【競馬】思い出の馬について書く(第15回)「エアギャングスター」
夏になりまして、夏競馬の季節ですね。
競馬の方は、早くも函館開催が終わり札幌開催になりましたね。
なんてところから、ちょっと書けずにいたらもう札幌開催も半分終わっている…。
時が流れるのが早すぎて…。
実家にいたころに行った札幌競馬場。
さてさて、今回は思い出の馬についてということで。自分がまだ北海道の実家にいたころの話でも書こうかなと思うわけですが…。
実家にいたころは札幌競馬場での開催がはじまりますと、さすがに毎日ではなかったですが札幌競馬場に足を運んでいましてね。
「学生時代までしか北海道にいなかったのに、どうして札幌競馬場に行っていたんだ」
と言われるとぐうの音もでないわけですがね。
もう25年以上前の話なので時効としてくれるとありがたい。
「誰しもちょっと悪いとわかっていても、悪いことをしてしまうお年頃ってあるよね…」
なんて書いてはいけないかしら。
今はもう、時代もかわりましてちょっとの悪事もすぐ炎上というかそれは良くないぞみたいな話になってくる世の中ですからねえ…。
一度の失敗や道の踏みはずしも許されない世の中という感じですよね。
そりゃあ逮捕されるレベルはもちろん許されませんけれどもね。
今まで、一度も悪いことをしたことがないという人があれはダメだこれはダメだと言うならまだしも、だいたいこういうのは自分の悪事は棚にあげて他人に対して言ったりしますからねえ…。
正義感アピールのために、自分のことは棚にあげて人に対しては否定や批判…。
嫌な世の中になりましたねえ…。
って、こんな話をするつもりじゃなかった…。
話は戻しまして。
はじめて札幌競馬場に行った時のことは、前に書きましたが
1997年の札幌記念の時ですね。
この記事内でも
「厳密にいえば法律的に…」
なんて話を書いていますね。
まあ、この年の札幌記念を見に行くことになった後は、ひとりでもしくは友人と夏になると札幌競馬場に行くという機会も出てきたわけですよ。
このころの札幌競馬場の思い出を話す時に。
自分がよくする話というのがふたつほどありまして。
ひとつはもう引退されましたが、当時減量騎手時代の武士沢友治騎手が、ダンチヒ系の馬に乗って穴をあけた話でしてね。
当時、競馬雑誌「サラブレ」で「金満血統王国」というコーナーがやっていたのですよね。
王様こと田端到さんを中心に血統から馬券術を色々提示していく。
というような連載コーナーだったのですけどね。
田端到さんは「パーフェクト種牡馬辞典」という競馬の種牡馬に特化した本でもおなじみですね。
うちにも1冊ありますよ。だいぶ前のやつですけど。
また、話はちょっとそれますけど…。
田端到さんのWikipediaのページがあったのですけど、改めてそのWikipediaページをみていましたらね。
「貧乳という言葉の考案者でもあり…」
なんて記述があったりしまして。
また新たな発見というか、知らなかったなあそれ。ということを知ったわけなんですけど。
その田端到さんを中心とした「金満血統王国」という連載の中で
「ダンチヒ系の馬は斤量が軽量になると穴をあける」
みたいな話があったのですよ。
そういうのをみましたら、その条件に合う馬が出てきたら気にして買いたくなっちゃうじゃないですか。
当時ダンチヒ系の斤量の軽い馬によく乗っていたのが、まだ減量騎手だった武士沢友治騎手で、結果武士沢友治騎手の乗り馬をよく買うことになってしまった。
というような話になるんですけどね。
イブキマンパワーとかね。
最近の馬の名前はどんどん覚えが悪くなっているのに、当時買った馬はまあ出てくること。
年齢とともに、その記憶に記憶違いが出てきたりするから厄介になるのですけどね…。
さてさて、もうひとつよく話すこととして出てくるのが
「エアギャングスターの新馬戦」
の話になるのですね。
今回はその話をしようと思っていたのに、ようやくですよ。
エアギャングスターの新馬戦!
まず「エアギャングスター」という馬について書きますとね。
父がサンデーサイレンス、母がダンシングキイという血統の伊藤雄二厩舎所属の馬になるのですけども。
ダンシングキイの子どもが、それまでにすごく走っていたのですね。
兄のエアダブリンはステイヤーズS、ダイヤモンドSの勝ちがあり、日本ダービーをナリタブライアンの2着、菊花賞はナリタブライアンの3着。
姉のダンスパートナーはオークス、エリザベス女王杯とG1をふたつ勝っていまして。
兄のダンスインザダークは菊花賞の勝ち馬で日本ダービー2着。
というようにダンシングキイの子どもは3頭のG1、重賞勝ち馬を出していたのです。
そんなダンシングキイの子どものエアギャングスターが新馬戦でデビューするということで、まだ走ったことが無いながらも、兄や姉レベルのそれだけの期待をされることになるわけですけどね。
今色々調べていっても、当時のオッズが出てこないですし…まあTARGETみたいなのを使えば出てくるのでしょうけど、うちでは導入をしていませんし。
ということで出馬表も無いのでね。記憶に頼るしかないわけですが、まあそうとうな人気をしましてね。
そんなエアギャングスターを他の陣営は避けたのか、出走頭数も5頭立てで頭数も少ないと。
そして、エアギャングスターが自分が札幌競馬場に行った日に横山典弘騎手が騎乗してデビューをするということになりましてね。
ぼくもその時は、エアギャングスターは評判だし頭数も少ない普通にここは勝つだろうと思ってましたよ。


こちらが結果になるのですけどね。
まだ減量騎手だった勝浦正樹騎手が騎乗しましたヤマニンアクロが逃げ切ることになるんですね。
エアギャングスターは2着もなく3着で…。
当時はまだ3連複どころかワイドの発売すらなかった時代。3着だと馬券にはならないのですよね。
単勝22倍もさることながら、5頭立ての複勝で7・5倍、6・7倍という荒れ方をしまして。
この時にすごく思ったのですよね。
「5頭しかいないからって、そんな単純なもんじゃないんだなあ…」と。
今でも少頭数なら当てるのは簡単だろうと言われることもありますけど、そんなことはないんだという話をする時に、このエアギャングスターの新馬戦の話をついしてしまいますね。
そういう意味でも記憶に残るレースのひとつでありますよ。
ヤマニンアクロはのちにG3の共同通信杯を勝ちましてね、日本ダービーに出走するまでいきましたし、この新馬戦で4着だったブルーコマンダーもダートで賞金加算して日本ダービーに出走しています。
一方エアギャングスターは折り返しの新馬戦を勝つものの、日本ダービー出走とはならず、血統での評判というか血統通りにはいかないもんなんだなあといったあたりもエアギャングスターからは学びましたかね。
まあ、しかしながらエアギャングスターも地道に頑張り、OPの巴賞を勝ち重賞で2着3着するくらいのところまではいきましたかね。
そんなこんなで今回は。
エアギャングスターについて書いてきましたけども。
かれこれ28年も前になりますから、出馬表やオッズが出てきませんし、その新馬のレース映像なんかもちょっと無さそうなんですけどね。
まあ、それくらい前のことですからしかたないですかね。
最後にエアギャングスターの映像でこちらがありましたので、エアギャングスターが2着になった2000年の札幌記念の映像のリンクをつけておきますかね。

このころは、自分自身は実家を出るか出ないかくらいの時期だから札幌記念を見に行った記憶はないんだよなあ…。
ファレノプシスとかシンボリインディとかG1馬も参戦して、そのあたりにエアギャングスターは先着してますねえ。
しかし、この時のダイワカーリアンは強い競馬してんなあ…。
田面木博公騎手の重賞勝ちとか…時代だなあ。
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