お金の話が人生の話になった~第4回ぽたまる庵参加~

12月上旬に第4回ぽたまる庵に参加させていただきました。
ぽたまる庵とは?第4回って何をするの?って方はぽたまるさんのこちらの記事をご覧下さい。

参加させていただき…本当に参加してよかったなあ!!!!という気持ちでいっぱいです。お金がテーマのお話だったけれど、いつの間にか生き方や自分はどうしたいのか、現状に対する可視化(言語化)できない自分のモヤモヤに気付かされて(ぽたまるさんの参加者のみなさんもす~~~~っごく優しくて温かい方々でした)、あっ、もっと自分の気持ちを優先していいんだ、と背中を押してもらえた会でした。
ぽたまるさん…企画から準備から当日の進行から…とんでもない量の準備や労力がかかったと思います。こんなにも素敵な機会を作っていただき心から感謝申し上げます!

この記事は第4回ぽたまる庵のレポというよりは、ぽたまる庵に参加した後に私自身がどう咀嚼していったかをまとめたものになっています。
めちゃくちゃ自分語りになっており私の過去の暗いエピソードも書いております。
そういうお話、今は聞けないよ~ って方は記事を閉じてもらって大丈夫です!健康大事じゃ~!!


私にとってのお金とは…


自分で生み出せないもの、自分で生み出してはいけないもの、もらった額の範囲内でやりくりするもの、楽しんで使ってはいけないもの
です。こじれてるな~~と自分でも感じるくらいお金に対する価値観がゆがんでいる。びっくりだ。

お金に対するファーストエピソード


小学生くらいからおこづかい制+お年玉が主な収入源でした。
私がいいな、欲しいな、やってみたいな、と思うモノコトと
親がいいな、すすめたいな、と思うモノコトが
見事に噛み合わなかった。笑
でも、そういう場合って、親子で話し合って、お金の使い方や欲しいという気持ちを整理して親子でお買い物の経験値を上げていくものなんじゃないあかなあ、と当時子どもながらに感じていました。(あくまでも私の価値観です)
でも、親は、きっと、人と会話をくりかえして意思疎通をする、ということがすっごく苦手な人だったんだと今振り返ると感じます。良いか悪いかは置いておいて、自分から伝えに行くことがとても苦手だったのでしょう。親と私の欲しいもの(あげたいもの)が異なる時は、事後報告で親が勝手にあげたいものを買ってきてしまい、なかば無理矢理押し付けられるという流れになっていました。いらないと断ると親の感情が爆発してしまうのでもらわないこともできず。私が欲しいモノコト(親はいい顔しないモノコト)は自分のおこづかいやお年玉から出すしかないのですが、小中学生ぐらいのおこづかいやお年玉の額なんて、どんなに真面目に貯めていても、そんなたいした額にならないじゃないですか。勉強を頑張って良い点をとるとか、家事のお手伝いをするとかでお駄賃をもらうシステムも却下されていたので(それらはやって当然なことであるというスタンス)自分の頑張りでおこづかいの量を増やしていくことも出来ませんでした。だからでしょう、私にとってお金は「自分で増やせないもの、増やしてはいけないもの」という見方がこびりついてしまってるのだと思います。

お金に対するファーストエピソードリターンズ


20代半ばで結婚し、実家から離れることができて、主人との生活をしていくぞ頑張るぞ、としていたのですが…
私の親も主人の親も、主人も、「生活にかかわるお金」を把握していない(そういう発想がない)タイプだったのでした。仕事に就いていれば大丈夫でしょ、という価値観でした(多分時代の価値観もあると思います)。結婚という親にとっても子にとってもある意味おおきな人生イベントを迎えて気が大きくなったのか、「お金が無い」をよく言うのに、バンバンでかい買い物(家のリフォームとかも含む)を勝手にしていました。親側からの「あとはよろしくね」的な言動もたくさん聞かされました。じわじわ真綿で首を絞められる思いでした。
あっ、これはやばいやつだぞ、
と感じた私は、まず私たち夫婦二人の生活での収入と支出を夫婦で分かっている状態にすることにしました。
夫婦二人の生活で、月にいくら必要(かかっているのか)を洗い出すために、家計簿をつけ始めました、私はデジタルが苦手なので紙の家計簿を使っていましたが、市販の家計簿に印刷されている項目だけだと、正直使いにくいじゃないですか。あと、モノコトを買ったあとの振り返りがしたかったので、あえて項目を書いて追加できるタイプの大きい家計簿を使って、当時の気持ちとかも含めてすっっっごく書き込んでいました。今思うと家計簿兼きいて!あきやさんノートの役割をしていたのかもしれません。
当時参考にした本や家計簿はこちらです。


自分の生活の収支の記録をつけ始めて、現実を突きつけられて、正直しんどかったです。本当にしんどかったです。でも、記録をつけることと振り返りの作業って数年後に絶対自分の味方になってくれる。やりはじめの頃が苦しいのは「現実の事実部分」をどうしても「自分自身の評価材料」にとらえてしまう思考癖ができあがってしまっているからだと思います。事実は事実なだけで、自分自身の価値とは全く関係ないのに、「できてない自分はこんなにもだめな人間、もっと頑張らないと」って思考になってしまう。自分の生活に向き合っている時点で偉すぎるのにね。当時の私を抱きしめに行きたいです。家計簿やり始めの頃で「あ~こんなに使ってる~~あ~~あ~~~~」って思ったら、そう思ったことも家計簿に書いておきます。家計の記録をつけつつ、自分の感情の記録もつけておきます。だから大きい家計簿がいいのです。

この頃の自分のお金に関するおこないに、ひとつ後悔があります。
自分の心を度外視して家計を回したこと。
家族や親などの「集団の運営」が滞りなく回ることだけを考えてお金のPDCAを回し続けたこと。
私自身が、いいなほしいなと思うことを悪いことと思い込んで、いいなとおもうことすら感情のセンサーが働かないようになってしまっていました。
実際買えるかとかは置いておいて、いいな~素敵だな~と思うことすらダメと自分を追い込んでしまう行為は本当に危ない。心の動きとそれを感じ取れることは本当に大切なこと。
枚方でのあきやさん講演会であきやさんが仰っていたように、
「心が死んではいけない」が何より大切なのです。

お金に対する見方と私の幼少期について~他人は平気で境界線を踏み越えてくる~


「心が死んではいけない」が大切だと書きましたが、でも、私の感情のセンサーは幼少期から今まで30数年ずっと瀕死状態だったと思います。
枚方でのあきやさん講演会で、あきやさんが10歳だった頃のエピソードがありましたが、九割くらい同じような経験を私も小学生時代してきました。体型も当時のあきやさんとほぼ同じ感じです。加えてきつめの天パでショートヘアだったので、紅白帽とか黄色い帽子がかぶれない。髪の毛のクセとボリュームで帽子が浮いてしまう。皆と同じような服装をしても、一人だけなんか違う。しかも、性格がわりと明るくて面白い子どもだった。誰とでも仲良くうまく遊ぶ子でだから余計になんか異色な愉快なおもしろ存在ポジションが確立されていきました。時代の価値観もあいまって、いじりとかヤジみたいなものがめっちゃありました。誰とも元気に遊ぶけど、言われたくない言葉とか、傷つく表現とかは私だってあり、嫌って言ってもまたからかわれて終わる、当時は、それはいじりでコミュニケーションのひとつだ、という考えが多くて、親や先生などの大人に相談してもどうにもならなかった。元気に遊んだりと活発に過ごしているけど、なんか心の中で盾を持ちながらうま~い具合に生活している子供の私ができていました。
家庭内や学校や地域がいつも監視しあっているようなギスギスピリピリしているのが日常だったので、このくらいのギスギスさが社会というものなんだな~、このくらいの荒さがノーマルなんだな~、と認識して育ってきました。できないと攻撃される、攻撃されてもできてないんだからそれは攻撃されても仕方ない、というような価値観(と私は感じていました)な環境ばかりだったから、家では何かをして何かの役にたってるとか、外の環境なら優れている成績や証をとり続けているとか、社会的に褒め称えられるような実績で身を守らないと、自分は攻撃されるポジションな人間なんだな、って、ほんとに、ほんとにそう思ってました。
「嫌と拒否しても人はガンガン私のテリトリーに入ってきてガンガンに散らかしていく、それが社会、なんとか自衛しないと生きていけない世界なんだ」
というでっかい信念(?)が昔からあったというのは確かです。
(自問自答ファッション活動を通して、この信念が溶かされ始めてきました。本当に嬉しく感謝です。)
小学校低学年から鎧を着て盾を持つスタイルが完成し、そもそも安心したり安全だなとほっとできる環境が無かったな、じゃあ心も瀕死だよな、って思います。
まだまだ「他人は平気で境界線を踏み越えて攻撃してくる」という価値観は溶け切れていないけれど、自分の心の動きが何よりも大事と実感してから生きやすくなりました。自問自答ファッションは自習モグラでまだ現地で人にお会いしたことはないのですが、今回のぽたまる庵で初めて実際に現地で人に会いお話をしあう経験をして、より、上記の価値観が溶けるようになってきました。本当にありがとうございます。自分でも嬉しすぎる。

自分の心理とくらしとお金は密接に関わっている


↑の見出しはぽたまる庵に参加して強く感じたことです。
お金をたくさん持っていれば今の不安は全部解消されるかといったら、そんなことは絶対に無い。持っている額に限らず、その時その時の感情の揺れ動きで「あーもう甘い物食べないとやってらんないよ!!」とか「いいなと思ってた服買っちゃお!!」ってなるのは生きていたら当然。欲しいと思うことも買うことも悪じゃない。でも、不安(などのネガティブな感情全般)から逃げるための買い物ばかりだとその時以外はまた新たなネガティブ感情に支配されて苦しくなってしまうから、本当に、自分で自分の心(感情)の動きを感じ取れる状態でいられることが、私は幸せなんじゃないかな、と思いました。自分の心理状態によってくらしもお金の使い方も変わる。心も常に揺れ動いているのが当たり前なので、ネガティブな感情になる時もポジティブな感情になるときもあるのが常。どっちが悪とか無い。心の動きや状態を感じられていたらはなまるであり生きやすくて心地よく過ごせるような気がします。ネガティブな買い物経験も、ポジティブな買い物経験も、自分で自分の心に気付いて人生のお買い物経験値にしていけたら素敵だな、と思います。

最後に、ぽたまる庵ともお金の話とも関係ないもので恐縮ですが、私が自分の心の動きに気づけるようになってきたな~のきっかけになった本を紹介させてください。

私もたくさんお買い物経験を積むぞ~!!
ぽたまるさん、ぽたまる庵参加者のみなさん、記事を読んでくださったみなさん、ありがとうございました!

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