自問自答ファッションを始めて4年間、自分の生き方と生活とお金をすっごく考えた話

自問自答ファッション活動を始めたのは2022年の終わりごろ。
はじめてnoteにコンセプトについて記事を書いたのが2023年秋。
自問自答ファッションについて知ったのは、当時のツイッターで偶然、草野さんの自問自答ファッション教室に行ってきたお話ついての投稿を読んだのがきっかけでした。


私は自身も体を壊して不調な中、親族のいろんな問題を抱えこんでしまい、心が死んでいっておりました。自分の体調も悪くなる一方。でも親族の生活や今後のために頭も体も使うことを強いられて、ひとりですべてを調整して回さなくてはならないな、親族など家族は揃っているけど、なんか、私、すんごくひとりだな、と、すごく孤独を感じておりました。


草野さんの自問自答ファッション教室の漫画がとても衝撃で、当時、自分自身の心身を切り捨てて親族全体の生活を回すしかないと本気でそう思っていて実行していた私からしたら、「自分の中での好き苦手」「自分の中でいいなと思うこと」を感じること自体、親族全体の生活を回していくには邪魔なものだったんですよ。本当に。今は「それおかしいだろ」と断言できますが、当時の私は、親族が好き勝手気ままに生活するのは当然で、その中で出た問題を解消していくのが私の存在理由と思っていました。本気で。今書いていて自分でも引いている。怖。
私単体だけが好きだとかいいなとか思うことがあっても、金銭的に時間的に得る余裕がないし、自分の努力の末得たとしても、親族はいい顔しません。そして当時は私も体が思うように動かず、自分で工夫すること自体なかなかできませんでした。だから多分、好きとかいいなとか、自分の心が動くことに対してどんどん蓋をするようになっていたのだと思います。


自問自答ファッションは、「自分の気持ちや感情」をとことん掘り下げていく。私がこれまでの生き方で身近な人たちからタブーとされていたものをガンガンにやっていこうぜ!!というものでした。衝撃すぎた。

えっ、そんなこと思ってもいいの…?
えっ…?え…?
え?そんな世界がこの世にある…?
という、もう、そんな感じ。
当時のわたしは、快/不快 や 好き/苦手 の 不快や苦手を思うこと自体悪いことだと思っていました。自分が嫌だなと思って断ることそのもの悪と思っていました。だから、自分の中の悪と思っていることを感じていいって…え…!?どゆこと!?って。
その一方で、心のすごく端っこのところで、ちょっとほっとした自分がいました。

ポジティブじゃない気持ちも持っていていいこと、表に出すかはさておき、自分の心が思ったことは持っていていい、否定はしなくていいしされない、という世界があるということが、目から鱗だったし、とても、とっても心強かった。



親族が第一で親族のために自分が役に立つ。
という生き方・そのための生活スタイルを約30年やってきたから、

「自分の人生を自分で決めて生きる」
って、すごく強固な壁に見えた。
泣きそうになるくらいこれまでの自分の頑張りは何だったのかと無力感に襲われる。それが辛すぎて痛すぎて、すぐ誰かの役に立つためにはとかを考えちゃうんだけど、(自問自答ファッション活動をはじめたての頃は、まだ何かをl頑張って社会や誰かのためになりたいという気持ちが強かった。最初のコンセプトはそれも込みの考え方で決めていたかもしれない)
演歌ジュエリーを買う過程や買った後に気付いた。

私、ほっとしたいんだ、安心したいんだ、と。
頑張って何者かになりたい気がしたのは、それになれればもう頑張らなくても大丈夫な状態になれるかなと期待していたからだ。

そうだ、本心では、私は、頑張りたくないんだ。
ふかふかのおふとんに包まれて、脱力してほわ~~と横になりたい。
家事とかしてなくてもまじで一日何も役に立つことをしてなくてもそんな日が続いても、そんな自分でもいいか~~
って心から安心していられるような気持ちで生活したい。
(最初のコンセプトがよくなかったということではないです。私の場合、自問自答する対象を自分のこと100%にすることが大切だった、と今振り返って感じました。)


本心に気づいてからは、自問自答ファッション活動(自習モグラ)をしていると、
「一旦、ちゃんと納得するまで生活について自問自答しきりたい」と強く重思うようになりました。
一旦私の生活を自問自答してからでないと、私はファッションの自問自答に集中できないかも、となんとなく感じたのです。
そして、生活そのものにフォーカスを当てたシン・コンセプトも決め、自身の快/不快を軸に、とことん自分に集中する活動を始めました。




私の家は機能不全家庭でした。
両親とも自身の感情の制御が苦手で、お互いに不仲で、家の中は常に緊張状態です。
また、私の不安や困ったという気持ちを受け止めてもらった経験は無いです。ネガティブポジティブどちらの気持ちも受け止めてもらった記憶があまりありません。衣食住はそろっていましたが、情緒のやりとりは皆無でした。多分両親ともに自身の情緒が不安定だったからなのか、私が両親の感情のはけ口や調整役でした。両親というか親族たちのそういうポジションでした。だから上記のような生き方を約30年してきてしまったのでしょう。
だからね、嫌でも頑張らないと生きてこられなかったからね、今でも家事とか雑務とか調整とか、嫌と思っても体が動けちゃう。いいことじゃないよ!できたからいいじゃんで済ませちゃっても気持ちは嫌だと感じたまま見て見ぬふりをしているから、このまま過ごしてもなんとなく生きづらさは残ったままだし体調も地味に不調がだらだら続くだけだよ!
もっと根本にいくんだ、私よ!!

感情のはけ口や調整役ポジションでいると、どんどんそういう扱いをされるし、そういう人ばかり集まってくるんですよね、不思議だ~。
本当に、自問自答ファッションを始めて少し経った頃まで30数年間、(ヤング)ケアラーの生き方しかしてこなかったんだな~と思いました。この生き方しか知らないと、自分の人生に関わるお金の見方も扱い方もだいぶこじれたものになってしまう。ぼやぼや~っとしたなんとなくなお金に対する不安の根っこについて、ぽたまるさん主催のぽたまる庵で気づくことができました。もうね~びっくりすぎたし、何よりぽたまる庵はとても楽しかった!!何か特別なエピソードが無くても、なんとなくお金やこれからの人生がモヤモヤするな~という人におすすめしたいです。(ぽたまる庵で扱う話題は私のような激重なテーマばかりじゃないです!ご安心を!!)

自分のこれまでの生き方にディーフェンス!って邪魔されながらだったから今まで気付かなかったけど、「本当は自分はこういう暮らしをしたい、こういうことをしたい」という本音にも気づけました。自分でも気づいた時はびっくりでしたが、今現在、この気づきを判断基準のひとつにしたことで、日々の暮らしでよりほっとして安心して、でも主体的にやりたいことを無理のない程度で楽しめることができるようになってきています。本当にありがたいな~参加してよかったとしみじみかみしめています。




そしてお金の他にも、家事などの日々生活をしている中で少しでもモヤっとしたことに気付くようにしました。まずは違和感に気付く。気づいたら手帳とかにメモしておく。時々なぜモヤっとしたのか振り返る(自問自答していく)。すると、昔の生き方のエピソードに直結することに気付きました。
そして思いました。
「私、家事得意だと思ってたけど全然好きじゃないわ。」


やらないと自分の心身の安全が危ういからやるしかない人生で心を無にしてやっていたけど、好きではなかった。
気づいた瞬間は本当にびっくりした。本当にびっくりした。本当に。
私のアイデンティティと思っていた分野が、好きじゃないって自分で気づいてすごくしっくりきてしまった時の衝撃。

え?今まで私どれだけの時間と労力を好きじゃないことに費やして頑張りまくっていたの??
って心底たまげたけど、メンタルがガクンとならなかったのは、自問自答ファッションがあったからです。


私はこの記事を書いている現在、自問自答ファッション教室未受講の自習モグラなのです、、、そしてこの記事の通りファッションのついての自問自答よりも生活についての自問自答がめちゃくちゃ多いです、、、でも、あきやさんはニコニコしながらのんびり温かく見守っていてくれる姿勢でいてくださるので、なんか、、、私ひとりじゃないな…!!孤独じゃないぞ…!!って思えるようになりました。Xではガールズのみなさんもいらっしゃって、なんか…ひとりではないんだな!!大丈夫!!と持ち堪えられるようになっています。わー!すごい!!ありがたい~~~!!本当にありがたいよ~~~!!!


昔の癖でしぶしぶやっている家事は、さらに細かく、どの作業がモヤっとするかを検証しました。そして、「この作業はまじで好きじゃない」という家事の作業は夫に相談してやってもらうことになりました。
(余談ですが、現在は親族とは距離をとって夫とふたりで暮らしています。
私が仕事をしていない分、大体の家事は私がやっていました。
夫ももちろん家事をやってくれるのですが、やってもらいたい作業を細かく短く提案してもらう方が夫にとっては家事参画しやすかったそうで、結果的にお互いに家での生活がやりやすくなりました。)
本当は嫌と思っている家事(作業)をやっているとき、私の頭の中では、昔の辛いエピソードが映画のように流れていることにも気づきました。多分、私が気付く前からずっと、無意識下でも体はフラッシュバックを起こしていたのだと思います。私が気づいてないだけで、体や脳は嫌な記憶を蘇らせてしまうほど嫌なんだと反応を起こしていた。当時の私は心がほぼ死んでいたので気づけなかった。だから、自身の快/不快を感じることって本当に大切なことで、生きるために絶対に必要なことなんだと強く思いました。それを軽んじたり否定するような人は、たとえ家族や近しい間柄だったとしても、距離をとるべき(とっていい)サインなのかもしれない。
そして私にとって、
「家での生活=お金をかけてはいけないもの」でした。
家事なんてお金をかけて楽するなんてとんでもない。洗剤や道具などの必要備品類は最低限の価格のものを、手間がかかったとしても、そういうものにお金をかけるなんてとんでもないと思い込んでいました。子どもだと高機能で高価な洗剤や道具なんて自分のおこづかいで買えないじゃないですか。だから何でも自分の手を動かしてやりきる以外の選択肢が無かった。
でも、今私は30歳を越えて、否定してくる人達とは距離を置けた。私が今高い洗剤を使ったとしても隣で否定されることはない(フラッシュバックは起きるけど)。ちょっと高価な高機能洗剤や道具がわたしのフラッシュバックをこれから緩和していってくれるなら、それはむしろ薬などにも値するような良い使い方の一つなのかもしれないな。


あと集中して自問自答したものが、生活動作上での体の使い方。
実家の中が常に緊張状態だったから、何もしていない時でもすごく力んでいる。好きなことをやっている時もなぜかすぐ体が痛くなる。力の抜き方が分からない。
「脱力した状態ってなに?楽な姿勢って何?」
これは中学生の頃からずっと思っていた。多分力を入れっぱなしだったから脱力の経験が無い。体を壊してからはさらに力を抜くことができなくなった感じがする。
でも専門職の人に相談しようにも、この困り感を人に説明できない。相手に伝えられるほど自分も言語化できていない。
だから、まずは記録に残すことにした。
生活上で体がギュってなった時、痛いしんどい部位を手帳に書いておく。
振り返りをして、体がギュっとなるときの条件をや状況を自問自答していく。そうすると少しずつ、自分がしっくりくる単語や表現ができるようになってきた(言語化ができるようになってきた)。言語化できるようになると、精神科や心理カウンセリングで伝えられることも増えていく。自分の困り感を鮮明に説明できると、上記の医師や心理師からその困り感にアプローチしたヒントをもらえるようになった。記録を残す作業と振り返りの作業ってすごい力を持っていると痛感した。


体についてもうひとつ。
記録・振り返りの作業と精神科や心理カウンセリングを何回も重ねて、私は感覚が結構過敏だということにも気づいた。
特に、聴覚過敏。
機能不全家庭で育った人は聴覚が過敏になりやすいらしい。
親の機嫌状態を音で察知して先回りして動いていたためらしい。
声色や息づかい、足音、ドアを開け閉めする音…など。
思い当たる節がありすぎて納得した。
だから、両親や親族がいない状態でも、買い物などで人が多いところへ行くのが苦手。本当に、いろんな人の小さな音、声色や息づかいや動作音を拾ってしまう。それで体が勝手に硬直して汗をかいてしまう。たまにお腹を下したり腹痛で意識が飛んだりしてしまう。これは昔からそうで、昔は自分は疲れやすくて暑がりなんだなと思っていたけどそうじゃなかった。人が出す音を過敏に受け取ってしまいそして神経が緊張して体調に出てしまっていた。長年の謎と困りごとの元が分かってなんだか少しほっとした。
お買い物って楽しいけど、かなり体力を使う。楽しいけど、神経もフル稼働しているんだと、ちゃんと心身も疲れるんだと、(楽しんで買い物しているんだからそれで疲れるとか甘えわがままだと思い込んでいた)昔からの思い込みをきちんと納得して書き換えられた。いいですか私よ。お買い物は楽しくても心身ともに疲れてあたりまえなものです。それだけ自分の欲しいものを買うことはエネルギーを使うのです。効率よく順調にお買い物をすることを目的にするんじゃない。ちょっと疲れてきたかも?と思ったら休みましょう。カフェ代がもったいないとか考えない。疲れた体が、椅子に座って「ふぅっ」となる瞬間の体や気持ちのゆるみ、飲み物を飲んだ瞬間の「はぁ~」っと緊張がほぐれる感覚、大事ですよ。それが脱力の一つですからね。カフェでおいしい飲み物を飲みながら脱力の経験もできますからね。むしろ良い経験ができますからね。いいですか私、安心して休んでください。疲れを我慢するんじゃないよ。

こうやって自分の気持ちや感情の気づきや言語化ができるようになったのは、やはり自問自答ファッションがあったからです。
自問自答ファッションを始める前から精神科や心理カウンセリングは行っていましたが、自問自答ファッション活動をはじめたら上記の治療がぐいーんと進みました。何だろう、理科の言葉で言うと、自問自答ファッションは酵素みたいな役割をしてくれました。自問自答ファッションは、診察では(あまりにも小さくて逆に言いにくい)これまでの悩みとかモヤモヤなども、全部大事だよ~自問自答していこ~という、どんなにちいさいモヤモヤでも「うんうん、悩んでるんだね!」と否定しないで、「ここで落ち着いて考えていったらいいよ~!」と森の中でほっと迎えて考える場を作っていてくれるような、そんな安心感があります。そのモヤモヤについて考え納得する作業は自分自身が行うのですが、森のどこかにあきやさんがふら~っと居てくれてにこにこしていてくれるような、一人じゃないんだ、という安心感がありました。また、Xでは自問自答ガールズの皆さんもいて、ファッション以外でもうれしかったこともモヤモヤもたくさん発信されていて、「こんなことで悩んでいいのかな…」という私の引け目を「それも立派な悩み~!頑張ってるね~!」と絶対に否定しないで見守っていてくれる土壌を作っていてくれました。それがとても心地よく、安心して自習モグラをしてこられました。本当に皆さんに感謝しています。

自問自答ファッション活動をしていくことで、自分の気持ちや感情に気付けるようになってきました。不快/嫌 と思うことも、思うこと自体に罪悪感を持たなくなってきました。少しずつ少しずつ気持ちの言語化ができるようになってきたからこそ、精神系の治療も進み始めたのだと思います。



自分の気持ちを自分で認知できるようになって、より自分の体がいかに力が入っているかも分かるようになってきました。精神や認知の言語化はつかめてきたけど、体の、骨格や筋肉や神経など理学的なことは全く分かりません。図書館などで本を探したりできる範囲で調べてみましたが、範囲が広い・複雑すぎるので、これは専門家と一緒にやった方がいいなと直感しました。
でもまだ私にはお金の呪いが染みついていました。
自分にだけ恩恵(?)があるものにお金をかけることにとても罪悪感を感じてしまいます。
整体等で自分の体をきちんと見てもらいたいと思う一方で、施術1回で〇千円…!?こんなに私の体はバキバキでわけわかんなくなっているのに施術数回で解決するとは思えない、ある程度の回数や期間が絶対必要だしそこはケチりたくない、でも〇千円×(未知数な回数)の出費を今かけていいのだろうか…?踏み出せなかったです。

結論から言うと、最初は接骨院に通いました。
※接骨院(整骨院)は柔道整復師という国家資格を持つ施術者がいます。
急なケガ(手足首を捻った、寝違えた、ぎっくり腰など)が対象で、健康保険が適用されます。健康保険を使っているので、リラクゼーションなどの目的では使えません。

私は首を寝違えて、数日たっても改善せず首周辺に変な痛みが出てきてしまい、焦って接骨院に行ったのがきっかけでした。もちろん1回行っただけでは症状は治まらないので何回か通ったのですが、その時に肩周りのストレッチを教えてもらったのがとても大きかったです。その肩周りのストレッチをこまめに続けていました。自問自答ファッション活動のおかげで、自分の感情や感覚に集中する癖がついていたので、なんか首肩痛いかも?と感じたら教えてもらったストレッチをやっていました。接骨院の方曰く、最初は量よりも頻度の方が重要とのこと。人間どうしても仕事ややりたいことはキリのいいところまでずっとやっちゃいたいと思っちゃうけど、本当はもっとこまめに休憩してほしいと言っていました。休憩もじっとしていることではなくて、同じ姿勢を続けているのを解除することという意味で言っていました。だから、何か長時間同じ作業をするときは、本当にこまめにストレッチをやるのが大切らしいです。自分の痛みの感覚と頻度に集中して、日常生活の合間合間に本当にこまめに気持ちいいな~と感じる程度に行いました。何かの動作の途中でも自分の感覚や快の動きを優先して立ち止まれる癖が芽生えていたのは本当に自問自答ファッション活動をやっていたからだなあ、としみじみ思いました。ファッションではないけれど、生き方としてとても大切な経験を得られました。


きっかけは接骨院でしたが、施術やストレッチを通して、体のいろんな部位の筋肉を感じ取れるようになってきて、
気になった部位を調べる(P)

その部位のストレッチをやってみる(D)

体の感覚を感じる(C)

生活上でこまめにできるように工夫する(A)
となんとなくPDCAを回していました。
もちろん、元の体がすごくバキバキなので、時折ひねったり痛めたり等しちゃう。そういう時は接骨院で痛めた部分を治療してもらい、接骨院が混んでいない時などにストレッチの確認をしてもらっていました。
とてもゆっくりな進度でしたが、当時の私にはこれくらいゆっくり自分でひとつひとつ納得してから次に進むスタイルがちょうどよかったです。
接骨院は健康保険が適用されるので、リラクゼーション目的では使えません。が、年齢を重ねるにつれて普通に生活していても体を痛めてしまうことが増えると思います。めっちゃ忙しい時に大量の洗濯物を持ち上げたり急いで干したりしている瞬間にピキッとやってしまうことがある思います。痛みがしんどかったり不安だったりしたときって、地味に一人で我慢したままはやっぱり地味にしんどいじゃないですか。接骨院側も健康保険のことはちゃんと気を付けていますので、痛めたらまず対応できるか聞いてみてほしい、選択肢の一つとして持っていること、大事だよ!!と伝えたい!!


話が脱線しましたが、接骨院をきっかけに体の痛みや感覚を段々感じるようになり、自分は体のどこが不調(痛い、だるい)になりやすいのか、それはどんな時か等記録付けと振り返りを経て言語化できるようになりました。それによって、自分はどういう整体(環境とか雰囲気とか)を求めているのか、どういう生活をしたいから体調をどういう状態にもっていきたいのか、「なりたい」生活状態が明確に言語化できたからこそ行きたい整体院を探せるようになりました。
私の場合、
・自律神経症状に対してのアプローチが得意
・呼吸をもっと深くできるようになりたい
・脱力できるようになりたい、楽な姿勢を身につけたい
・感覚過敏のため、マンツーマンで落ち着いて受けられる環境
を条件に探しました。現在は探したところが自身に合っていたので継続して通っています。
お金の呪いの件ですが、自問自答やストレッチのPDCAの末、
「長年の機能不全家庭環境によって固まった体のこわばりを(心理面は精神科や心理カウンセリングでやるとして)もっと和らげて、体が力をぬいた状態で生活できるようになることを私は一番求めている」
と気づき、整体が今一番私の人生に必要だなと納得したら、「これはしっかりお金をかけていいんだ」とすんなり思うことができるようになりました。
まずこれ(体が力をぬいた状態で生活できるようになること)がクリアしないとどっちみち他のやりたいこと等をやってもつまずいちゃうだろうな、今はこれに集中するのが大事なんだな、と心から納得したのが大きかったです。
まだお金の呪いはこびりついているけど、
「自分のために必要なこと」にお金を使う決断ができた
という経験値が積めました。すごくいい経験、お金の使い方だと自負しております。嬉


整体に通い呼吸が深くできるようになってきました。脱力や楽な姿勢も少しずつつかめてきています。
ただ、機能不全家庭環境での影響で、まだまだふとした瞬間に体が一気にこわばりますし息も浅くなります。私の体感ですが、骨や筋肉のゆがみというよりより、脳が瞬時に危険を察知して体をフリーズさせてしまう感じがします。これは脳や神経系の問題かな~となんとなく感じています。ので、今はその分野の本を読んだり調べたりしています(軸にしている本は下の2冊です)。このことについて自分なりにまとまったらいつか記事にしたいです(私は医療従事者や医療分野を学んだ者ではなく、あくまでも私の体験談として記事にできたら、という感じです)。




まだまだ体調は調整途中ですが、心身ともにだいぶコントロールできるようになりました。生活とお金の呪いを解き始められてきたのだと思います。この2つの呪いが和らぎ始めたことで、ファッションに気持ちを向けられるようになりました。自問自答ファッション教室にも応募したい!ずっと教室受講したいと思っていたけど、体調がネックで応募に踏み出せなかった。でも教室に行けそうなくらい体調をコントロールできるようになってきて、教室応募への希望が見えてきて本当に嬉しいよ!!!
でも正直に言うと、「本当に今まで苦しかった。」という本音もあります。何とか自問自答して自分なりの自問自答ファッション活動(生活ver.)を4年間やってきて、この道のりを記録に残したくてこの記事にしました。
最後まで読んでくださりありがとうございます!


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