厄を祓うとは、節目を丁寧に扱うこと― 前厄・本厄・後厄の3年を終えて ―
ハイサイ。
ととのえ職人、五木田穣です。
このnoteでは、心と体と思考のズレをやさしくととのえる話を、日々書いています。
先日、出雲大社沖縄分社で、厄除祈願(後厄)を受けてきました。
前厄である一昨年は、
識名宮で、厄祓祈願。
沖縄成田山で、厄除祈願を受けました。
本厄である昨年は、どこにも記録していませんが、
識名宮で厄祓祈願を受けていました。

これで、前厄・本厄・後厄の3年間、
厄払祈願と厄除祈願を受けたことになります。
前厄。
本厄。
後厄。
厄年というと、
なんとなく、悪いことが起きる年。
なんとなく、気をつけた方がいい年。
神社やお寺で祈願してもらうといい。
一般的には、そんな認識と思いますし、
全く気にされていない方も多いでしょう。
実際に、私も若い頃は、厄年というものを、
全く気にしていませんでした。
ただ、、後から振り返ってみると、
24〜26歳(数え年)の時の厄年は、
父親亡くなるわ、、うつ病になるわ、、
厄年って、本当厄年なんだなと実感しました。
そして、また厄年を迎える時がきて、
様々な知識と経験がついてきた私は、
毎年祈願を受けることにしました。
おかげさまで、今の所、
災厄というようなことは、何も起きていません。
この3年間、毎年手を合わせてみて、
厄年というものとの向き合い方が、分かりました。
厄を祓うとは、
ただ悪いことを避けることではありません。
不安を消すことだけでもありません。
人生の節目に立ち止まり、
今の自分の状態を丁寧に見つめ直すこと。
自分の心と体と思考を、
もう一度静かに揃え直すこと。
自分自身、そんな時間になったなと感じでいます。
厄年ということで、この3年は、
日々を丁寧に生きるようにしてきました。
今日は、前厄・本厄・後厄の3年の祈願を終えて、
(まだ厄年中ではありますが)
ととのえ職人として、感じたことを書いてみたいと思います。
厄年を、怖がるだけで終わらせない
厄年と聞くと、どうしても少し身構えます。
何か悪いことが起きるのではないか。
体調を崩すのではないか。
仕事や人間関係で、何かあるのではないか。
そういう不安が、出てくるもの。
確かに、
人生には気をつけた方がいい時期があると思います。
年齢とともに、体の変化もあります。
役割も変わります。
責任も増えます。
家族や仕事や暮らしの中で、
これまでとは違う負荷がかかることもあります。
厄年という言葉には、
昔の人たちが感じ取ってきた、
先人達の智慧がある。
人生の節目。
ただ厄年を怖がるだけで終わらせてしまうと、
その意味を受け取りきれない気がします。
怖がるのではなく、立ち止まる。
避けるのではなく、見直す。
何か悪いことが起きないようにと
祈るだけではなく、
人生の節目という機会に、
今の自分の在り方そのものを、
ととのえ直す。
厄年は、
そんなふうに受け取ることができるのではないか。
厄年は、
そんな機会にしたらいいのではないか。
私はそう思いました。
前厄は、節目に入っていく合図だった
前厄の頃、2024年。
私はどこかで、
「ああ、ここから節目に入っていくんだな」
という感覚を持っていました。
何か大きなことが起きるかどうか
というよりも、
自分の内側で、
少しずつ見直しが始まっているような感覚。
この頃の私は、SNSでの発信は辞めて、
noteだけを書き続けていました。
1000日連続更新してはいても、
ただ惰性で書き続けている感覚。
何かを変えなければいけない。
変えるタイミングが来ている。
そんな感覚がありました。
仕事のこと。
発信のこと。
肩書きのこと。
ととのえ職人という言葉のこと。
Your Best Solutionのこと。
これから何を伝えていくのか。
誰に向けて、どんな言葉を届けていくのか。
それまで積み重ねてきたものを、
もう一度見直す時期がきた。
そんなことを考えている時期でした。
前厄は、何かを恐れる年というより、
「ここから少し、丁寧に人生を見直してみなさい」
という感覚。
このまま走り続けるのではなく、
少し速度を落としてみる。
当たり前のように続けてきたことが、
本当に今の自分に必要なのかどうかを見直す。
自分の中にある違和感を、なかったことにしない。
今思えば、前厄は、
節目に入っていく前の呼びかけのような時間でした。
本厄は、自分の真ん中を問われる時間だった
本厄という言葉には、
やはり少し重さがあります。
どこかで、
気をつけなければいけないという感覚は常にありました。
本厄の頃、2025年。
前厄があり、人生を見直し、
これからの人生の生き方を再考しました。
私にとっての本厄は、
「何か悪いことが起きる年」というより、
自分の真ん中を問われる時間だったように思います。
自分は何をしている人なのか。
何を大切にしているのか。
何を伝えていきたいのか。
どんな人を支えたいのか。
どんな在り方で仕事をしていきたいのか。
どんな言葉を残していきたいのか。
そういう問いが、少しずつ強くなっていきました。
体のことも、心のことも、暮らしのことも、発信のことも、仕事のことも、人との関係も。
どれもバラバラに見えて、実は全部つながっている。
そのつながりを、もう一度自分の中で整理していこう。
そう決めて、まずは自分の今までの人生を振り返ることにしました。
それで書いたのが、こちらの記事です。
そこから過去を見つめ直し、
今とこれからの人生を考えました。
自分の想いを、改めて書いていこう。
そうして、今日に至るまで、言葉を書き続けていきました。
自分の人生と向き合い、自分の言葉に落とすことで、
どんどん自分というものが定まり、深まってきたように感じています。
本厄は、
ただ避けるためだけの年ではなく、
自分の軸を確認するための年だった。
今は、そんなふうに感じています。
後厄は、静かにととのえていく時間
そして今年、後厄の祈願を受けました。
前厄、本厄を越えて、
後厄という言葉には、少し余韻のようなものがあります。
まだ気を抜かない。
でも、大きく身構えるというより、
この3年で観えてきたことを、静かに日常へ戻していく。
そんな感覚があります。
後厄は、節目を締める時間でもあり、
次の流れに入っていく準備の時間でもある。
この3年間で、自分の言葉はかなり変わってきました。
ととのえ職人として、何を伝えたいのかが少しずつ明確になりました。
心と体と思考のズレを、日常の中でやさしくととのえること。
ととのい村という場所をつくること。
Your Best Solutionとして、支援者や専門職に向けて、人を観る視点や支援の在り方を書くこと。
Your Best Solution研究所という場所をつくること。
五木田塾を通して、徳と才を磨く場を続けること。
どれも、急に生まれたものではありません。
前厄・本厄・後厄の3年の中で、
少しずつ言葉になり、形になってきたものです。
後厄の祈願を受けて、何かが終わったというより、
ここからまた静かにととのえていこうと思いました。
厄を祓うとは、外側だけの話ではない
厄を祓うというと、
外側にある悪いものを祓うイメージがあります。
災いを避ける。
悪い流れを断つ。
不運を遠ざける。
もちろん、そうした意味もあります。
でも、厄を祓うというのは、
自分の内側にもあるのだと思っています。
自分の中にある無理を祓う。
焦りを祓う。
思い込みを祓う。
余計な力みを祓う。
抱え込みすぎを祓う。
人に合わせすぎる癖を祓う。
自分を置き去りにするやさしさを祓う。
心と体と思考のズレに気づかないまま、
進み続けようとする自分を、少し立ち止まらせる。
厄を祓うとは、
何か外から悪いものが入ってこないようにするだけではなく、
自分の中に溜まっている余計なものに気づき、
少しずつ手放していくことでもあるのではないか。
そんなふうに思います。
神社やお寺で手を合わせることは、
外側の清めでありながら、内側の清めでもあります。
体をととのえること。
呼吸をととのえること。
暮らしをととのえること。
思考をととのえること。
人との距離感をととのえること。
神社やお寺に参拝することで
所作がととのい、心もととのいます。
すべてはひとつ。つながっている。
私は、そう思います。
厄年は、体の声を聴き直す節目でもある
厄年というものは、年齢の節目でもあります。
年齢を重ねると、体の声も変わってきます。
若い頃と同じようには動けないことがある。
回復に時間がかかることがある。
疲れが抜けにくいことがある。
無理が、あとから体に出ることがある。
気合いや根性だけでは、ごまかせなくなることがあります。
でも、それは悪いことばかりでもありません。
体が、より正直になってきたとも言えます。
これ以上は少し無理だよ。
今の生活は少し合っていないよ。
休む時間が足りていないよ。
考えすぎているよ。
人に合わせすぎているよ。
本当は、もう少し静かな時間が必要だよ。
そうやって、体が知らせてくれるようになる。
厄年という節目は、
そうした体の声を聴き直す節目でもあると思います。
何かが起きてから慌てるのではなく、その前の違和感に気づく。
痛みになる前の小さな重さに気づく。
崩れる前の呼吸の浅さに気づく。
疲れきる前の違和感に気づく。
厄年という節目は、
そうした感度を取り戻すための時間になります。
節目を、雑に扱わない
人生には、節目があります。
誕生日。
年末年始。
季節の変わり目。
引っ越し。
転職。
独立。
大切な人との別れ。
新しい出会い。
そして、厄年のように、昔から大切にされてきた年齢の節目。
忙しくしていると、そうした節目を、つい流してしまいます。
いつも通りに過ごす。
何もなかったことにする。
忙しさの中で、立ち止まる時間を持たない。
でも、節目を雑に扱うと、自分の変化に気づきにくくなります。
本当は変わっているのに、以前の自分のまま進もうとしてしまう。
本当は手放す時期なのに、まだ握りしめてしまう。
本当は次の流れに入っているのに、古い速度で走り続けてしまう。
だから、節目を丁寧に扱うことは大切です。
立ち止まる。
手を合わせる。
振り返る。
今の自分を観る。
これからの流れを感じる。
厄を祓うとは、節目を丁寧に扱うこと。
この3年間を振り返り、そんなふうに思います。
前厄・本厄・後厄の3年を終えて
前厄・本厄・後厄の3年間。
振り返ると、この3年は、
自分の在り方を、ととのえ直す時間でした。
大きく何かを変えたというより、少しずつ言葉が変わってきた。
自分の役割が観えてきた。
発信の軸がととのってきた。
ととのえ職人として、
何を届けたいのかが明確になってきた。
Your Best Solutionとして、
専門職や支援者に何を伝えたいのかも、少しずつ言葉になってきた。
ととのい村という場所も、少しずつ育ってきた。
Your Best Solution研究所も、少しずつ育ってきた。
その全部が、この3年の節目の中で起きてきたことです。
厄年を抜けたから、もう安心。
そういうことではないと思っています。
むしろ、
この3年で確認してきたことを、ここからどう日常に戻していくか。
これからの人生をどう生きていくか。一人の人間として、どう在るか。
そこが大切だと感じています。
今日の小さな問い
最後に、今日の小さな問いを置いておきます。
厄年じゃなくても、それぞれいろんな節目があるはずです。
今、自分はどんな節目にいるでしょうか。
何を手放す時期なのでしょうか。
何をととのえ直す時期なのでしょうか。
体は、何を知らせてくれているのでしょうか。
全部に答えなくていいです。
ひとつだけでもいい。
節目を丁寧に扱うための問いです。
厄を祓うとは、節目を丁寧に扱うこと
厄を祓うとは、節目を丁寧に扱うこと。
前厄・本厄・後厄の3年を終えて、今はそんなふうに感じています。
悪いことが起きないように祈ることも、もちろん大切です。
でも、それだけではなく、
自分の中にある無理やズレに気づくこと。
余計な力みを手放すこと。
自分の体の声を聴き直すこと。
見えないものに手を合わせながら、見えている足元を丁寧に扱うこと。
この3年間は、
私にとって、自分の節目を確認する時間でした。
そして、ととのえ職人としての在り方を、
少しずつととのえていく時間でもありました。
厄年を怖がるだけで終わらせない。
節目として受け取る。
これからも、
自分自身の心と体と思考を、静かにととのえていきながら、
読むだけでととのう。
そんな言葉をお届けしていきたいと思います。
ととのえ職人
五木田穣
関連記事
・前厄男の私、沖縄成田山にて厄除祈願をしていただいてきました。
前厄の時に、厄除祈願を受けた記録です。厄年という節目に入る感覚を書いています。
・沖縄では、旧暦12月8日にムーチーを食べて厄祓いをするという風習があります
本厄の時期に、沖縄の厄祓いの風習に触れた記事です。暮らしの中にある祈りを感じた記録です。
・【Vol.1】『ととのえ職人』の自己紹介
パーソナルトレーナーから、ととのえ職人へ変化してきた経緯を書いた自己紹介記事です。
・noteを書き始めて、丸8年
自分の「職業」への問いから、ととのえ職人に至るまでを書いた節目の記事です。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお読みいただきありがとうございました!
サポートも嬉しいですが、スキやコメントなどのリアクションもいただけると、とても励みになります☆