能がぐっと近づく日。「放下僧」講座のこぼれ話——人間国宝が舞う理由とは
どうも私香です。
本日こちらへ。

「大槻文蔵裕一の会」がこの週末に迫る、なんとも良いタイミングでの「放下僧」講座。会場は大盛況で、成田奏師、大槻裕一師も嬉しそうでした。
さて、「放下僧」とは。
簡単に言えば仇討ちの物語です。
利根信俊に親を討たれた兄弟・牧野小次郎とその兄が、「放下」——禅宗で一切の執着を捨てた者——の姿に身をやつし、ついに仇と出会い討ち果たす、という筋立て。
講座では、成田奏師が詞章を読み上げ、大槻裕一師とともにポイントを解説してくださいます。仏教用語から和歌、装束、登場の順番まで、とても丁寧。

しかも、それを現代の言葉に置き換えて、ちょっとしたユーモアを交えて説明してくださるので、すっと頭に入ってくる。堅苦しさがなく、能が身近に感じられるのです。

先端を
本弭 末弭
と言うそうです
撮って出し動画ですがどうぞ↓
内容そのものはあえてここでは書かず、今回はこぼれ話を少し。
今回の講座、もともとは「石橋」の予定だったそうです。それが「放下僧」に変更になりました。
4月19日の「大槻文蔵裕一の会」での演目決定と講座案内のタイミングが合わず、ややフライング気味に「石橋」としてしまった、とのこと。
「放下僧」は、ほとんどの場合若手が舞う曲。ところが今回は、人間国宝・大槻文蔵師がシテを務めます。
文蔵師ご自身は、かつてこの曲をそれほど面白いと思っていなかったそうです。
ところが2019年、第62回やるまい会(野村又三郎十三回忌追善能)で上演するにあたり改めて調べ直したところ、梅若家や観世寿夫師の資料に興味深いものを見出し、その面白さに気づかれたのだとか。
「そんな曲を東京でかけるのは面白いのではないか」と思われたそうです。
昨年は「定家」を舞い、「舞納め」とも取れる言葉があったそうで、裕一師いわく「最近そんなことをよく言っている」とのこと。
そこから少し想像を巡らせると——若手が舞うことの多い曲を、自らの姿でしっかりと見せておきたい、というお気持ちもあるのではないか。
そんな逡巡の中で演目がなかなか定まらず、「石橋」のフライングにつながったのかもしれません。
ワキ(利根信俊)は福王茂十郎、アイ(利根の従者)は野村萬斎。
このお二人に依頼したところ、当初は断られたそうですが、シテが文蔵師とわかると即承諾されたとか。裕一師は「僕がシテだと思われたのでは(笑)」と冗談まじりに。
自分がその役に相応しいかということも含めて、お互いに無理のない配役を理解している。
プロデューサーや演出家、監督がいない能楽の世界ならではの“仁義”のようなものが見えた気がしました。
講座の途中には、成田達志師(成田奏師のお父上)が襖からふと顔をのぞかせるという、ちょっとしたサプライズも。そんな空気も含めて、楽しい時間でした。
肩の力を抜いて参加できるこの会。解説もたっぷり、デモンストレーションもあり、さらにチケットの先行予約まで受け付けてくださいますよ。



機会があれば、ぜひ一度。
ではでは。
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