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恐怖のない無力感

無力感はいつも恐怖を伴っている。何かに失敗したとき、自分の価値を疑ったとき、ストレスや疲労でひどく疲れたときに現れるのが無力感だ。誰もがそれを嫌っているのだろう。だから、何もしないことに皆が怯えている。生きる意味とは、「動いている」ことだとも捉えられる。

でも、今日感じているのは違う。これは恐怖のない無力感だ。心身共に力を使い果たし、空っぽになった感覚に包まれている。苦しくもなければ、恐怖もない。ただ、身体はだいぶ疲れている。そして、そこに「なにもしたくない」ことへの罪悪感はない。

無力感を「このままでいい」と思っている。それをもたらしたのは、今日の釣りだった。過去最高クラスの魚を釣り上げるため、15分間格闘した。腕はしびれ、汗は噴き出し、全身が震えた。その後も休む暇なく、釣った魚を裁いて、料理をして、そして片付けを行い…。もう自分の余力は残り僅かな気がしていた。
一連の行動が終わった瞬間、達成感と共に現れたのは、強烈な無力感だったけれど、その無力感に恐怖はなかった。「もう何もしたくない」「何もしなくていい」と心の奥がささやいているようだ。それは満たされている証だと強く思った。

無力感には種類があるのだろう。僕たちが恐れているのは、価値を失う無力感。やりきったあとに現れる無力感は、むしろ価値を肯定してくれる。好きなことや得意なことに全力を注いだからこそ得られる、褒美のようなものだ。満ち足りた感覚とも言える。やらされて終えた後に残る虚しさとは、まるで別物だと思うのだ。

良き方の無力感を理由に、僕は寝転がりながらnoteを書いている。妻は洗濯物をせっせと片付けながら、わざとらしく音を立てている。無言の「手伝えよ」が、洗濯物と一緒に飛んできたような気がした。数日分の食材となる、大きな魚を持ち帰ったのだから、今だけはサボることを、たぶんきっと許されるはずだと思っている。 


60cm オニヒラアジ
前回記事より、サイズアップ!


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