EU AI法デジタル・オムニバス最終妥協案 / 適用日の確定と実務調整 雑感
Ⅰ 欧州AI法の実装に向けた軌道修正
欧州連合で成立したAI法について、施行時の実務的課題を解消するための法改正プロセスが早くも進行している。2026年3月16日、欧州議会の域内市場・消費者保護委員会(IMCO)および市民的自由・司法・内務委員会(LIBE)の合同委員会は、AI法(Regulation (EU) 2024/1689)の適用簡素化を目的とする「デジタル・オムニバス」規則案に関する最終妥協修正案を公表した〔注1〕。共同報告者はArba Kokalari議員(EPP)とMichael McNamara議員(Renew)であり、本案は3月26日の本会議での採択を経て、理事会との三者協議(トリローグ)へと移行する見通しである。
法の理念を現実の産業構造に落とし込む過程では、必ず事業者のコンプライアンス負担や既存法令との重複が生じる。本妥協案の背景には、ハイリスクAIシステムに関する第III章の義務をめぐる整合規格の策定遅延、国内主管庁の設立遅延、適合性評価枠組みの整備遅延が重なり、当初想定を超える実務負荷が発生したという事情がある〔注2〕。法執行の遅滞を防ぎつつ、過度な実務負担を削ぎ落とすための具体的な調整として、提示された妥協修正案を以下に整理する。
Ⅱ ハイリスクAI規定をめぐる主要論点
1 適用期限の確定
事業者にとって最大の懸念であった高リスクAIシステムの要件適用日について、明確な期限が設定された。CA 2による113条の改正により、欧州委員会によるコンプライアンス支援措置の整備状況に依存する流動的な適用時期決定メカニズムは廃止され、確定的な期限が導入されている〔注3〕。
設計の骨格は次のとおりである。欧州委員会が第III章への準拠を支援する措置の利用可能性を確認する決定を採択した場合、付属書III(生体認証等)に基づくシステムについては当該決定から6か月後、付属書I(機械・医療機器等)に基づくシステムについては12か月後に各義務が適用される。ただし、委員会決定が遅れた場合または発出されない場合でも、前者については2027年12月2日、後者については2028年8月2日をもって適用が開始される上限が明示されている。
規格整備という技術的条件を法的義務の発生要件として取り込む「条件付き適用開始」という設計は、委員会に対して規格・ガイダンスの整備を促す規律機能も同時に果たしうる。AI法が当初掲げた2026年8月2日という一般適用日がハイリスクAI規定については後退したことは事実だが、無期限の先送りではなく上限を明示した点において、単純な規制緩和とは性格が異なる。
2 製品安全規制との重複解消
機械や医療機器など、既存の分野別製品安全法規の対象となる製品AIについて、二重規制を解消する手当てがなされた。CA 2は付属書IのセクションAを削除してその対象をセクションBへ移管するとともに、医療機器規則(Regulation (EU) 2017/745)および体外診断医療機器規則(Regulation (EU) 2017/746)をはじめとする分野別製品安全規則に対してAI法のハイリスクAI要件を組み込む条文群(Articles 110a~110l)を整備している〔注4〕。
この再編の趣旨は、分野別安全規制を「一次的枠組み」として機能させながら、AI法のハイリスクAI要件を当該分野別法の必須安全要件に読み込むアプローチである。既存の厳格な規制環境下にある事業者が二重の適合性評価を迫られる事態を抑制しつつ、AI法の水平的整合性を維持しようとする設計といえる。委任立法の策定過程における調整の実質が問われることになるが、方向性としては評価できる。
3 透かし義務の猶予期間
AI法50条(2)の透かし(ウォーターマーク)義務について、2026年8月2日以前に市場投入済みの生成AIシステムに対しては3か月の移行期間が設けられ、事業者は2026年11月2日までに準拠措置を講じることが求められる〔注5〕。欧州委員会が当初提案していた6か月の猶予から半減したことは、合成コンテンツの拡散に対する欧州議会の問題意識を反映している。
Ⅲ 規制強化と義務後退の並存
1 非同意の性的ディープフェイクの明示的禁止
CA 2はAI法5条の禁止行為リストに新たな類型を追加する。識別可能な自然人の同意を得ずに、その性的活動や親密な身体部位を描写する写実的な画像・動画を生成・改変するAIシステムの市場投入・使用の禁止がそれである〔注6〕。いわゆるディープフェイク・ポルノを念頭に置いた直接的な規制であり、直接的被害に対して躊躇なく規制の網を広げる姿勢が示されている。
ただし、事業者または導入者が当該描写の生成および誤用を継続的に防止するための実効的な安全措置を講じている場合には適用除外となる。また、AI事業者が当該技術能力を開発すること自体は妨げないとも規定されている。「実効的な安全措置」の内容・水準の不明確さは解釈論上の問題を将来的に生じさせうるが、技術開発能力と悪用禁止を峻別するという枠組みの設計自体は合理的である。
2 AIリテラシー義務の後退
CA 1はAI法4条に実質的な変容をもたらす。改正前の4条は、提供者や導入者に対し、スタッフ等の「十分なAIリテラシーの水準の確保」を義務付ける構造をとっていたが、修正案では欧州委員会および加盟国が提供者・導入者を「奨励する」という形へと主体と性格を転換し、特定の個人の一定水準のリテラシーを保証する義務ではない旨が明示されている〔注7〕。一律の教育義務がもたらすコンプライアンス疲労を回避する動機は理解できるが、スタッフ保護の観点からは規範力の後退とも評せる。「奨励」という構造が実効性を持つかどうかは、今後策定されるガイダンスの内容に委ねられる。
3 バイアス検出のための要配慮個人データ処理
CA 2は新たに4a条を挿入し、バイアス検出・是正を目的とする要配慮個人データ処理に対して特別の法的根拠を設ける。AI法10条(5)においてすでにハイリスクAIシステムの提供者に同様の規定が存在するが、今回の修正はその他のAIシステム・モデルの提供者および導入者にも拡張するものである〔注8〕。処理の許容条件として、それ以外のデータ処理によって実効的にバイアス検出が実施できないこと、仮名化を含む最新の安全措置の適用、厳格なアクセス制御、第三者への提供禁止、是正完了後の削除等、複数の累積的条件が課されている。バイアスを検証するためには実際のデータ処理が避けられないという技術的現実と、データ保護の要請との均衡点を探るアプローチとして、方向性は理解できる。
4 中小企業への配慮の拡張
技術文書の簡略化、品質管理システム要件の簡素化、罰金上限の特例といった負担軽減措置が、SMEにとどまらずより規模の大きい小規模中堅企業(SMC)にも拡大適用されることとなった〔注9〕。成長段階にある企業が過度な規制コストによって競争力を失うことを防ぐ配慮といえる。
Ⅳ むすびにかえて
本妥協修正案を俯瞰すると、AI法の保護法益を維持しつつ、実務への実装に伴う摩擦を現実的な水準へ引き下げようとする政策的判断の産物として整理できる。適用期限の確定や製品安全法制との調整は産業界の予見可能性を高める一方、非同意の性的ディープフェイクの禁止に見られるように、看過できない直接的被害に対しては規制の網を広げるという、強化と後退の並存した構造をとっている。
「条件付き適用開始」という設計が今後の他の規制領域にも応用されうるかどうか、また三者協議を経て最終テキストにどのような変容が加わるか、引き続き注目している。
〔注1〕 European Parliament, Committee on the Internal Market and Consumer Protection / Committee on Civil Liberties, Justice and Home Affairs, Final Compromise Amendments on the Draft Report on the Proposal for a Regulation of the European Parliament and of the Council amending Regulations (EU) 2024/1689 and (EU) 2018/1139 as regards the simplification of the implementation of harmonised rules on artificial intelligence (Digital Omnibus on AI), 2025/0359(COD) - CJ40/10/04577, SM/AS/ZR/TQ/ab, 16 March 2026 [以下「本妥協修正案」].
〔注2〕 本妥協修正案 Recital (2).
〔注3〕 本妥協修正案 Compromise Amendment 2 (CA 2), Article 113.
〔注4〕 本妥協修正案 CA 2, Articles 110a–110l, Annex I.
〔注5〕 本妥協修正案 CA 2, Article 111(4); Recital (20).
〔注6〕 本妥協修正案 CA 2, Article 5(1)(ha).
〔注7〕 本妥協修正案 Compromise Amendment 1 (CA 1), Article 4.
〔注8〕 本妥協修正案 CA 2, Article 4a.
〔注9〕 本妥協修正案 Compromise Amendment 5, Article 11; Compromise Amendment 6, Articles 63, 99.
(マガジン)「AIと法雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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