金融とAI / エージェンティックAIの自律性とガバナンスの構造転換雑感
0 はじめに
2024年から2025年にかけて、金融セクターにおける生成AIの議論は、いわばチャットボットをどう業務に埋め込むかという実務論が中心であった。要約、対話、文書作成といった付加機能の域を出なかった、と言い換えてもよい。ところが2026年に向けた論点は、様相を異にする。
先日公表されたBaker McKenzieのレポート「2026: What's on the Radar for Financial Institutions?」は、金融機関が直面する技術的変容の核心を「エージェンティックAI」という言葉で表現している。同レポートによれば、銀行のリーダーの70%が既にエージェンティックAIの導入またはパイロット運用を行っているという。この数字は、MIT Technology Review(2025)の調査を引用したものである。
今回は、同レポートが示唆する「生成から自律へ」という技術的変遷が、法とガバナンスの領域、とりわけ金融機関の統制構造にいかなる変容を迫るものであるかについて検討する。これは単なる新技術の解説ではない。近代法が前提としてきた「人間の介在」という原理が、AIの自律性によって侵食される局面における、法的思考の整理を試みるものである。
1 問題の所在 道具から代理人へ
まず、議論の対象となるエージェンティックAIの定義を確認しておきたい。従来の生成AIが、ユーザーの指示に対して受動的に応答する道具であったのに対し、エージェンティックAIは、定義された目的を達成するために、独立したAIエージェントが協調し、自律的に計画し、実行し、適応するシステムであるとされる。
レポートにおいてVin Bange氏(Baker McKenzie ロンドン事務所パートナー)が指摘するように、この技術の核心は「自律的機能」にある。AIはウェブ検索、システム操作、他のモデルやエージェントの使用といった手段を自ら選択し、実行する。人間は例外処理、監視、コーチングのためにループ内に留まるものの、具体的なプロセス決定の主導権はAI側に移行している。
ここで法的に無視できない問いが生じる。AIが単なる道具であることを超え、一種の代理に近い機能を果たし始めているのではないか、という点である。民法上の代理人が本人のために意思表示を行うのと同様に、エージェンティックAIはユーザーの包括的な目的設定に基づき、具体的な手段、契約締結、決済実行、データ収集等を自律的に決定し、実行する。
しかし、現行法においてAIは権利義務の主体、すなわち法的人格とはなり得ない。ここに、事実上の代理人として振る舞うAIと、道具としてしかAIを評価できない法体系との間に、深刻な乖離が生じる。AIが自律的に選択した手段が違法であった場合、あるいは予期せぬ損害を生じさせた場合、その責任を道具の欠陥として構成するのか、使用者の監督過失として構成するのか。エージェンティックAIの高度な自律性は、この境界線を曖昧にする。
2 ガバナンス構造の問題 ハブ・アンド・スポークの限界と可能性
レポートは、金融機関の伝統的なガバナンス構造であるハブ・アンド・スポーク型モデルが、エージェンティックAIに対して機能不全に陥る可能性を指摘している。
従来、リスク選好やコンプライアンス基準を設定するハブと、それを各部門で実行するスポークの構造は、人間がプロセスの中心に介在し、監視と制御を担うことを前提としていた。いわゆる「Human-in-the-loop」である。人間が入力し、AIが提案し、人間が意思決定し、人間が実行する、という工程である。しかし、エージェンティックAIは、その自律性ゆえにこの前提を崩す。レポートの表現を借りれば、「人間をループから外す」性質を持つ。
AIエージェントが、タスク遂行のために必要なリソースやプロセスを自律的に決定し、複数のドメインを横断して処理を進める場合、人間によるリアルタイムの承認や監視は物理的に不可能となる。ハブで設定された抽象的な規範、たとえば「公平な取引を行え」が、スポークである自律的エージェントの具体的な行動レベルで遵守されているか否かを確認する術が失われるのである。
もっとも、レポートが示唆するのはハブ・アンド・スポーク構造の全否定ではない。むしろ、ハブが共通の最低基準を課し、スポークが各領域、コンプライアンス、リスク管理、AML/CFT、データプライバシー、セキュリティ等で固有の統制を担う、という構造自体は維持しつつ、その「結び目」の設計を刷新する必要がある、という提言である。
ここで問われるのは、責任の所在である。人間の意思決定に結びつく設計、決裁ログ、承認フロー、権限規程が薄まるほど、事後的に責任を帰属させるための仕組み、すなわちトレーサビリティの確保が主戦場になる。モデルやエージェントの行動記録、権限境界の設定、ログと再現性、結局、誰がケツを持つのか、という俗っぽい問いに帰着する。
3 M&Aデューデリジェンスの新たな地平
実務的な観点から興味深い論点は、フィンテック企業のM&Aにおけるデューデリジェンスの変化である。レポートおよび関連資料では、「サイレント」な悪意あるエージェントのリスクが言及されている。
買収対象企業のシステム内に、数ヶ月間休眠状態にあり、特定のトリガー、日付、市場環境、外部からの信号等によって突如として活動を開始する自律的なコードやエージェントが潜んでいる可能性である。従来の静的なソースコードレビューや、稼働中のシステム監査では発見できない可能性がある。
これは、単なるサイバーDDの強化ではない。買収対象のソフトウェアが、何をしうるかだけでなく、いつ、どの条件で、どこへ接続して動き出すかを問題にするからである。従来のDDは、脆弱性、権限管理、第三者ライブラリ、データ取扱い、インシデント履歴といった項目を中心に回る。しかし、エージェンティックAIが実務に入り込むと、権限委譲の境界、行動計画の生成ルール、ログと再現性、そして「眠っている」自動化、スケジューラ、イベント駆動、外部API連携を、買収前に相当程度洗い出す必要が出てくる。
このリスクは、M&A契約における表明保証条項の設計に直結する。「対象会社のシステムに悪意あるコードが含まれていないこと」という一般的な条項だけでは、自律的に振る舞いを変えるエージェンティックAIのリスクを十分にカバーできない。法務担当者は、技術チームと連携し、AIエージェントの潜在的な振る舞いや自律性の範囲を検証するための動的な監査、シミュレーションやサンドボックスでのテストをDDのプロセスに組み込む必要がある。
ここで法務が担うべきは、技術項目の列挙ではなく、表明保証・補償・コベナンツの「失敗の仕方」を設計することである。エージェント起因の事故が起きたとき、何が既存の欠陥で、何が買収後の運用の問題かを分けられる条項設計が要る。現実には混ざるのだが、混ざる前提で線を引かないと、紛争は濃縮される。
4 サイバーセキュリティの両義性
レポートは、AIによる防御能力の向上とともに、ソーシャルエンジニアリングや脆弱性の迅速な悪用といった攻撃側の脅威増大を指摘している。AIはサイバーレジリエンスを加速させる一方で、攻撃の効果も増す。諸刃の剣である。
攻撃側がAIを使うことは、もはや未来ではなく現在である。特にスピアフィッシングの精度、侵入後の横展開、脆弱性探索とPoC化の速度が上がる。防御側もAIで検知・封じ込めを自動化するが、エージェント化が進めば「防御の自動化」それ自体が攻撃対象になる。誤検知誘発、ログ汚染、センサー欺瞞などが想定される。
金融領域の厄介さは、事故が「止められない」点にある。金融機関は、止めれば信用を失い、止めなければ被害が拡大する。レポートでは、エージェンティックAIの導入はリスクと課題――バイアス、知財、争訟・救済など――を増幅させ、ガバナンス枠組みの改造が必要だと述べられている。
レポートが述べる「手作業にフォールバックできるようにする」という一文は、控えめだが重い。AIが業務の実体を担い始めるほど、「人間が戻る道」を用意しておくことの難度は上がる。ここから先は、セキュリティの議論というより、BCPとガバナンスの議論である。
5 規制の乖離
レポートは、米国における規制緩和の動きと、EUにおけるAI法(EU AI Act)やDORAによる規制強化の対比を描いている。
この点、EUではAI Actを含むAI規制の議論が銀行・決済領域にも波及しており、欧州銀行監督機構(EBA)がAI Actと金融セクター規制の関係を整理する文書を2025年11月に公表している。
グローバルな金融機関にとって、この規制の乖離は深刻なジレンマである。EUの基準に合わせて厳格な人間による監視を実装すれば、エージェンティックAIの最大の利点である自律性とスピードを殺ぐことになる。一方で、米国の基準に合わせて効率性を追求すれば、EU市場でのコンプライアンス違反リスクを抱え込む。
結果として、地域ごとに異なるAIアーキテクチャやガバナンス体制を構築せざるを得ず、これが組織全体のデータガバナンスの複雑化とコスト増大を招く。AIというボーダーレスな技術に対し、法規制の主権国家性がボトルネックとなる構図は、2026年においても解消されるどころか、より先鋭化していると言える。
6 「70%」という数字の読み方
レポートの図表には、「MIT Technology Review(2025)によれば、銀行リーダーの70%がエージェンティックAIの本番導入またはパイロット導入を報告」とある。
この種の数字は、普及率として読むと危ない。むしろ「統制負荷が臨界点に近づいている」サインとして読む方が生産的である。パイロットが増えれば増えるほど、統制が追いつかない「試行の群れ」が組織内に散らばる。ハブ・アンド・スポークが必要になるのも、この段階である。
なお、同趣旨の「70%」は二次的な解説記事等でも流通しているが、一次資料まで遡って数字の定義――母数、地域、役職、質問文、時点――を確認しないと、引用は危うい。これは、引用する側の倫理の問題である。
7 おわりに
エージェンティックAIは、金融機関に効率化をもたらす。しかし、それ以上に、責任・統制・監査・BCPを再配線させる。人間が監督者になるなら、人間は「最後の意思決定者」ではなく、最後の安全装置になる。安全装置は、普段は動かない。だからこそ、普段から整備されていないと、いざというときに作動しない。
金融は、システムが止まると社会が止まる領域である。ここでのAIガバナンスは、倫理の宣言ではなく、失敗の設計だ。どこで止めるか、どう戻るか、どう証明するか。エージェンティックAI時代の法務は、抽象原理よりも、むしろ工学的な想像力を要求される。
断片化し、自律化するシステムの中で、法の支配をいかに貫徹するか。それは、条文の解釈を超えた、アーキテクチャの設計思想に関わる問いとなるだろう。
参考資料
Baker McKenzie, "2026: What's on the Radar for Financial Institutions?" (2026年1月)
https://www.bakermckenzie.com/en/insight/publications/2026/01/whats-on-the-radar-for-financial-institutions(最終閲覧日2026年1月25日)
European Banking Authority, "AI Act: implications for the EU banking and payments sector" (2025年11月21日)
https://www.eba.europa.eu/sites/default/files/2025-11/d8b999ce-a1d9-4964-9606-971bbc2aaf89/AI Act implications for the EU banking sector.pdf(最終閲覧日2026年1月25日)
(マガジン)「AIと法-雑感」
※目次は以下を参照
note総則規約3条2項前段
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