CAIDPによるベトナムへのAI条約加盟提言と「署名」「加入」の法技術的相違 / 2026年の視点から雑感



0 はじめに

 2026年1月30日、Center for AI and Digital Policy(以下「CAIDP」という)は、ベトナム社会主義共和国に対し、欧州評議会(Council of Europe)人工知能委員会(CAI)へのオブザーバー参加申請と、人工知能及び人権、民主主義並びに法の支配に関する枠組条約(以下「AI条約」という)への署名・批准を促す文書を公表した。

 CAIDPの文書は、ベトナムがすでに国内AIガバナンスを加速させている点を評価しつつ、国際的な法的拘束力ある枠組みへ接続せよと背中を押す構図である。

 この種の提言は、AIガバナンスの文脈では見慣れた光景になりつつある。もっとも、国際条約の世界では「署名」「批准」「加入(accession)」が似て非なる行為であり、入口の条文(署名資格や加入要件)だけで議論の地形が変わる。AI規制の議論が盛り上がるほど、こうした地味な条文が相対的に忘れられやすい。そこで本稿は、CAIDPの提言を素材に、CAIオブザーバー参加とAI条約の関係、ベトナム国内法の整備状況、「署名」と「加入」の法技術的相違、企業実務への含意を順に整理する。

1 問題の所在

 AIガバナンスは国内法だけで完結しない。モデルもデータも供給網も越境する以上、各国は相互運用性(interoperability)を意識して制度を組み立てる。EU AI法が域外に波及するのはその一例であり、ベトナムがリスクベースの分類や透明性義務を採用するのも、国際的な潮流と無縁ではない。

 他方で、国際法の側から見れば、AI条約は欧州評議会の文脈では初の法的拘束力ある一般的枠組みと位置づけられ、各国の国内法整備を促す外部の物差しになりうる。

 しかし、条約は万能のスイッチではない。条約の効力は、署名から批准(又は承認)、発効、国内実施という工程を経て初めて厚みを持つ。そして、非加盟国が「署名」できるかどうかは、条約本文の最終条項により決まる。ここに、CAIDPの提言を読み解くうえでの法技術的な問いが生じる。

2 CAIDP提言の骨格

 CAIDP文書の要求は明快である。第一に、CAIへのオブザーバー参加を申請せよ。第二に、AI条約に署名し批准せよ、である。加えてCAIDPは、ベトナムのAI法制定やデジタル関連法制(個人データ保護、サイバーセキュリティ等)の整備を列挙し、国内の制度基盤が整いつつあることを強調する。

 CAIDPの論理は、ベトナムはすでに国内法においてAI条約が求める要件の多くを具現化しているというものである。したがって、条約に加盟することは、これら国内改革を国際的な法的枠組みの中に位置づけ、その正当性と不可逆性を担保する最良の手段となる、と説く。

3 「署名」か「加入」か 入口条項の読み違え

 ところが、ここで一段ギアを落として条約本文を見ると、見取り図が変わる。

 AI条約(CETS No. 225)第30条は、署名資格を定める。同条第1項によれば、本条約は、欧州評議会加盟国、その策定に参加した非加盟国(non-member States which have participated in its elaboration)、及び欧州連合に対して署名のために開放される。

 条約策定に参加した非加盟国は、アルゼンチン、オーストラリア、カナダ、コスタリカ、教皇庁、イスラエル、日本、メキシコ、ペルー、アメリカ合衆国、ウルグアイの11か国である。ベトナムはこの中に含まれていない。

 他方、第31条は、策定に参加していない非加盟国が参加する経路として「加入(accession)」を用意する。同条第1項によれば、本条約の発効後、欧州評議会閣僚委員会は、条約当事国と協議し、その全会一致の同意を得たうえで、策定に参加していない非加盟国に対し、加入を招請することができる。

 すなわち、ベトナムが策定参加国でない以上、直ちに「署名」するというシナリオは条約文言上は自然ではなく、「加入」の議論として組み立てる方が整合的である。

 点は、単なる用語のこだわりではない。署名は、条約上入口の資格を満たす主体に与えられる手続であり、加入は発効後に当事国が外部の国を迎え入れる装置である。加入が招請制であり、かつ既存当事国の全会一致の同意を要する以上、政治・外交の文脈(当事国の評価、信頼、相互利益)が色濃く反映される。

 CAIDPが「オブザーバー参加を手続上の必要条件」と述べるのは、厳密な法的要件というより、招請を得るための政治的・制度的布石として理解する方が筋が良い。CAIでの実績を積み、当事国との信頼関係を構築することで、将来の加入招請への道を開くという戦略である。

4 ベトナム国内法の整備状況 EU型の翻案とローカルな調整

 ベトナムは2025年から2026年にかけて、矢継ぎ早に関連法制を整備した。

 まず、2025年12月10日に可決されたベトナム人工知能法(Law on AI, No. 134/2025/QH15)は、2026年3月1日に施行される。同法は、EU AI法を強く参照しつつ、AIシステムを高リスク・中リスク・低リスクに分類する枠組みを採用し、提供者(provider)と利用者(deployer)それぞれに文書化、通知、透明性確保、AI生成コンテンツの表示等の義務を課す。特徴的なのは、「AIであることが容易に認識できない形で利用者を誤認させ、影響・操作しうる」類型を置き、生成AI・ディープフェイクを制度的に射程に入れている点である。

 次に、ベトナム個人データ保護法(No. 91/2025/QH15)が2025年6月26日に可決され、2026年1月1日に施行された。同法はGDPRの影響を色濃く反映し、重大な違反に対する罰則規定や、データ侵害時の72時間以内の通知義務を定める。AIガバナンスの観点から注目されるのは、ビッグデータ処理や人工知能におけるデータ保護に関する規定(第30条)であり、AIシステムにおける適切なデータセキュリティ措置の統合を義務付けている。

 さらに、ベトナムサイバーセキュリティ法(No. 116/2025/QH15)が2025年12月10日に可決され、2026年7月1日に施行される。

 これらを並べると、ベトナムはAI法の制定を頂点に、リスク分類、透明性、データ保護、サイバーセキュリティを束ねる法体系へ移行しつつあると言える。AI条約が求めるのも、まさにAIシステムのライフサイクル全体を通じて、人権・民主主義・法の支配の観点からリスク管理と救済を整備することである。

5 ソフトローの重ね塗りと「条約」という硬化剤

 国際AIガバナンスは、条約だけで進むわけではない。UNESCOのAI倫理勧告や、その実装支援ツールであるRAM(AI準備評価)は、各国の制度・能力を診断し、政策メニューを提示する。ベトナムについても、UNESCOはRAM報告書を2025年に公表している。

 OECDのAI原則(OECD/LEGAL/0449)も、拘束力の弱いが参照可能性の高い国際標準として、各国の制度設計に影響を与えてきた。地域レベルではASEANの政策協調も進み、2026年1月にはベトナムがホスト国となった第6回ASEANデジタル大臣会合でハノイ・デジタル宣言が採択された。

 このように、条約はハードロー、RAM・原則はソフトロー、地域協調は中間層という多層構造が見えやすい。条約は原則を掲げるだけでなく、当事国に国内措置を取れと要求し、実施状況の報告や当事国会合(Conference of the Parties)を通じたピアレビュー的な圧力を生む。ソフトローで広げた原則の輪郭を、条約で法的手続に接着するという順序があり得る。CAIDPの提言は、この接着点としてAI条約を見ているのだろう。

6 数字と法的地位の確認

 条約を巡る数字の扱いも、一次資料で確認すべき領域である。CAIDP文書は「45か国が署名した」と述べる一方、この数字には注意が必要である。

 2024年5月17日の条約採択時点で策定に参加したのは、欧州評議会加盟46か国、EU、及び非加盟国11か国である。しかし、これは策定参加国であり、署名国ではない。2024年9月5日のヴィリニュスでの署名開放時に実際に署名したのは、アンドラ、ジョージア、アイスランド、ノルウェー、モルドバ共和国、サンマリノ、英国、イスラエル、米国、EUの10主体であった。

 条約は、5か国(うち欧州評議会加盟国3か国以上)の批准により発効する。2025年11月1日に発効要件を満たしたとされ、英国、フランス、ノルウェー等が批准を完了している。ここには「署名」「支持(endorse)」「当事者性」の概念混同が入り込みやすい。AIガバナンスの議論はしばしば政治的キャッチコピーに引っ張られるため、数字と法的地位は必ず一次資料で確かめたい。

7 企業実務への含意

 実務視点として、重要なのは規制が一枚岩ではなく層である点である。ベトナム人工知能法は、リスク分類と透明性・表示を中心に据え、提供者・利用者の役割分担を明確化する。個人データ保護法とサイバーセキュリティ法は、データ取扱いと情報空間の統治を横断的に締める。

 ここに将来的にAI条約(加入による当事国化)が重なると、条約由来の人権影響評価や救済アクセスといった縦の要請が、国内法制を再編する契機になりうる。

 したがって、実務上は少なくとも次の三点を分けて管理する必要がある。第一に、AIシステムそのものの分類(高・中・低リスク)と、それに応じた技術文書、通知、表示、監督対応である。第二に、個人データの処理と越境移転、ログ管理、インシデント対応を含むデータ・セキュリティ統制である。第三に、生成AI・ディープフェイクを含むコンテンツ生成・編集の透明性(ラベリング等)と、誤認・詐欺リスクの低減である。

 条約加入の可能性が論点になる場合、さらに当事国が何をもって招請するのかという政治経済的要素が入る。ここは企業が直接コントロールできないが、少なくとも自社のコンプライアンス態勢(透明性、説明可能性、監督協力、救済設計)が、相手国当局や取引先に対する信頼形成の素材になる点は見落とせない。

8 おわりに

 AIガバナンスは、派手なスローガンよりも地味な条文で動く。署名資格、加入要件、発効条件は条約の末尾に置かれがちだが、実は最初に読むべき条文でもある。

 CAIDPの提言は、ベトナムの制度整備を国際枠組みへ接続するという大きな方向性を示す一方で、「署名」という語が持つ法技術的な重さを改めて意識させる。AI条約の議論が広がるほど、一次資料に戻る頻度を上げる必要がある。AIは国境を越えるが、法は条文を越えない。そこに、面倒だが面白さがあるように思える。

参考資料(最終閲覧日はいずれも2026年2月2日)

Center for AI and Digital Policy, A Call to Viet Nam to Request Observer Status on the Council of Europe Committee on AI, and Sign and Ratify the International Treaty on AI, Human Rights, Democracy, and the Rule of Law(30 Jan. 2026)
https://www.caidp.org/

Council of Europe, Framework Convention on Artificial Intelligence and Human Rights, Democracy and the Rule of Law (CETS No. 225)(5 Sep. 2024)
https://rm.coe.int/1680afae3c

Council of Europe, Portal - Council of Europe opens first ever global treaty on AI for signature(5 Sep. 2024)
https://www.coe.int/en/web/portal/-/council-of-europe-opens-first-ever-global-treaty-on-ai-for-signature

Socialist Republic of Vietnam, Law on Artificial Intelligence 2025, No. 134/2025/QH15(Dec. 10, 2025)
https://english.luatvietnam.vn/law-no-134-2025-qh15-dated-december-10-2025-of-the-national-assembly-on-artificial-intelligence-422299-doc1.html

Socialist Republic of Vietnam, Law on Personal Data Protection, No. 91/2025/QH15(June 26, 2025)
https://english.luatvietnam.vn/dan-su/law-on-personal-data-protection-law-no-91-2025-qh15-405135-d1.html

Rajah & Tann Asia, New Law on Artificial Intelligence Takes Effect on 1 March 2026(20 Jan. 2026)
https://www.rajahtannasia.com/viewpoints/new-law-on-artificial-intelligence-takes-effect-on-1-march-2026/

Tilleke & Gibbins, Vietnam's New Personal Data Protection Law: A Closer Look
https://www.tilleke.com/insights/vietnams-new-personal-data-protection-law-a-closer-look/

UNESCO, Viet Nam Artificial Intelligence Readiness Assessment Report(2025)
https://articles.unesco.org/

OECD, Recommendation of the Council on Artificial Intelligence (OECD/LEGAL/0449)
https://legalinstruments.oecd.org/en/instruments/OECD-LEGAL-0449

(マガジン)「AIと法-雑感」

 ※目次は以下を参照

note総則規約3条2項前段
3.2 クリエイターが制作したデジタルコンテンツの著作権は、クリエイターに帰属します。

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