無謀なチャレンジによって上を向けなくなった40代の話
プロローグ:上を向けない45歳の冬
上を向けない___。
当時住んでいた山間の町の片隅にある整骨院で発覚した驚愕の事実。
それは、ほぼ上を向けないほど首が固まっていたということでした。
そもそも、上を向けないほど首が固まってしまったのは、40歳をとうに過ぎた私が修士の学生を3年もやっていたから。
そう。
私はその頃、仕事をしながら大学院生として研究に勤しんでいたのです。
全てが始まった42歳の冬
時は42歳の時に遡ります。
その頃私は大学院への進学を機に、別居しました。
普通は多分、進学と別居を同時には選ばない。
そんなことは私だってわかっている。
だって、経済的に詰みかねんですやん。
私は別に、経済的に裕福なわけでもなんでもない、
日本人のど真ん中収入のワーカーだったんです。
でも、そうせずにはいられなかった。
だって気づいてしまったんです。
「もう無理」
って。
みなさん思ったでしょ?
「いやいや、離婚考えてる人みんな『もう無理』って思ってるやん??」
「それでも、生きるために時期見計らってるんやん?」
って。
ですけどね、私は皆さんに問いたい。
中年が大学院行くって、ひょっとしたら新しい人生の始まりですよ?
そんな新たな人生の始まりに、別れたい配偶者との人生を
連れていきますか?」と___。
まあ、とにかく、その時私は、家を飛び出してしまったんです。
そして新しい生活へと踏み切ったのです。
今振り返って、私は言いたい。
間違いなく、中年の大学院は新しい人生の始まりでした。
道のりの長さに涙した44歳の冬
そんな大学院生活ですが、順調とはいきませんでした。
冒頭で述べた通り、私は修士の学位取得までに3年以上かかっています。
修士の修業年限は2年。
つまり私は留年をしているのです。
42歳で入学したときは、久しぶりの大学生活で毎日がキラキラしてました。
思えば少しずつ首は固まり始めていたのですが、それでも、あの頃はまだまだ若く、連日の徹夜もこなせていました。
だって、大人になってからの学び直しってとても楽しいのです。
若い人に混ざって、連日議論に明け暮れて、毎日が充実していました。
けれど、楽しかったのは1年生の間だけ。
2年生になると、研究が全く進まずに迷走を始めました。
そして、涙の留年決定___。
こうして、私の大学院生活は幸か不幸か長く続くことになったのです。
そして、その間に、正式に離婚もしました。
おかげで、お金は尽き(元々かなり無謀なのに)、
体力も大幅に削られることになりました。
働きながら学生したわけですからね。
休みなんかありませんでしたよ。
こんな生活を送るうちに、上が向けなくなってしまったのです。
新たなる転換を迎えた46歳の冬
回らない首を抱えながら、大学院を卒業したのは、まもなく
46歳になろうという頃でした。
卒業して迎えた誕生日、私は思いました。
「恋愛したい!!!」
家を出てから、4年近い歳月が経とうとしていました。
いろいろ思うところはあったけど、
もういいんじゃないかと思ったんです。
一人の時間も楽しかったけど、
一人で食べるケーキは味気ない。
てか、誕生日忘れてたし。
なんだったら、誕生日の日も整骨院だし。
仕事忙し過ぎて腰痛ひどくなっとるし。
良くなる端から悪くなるんじゃ、なんのために通っとるんかわからんし。
このままじゃ、いけない。
このままじゃ、職場と整骨院の養分として人生が終わる。
即日、私はマッチングアプリに登録しました。
合コンさえ経験したことないくせに、
人生初のマッチングアプリです。
(※合コンによる出会いが多かった世代による偏見含みの文章です)
そしてですね。
マッチングしたんですよ。
ごくあっさりと。
それから
私は、その後、最初にマッチングした彼と付き合っています。
付き合い始めてからしばらくして、彼の家の近くに引っ越しました。
仕事も変えました。
全くの異業種ですが、年収は上がりました。
それなりに忙しいし、まだまだ整骨院には通っています。
しかし!
首は動くようになりました!
ちゃんと上を向けるようになっています!
人生いろいろありましたが、今は落ち着いて暮らせています。
さてさて、ここからどうなることやらですが、
まずは、これまでの人生を振り返り、
こうして記事にしてみようと思います。
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皆様からの反響があれば、もっと詳しく書いてみようと思います。
どうぞよろしくお願いします。
自己紹介も試みました。
首が固まってしまった人に読んでほしいです。
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