獅子の仔 Ⅰ 015 べリアン Ⅲ
べリアン Ⅲ
1 地下
漆黒の闇のなかを、四つの灯りが揺れながら連なり進んでいた。
古い煉瓦の地下道に、足音と金属の軋む音が反響した。上古の時代に築かれたというこの地下道の床の煉瓦は、苔むして変色し暗い茶色となり、湿っていた。
四つの灯りは、それぞれの手に手燈を持った四人の男だった。獣脂蝋燭の灯りを前に向けるために筒状になった手燈は僅か数ヤードの視界しか与えてくれない。照らし出された煉瓦の床、湿った石壁、そして、壁際の側溝には黒い水が流れている。一行の進む右手には巨大な水路が流れ、汚水が放つ湿気と微かな臭気が流れて来た。
「……思ったほどは、匂わんな」
鋼鉄の歩行補助具を軋ませながら列の三番目を歩く大男、ベリアンは上を向いて鼻腔を広げた。
「この辺りは、風が通る仕組みになっていますので、さほど匂わないのです」
一行を先導する初老の痩身の男、下水官のゴブレットが角板の手燈を掲げて振り返った。腰に下げている鳥籠が揺れた。
痩せた下水官は、先ほどから途切れることなく下水道の仕組みを語り続けていた。
「……使われた上水道や中水道の水は一部が、地下貯水池に貯められ、水門で下水として放出されます。各地に貯められた糞尿を押し流し、南西部のこの「最後の貯水池」に達するのです」
小さく鳴き声を上げた毛長鼬(いたち)が目の前を横切った。
「…河川の水も「最後の貯水池」に流れ込み、その後、城壁の下を通って、郊外の堆肥蓄積池に貯留され、上澄みの汚水は外海に流れ出ます」
下水官は前を向いて再び喋りながら歩き出した。
「…それが塩の吹き溜まりの西海岸だな」
遮るようにベリアンは解説を加えた。
「それなら外海は汚水まみれになりますね」
赤毛の従士、マイロンは足元を気にしながら最後尾を歩いている。
「設計者は海流の流れを良く分かっていたようです。放出地点は海流がぶつかる海域になっていまして、汚水が速やかに拡散されます」
ゴブレットは最後尾のマイロンを振り返ることなく語った。
「…流石に、その周辺の塩田は衰退したがな」
唇を歪めてベリアンは指摘した。
「…とにかく、この下水道のおかげで、湾内及び近海の水質は問題ありません」
初老の下水官は胸を張った。
「そろそろ、「最後の貯水池」ですか」
四人の二番目を行く、大柄な栗色の巻き毛の男が、話を打ち切るように口を挟んだ。
下水道の坑道を抜けると、目の前が広がり、巨大な貯水池が姿をあらわした。ベリアンが目を凝らしたが、奥は暗闇で見通せない。
「この地下空間に、これと同じ貯水池があと二つあります」と下水官が述べた。腰に下げている鳥籠の中の鳥が短く鳴いた。
「…ここも思ったほど匂わないな」
ベリアンは鼻をひくつかせて、周囲の空気を注意深く吸い込んだ。
直径五十五ヤードの汚水池はさすがに匂うが、それでも風が通り、水が流されるため、耐え難いほどではない。
「私は子どもの頃から、この程度の臭いが当たり前でした」
栗毛の大柄な青年、ダール=ピートポットも天上を見上げて、鼻を鳴らした。
「ここの上層が「曇天の埠頭」ですね」
天井を見上げながら、赤毛の従士は言った。
「匂いが酷いのは、更に北側、我らが「寂れた波止場」の下層区画です。奥に行きましょう」
栗毛の大柄な青年は一行を促した。
「これより北の区画は流す水がありませんので、流水式の下水道は、ここまでです」
初老の下水官は肩をすくめて言った。
「この間、議論してきたが、やはり理由がわからんな。下水道が無いなら、「寂れた波止場」」の匂いの原因は何だ」
べリアンは痩せた下水官を見下ろして問うた。
「次席輜重官どの。この先の区画は機能していない。もう数百年前に放棄されています」
ゴブレットは顔をしかめて首を横に振った。
「わからないなら、わからないと言え。わからないことを確認するために来たのだ。行くぞ、案内しろ」
渋る下水官を促して北へと続く、巨大な貯水池の間を通り、この地下空間の北の壁に口を開けた漆黒の穴ぐらへ向かった。
数歩踏み込んだところで脚が止まった。
臭気が喉の奥を焼く。
糞尿か。腐った魚の臓物か。目に染みるような刺激があり、涙が滲む。
「……行くぞ」
べリアンは「角板の手燈」を高く掲げて、先頭を歩き始めた。
ゴブレットは短い溜息をついて、無言でべリアンの前に出た。
下水官は、慎重に床の煉瓦を木の杖で叩きながら、進み始めた。腰に下げた小さな鳥籠が揺れる。
「腰に綱を張ってください。崩落したら大変だ」
赤毛のマイロンは悲鳴のような警告を発した。べリアンもその発言に従い、四人は腰に命綱を繋いだ。
悪臭立ち込める漆黒の地下道を数珠繋がりになった四つの灯りが進んだ。
匂いも酷いが、湿気も酷い。輜重官の官衣である紅色の長衣が汗と湿気を吸って肌に張り付く。先頭をいくゴブレットが木の杖で床を叩く音、四人の足音、べリアンの歩行補助具の軋む音、そして危険を計る小鳥の鳴き声が反響する。
「…このあたりから床が崩落してますね、灯りが必要ですし、命綱を張り、足場を組む必要があります」
しばらく行くと、ゴブレットも手燈を下に向けて、この探索を中止すべきと言い出した。
「「最後の貯水池」からの汚水の漏洩はないのか」
悪臭に顔をしかめながらべリアンは尋ねた。
「その可能性は無いかと。「最後の貯水池」の水量は減っていませんので漏れ出てはいません」
下水官は断言した。
「なら、この匂いはなんだ」
「……この悪臭の原因がこの崩落した地下道の先にあるのは間違いありませんな」
ゴブレットは溜息をついた。
「この先には何があるのだ」
べリアンの問いに、ゴブレットは答えない。
「水門局は知っているのだろう」
暗闇の狭い坑道のなか、この大男の詰問は異様な圧力で下水官に迫った。
「......古い地図では、この先には数百年前に放棄された地下貯水地があるとされています」
痩せた下水官は尋問に耐えかねたように、伝承を述べた。
「やはりか。「寂れた波止場」は水源が乏しい以上、雨水を貯める貯水池を作ることは理にかなっている」
闇の中にべリアンの含み笑いが響いた。
「おい。お前たちの「寂れた波止場」には可能性があるぞ」
後ろで鼻を摘まんでこの会話を聞いていた栗毛の青年に声をかけた。
「数百年前に何らかの理由で破損して、放棄されたのでしょう。そこへ外の汚水が流れ込んでこうなったとしたら、修理と清掃だけで膨大な手間が…」
ゴブレット下水官は早口で捲し立てた。
「数百年前までは使えた。私はその事実にしか関心が無い」
初老の下水官の説明を遮って、べリアンは力強く断言した。
「資材、資金、すべて準備する。給金も弾む、この悪臭と水不足を解決することなしに「寂れた波止場」の整備は始まらん」
「……わかりました。では、輜重部から水門局に正式に要請を出してください。私からはすぐに調査を上申します」
下水官は溜息をついて頷いた。
「清掃だけではない。雨水の貯水池として再建するぞ」
小太りの青年は上擦った声で気勢を上げた。
べリアンは横目でダールを見た。
「もう十分でしょう、上がりましょう。此処を出ましょう」
赤毛の従士の泣き言にべリアンは頷くと踵を返した。
四つの灯りはやって来た地下道を戻り始めた。
(必ずここを再建してみせる。溝(どぶ)の匂いのする港湾に繁栄はない)
2 商館
ラニスポートの夜は明るい。街燈が灯り、大通りであれば女性一人でも安全に出歩くことができる。だが、中心街から離れた、この南西港湾は陽が落ち始めると、途端に薄暗くなる。
べリアンは、黒鹿毛のラバに乗り、並足で市街地を通り抜けた。その後ろを赤毛の従士の乗る痩せた汎用馬が続く。二つの騎影は、南西港湾に沿って、北へ向かった。
寂れた波止場は、ラニスポートの西側、下顎のように突き出した岬の先端部に位置していた。
「泥炭の鉢」商会の商館はその下顎の付け根の商館街の中心にあった。この辺りは区画の南端ではあるが、それでも溝の匂いが鼻についた。
べリアンの黒いラバと従士の栗毛の痩せた馬が、薄暗い市街地を静かに進む。小さな商館が並ぶなかに、ひと際大きな商館が迫って来た。
その商館は、灰色の煉瓦で組まれた地味だが堅牢な建物だった。高い建物などないこの一帯では、その要塞のような商館は目立った。
辺りはすっかり暗くなっていた。松明が門前に灯され、門の前には小柄な衛兵が立っていた。
べリアンは、ラバから降りて、その衛兵に歩み寄った。
「夜分にすまぬ。輜重官のべリアン=ボウマだ。商会長にお取次ぎ願いたい」
禿頭の紅色の長衣を纏った大男の威圧感に気圧されたように衛兵は会釈をすると、松明を掲げて来客を迎え、灰色の商館の重い樫の木の扉を叩いた。
扉は擦過音を立てて、ゆっくりと開いた。
館内からは煌々とした明かりが放たれ、薄暗い周辺を照らした。
一歩、玄関広間に入ると、溝の匂いは消え、木炭と柑橘類の爽やかな匂いが広がっていた。
広間は焼き付けた黒木の壁に囲まれ、正面には黄ばんだ古い商標が貼られていた。その商標は、三本線で地層をあしらった構図になっており、どうやら沼地の資源で財をなした商家の起源をあらわしているようであった。
広間の中央には、栗毛の大柄な小太りの青年と同じく栗毛の男装の中背の女、背が高く痩せた灰色の髪をした壮年の男が立っていた。
「べリアン次席輜重官。先日はお疲れ様でした」
愛想のよい大柄な男が出迎えて握手を求めてきた。商会長のダール=ピートポットだ。先日、悪臭の調査のため、ともに地下に潜った男だ。だが彼が今日の訪問の目当てではない。
少し下がって広間の中央には、痩せて地味だが、整った顔立ちの女性が立っていた。ダールの姉で番頭のリルケ=ピートポットだ。その脇に立っている痩せて背の高い壮年の男が、同じく番頭のホス=フェグトンだ。この二人がこの商会の頭脳だ。
「少し遅れてしまったな。申し訳ない」
べリアンは遅刻を詫びて、手短に挨拶をした。
「ボウマ卿、ご足労頂き痛み入ります」
リルケ=ピートポットは慇懃に頭を下げた。この女番頭と会うのは五回目になるが、決して、この慇懃さを崩すことはない。
「ボウマ様、こちらへ」
長身の番頭は、べリアンを奥の部屋へ案内した。先代の右腕として知られたこの男は、衛兵上がりと聞いているが、全く武骨さを感じさせず、物腰が柔らかい。灰色の短衣に茶色の羊毛の脚衣を纏い、動きに隙が無い。
通された奥の広間は窓のない石壁の部屋で、真ん中に栗の木の長食卓が置かれ、囲むように椅子が並べられていた。卓上に六本、部屋の四隅に一本ずつ獣脂蝋燭が灯され、部屋を照らしていた。
長食卓の奥側にはべリアンとマイロンの席が用意され、向かい合って、ダールと、リルケ、その横にホスが座った。
並ぶと、この姉と弟は、全く似ていない。姉のリルケは、地味で無表情な中肉中背の女だった。整った顔立ちをしているが、化粧などを一切しておらず、その容姿を華やかに見せる気が全くない。薄黄色の麻の短衣に浅黄色の脚衣、肩には焦げ茶色の半外套を右肩にずらして留めている。富裕な商家の女性が着る商長衣などではなく、実用的な男装だ。
一方のダール=ピートポットは、上質の紺色の商長衣を纏い、白い麻の脚衣といういで立ちだ。大柄で屈託のない笑顔で小太りであり、愛想がよい。顔は脂ぎっており、力強さを感じさせるが、やや前のめりだ。
この姉と弟の共通点は栗色の髪だけだった。
ベリアンは出された檸檬水を口に含んだ。横の席に遅れて入ってきた赤毛の従士のマイロンが座った。
「我が商会は、輜重官どの来訪を歓迎致します」
商会長の姉は落ち着いた低い声で言った。
「急にすまぬ。いくつか、礼を言うためにきた、一つは係留場の提供では世話になった」
べリアンはやや早口で話を進めた。
「......些か、強引が過ぎるのではありませんか、流石に我らでも鼠たちには同情します」
輜重官の型どおりの謝辞を咎めるように女番頭は詰めた。
「......まあ、うまく収まりましたし」
姉のいきなりの詰問をとりなすように商会長のダールが割って入った。
姉は感情のこもらない静かな目で弟を一瞥した。
「......もう一点は、地下下水道の提案について承諾頂きかたじけない」
べリアンは眉をしかめて、話を進めた。
「この匂いの解決は、ここに住むものにとって、悲願です。姉も乗り気です」
ダール=ピートポットが身を乗り出して、愛想よく応じた。
姉はもう一度、静かな目で弟を一瞥した。
長身の番頭は溜息をついて立ち上がると、商会長に歩み寄り、耳打ちをした。
「べリアン様、大変失礼ながら、私と商会長は先約の商談があり、少し席を外させて頂きます」
若い商会長は戸惑ったように姉とホスを見比べてから、一礼して席を立った。
商会長のダールと番頭のホスが部屋を出ると、部屋にはリルケとべリアン、マイロンだけになった。
「商会長が乗ると言った以上、一定の出資はせねばなりません」
女番頭は無表情で感情を見せることはなかった。人差し指で長食卓を軽く叩いた。
「ありがとうございます。ボウマ卿も商会長に話をしたのがよかったと」
赤毛の従士が笑顔で話した言葉に、女番頭の眉が微かに上がった。
「......マイロン。少し席を外してくれるか」
べリアンは笑顔の従士を睨んで退席を命じた。
長食卓に向かい合って座っているのは、女番頭と輜重官だけになった。
溜息をついて女番頭は話を始めた。
「次席輜重官どのは私たちと信頼関係を築くつもりは、おありですか」
眉をしかめて顎を引き、べリアンは応じた。
「無論だ。この界隈でピートポット商会無しで事が進むとは...」
「今後、私、もしくはホスへの根回し無しに弟に重大事を図れば、信頼関係を失うと考えて頂きたい」
弁明を遮るように女番頭は断じた。
眉間に皴を寄せて、輜重官は説明し始めた。
「地下道探索の件は、偶然、商会長どのの耳に入った...」
商会長の姉は再度、話を遮った。
「あなたは、弟を焚きつけた不誠実な男か、それとも、段取りも踏めない間抜けな男なのか、どちらですか」
「......」
辛辣な口ぶりに、べリアンも閉口した。
「......私は、根回しの重要性すら理解できない人間と取引をしなければならないのか」
リルケは怒りを抑えた声音で言い捨てた。
尋問のような口調にべリアンも腰を浮かした。
「...わかった。今後は貴女かホスどのに諮るようにする。今回の件は許せ」
獣脂蝋燭の炎がわずかに揺れ、石壁に映る二人の影も揺れた。
しばらくの間、リルケは静かな目でべリアンを凝視した後に目を閉じ、話をすすめた。
「......城壁が崩れたのも、鼠たちが住処を追われたのも、港湾の整備が始まったのも、繋げて見ることさえできれば、貴方のやり方は見えるのですよ」
べリアンは、口元を歪めて答えた。
「賢く、合理的な人間同士なら目的は一致する」
地味な女は疲れた声で言った。
「私は賢いですが、ボウマ卿。貴方にとって合理的とは限りません」
べリアンは睨むように見返した。
「我らが南西部港湾の整備に乗り出すこの機を逃して繁栄があるとでも」
「取引は賭け事ではありません」
リルケはべリアンの威圧に動じる気配を微塵もみせず言い切った。
深く溜息をついてべリアンは話を変えた。
「…昨日、水門局に直談判に乗り込んだ。古い図面もあった。寂れた波止場の北部の地下に古代の雨水貯水池があるのは図面で確認したが......」
「塩の吹き溜まりから汚水が流れこんでいる」
リルケの一言にべリアンの眉が上がる。
「余分な水を排出するために城壁の下を通る水路があったと考えるのが合理的です。その水路が逆流して我らを潤す筈の雨水貯水池が汚物の貯水池になっている」
べリアンは石壁を震わせるような大声で笑った。身を乗り出して対面に座る女をねめつけた。
「そこまでわかっているのなら、ピートポット商会は乗るのだな」
リルケは身を乗り出した大男から視線を逸らして言った。
「既に塩の吹き溜まりの顔役、「塩の母」には話をしています。彼女の縄張りである岩の住まいの南側を流れる「汚れの川」。これがおそらく源流でしょう」
「...城壁の向こうとも連絡があるのか」
べリアンは目を見開いて、リルケを見直した。
「......父の遺徳です。ボウマ卿、よろしいですか。私は父がそうであったように、この商会だけでなく、「寂れた波止場」全域に責任を負うています。そのことをお忘れなく」
「......心得た。これからは貴女にも諸事、諮るようにする」
禿頭の輜重官は満足気に鼻を鳴らして椅子に座り直した。
「前も同じような約束をした記憶がありますが…まぁ、いいでしょう」
女番頭は深く溜息をついた。
3 罠
扉を叩く音がして、押し開く擦過音が鳴る。
壮年の長身の男、ホス=フェグトンが入って来た。
「商会長は今夜は別件の対応に専念頂くことになりました」
柔和なこの男は、リルケの左側の座席に座った。
「輜重官どのとの行き違いについては話は済んだ。我々は雨水貯水池の再整備に協力する」
リルケの説明に笑顔で頷くと、ホスは手元の赤茶色の陶器の杯に入った檸檬水を飲んだ。
べリアンも手元の杯の檸檬水を飲んだ。
獣脂蝋燭が爆ぜる音がした。
「さて、本題に入りましょうか。輜重官殿」
ホスは給仕を呼んで、檸檬水を注がせた。
べリアンは、陶器の杯が満たされ、給仕が退出したのを待って話を切り出した。
「この一年で、いくつかの小規模商会が乗っ取られたと聞いた」
「それが貴方になんの関係が」
リルケは表情を硬くして返した。
「牡鹿を捕らえる罠を張りたい」
べリアンは事も無げに言った。
「………」
リルケは、べリアンの申し出に目を細めた。暫くの沈黙の後、隣に座るホスに目をやった。
「......我らは荒事は好みません。荷駄を守る程度の兵士は雇っていますが」
痩せた壮年の番頭は柔和だが、笑わない目で禿頭の輜重官を見た。
「こちらは動かず、罠を張って待つ」
ホスの視線を受け止めて、べリアンは見返した。
「......べリアンどのにしては慎重ですな」
ホスは苦笑しながら嫌みを言った。
「街中で戦争などせぬよ」
べリアンは何食わぬ顔で言った。
「......似たようなことはされたと耳にしましたが」
ホスは人差し指で何かを弾くような手つきをした。
「取引では、先に法を犯した方が不利です」
女番頭は、やや頭を傾けて、笑わない目で輜重官を凝視した。
「心得ている」
べリアンは煩わしそうに頷いた。
「乗っ取られた商会の一つは小さいが商会組合に加盟している古参でした」
リルケは茶色の瞳に獣脂蝋燭の炎を映して、長食卓を人差し指で軽く叩きながら話した。
「我らが仲介して、買い戻しましたが、要らぬ出費を強いられました」
ホスが静かにリルケの話を補足した。
「もう一つは中古武具の取り扱い商会でした。ここは彼らは手放すつもりはないらしい」
リルケは淡々と説明した。
「次に狙われるのはどこだ」
べリアンは罠を張る場所を訊ねた。
「既に商会長が相談を受けています。ああ見えて、弟は、組合での人望は厚い」
リルケは珍しく弟を評価するように言った。
「乗っ取りの手法が知りたい」
べリアンは説明を求めた。
「融資の際に抵当として商会の代表権を抑えています。それに......」
ホスが言いよどむのを引き受けて、リルケが言った。
「我々は推測の話をするのは好きではありません」
女番頭は、べリアンから視線を逸らした。
「では、その推測に基づき罠を張ろう。仮説は証明されなければならない」
べリアンはリルケに説明を促した。
「......資金繰りが厳しいときに限り、荷駄の事故や使用人の失踪が起こる」
女の顔は無表情であったが、その人差し指は長食卓を叩いていた。
べリアンは杯を長食卓に置いた。陶器が乾いた音を立てる。
「......これは私の領域ですな」
禿頭の大男は口元を歪めて満面の笑みを浮かべた。
「これは戦ではありません。先に法を犯したほうが負けます」
リルケは睨みつけるようにしてべリアンに釘を刺した。
「いや、これは戦だ。だが、法を犯した方が負けるというのは心得た」
べリアンの笑顔を、リルケとホスは顎を引いて目を細めた。
遠くで梟が鳴く声が聞こえた。既に夜半を過ぎている。
「......もう時間だな。評議会の件についてはまた後日」
べリアンは話を打ち切り、立ち上がった。
「その話は、まだ時間があります」
商会長の姉は無表情に頷いた。
「しかし、ダールではなく、貴女が評議会に名を連ねることはできないのか」
溜息をつきながら立ち上がった禿頭の輜重官は言った。
「商会長は弟です。それに、女は目立ちます」
リルケは茶色の瞳をべリアンにむけて言った。
「弟の良い所は相手も無防備にさせるところです」
姉は再度、弟について語った。姉の口元が綻んだ。
4 中古品
古いくたびれた木造りの長倉庫は、壁板の間から外の光が漏れ入っていた。倉庫の中は、黴臭く、壁一面の棚に置かれた手甲、吊るされた盾、重ねて積まれた半兜、組み上げられた古い甲冑が、所狭しと並べられていた。
倉庫の奥に目をやると、木造の板壁は、途中から煤で黒ずんだ石造りの石壁になり、開け放たれた大きな木戸の向こうに、炉の赤い火が明滅するのが見えた。甲高い鎚音が一定の調子で響き、水槽に焼けた鉄が沈められるたび、水が蒸発する激しい音が上がった。若い鍛冶師が金床の前で鎚を振るっている様子が見えた。
山積みの中古武具に近づくと、鉄錆と油、皮革、そして奥から漂う木炭の匂いが入り混じって鼻をついた。
禿頭の輜重官と赤毛の従士は、ラニスポートの武器商を回った末に、この薄暗い長倉庫に辿り着いた。ここは、もと城鍛冶だという触れ込みの老人が親子で営む中古武具の卸と修理屋だった。「西部」の払い下げられた武具の多くが、ここに流れ着き、整備されて小売に出荷される。
「…がらくたばかりだな」
ベリアンはしかめっ面で倉庫の中を見回した。棚に陳列された武具は痛みが酷いのが見て取れた。その脇の皮革の張られた作業台には、分解された甲冑が無造作に置かれていた。
「錆びた胸甲、片手だけの手甲、穴の開いた短鎖帷子、歪んだ兜、傷だらけの脛宛て、旧式の足甲…いろいろありますね」
赤毛の従士マイロンは熱心に中古品の山を漁り、目ぼしい品を見つけては、買い付けの付箋を貼っていく。
べリアンは、そのそばから付箋が貼られた甲冑の部品を確認する。
「…これは薄い。騎兵用の胸当てだ。歩兵用としては使えん」
付箋を剥がし、その胸当ての部品を棚に戻した。
次に別の付箋の貼られた膝当てを手に取り、小さな金槌で叩いて、音を確かめてから付箋を剥がした。
「形だけ見るな。音と重さも見ろ。青銅や粗雑な鉄もある。良い鋼は少ない」
ベリアンはマイロンに入念に選別するように指示を出した。安いとは言え、無駄な買い物をするつもりは無い。
「キャスタリーロックの輜重官様がお越しになるとは恐れ多い」
後ろから声がして振り向いた。背が低いが、体格の良い老人が倉庫の奥の炉室から歩み出てきた。遠く辺境で城鍛冶を務めていたという、倉庫の主のガルダだ。
かつては、甲冑の仕立てを得意とする城鍛冶として知られていたというが、二十年前から、このラニスポートで、中古武具の卸と修理業を営んでいる。キャスタリーロックの輜重部が普段、取引をすることは無い。
「……私用だ。従士や兵士のために、値段を押さえていくつか甲冑を揃えたい」
ベリアンはこの老人の節くれだった手や盛り上がった両肩から相応の鍛冶師であることは見て取ったが、思った以上に高齢だった。
「では、中古の甲冑一式を仕立て直しするのが良いですな」
老鍛冶の灰色の瞳が探るように見上げてきた。
「…だが、あまり安くはなさそうだな」
展示されている整備された中古の甲冑一式についた値札を見ながら輜重官は応じた。
「良い鋼鉄は値段が落ちませぬゆえ、仕入れも値が張ります」
体格のよい老人は、修理を終えた甲冑の出来を確かめるように撫でた。
「普通に甲冑を一式打てば金貨4枚。中古の甲冑の仕立て直しなら金貨2枚ですな」
「もう少しなんとかならんか」
輜重官は眉根を寄せて相談した。
「......あとは、異なる甲冑の部分を集めての仕立て直しですな」
老鍛冶は渋い反応にややがっかりしたように応じた。上客との期待を裏切ったようだ。
「都合よく甲冑の部品など揃うのか」
今度は輜重官が疑わし気に老人を見た。
「日頃から部品は集めております。あとは仕上げる甲冑師の腕次第です」
老人は顎を上げた。自信はあるらしい。
「……異なる甲冑の部品を連動させる。これは簡単なことではなかろう」
展示された中古の甲冑の関節部分を太い指でなぞりながら輜重官は尋ねた。
「仰るとおり、調整具や留め具、連結部は、自作になります。技術が必要です」
頷きながら、老鍛冶は低い声で応じた。
「…...倅(せがれ)の腕前は、お主からみて、どの程度だ」
大男の輜重官は倉庫の奥の炉室に目をやって尋ねた。
「一流とは申しませんが、恥ずかしくない腕前をしております」
老人は灰色の目でべリアンを見返して断言した。
「古い戦利品の甲冑を一式所有している。錆びついているが、物は悪くない。その仕立て直しでお主の腕が錆びついていないかを見たい」
「…良質の鋼の価値は下がりませぬ。お受けしましょう」
老鍛冶師は深く頷いた。
「……あとは、寄せ集めた材料で甲冑はどれくらい組める」
輜重官は周囲の棚を見回しながら尋ねた。
「……三式分ぐらいは、取り揃えております」
老鍛冶は、得意げに輜重官を見上げる。
「……では、その材料は仮押さえを頼む。結果を見て、三式の甲冑の注文を判断する」
「承りました」
老鍛冶師は深く頭を垂れた。
「前金は金貨一枚だ。それから、もう少し良い在庫は無いのか」
輜重官は、掘り出し物を求めて辺りを見回した。
「キャスタリーロックの輜重官様にお見せできるものは、これだけでございます」
老鍛冶師は、意味ありげに笑った。
「......後で、あそこの赤毛の従士を寄させる。私は知らぬ」
「ご配慮、ありがとうございます」
鍛冶師は深く頭を下げた。多少の掘り出し物がありそうではある。
「ラニスポートじゅうの中古品の店を回ったが、どこも高いな」
輜重官は溜息をついた。
「ここより安いのは塩の吹き溜まりの闇市ぐらいのものです」
老鍛冶師は髭の奥で笑みを浮かべた。
「また、塩の吹き溜まりか…」
(輜重官が公務以外で訪れるには無理がある。また、鼠に動いてもらうか)
輜重官は苦々し気に闇を睨んだ。
(015 ベリアン Ⅲ 完)
煤けた石 第一部 獅子の仔 第一編 ゆりかごの宣誓
べリアン Ⅲ (015 地下道の輜重官)
248 AC・夏(末期) / 西部・ラニスポート
POV:べリアン=ボウマ (Beryan Bowma)
【本作は「氷と炎の歌」のファンフィクションです】
原作者のジョージ・R・R・マーティン氏、および関連する出版社・映像製作会社等の権利者様とは一切関係がありません。
本作は「氷と炎の歌(A Song of Ice and Fire)」の世界観をベースにした非公式のスピンオフ作品であり、原作の五十年前の時代(征服暦248年以降)の七王国西部ウェスターランズを独自の解釈で描いています。
▢ 次の話 016 マーラ Ⅰ(016 半島の灯台)
comming soon
▢ 前の話 014 マイア Ⅲ (014 侍女の憂鬱)
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