上には、通信の順序や信頼性を扱う仕組みがある。
* TCP
* UDP
* QUIC
さらに、
* DNS
* HTTP
* ウェブブラウザ
* アプリケーション
が載っている。
インターネットとは、一つの技術ではない。
複数の技術が階層状に重なり、互いの不足を補いながら動いている。
新しい技術が登場しても、下の層をすべて造り直すとは限らない。
古い光ファイバーの上を、新しい通信方式が通る。
IPv4の上に、別の仕組みを重ねる。
IPv6の中で、IPv4の通信を再現する。
新しい規格が古い規格を包み込み、翻訳しながら運ぶ。
これは、地層に似ている。
地表だけを見れば、現在の景色しか見えない。
しかし、その下には、過去の時代に作られた層が残っている。
現在のインターネットも同じである。
最新のスマートフォンから送られた通信の下に、数十年前に設計されたIPv4が存在する。
さらに、そのIPv4を延命するために作られたNATがあり、その外側にIPv6が重なる。
新しい世界は、過去を完全に取り除いて作られたわけではない。
過去の構造を残したまま、その上へ積み重ねられている。
終章|新しい規格は、古い規格を消すのではなく包み込む
IPv4の住所は不足した。
その問題を解決するために、IPv6が作られた。
しかし、IPv6が登場してもIPv4は消えなかった。
家庭では、NATによって一つのIPv4アドレスが複数の機器に共有された。
通信事業者では、CGNによって一つのIPv4アドレスが複数の契約者に共有された。
IPv4とIPv6を同時に扱うデュアルスタックが使われた。
IPv6からIPv4へ接続するため、NAT64やDNS64、464XLATといった翻訳技術が作られた。
つまり、IPv4からIPv6への移行は、
古い規格を停止し、新しい規格へ交換すること
ではなかった。
古い規格を動かしたまま、新しい規格を重ねることだった。
IPv4が残っているのは、IPv6が失敗したからではない。
IPv4で作られた世界が巨大であり、それを使い続けるための技術が発達したからである。
そしてIPv6が普及しているのにIPv4が残っていることも、矛盾ではない。
それは、インターネットが止まることのできない社会基盤だからだ。
道路をすべて閉鎖して、一度に造り替えることはできない。
古い道路へ交通を流しながら、隣に新しい道路を造る。
二つの道路を接続する。
古い車が新しい道路を走れるようにする。
新しい車が古い道へ入れるようにする。
そうして、社会は少しずつ移動する。
技術の世代交代は、勝者と敗者が入れ替わる瞬間ではない。
古い技術が主役の座を降りながら、互換性や接続性という別の役割を引き受ける過程である。
IPv4は、まだ完全には過去になっていない。
IPv6も、IPv4を消した未来ではない。
現在のインターネットは、
過去のIPv4を残しながら、その外側にIPv6の世界を建設している途中
なのである。
技術は、古くなった瞬間に消えるのではない。
新しい技術の内側へ包み込まれ、
翻訳され、
見えない場所へ移り、
それでも必要とされる限り動き続ける。
インターネットとは、完成された一枚の設計図ではない。
人々が住み続けている街を、一度も閉鎖せずに改築し続ける工事なのである。
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