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noteで書く習慣(一般人の僕がnoteで自分を構築する方法)


はじめに


noteを始めて2年を過ぎた。

全体ビューは780,000、スキは55,000、フォローは2,400。

この数値については計測方法、解釈がいろいろあって、単純に多いから良い、とは言えません。
けれども、1記事1記事を積み上げた結果として、2年以上続けてきた成果として、感慨深い。

ここに至るまでに、色々と試行錯誤をしてきました。
これが正しいnote運用とはいえない。
もっと数値での成果を上げている人はたくさんいます。

僕はnoteのことを何も知らず、ただひたすらアウトプットの場として記事を書き続けてきただけ。
全体ビュー数やスキを増やしたい、そのために記事を書いてきたのではありません。

こう言うと、

「いやまたまた、とか言って、しっかりとスキを集めるような工夫をしてるじゃありませんか」

と思う人がいるかもしれません。

多少意識する事はあるにせよ、このnoteはすべて、僕のアウトプットのための実験場です。

これが正解ではない。
けれど、これまで続けてきた記録として、僕なりのnote運用方法をここに記そうと思ったのです。



第1章 書くことを始める ― 発信の第一歩


書く事は、真っ暗なトンネルの中、光を灯すことだ。

書くことで、物事がはっきりと輪郭をなし、あるいは未来が想像でき、また過去を思い出すことができる。

書く手段を得た人間は、ここまで進化しました。
様々な進化の要因があるのでしょうが、僕は、読むことや、その前に書くこと、が重要なポイントだったと考えています。
もちろん、専門家でもなんでもないので、あくまでも想像。

しゃべること、動くこと、行動で示すなど、それぞれ利点欠点はあるけれど、書くことがもたらした意味は、あまりピックアップされていない。

書くことで灯された光は、小さかったり、大きかったり、点滅していたり、ゆらゆらと揺れ動いていたりします。
それぞれの書く行為が、それぞれ違った光を灯す。
その光によって、人々が感動したり、笑ったり泣いたりすることができます。

そう、人を震わす、ことができる。

みんな書くことが重要であるとなんとなくはわかっています。

が、違う、書くことが直接、人類の進化につながっている。
書くことの価値をみんなもっと考えれば、理解すれば、きっと誰彼なしに書き始める。

灯った光はどんどん溜まっていき、その光が光を呼び、まぶしい位、暗闇など忘れてしまったように、世界は明るくなっていきます。

そのうちに、明るいばかりが光ではないと、人々は気づく。

すなわち、書くことによってもたらされた明かりが、暗いこともあり得るのです。

書くことは光を灯すとともに、光を消すことにもなる。

僕たちはそのことも肝に命じておかなければならない。

そう、諸刃の剣です。

書くことによって悲しむ、怒りだす人も存在します。
そのことを知らずに、ただ無知なだけで書くことを続け、致命的な何かを犯してしまうかもしれない。
それを避けるために、書くことが光を灯すことであると、皆が自覚する必要があります。

とにかく、人類は書くことで、地球上に、宇宙に創造をもたらしたのです。

1−1 noteという扉をそっと開いた日


僕がnoteを始めたきっかけははっきりしています。

僕のnoteの1番最初の記事を引用しましょう。


俺のアウトプットを止めることは、まぐろに泳ぐなと言っているようなものである。
アウトプット前提のインプットであることを自覚しろ。
はい、だからノートを利用して、アウトプットを継続します。
習慣化の権化となります。

という、たった4行、100字の記事。

当時、インプットが過剰になっていました。

その少し前、僕はKindle出版というアウトプットの手法を見つけ、その可能性を見出し、執筆し、情報を発信していました。
けれども僕はふと疑問を持ちました。
公務員という立場上、副業規定があり、個人でKindle出版することは認められないのではないか、すなわちAmazonにKindle本を常に出版させておくのはグレーゾーン、どちらかといえば黒寄り、ということになるのではないか。
(この辺の法律関係は専門家ではないので、詳しい人がいるのならぜひ教えてください)
とにかく、Kindle本を出し続けるのはよろしくないな、と肌感覚で感じた僕は、Kindle出版を一旦全て停止します。
別に儲かっていたわけではなく、月々1000円程度、せいぜい2000円ぐらいでした。
この程度であれば同人誌や趣味の範囲に収まります。
けれども、これは僕が何もしなくとも入ってくる収入なわけで、冊数を増やし続けていれば、それだけ収入も増えていくことを意味している。
そこに副業としての可能性を見出したわけですが、同時に危険性も感じた。

保守的な公務員の本能としての勘で、「これは危険」と判断しました。

そして、Kindle出版というアウトプットを失った僕は、かといってインプットを止める理由もなく続ける。
どんどんどんどん頭が膨らんでいきます。
やがて知識で頭がはち切れんばかり、許容量を超え、頭から漏れ始める。
これではインプットをしている意味はほとんどなくなってしまいます。
何せ頭にはパンパンに入っている。これ以上詰め込んでも溢れかえるだけです。

僕の本能は適切なアウトプットを求めていた。

そして、そのアウトプット先として、たまたま目に入ったnoteを選んだわけです。

幸運なことにnoteと僕の相性がすこぶる良かった。

今までにもブログ、また、個人のホームページも作ったこともありました。そういうアウトプットを様々試みて、Kindle出版に落ち着いていたのです。
今更ブログを再び始めるにしても、Xなど他のSNSをするにしても、出遅れ感があって、手を出せない。
そこにやってきたnoteでした。
シンプルな構造に魅了されます。
いてもたってもいられず、見つけて30分ぐらいで先ほど紹介した最初の記事を投稿しました。

そのような環境にあった僕にとって、noteは非常に使い勝手が良かった。

1−2 才能も特別な計画もいらなかった


そう、僕はKindle本をいくつか出していましたが、特別な才能は何もありません。

ただ習慣と適度なインプットによって、Kindle本を書く手法を確立していたというだけです。

現在事情が変わり(一般社団法人を立ち上げ、収益はそちらに入るので副業規定に違反しません)、Kindle出版堂々と復活しています。
興味がある方はぜひ出版術について読んでみてください。
Kindle Unlimited×音声入力=アウトプット術」という本がオススメです。

そのスキルとしてのアウトプット、これでnoteをなんとか書こうと試みます。

noteを使っている人は様々、登録者数1,000万人が集い、1つの街として、巨大なコミュニティーをなしています。
その中には文章の上手い人もいるし、写真の上手い人もいる。漫画が上手い人もいる。音楽を作る人もいる。それらの人々がそれぞれ自分のアウトプットを続けている街。
その中にあって、特別な文才のない一般人の僕が、ただ普通にアウトプットしていても、結局誰にも触れられないのではないかという危惧は当然ありました。
けれども、このnote街は「やさしさ」で溢れています。

note街の半分はやさしさでできている。

noteでは、基本的に他人の記事について肯定的な見方をする人が多い。
普通のブログやホームページ、SNSには見られない、他人の文章を肯定する文化が根付いているように感じます。

それはこの会社、noteが築き上げた空気に他ならず、このシステムを始めた、その精神が現在も貫かれている。

つまり何を書きたいかなんて、書き始めるときには考えなくて良い。

そう、これが書きたいという強い思いを持ってnoteを書き始める人は、熱い想いで30回位までは極めて高い密度で書き上げていきますが、その後続かなくなる。
そうやってnote街に近づかなくなった人は何人もいます。

続いている人は、特定のテーマに絞って書く目的を持たない場合が意外と多い。

僕もそうです。

ただアウトプットをしたい思いだけで書いている。
例えばヤングケアラーに対する行政支援の薄さに対し、自分の意見を主張する、というスタイルではなく、風の流れ、水の流れに身をまかせ、面白そうなところに足を踏み入れ、できる限り面白く捉える、そういう実験を繰り返します。

僕のnoteでも何回か試みて続かなかったテーマもあるし、そんなつもりなかったのに、いまだに続いているテーマもあります。
それらは結局自分が面白いことを追求した結果が残っているだけであって、初めからそんな記事を書こうと思って、noteを始めたわけではありません。

1−3 書くたびに思考が整理されていく


書くことによって思考は整理されます。

これは別にnoteでなくてもいい。
ただ、書く行為が頭の整理、物事を考える思考術として有効なのです。
頭の中で思っていることと、実際に吐き出して言葉にすることは異なっています。

僕の場合、noteの記事の8割は音声入力による執筆です。

音声入力の素晴らしさは筆致に尽くし難い。
年々精度を上げ実用性が上がっており、今後はアウトプットの中心になるのではないかと僕は思っています。
けれども、まだ、この音声入力による執筆をしていない人は多いのではないでしょうか。
だまされたと思ってやってみてご覧なさい、キーボードを叩いて入力するのと比較して、大体10倍位の速さで文章ができていきます。

「その文章を喋るのができないんだ」と言われる方もあると思います。

確かに一定の慣れは必要です、けれども、慣れてしまえば何と快適な執筆方法なのか、と確信するはずです。

後述しますが、執筆には編集作業が伴います。
その際にAIを用い、話し言葉を書き言葉に変換、と命じれば一発変換も可能です。

先ほど紹介した本にも、音声入力での執筆方法について詳しく書いてありますので、参考にしてみてください。

そう、喋り続けて執筆する、頭の中を整理する。
これを基本としてnoteを書いていくのです。

noteを書く行為を通し、自分の思考を研ぎ澄ましていく作業と言えるかもしれません。

1−4 言葉が「僕」を自己紹介してくれる


自分を表現する方法は色々あります。

例えば、絵を描くこと、歌うこと、野球をすること、ミネストローネを作ること、ルービックキューブを回すこと、プログラミングすること、ギターを弾くこと、スキップをすること、眠ること。
この中にあって、言葉で自分自身を表現する、自己を紹介する、というのがnoteを書く行為に他ならない。

自分のことを言葉で表現できない、例えば脳の機能障害などによって、言葉で表現することが難しい人がいるかもしれない。
その場合は先ほどあげたような別の手段でもいい。
要は、何らかの手段で、自分をどのように表現するか、それをちゃんと考えていく必要がある、ということです。

もちろん、いついかなる時も、常にそれを意識して言葉を作らなくても良い。日常で、そんなこといちいち考えていません。

けれども、自分と向き合う時間を、1日のうちに5分取る。

noteを毎日書くのは、この作業を毎日している、ことだと考えています。

その有意義さは計り知れません。

そうやって自分を確立していく。
もしかしたら理想の自分は、現実とは程遠いものかもしれない。
いや、言葉はあなたをその方向へ導きます。
間違いない。

理想の自分に1歩でも近づくには、まず言葉にする必要があります

1−5 正論ではなく、自分の声を差し出す


文章を書く上で、どうしても飾ってしまう場合があります。

それは致し方ない。
自分をさらけ出して文章を書く作家は存在しますが、それをみんなやれ、とは言いません。
いや、そんなことをやる必要は無い。
自分をさらけ出して、自分を作る、それは有効かもしれません。
けれども、そうしなくとも自分はしっかりと構築できるのです。

自分を飾らず、自分のコアを差し出す。
そう、怖がってはいけません。
生身の自分をさらし出すわけではなく、飾らない自分を差し出すのです。

自分を差し出した結果、現実であれば揚げ足を取られ、狡猾に利用されるかもしれない。
けれどもここはnote街です。note街の住民はやさしい。
信じても大丈夫。この世界は現実とは程遠く、理想追い求めても問題ない世界です。
それがnote、こんな無垢で純粋な世界に無料で、入れるなんて、きっとあなたは驚くはず。

1−6 書くことで、静かな孤独が変わった


書くことで、孤独は力になる。
孤独な自分を嘆く事は無いのです。

孤独であるがまま、自分として受け入れその孤独を愛することができるようになります。

さらに、文章を書く上で、またアウトプットをする上で、孤独は力になります。
孤独が文章の力を、しなやかさをもたらしてくれる。

どれだけたくさんの家族や友達の中にいても、孤独になる時間は必要です。
その時間がないと人は弱くなってしまう、誰かを頼り切ってしまう。
その事態は避けるべきです。

つまり常に孤独を表現、次元大助に狙われたみたい、イタい奴だとしても構わん、終わらんやがてnoteで自己実現。

リリックが決まりましたが、とにかく孤独が楽しくなる。
それがnoteがもたらす効用だと、僕は考えています。


第2章 noteという実験場 ― 日々の実践と気づき


続いて第2章では、この実験上で、日々どんなふうに記事を書き、更新しているのかということについて示します。

より実用的なnoteの書き方や運用という意味では、次の第3章で述べ、ここではnoteというツールの強みをどう活かすか、について語ります。

2−1 書く=編集する、という気づき


まず、書く事は同時に編集する作業を伴います。

書きっぱなしでそのまま使える文章は、確かに世の中に存在しますが、我々が作る文章は書きっぱなしではいけません。
そこに手を加え、編集し、読みやすく伝えなければなりません。

場合によってはあえて読みにくくしている場合もあります。
そういう意図をもって書かれた文章もある。
けれども、ほとんどの場合、文章は読まれようとして生まれたものです。
読みにくい文章ならば、読まれずに消えていってしまうだけ。
いや、世界のどこかでちっぽけな存在として生き残っているのかもしれません。それで良いのであれば問題ありませんが、読みやすい文章に修正し、気持ちが伝わるようにしたほうが、文章も生まれた甲斐があるというもの。

どんなnoteでも、アウトプットとして書いているわけですから、1人でも多くの人に伝わる方が良いでしょう。

後述しますが、誰かのアウトプットが誰かのインプットになりうるのです。
自分のために書いたものだとしても、誰かの役にたつかもしれない。

そのために編集する、これを意識することです。

すなわち、書いたあと、寝かせる、作業が必要になります。

書いてすぐ出す、というのも勢いがあっていいかもしれません。
けれども、大抵の場合一晩寝かせると内容が深まります。
不思議ではありますが、例え内容を全く変えなかったとしても、深まるように感じます。
寝かせる作業といっても、時間をおく、だけです。
その1つの作業時間を置くだけで、文章の質はすこぶる上がります。

2−2 “バズ”ではなく「ひとりの共感」を信じて


文章を書く際に、この文章でnote街で成り上がってやろう、この街の財閥となって住民から搾取してやろう、などと考えることがあるかもしれません。

僕も書いている最中、そのように感じて、何かとてつもない成果を出すような気分になることがあります。
それは、勘違いであることがほとんどです。
すべて勘違いと言っても過言ではありません。

そこを目指していては自分を見失います。
あくまでも自分を吐き出す、自分の肉声を表現するという作業です。
ですから、バズらせることを目指すのではなく、たった1人の誰かの共感を呼ぶことを心がける方が良い。
その誰か、はあなたが想像する想定する誰かで結構です。

子供でもいいし、妻でもいい、親友でもいい、仕事のできるクリーニング屋の店員でもいい、忘れかけている初恋の相手でもいい、街ですれ違った素敵な人でもいい。

たった1人、その人に届けるつもりで文章を書くと、文字が真に迫ってくるのです。
その誰か、そのペルソナを想定して、その人に向けて書く。
これが魅力的な文章を書くコツです。

これは起業や事業展開にも通じる方法ですね。

それをnoteで実践する。
勉強になります。

その誰かに向けて書いた記事は、結果的に多くの人に届くことになります。

2−3 タイトル・ハッシュタグが世界の入口


少しだけ実用的な面を言っておけば、最も重要なものはタイトルと扉画像です。
これは言い切ってしまってもいい。

と言うのも、僕だってタイトルと扉画像だけでスキをつけます。
6割位はそうしています。
そう、僕は内容を読まずに、スキをつける常習犯です。
けれども、そのタイトルと扉画像のセンス、その2つだけで、もう記事は成り立っているのです。
それを意識して作ると読まれる記事に近づくことができます。

恥ずかしながら僕のnoteで例を挙げますと、僕は一貫して同じ扉画像を使っています。方眼紙に記事タイトルを英訳したものです。
もっと読みたくなるような鮮やかな写真や大きな文字を使った方が良いのではないか、と思われるかもしれません。しかし、ここを一貫し統一することで「ニッポニアの世界」であると主張している。
noteの街にあるニッポニアの家はこういうものなんだ、とはっきり示しています。

同じ理由から、僕はnoteの中にあるコミュニティ、note研究グループ、ここに所属すればみんなの目に届きやすくなるという組織に参加しません。
1つの戦略としてそうしています。

孤高の存在感を出すためには、それらの組織に所属しない方が良い、と僕は考えているわけです。
この辺は手っ取り早く支持を集めたいということでしたら、そういうグループに参加して、多くの人と交流するのは近道です。
けれども僕は、人に届けるよりは、自分のアウトプットを極めるためにこのnoteを始めたわけで、その意味では支持を集めなくてもいいのです。そこをおろそかにしていれば、何の意味もなくなります。
そこは変えず、しっかりと自分と向き合ってアウトプットの質を高めていく作業をしたいわけです。

無駄なものを省いて、一貫したテーマでnoteを構築する。
これを参考にするのもよし。

僕の尊敬するnote街の住民たちは、それぞれの独自の色を出して、そして自然と支持を集めている。誰も書けないnote、それぞれ日々更新していってくれている。素晴らしいそのnoteの1つになるべく、自分をしっかりと出してブレずに続けたい、と思いませんか?

ハッシュタグに関していえば、それほど重視しなくともよろしい。
それに引っかかり、針に食いつく愚か者は結局あまりいません。

ただし、検索に強いnoteを活かすためには工夫して設定して損なしです。
いずれにせよ、ハッシュタグはAIに考えてコピー&ペーストしておけばいいでしょう。

2−4 「浮遊する読書」から広がった視点


noteを書くにあたって、いやアウトプットをするにあたって、しっかりとその前提となるインプットがなければなりません。

1章でも述べていますが、すごい経験をして、それをただ伝えたいという動機でnoteを始めていると、そのすごい経験で100記事を書くことはできるかもしれない。
けれども、必ず終わりは来るのです。

いや、時代を超えるような経験、例えば家永教科書訴訟のように60年近く続いている事柄であれば、次から次へと書くことが出てきて、記事を書き続けられる。
そんな凄まじい人生をあなたは送っていますか?
ほとんどの人は僕と同じように、平凡な人生を送っているはず。
(悪気はありません)
それが良い悪いではありません。
そんな経験をせよ、と言っているわけでもありません。

書く動機をどこに持っていくか、ほとんどの日々の何気ない暮らしを描く、それを伝えるうまい語り口で喋るということでもいいでしょう。
それも1つのテクニックです。

どういうふうに続けていくかは、ある程度習慣化のスキルで対処できる。

具体的に言えば、アウトプットするためにはその前提となるインプットが必要となります。

そのインプットのために1番手っ取り早く、効率的なのは読書です。

とにかく本を読みまくる。
そうするとアウトプットする種はすぐに見つかります。
どんな本でも1フレーズ、2フレーズぐらいは得るものをがあります。
相性の良い本であれば、100箇所ぐらい引用できそうなフレーズを得ることができる。
もしも本を読んで何も得ることができなかったと言うのであれば、それは読み切れていない、と言い切ることができるのではないでしょうか。

それぐらい、本は素晴らしいツールです。

本からにじみ出やがった言葉、それを自分の中に取り入れてしっかりと吐き出すのです。
これを繰り返せばとんでもない高さ、誰も到達したことのないところに行くことができると僕は確信しています。

2−5 更新へのプレッシャーとどう向き合うか 

noteを続けていると、「今日で何日連続更新」「何週連続更新」と言うメッセージが流れてきます。
また一定量のタスクをこなせば「初コメント」「5週連続更新」といったバッチがもらえる。
これはとてもうまい仕組みで、これにより、今日もnoteを書いて途切れないでおきたい、一つコメントしてみようかな、と感じるものです。

当初は毎日何もなくても書くモチベーションに支配されているため、どんどん更新していってしまうものですが、1ヵ月2ヶ月と過ぎていくと書くことがなくなってくる。
僕の場合はインプットが多すぎたため、書く事はなくならず、今に至りますが、インプットをせずにアウトプットだけしていれば、いつか尽きる時がくる。
誰でも同じです。

その時にどう対処するか、毎日更新すべきかどうか、という真理の質問がやってくるわけです。
それを問うものは、悪魔のような顔をして天使のような身なりをして、「さぁ、何を書くんだい」と問いかけてくる。
大変憎たらしいヤツです。

けれども、それに乗っかって、更新し続けていると、アウトプットの質は自然に高まってくる。

出尽くしたところに、あなたの肉声が混じり出すのです。

飾り飾り飾った言葉が、だんだん剥がれていき、衣服を脱いで無垢な姿になる。

その姿こそ自分なのです。

その段階に至るまで、少し我慢して、描き続けてみませんか?

2−6 アウトプット=学びの循環を体験する


このnoteでも何度も言っていますが、誰かのアウトプットが誰かのインプットになる

僕も誰かのアウトプットを自分の中に取り込み、たくさんになってきたので吐き出している。そういう循環がこの社会には必要です。
いや僕が言わなくても、それは古代からずっとあったものです。
そうやって人類は発展した、社会は発展してきたのです。
当然のことを今更言う必要があるのか、と思ったかもしれません。
そう、僕は当然のことを繰り返し言っているに過ぎません。
けれども、言わなくてはいけない。
はっきりと知識は循環している、学びは循環している。
この学びのサイクルはこの社会に必要なものであると、繰り返し繰り返し言わなければならないのです。
それは現在に生きる我々に託された宿命なのです。
それを言うことによって誰かはアウトプットし、誰かはインプットする。別に言わなくともそれは繰り返すのかもしれません。
けれども、はっきりとそういう循環の中にあると伝える必要がある。

そういう人が1人でも増えてくるくれることを僕は望んでいます。

今後、どこかで「まなびサイクル」という言葉を言いながら、iPadを片手にプレゼンテーションをしている丸眼鏡の中年を見かけたらニッポニアだと思ってください。


第3章 習慣化のメソッド ― 続ける仕組み作り


さて、続いて習慣化のメソッドについて示します。

ここでは、noteを習慣化する具体的な執筆方法、準備、その毎日の繰り返しという習慣を確立するためのすべを示します。

結局、習慣化は仕組みを作ることが全てです。

仕組みさえ作ってしまえばなんとでもなるのです。そのことに気づき、実践する。それだけで良い。
当たり前のことを当たり前に。

では、続ける仕組み作りについて、この章を読めば、あなたも毎日noteを続けられる。質の高いアウトプットを生み出すことができる。
必ず実現します。

信じて読んで実践してみてください。

考える人10,000人、やる人100人、続ける人1人。

10,000分の1に。

3−1 朝10分の記事習慣を作る


まずは習慣化の術の基本、早起きです。

これについては僕が言うまでもないことを、あえて言っているに過ぎません。
知ってるよ、という無数の声に、マシンガンのように撃ち抜かれてしまいそうです。

朝の時間の使い方は習慣化において最も大切なことです。

この辺は僕のKindle本「習慣化のいろは」というシリーズがあります。
これを読んでもらうと詳しく書いてあります。
よろしければどうぞ。

朝noteを書く習慣をつける。

習慣化するには、朝にルーティーンを組み込むというのが1番早い。
僕も毎日朝5時頃に起きてから家を出る8時頃まで、する事はほぼ決まっています。5時から8時、3時間のスケジュールが分刻みで決まっているわけです。
それでは余裕がなく窮屈ではないのか、と思われるかもしれません。
いえいえ、全く窮屈ではなく、その中で創造性を働かせています。
起きて、白湯を飲み、食べ物コラムを読み、noteを更新し、洗濯物をたたみ、食洗機から食器を取り出し、家族の朝食を作り、ラジオ体操をし・・・、そう、インプットアウトプットしている。

「なんだ、ただ単に家事をやってるだけじゃないか。誰でもやってることだよ」

そう思われた方、その通り、誰でもチャンスがあるのです。

家事が大きな割合を占めていますが、家事は禅と共通するものがあります。
ひたすら繰り返す、繰り返す家事は禅です。
修行なのです。
そう考えると、なんと毎日修行ができてありがたいと思えてくる。

話が飛びましたが、10分間毎朝noteを書きましょう。
noteの記事を書くのは別に朝でなくても良い。
朝は更新のために編集作業です。

作成し、寝かせた(時間をおいた)記事を改めて編集する。

noteはいつでもどこでもすきま時間で書いてしまう。
携帯を利用し、音声入力すれば、どこでも書けます。
携帯のマイクを起動し、しゃべった側から文字になっていく。
それだけでいいのです。

朝はその書き溜めたもの編集する作業、また大変重要だと前述した、タイトルや扉画像を作る作業です。

ここで作業の時間を確保する、という習慣化をおこないましょう。

3−2 ブギーボードで思考を“整える”


では、記事の種をどのように構築するか、これはブギーボードという道具を使います。
なんだそれ、と思った方は、ぜひ僕の記事でも読んで紹介していますので、そちらも参考にしてください。
こちらはキングジムの文具です。
電子メモパッドです。3,000円位で書いて消してをするだけの道具。電子ということですから、電池(取り替え可能)を使っていますが、約20,000回書いて消して、ができる。
この20,000回がどれぐらいの数字なのか、分かりませんが、少なくとも購入から2年間経ってもまだ電池は変えていません。

少し計算してみましょう。
1日に5回書いて消してするとして、1年で1,825回、総回数が20,000回なら単純計算して10年。
十分に使える。
すぐに電池が切れて困る事はありません。
このメモパッドを家の中に複数置いておく、そう別にブギーボードではなくてもいいわけです。

「でも、次書くために消したら意味なくない?」
と思われた方、一度書くことで記憶に定着します。
本当に重要なメモは携帯などで写真を撮っておきましょう。
専用アプリがあり、写真を撮ると読みやすい画像に変換し、メモとして保存してくれます。

ただメモを取る行為。
そうこの創作の種を無数に記録する必要があるのです。
そのメモを取ることに徹した道具としてブギーボードを勧めているわけだけで、メモを取ることができれば別に携帯でも大丈夫。
紙と鉛筆でも大丈夫。

人間の脳の底深さは、まだ解説解析できない位深いものですが、ふと思いついたことを覚えておくという点に関しては、脳はあまり信用しない方が良い。
いくら記憶力のある人でも無数のメモを全部覚えておく事は難しい。
見事にすぐ忘れます。

だったらメモを取っておくにつきます。

3−3 アイデア枯渇を防ぐメモ術


そう、つまりメモを取る。それが最も重要です。

そしてそのメモを取るということで、日常のあらゆる場面で、こんな困り事があると記録しておくことが記事の種になります。

こういう小さな積み重ねが記事の構築につながるわけです。
メモを取るという意味では前述しましたが、読書が最も効率が良く、インプットとしても最適です。
特にKindle Unlimitedというサービスを使えば、月間1,000円で何万冊もの本が読み放題。神のサービスと言っても過言ではない。

Kindle Unlimitedはジェフ・べゾフという神がもたらした奇跡のインフラだと私は思っています。

このKindle Unlimitedの攻略法についても前述の本を出していますので、ぜひ参考にしてほしい。
これを参考にしつつ、読んだ本のメモを構築していく。これがnote記事を書くに当たって、あなたの力になってくれることでしょう。

3−4 SNSではなくnoteで深く書く時間


もちろん、noteでなくても他のSNSで良い。

例えばXやFacebookなど、今SNSは溢れています。
そこにおいてnoteでなくても良いのでは、と考えるのは当然のことです。
けれども、僕としてはnoteで自分を構築できたわけですから、それを勧めますが、みなさんが自分を構築する上で、noteを使わなくとも良い。
それぞれの人に合ったSNSがあるはずです。
Xで自分を構築していっても問題ありませんし、そうしている人は多くあります。
当然。
要はインプットし、アウトプットし、自分を構築する。
そのためのツールとしてこれらを利用すれば良いのです。

その上でnoteがをどうして勧めるのか。

noteは文章に向き合うことができる。

これです。

好き嫌いもありますし、間違っているかもしれない前提で読んでください。文章に向き合う作業をすることができることが、noteを使う意味だと思っています。
短文でもなく、ある程度長い文で自分の思いを言葉にする。
この作業は人生において、自分の思考を深め、高めていく上で、必要な作業です。
その作業をするのに、こんなにも適したツールはない。
広告もなく、ただ文章を書くための様々な仕掛けをnoteが行なってくれる。書く習慣を続けるためにこれほど適したSNSはない。
ぜひ利用しましょう。


3−5 成果ではなく「書き続けること」を目標に


noteを続けていると、「良い文章を書きたい」「良い記事を書きたい」という欲求にまみれてしまうことがある。

これは当然のことで、それを追い求めて文章を作るのももちろんOK。
そういう文章も存在しますし、価値もあります。

けれども、それを追い求め、いつまでたっても記事が作成できない、完成しないことになると、話が違ってきます。
たちまちその習慣はなくなり、なかなか更新できず、記事が書けない日々が続く。
そうなれば苦痛に変わってしまう。
書くことが苦痛になると、全てが作業になってしまい、本来書くことで得られる自己実現や、思考の整理などができなくなってしまう。
大きな損失です。

ですから、「良い記事を書きたい」「何かを成し遂げたい」という成果を目標にするのではなく、「ただ書き続ける」「書く習慣をつける」ことを目標にしたほうが良い。

そう、noteで始める書く習慣。

この習慣化術こそがnoteを書く意味であり、そしてその積み重ねの上に素晴らしい記事は出来上がる。

誰だって100記事書けば、そのうちの5、6個ぐらいはとんでもない記事が書ける。
これはChatGPTではうまくいきません。

ChatGPTで100記事書いたとして、それらの水準は高いとしても、飛び抜けたものは出てこない。

そしてとびきり質の悪いものも出てこない。
この両局を生み出す毎日の習慣、上もあって下もあるこの状態が文章を書く上で必要な行程です。


3−6 「いいね」より「納得」が自分を動かす


さて、noteを書く上において、大きな動機となるのは、どれだけ人の目に触れているか、どれだけ人が読んでくれたかということでしょうか。

「ただ自分の思いを吐き出すだけで良い」という人がいるかもしれません。
私も最初はそれに近い感情でした。誰が見ていなくても、この思いや、インプットしたものを吐き出さなければならないという衝動にまかせ、noteを書き始めました。

そういう時もある、そういう記事もあるでしょう。
けれども、基本的には多くの人に届けたい。できれば収益を上げたいなど、いろいろな意図は、動機は存在します。

それも大いに結構。むしろそういう思いがないと、何か動機がないとnoteは長く続けられません。

このnoteにおいて「スキ」という1つの指標がありますが、この「スキ」を集めるためにnoteを書くのは少し違います。
いや、かなり違います。

1つの「スキ」をもらうだけでも良いのです。
ただ誰かの心に届いたということであれば問題ない。
その誰かは自分の場合もあります。

自分がこの文章をかけて楽しかった、充実していた。その書く時間はかなり充実していたと感じるのであれば、それで良い。

誰にも評価されない、と感じることもある。
評価ってなんだろう、と思う事は当然出てきます。僕もそれに思いを持っていかれた時もあります。
それは当然の感情ですし、そう思うことで、自分は確実に進化している。

そう信じて書き続けるというのが1つの正解でしょう。

つまり、自分が「これが書けた」と思えば、もうそれで成功しているのです。


3−7 安易に読者拡大系グループに参加しない


noteの街では、noteをみんなのところに届けようという形の企画をしているグループが多々あります。

そのグループに参加している人数を見ると、決して小さな組織ではない。
どちらかといえば影響は大きく、そこに所属していなければ、その恩恵を受けることができないという点において損失になるかもしれません。

けれども、損失してしまう、というような焦燥にかられ、安易に参加するのはいただけません。

なるべく広く多くの人に届けたいという思いが強いのであれば、参加して、全く問題はありません。自分がどう感じるか、だけです。

僕は、自分のnoteにそのグループに参加しているという記事が載ること、これがあまり好ましくないのです。

僕の場合は、多くの人に届けるという目的ではなく、インプットに対してアウトプットをしているだけで、このnoteを続けているわけです。
安易に記事を多くの人に届けたいというグループに参加する、また月々いくら払って宣伝するというような方法を取る、必要はないのです。
それをすれば確実に多くの読者に届くのかもしれませんが、好みの問題として僕は参加しません。

参加する理由があるなら、躊躇なく参加すれば良いと思います。

何事も、納得感を持って行動しているのであれば、何の問題もありません。

むしろ納得感を持ってガンガン広げていくのだという姿勢は素晴らしい。
その貪欲さは僕も見習うべきだと思っています。


3−8 写真、イラストを使わない


このあたりは好き嫌いがある。

noteにおいて、写真やイラストを使わないということは致命的であるかもしれない。

なぜなら、noteはほぼ何でもできる、むしろ写真をふんだんに使い、記事を飾ることができる、推奨しているウェブツールだからです。

それを使わなければ、ただ文字だけの読みにくい記事になってしまう。

多くの人はそうではなく、色々と工夫をして読みやすい記事を作成している。写真やイラストをふんだんに使っていれば、わかりやすく自分を表現できる。
写真やイラストを使った名人芸と言えるような見事な記事を、僕はいくつも読んだことがありますが、そういう技術を持っているのであれば、どんどん使って欲しいと思う。

僕はそれができない。

もしかすると練習して、勉強すればできるようになるのかもしれないが、それよりは自分の文章を築き上げるという方に力を注ぎたい。

そういう思いでnoteに参加しています。

このあたり、結局自分が何をやりたいのか、と向き合えば選択肢は広がるばかりでしょう。


3−9 たくさん書いてたくさん消すことで余白が生まれる


文章を書くコツとして、1つあるアドバイスしますと、

たくさん書いてたくさん消す

と、いうことです。

これによって余白が生じる。
これも繰り返しになりますが、大切なところですので、何度もいうと思います。

たくさん書いてたくさん消すという作業。
我々一般人は、何が重要なのか、頭で理解しているとしても表現することができない。それを見つけるためには、まずたくさん書くことが必要になります。

たくさん書けば、それを読み、整理して、必要ないと感じるところが出てくる。そこを削っていくのです。

たくさん書いてたくさん消す。

2000字書いて1200字を消す、そして800字の記事にする。
ただ800字だけ書いて800字の記事にする。

この2つの記事は同じ800字ですが、文章の質が全く異なってきます。

消した1200字は、決してなおそこに存在するのです。

そして文章に余韻を与えてくれる。
文章にその背景にある複雑な奥行きを与えてくれる。

「たくさん書くことなんてできない」と感じた人がいるかもしれません。
いや、たくさん書くことは意外と簡単です。
ほとんど慣れとスキルで何とかなります。

たくさん書くためにも、毎日noteを書く習慣をつける、ということが重要になってきます。ほとんどそれだけで質の高い文章は生まれてくるわけです。

「お前のnoteも、そんなに質の高いものばかりではないよ」
と思われた方、厳しい指摘ありがとうございます。
その通りです。

僕も毎回2000字書いて1200字消し800字の記事にしているということはありません。普段の記事は、800字だけです。

ここぞ、という時、質の高い文章を書きたい時、試していただきたいテクニックです。

3−10 フォローしてフォローバックをもらうと言うこと、転換点。


運用面でのアドバイスを1つ。
フォローとフォローバックについて、です。

note街ではフォローすればフォローバックをする、というしきたりがあります。
それは「やあ、こんにちは。元気?」と聞いて「元気です」「そのネクタイいいね」「どうも」と答えるようなもの。
当たり前のように知らない人であっても、フォローされたらフォローバックをする。
少なくともフォローバックをするかどうかを検討するという人が9割以上。
というのが、僕が2年続けてきたnoteの印象です。

たまに全くフォローせず、発信し続ける創造者もいます。
自らはフォローせず、ただフォローをされるばかり、フォロワーが増えていくばかりという有名アーティストやnote街の人気者も当然います。

自分がどうありたいか、フォローをたくさんもらいたいのか、ただ記事を届けたいのか、この辺はやはり好みによります。
フォローをたくさんもらいたければ、次から次へとフォローしていき、フォローバックを待つというやり方が最も有効です。
さらにフォローする際にコメントを入れておけば、かなりの確率でフォローバックはいただけます。

コメントは、単なるフォローやスキとは違って、記事を読み込まなければならないため、ハードルは少し高くなります。けれどその分、コメントをしてくれたという嬉しさが伴い、そのつながりは強いものになる。
フォロワーを増やしたいと思うなら、コメントを書きまくるというのは1つの戦略です。
コメントをしておけば、大抵の場合フォローしてくれる。
なぜなら、自分が書いた記事を誰かに読んでほしい。
コメントをしてくれた、ということは読んだ結果何かしらの思いを抱いたと捉えるからです。

僕も、コメントをしようという記事を何回か書いていますが、皆さんコメントに飢えているようにも思えます。
自分がコメントをすれば、コメントは返ってくることが多い。

結局自分がどれだけそのnoteについて考えるか、そこがフォロワーの多さ、につながってきます。

このフォローとフォロワーの関係について注意点は1つ。
フォロワーを増やしたいからといって、むやみやたらにフォローをしていく。
そして数日経ってフォローをしてくれないとフォローしたことを消すという行為は嫌われます。ご法度と言えるかもしれない。

僕としても、フォローをした相手がフォローバックしないということになると、その人には僕の記事は届かないということになりますので、ついフォローを消してしまう。
アウトプットメインの僕としてはフォローしていたとしても、その人の記事を読む機会というのはあまりない。
だから当然と言えば当然なんですが、それがフォロワー狙いの不届きものというレッテルを貼られる可能性があります。

note街は基本的には優しい人たちで構成されており、どんな記事に対しても好意的に読んでくれる。
けれども、そういう礼儀を知らない、礼儀作法をおろそかにしていると、すぐに嫌われてしまいます。

この辺は注意しておいた方が良いでしょう。


第4章 発信を仕事に/法人へ ― 次のステージへ


ここからは、noteを使った事業展開です。
noteをはじめ、続けることを主眼に置いてきましたが、その可能性は
無限大です。

これを考える上で、僕は一つの方向を見出しました。
すなわち一般社団法人の設立とnote運営。

以下に僕の記事「note、その可能性は無限大」を引用しつつ説明します。


我が法人はようやく立ち上がりました。
まだはっきりと事業展開を進めているわけではありません。

そうなんです、事業はまだ検討中であります。

その1つがKindleであり、このnoteをどう運用するかです。
以前紹介した我々の法人のnoteについて紹介しましたが、これと同時にホームページ(ちゃんと作ってるでしょ?)も立ち上げています。

ホームページは費用無料の、Wixで作ったわけですが、このホームページ、無料であるために(だと思っています)検索に引っかかりません。

そういうことか、と思ったほどです。

有料であればSEO対策ができて、検索に引っかかりやすくなる(多分)。
無料であるうちは全く引っかかりません。

法人名を検索しても、ホームページは全く出てこないのです。

逆に、noteの記事が出てきます。
そう、noteは検索に引っかかりやすい。

これは使える、1つの武器として。

やはり人気noteですから、初心者であったとしても、記事が検索に引っかかりやすい傾向があるのです。

noteをうまく活用することで、多くの人々の目に留まる可能性があります。この辺は肌感覚でしかありません。
(実際どうなのかは分かりませんので、詳しい方ぜひ教えてください)

とりあえず、noteは引っかかる。
noteを中心に組み立てて、事業を展開するのが得策だと思った次第です。


というわけで、noteで記事で公務員試験のお手伝い。
地方公務員試験勉強のコツを教えます。
勉強中の方も、今から始める方も、興味があればぜひ読んでみてください。
公務員試験を徹底的に研究したその成果を共有します。

https://note.com/cycle_manabi/n/n07483c9c8d99

このコラムを読むだけでも、一定勉強の方向性が見えます。
一歩進んでエントリーシートの添削や、模擬面接についても相談に乗ります。

こういう使い方、が法人noteとして有効なのかも知れない、と思えてきました。そればかりではいけない。やはり遊びの部分がないと。

だから僕、ニッポニアとして、こちらで妄想、好きなことを縦横無尽に発信し続けていく。
一方で事業紹介や、収益化、販売も含めて法人noteでの事業も展開していく。

このnoteの度量よ。
ありがとう、我々を受け入れてくださって。

さて、noteのポテンシャルを存分に引き出しましょう。


4−1 “収益化”よりもまず「信頼」を築く


前置きでもいっている通り、この章についてはまだ構想です。
タイトルだけ見て、「もう知っている」と思うなら、読み飛ばした方がいいでしょう。
その上で進めていきます。

まずは収益化より信頼を築くということです。

わざわざ言うまでもないかもしれません。
なりふり構わず、ただAmazonのアソシエイトで「こちらに良い商品があるんで、皆さんクリックしてください」と誘導する記事ばかり書いていては誰も読みたくない。

このAmazonアソシエイトや「もしもアフィリエイト」などのサービス、これをいかに取り入れていくかについて、検討の余地がありますが、そればかりになっては、note街の住民たちは離れていく。
noteをそんなふうに使うな、との思いがあるからです。

そのバランスというのは難しいところですが、何よりもまず記事を書き情報を発信し、「このnoteの書き手は有益だ、良いことを書く、どんな記事でも読んでみたい」と思わせることが第一歩です。

そのために信頼を築く。
コメントをいただければ、それに対して誠意を持ってコメントを返す。
また自ら誰かの記事を読みに行き、コメントをしたり、スキをつけたりする。
そういう地道な作業のもとに収益化を目指すのです。

結局、noteであろうと現実の商売であろうと、信頼だけが切り札になり得る。
一般人である僕らは、何も持っていない。
何も成し遂げていない。
だからこそ、信頼を築くのです。

信頼を築いていれば、おのずと結果は出てきます。
自分がどんな行動をしようが、許容される土壌を築いている。
それが最も重要です。

それを築くためにnoteを運用する。
その上で収益化のツールをいくつか使って、少しずつ稼いでいくというのが最も賢いやり方だと私は思います。


4−2 法人noteの立ち上げから見る可能性


前述の通り、僕は一般社団法人を立ち上げ、副業として事業に取り組んでいます。

まだまだ始まったばかりであり、それについてはまたおいおい書いていくことにします。
その一般社団法人の公式noteがあります。

こちらの公式noteについては、僕以外にも一緒に立ち上げたメンバーがそれぞれ、自分の持っているスキルや知識を情報として発信しています。

まさにインプットしたものをアウトプットし、誰かに伝えているのです。

このnoteをどのように使うかというのは、今後固めていきたいと思っています。

しかし、1つ使い方として事業をそのままnoteで実施する。

これによって、信頼を築くという作業を進めながら、徐々に収益事業について実施していくということが可能になります。
noteの柔軟性、人気たる所以でしょうか。

すなわち情報発信をしていく上でnoteを利用し、noteの特性を活かして一般社団法人のファンを獲得していき、その上で我々はこのような事業をしていると紹介していく。

ほとんどの組織はホームページを持っています。
それが現在のやり方です。ウェブについておろそかにしていては現在は戦えません。

そこでしっかりとファンを作っていく、商品を売っていくという積み重ねが大切です。

その中においてnoteは、非常に検索に引っかかりやすい、SEO対策に優れています。

ほとんど何の実績も成していない我が法人でも検索すれば、noteがまず最初に引っかかることからもわかります。

この検索の強さ、異様ともいうべき強さ、これは存分に使えます。

つまり、検索すれば引っかかりやすくなる。それを利用して広めていく、事業を展開するのです。

noteは利用者が1000万を超え、まだまだ今発展途上にある。
いや、発展途上は過ぎ、やや円熟しかけているのではないかと思いますが。利用者数は今後も伸びていくでしょう。

それでも最大1500万人位と見れば、その1500万人の中の我々の事業に興味がある人が利用できるということになります。

そう考えると、まだまだ狭い世界になってしまう。
だから決してnoteだけで完結していてはいけません。
noteを起点として利用し、そこにnote以外のところを追加していくということが必要です。

4−3 言葉が企画を、文章がプロジェクトを動かす


法人のnoteを作って、早い段階で、まず立ち上げに伴うあれこれについて書きました。

僕としては、このnoteを読んでもらえば、なぜ一般社団法人を立ち上げたのかがすぐにわかるようにしたかった。だから、設立にまつわるあれこれを書いた。

次に、その法人の事業展開を書きました。

これもまだまだ実際にできるかどうかわからないけれど、それを言葉にしたのです。

考えていることを言葉にする工程。

書くことによって、頭がしっかりと整理できる。
頭がしゃんと整理されていく感覚です。

何も始まっていないけれど書くことで、事業が明確に、解像度が上がりました。

その事業は結局やらなかったということになるかもしれませんが、それでも別に良いのです。

まず言葉にしてしまう。
言葉にした後で、それが本当にできるかどうか、そこから初めて考え出すのです。
頭の中にあるだけでは、当然、動きません。

それが成功するかどうか、何か致命的な間違いがあるのかどうかも、言葉にして、まず表さなければ、何も始まらないのです。

noteの記事として、事業について説明するという作業は、事業を展開する上で有効な行為です。

収益にならないかもしれない、けれども、noteで発信する。

それは収益以上の価値を生み出す。


4−4 共感がコミュニティをつくる現場


まず、収益化よりも共感を得ることが大切。
そして、共感をつなげていくこと。
そうすれば、そこにコミュニティーが作成されます。

同じ思いを持つ人として、その組織が形成される。
それらは直ちに収益化にはつながらないかもしれない。
むしろ、共感で始まった組織というのは収益化にはつながりにくいのかもしれない。

けれども、ただ収益化を目指し、発信し続けているだけでは、収益化は遠くなるばかり。
急がば回れ。

コミュニティーを形成することは、収益化だけを考えれば遠くなるかもしれないが、1つの組織として育てていくわけです。

それがnote上で可能です。

noteの柔軟な設定や、飽きのこない情報発信の仕組み。
これらはコミュニティーを形成する上において、とても有効です。

また、メンバーシップ機能や、有料マガジンなど、それらをうまく活用すれば、コミュニティーは簡単に収益化へ展開できます。

この辺はまだ僕も研究中。

実際にそれを形成し、メンバーを集めているわけではありません。
だから想像に過ぎないが、あながち間違っているとも思わない。

こういう方法でコミュニティーを形成し、そして収益化の道を探る。
これが正しいやり方だと僕は思います。


4−5 誰かのアウトプットを自分のインプットにする流れ


コミュニティーを形成し、自由に発信できる仕組みを作る。

そこでこの学びを還元するシステムを構築するのです。

noteはそれぞれアカウントを簡単に作ることができる。

そしてフォロー、フォローされるという仕組みも簡単にできます。
それを歓迎する流れさえある。

これを利用して、コミュニティーを形成する。

そして自分のアウトプットが誰かのインプットになるように、そう願って発信し続けるのです。

これは個人のnoteでも、もちろんメンバーシップ機能の掲示板を利用したものでも良いでしょう。

これらはメンバーシップ限定で掲示板を作成することができ、ここに情報を共有することができる。

この機能を利用すれば、コミュニティーの絆は硬くなる。

メンバーシップをするためには、月額いくらというような費用が発生する。その費用を払ってまでこのメンバーに所属したいと思う、そこには一定の動機が必要になります。

今時、サブスクリプションはかなり安くなっている。
Amazonプライムなんて月額500円、11月に始まったダウンタウン+は月額1100円。

数多あるサービス、1000円程度で無限の可能性が得られる。

現在、あえてこのnoteで個人の発信を構築するコミュニティーに所属するかというと、なかなか参加はできないでしょう。

参加する有意義さ、どこまでそれを可能にするかは今後検討が必要です。

けれども、ここを利用して、書き手を支える仕組みを作る。

誰でも文章を発信する、情報を発信することができる時代です。

noteでも、誰も知らなかった無名の書き手が、急に存在感を発揮して秀逸のエッセイを量産することも充分あり得るわけです。

それを支えるコミュニティーのシステムをうまく利用しましょう。


4−6 noteの可能性は“無限大”だと確信する


というわけで、noteはすごい。

え、知ってます?

noteの作りはかなりシンプルで、何より広告がないという事実に驚愕するべきである。
一体どうやって運営しているのだろうか、と心配になる。

普通のブログとは一味も二味も違う、これはもうすでに1つのメディア、いや、1つのジャンルと言ってもいいかもしれません。

そういうことを考慮した上で、noteを使いこなす。

繰り返すが、noteはかなり優しいユーザが多い。
記事に対して視点が優しい、多様性を認める素地が感じられる。

そんなメディアは、実はあまりなく、誰も炎上みたいなものでアクセスを稼ぐような使い方をしている。

noteはそうではありません。

たとえフォロワーが少なくとも、しっかりと記事の内容を考えてピックアップしたり、腰を据えて文章を作る作業をしている人が多いように感じます。だから、ここでアウトプットをするのが最適なんです。

noteの可能性は無限大です。

それを信じてこのnoteの機能を使い尽くし、使いこなしてこそnote。

そう信じて日々書き続けていくということが、noteを使う最大のコツであり、最大の武器となります。

このシンプルな、しかし素晴らしい可能性を秘めたnoteを、1人でも多くの人に気づいてもらうべく今後も発信を続けたいと思います。

僕の力などそんな影響などほとんどないというものですが、少なくとも約2年間noteを続け、自分を構築することができました。

noteがなければ、心が折れていたかもしれない。

辛い日も楽しい日もnoteとともにあった。

ややnoteに依存しすぎているのではないかと思うこともあります。

そんな時は、noteとの距離感を保つ。

noteに近づきすぎてはいけません。

今まで言ってきたことと矛盾するかもしれませんが、一定の距離を取る必要があります。

noteと距離を取り、そして適切につながる。

ときには近づき、ときには離れる。

当然ですが、noteが人生の全てではありません。

それを自覚した上でnoteを書き続けるのです。

以下に、僕の過去記事「noteとの距離の取り方」を引用します。


気づけばnoteのことばかり考えている。

これは一旦距離を取ったほうがいいような気がする。

何せ、とにもかくにもnoteに関連付け、四六時中noteのことを考えることになる。

noteに依存している。

それぐらい魅力に溢れたツールではある。

ある程度依存しても仕方ないし、望むところである。

けれども、noteに依存してばかりはいられない。

それを更新する、記事を推敲する、それらの時間を気にしていない自分に気づく。

気づいたらそれを改善しなければならない。

ある程度の熱量を持って取り組むのは正解であるが、それも度が過ぎれば無駄な時間が生じる。

日々、1%の改善を行いつつ創作は続ける。

それがnoteとの正しい付き合い方である。

すなわち、noteを断つ時間を設けること。

一定時間、noteのことを考えない。

その余白を与えることがnoteの記事の質を向上させ、新たな守備範囲で新たな記事を書くことができる。

何事も、SNS関係全般、YouTube、TikTokそれぞれ依存しすぎてはいけない。

一定の距離を保った上で使い倒す、これが正しい姿勢である。

もしもnoteが急にサービスを停止したとしても、応用が効くようになる。

note、永遠に続くと信じているが、いつ何時、急にサービスを停止するかもしれない。

それが資本主義の運命である。

だからnoteとの距離は一定に保ち、そして情熱を注ぎ続ける。

これしかない。


第5章 書くことで「僕」は変わる ― 自己構築の旅


さて、最終章となりました。

この章では、書くことで自分が変わる自己構築の旅として、書くことによって何が自分にもたらされるのか、どういう風にして一般人の僕がnoteを通じて自己構築したのか。これについて述べていきます。

今までと重なるところもありますし、また矛盾しているところもあるかもしれません。

あくまでも、

僕はタイトルを見て何も決めずに喋り出している

そういう執筆方法をとっています。
これが今の僕の執筆方法であり、れっきとした武器であると確信しています。

ちなみに、気づいた人もいるかもしれないが、

タイトルを設定し、ChatGPTに目次を考えてもらったものそのままを利用しています。

だから、「面白味のない項目だな!」と思った方、その感覚、正常です。僕の意思はあえて入れていません。

ただし3章については、出てきた項目だけでは足りない部分があったので、目次を追加しました。

ちなみにChatGPTに、同じタイトル、目次を与えて執筆させたところ、一瞬(ほんの10分ほど、項目ごとに出力しました)で30,000字を生み出しました。
それにどこまで対抗できるのか、ChatGPTが届かないところはどこなのか、それを追求し続ける現在です。

AIと真っ向勝負します。

当然、この文章も校正の段階でChatGPTが入ります。
けれども、それはあくまでも誤字脱字など、重複しているところを省略していく、その整理の作業です。
それにより文章の精度は上がる。

僕がいうことをChatGPTが直して、文章が完成するという流れです。

AIにどこまで迫っているのか、まだ到達できないのか、分かりません。
少なくとも現段階で、そういう挑戦をしたということを記しておきます。


5−1 他人よりも「自分」に興味が湧くようになった


文章にするということは、とことん自分と向き合うということに他なりません。

つまり、少し冷静に、自分から離れたところで自分を見る。
そしてそこから出てくる言葉をしっかりと書き留める。
こういう作業が文章を作るということです。

この過程において、大切なのはとことん自分と向き合うということ。
それは他人との比較よりも、まずは自分にできること、自分に今何ができるのかをしっかりと把握することが必要です。
自分を超えたものは文章で表現しても、全く身の入らない軽薄な文章になってしまいます。

そうならないためには、実感として自分が感じていることをしっかりと表現する必要がある。

つまり、他人との比較はやめましょう。

文章を書く上において、上には上がいくらでもいる。
まったくキリがない。
何なら古典を書いた人たちは、僕たちがどうやっても届かないぐらいの高みにいるわけです。
そこに到達しないと文章は成り立たない、ということではありません。

文章の質や、語彙力、それらを追求しても、結局僕らが行き着く先は同じ、またはもう定まっているといっても過言ではありません。

そこを目指すのではなく、他人との比較から生み出すのではなく、自分と向き合い、自分に表現できることを最大限していく。

そのためのツールとして、このnoteがあるわけです。
または文章術としての僕が今まで執筆した方法論があるわけです。
ここを自覚するかどうかでずいぶん変わってきます。

あの人はこんな文章を書いてうらやましいというのは、憧れとしては良いかもしれませんが、自分が文章を書く上で参考にはなりません。

結局、自分が表現できる事は、自分の範囲内、その範囲を鍛錬を重ねて広げていくということに他ならない。

5−2 “個人主義”=孤立ではなく誠実さであると知る


文章については、とことん傲慢にならなければならない。

入ってくる情報や知識については、とことん謙虚で、まずは受け入れ、そして自分の中で解釈して吐き出すという作業が必要です。

けれども、生み出す文章については、自分の考えを100%表現する。そのためには、なりふり構ってはいられないという精神で書いていく必要がある。

個人主義、とことん個人を尊重する文章を書く上ではそれが全て。
他との調整において生み出す文章はつまらない。

自分を大切にする事は、孤独、孤立ではなく誠実さである。

個人主義を貫くという誠実さ、集団を大切にするとは相反することかもしれない。

けれども、少なくともこのnoteで文章を書いている以上、それを求められるのは、あなた自身の考え、そして生み出す文体です。それ以外のものは求められていない。

それは既に誰かが書いている。
それをなぞって、なんとなく受け入れられるというのもいいかもしれない。また初期段階においては、そういう模倣が必要になる段階もある。
右も左も何もわからないということであれば、模倣するのは有効です。

そしてその模倣した先に、自ら表現するもの、それを見つけるということが文章を書く上において、最も重要なことであると僕は思っています。


5−3 夏目漱石が内側で語りかけてくる瞬間


繰り返し説明している通り、僕は音声入力による語りで執筆しています。

今までインプットしたものが溢れ出してくるのです。
僕の言葉に、先人の知恵や知識、情報が乗ってくる。

僕の言葉、喋りは拙い。

例えるなら「そり」みたいなもの。
坂道がなければ進まないし、坂道が凸凹していても進まない。
降り積もった雪の上であれば勢い良く滑るように、そのそりは条件が揃わなければ滑り出さない。

逆にいうと、その条件さえ揃えばどんどん溢れ出してくるのです。
条件は、今まで読んできた、インプットしたもの、積んだ経験のことです。
それがあれば誰でも滑り出すことができる。

ただの木の板であるそりが、縦横無尽にコースを滑り、すごいスピードに乗って、大きくジャンプしたりする。
そういうことができるのがこのnoteを利用したアウトプット術なのです。

僕は夏目漱石が好きで、その著作は全て読みましたし、重要なものについては思い出すたびに読んでいます。
読むたびに、この作家は、日本語に気づいた文豪は凄まじい、とその差を感じるばかりなのですが、その文豪の肩にちょこんと乗っかるのです。

その巨人の肩に乗っかることで、遠くを見ることができる。
そして、その遠くにあるものは、あなたが超えるべき新しい山であり、その山を見つけるために、文豪の肩を借りているわけです。
つまり自分が超えるべき次の課題を見つけるために、先人の知恵や言葉を利用するのです。
そのうちあなたは自然に喋るようになる。
その喋りは最初拙いかもしれない、何か物足りないものかもしれない。
けれども、喋り続けるのです。

それが我々にできること、逆にいうとそれぐらいしかできない。
我々は弱い立場です。
弱い存在です。

けれども自由に発信することはできる。

ハレルヤ。

庶民である我々の武器は、唯一絶対と言える武器は、継続と信頼だ。


5−4 理屈じゃなく、感情で伝えるという挑戦


すべては理由などありません。

やる意味があるのかなと考えてはいけない。

ただアウトプットを繰り返し、毎日を磨いていく。
この繰り返しが挑戦になるのです。

もしかすると、あまり遠くまでは届かないかもしれない。
また、複雑な言葉すぎて、すべての人に理解できないものかもしれない。

だとしても、あなたは言葉を発するべきなのです。
それはこの世で生活している以上、すべての人は発信する義務があります。発信し自分を確立するのです。
そうやって確立していけば、自分は強くなる。
あなたは間違いなく強くなる。

その言葉に守られて、自分が発した言葉に守られて、時としてその言葉を飾っており、自分からは遠いものかもしれません。
けれども気にせず発信し続けましょう。

やがて自分がその言葉通りになってしまう。

言葉には力があります。
言霊というものは存在します。

言葉を信じて、言葉にするのです。

僕は心霊現象は信じていない。
全く経験したことがないからです。

言霊は心霊現象とは違う。(当たり前だろ、とか言わない)

自分が話す、自分が発した言葉を信じきる、と実現します。
何事も言葉にすれば、現実になる。

逆に言えば、言葉にしなければ、現実にはならない。

そんな簡単なことが、今までどうしてわからなかったのか。

いや、これは誰もわかっていない。
わかっていないなりに、何か有意義なものを得るために、僕らは学習をして情報を得て、足掻いている。

内に秘めた想いは尊いかもしれないが、実現するためにはさまざまな要素が必要になる。

すぐに言葉にすることだ。

言葉にすれば、いつか本当のことになる。

それを信じて、僕は自分の思いや、展望を言葉にする。

簡単なことです。
恥ずかしい、みっともない、という感情はどこかへ捨ててしまおう。
自分の思いを、自分の希望を、口にするだけで良い。
あるいは文字にしてどこかに記録しておくということだけで良い。

それだけで僕らは最強になれる。

何かを成し遂げる人は、念仏のように自分の考え、姿勢、これから目指すものを唱え続ける。

毎日、毎月、毎年、ずっと唱え続けたものは、やがて成し遂げる。

実態が伴っていないかもしれない、資金不足などで実現しないのかもしれない。

しかし、そんな事は関係なく、無謀な挑戦だとしても、念仏のように唱え続ける。それが何かを成し遂げる人の条件だ。

方法はいろいろある。
成功するための方法として、腐るほど多くの本が出版されている。
最近であれば、YouTubeでもなど動画やSNSでその方法について解説するものは多い。

しかし、結局のところ、念仏のように唱え続ける、しかないのではないかと最近感じている。

結局、自分がなりたい方向に動くためには、言葉にしなければならない。

言葉にしなければ、行動することはできない。

思うだけでは行動はできない。

そんな事はない、と言う人もいるだろう。

言葉にせずにした行動は、限界がある。
長く続かない。継続できない。

言葉にする、その最もシンプルな方法で、何者にもなれる。

それを信じて、言葉にし続ける事は、成功の条件である。

結局、成功とは、ある成功理想ゴールに向かって進んでいる今なんだよ。

5−5 アウトプットが人生を“編集”していく


そうやってアウトプットを繰り返す。
自分は空っぽになる。

そこにインプットを注ぎ込むのだ。経験を注ぎ込むのだ。

そういうふうにして、自分を1つの入れ物として出したり入れたりしていくわけです。

そのうち入れ物である僕自身が、硬く、時としてしなやかに、そういう縦横無尽の入れ物になることができる。

自分を消し、その情報の生き様のみに身を任せ、耳を澄ませ、言葉を発し続ける。簡単ではないかもしれない。

また、非常に抽象的なことを言っているので、理解できないかもしれない。

けれども、そうやってインプットとアウトプットを繰り返すことこそが、自分を鍛える最も近道になります。

その結果、どこに行くのかとあなたは尋ねるかもしれない。
その行き着く先など考えなくても良い。

インプットとアウトプットを繰り返しているその今自身が、人生の成功であると僕は確信しています。

考え方次第でいかようにもなるのだ。

詐欺じゃないか、と思うかもしれない。
けれども、実感として何が成功かなんて誰にもわからないわけで、一瞬成功だと思った瞬間があったとしても、次の瞬間には何か別の災難が起き、結局何が正解だったのか、どこがゴールなのかなど誰にもわからない。

また、それを設定してしまえば、そこで終わり、その後一体どうするのか、すべて余暇なのかと疑問は出てくるばかりだ。

それよりも、この作業を繰り返し自己研鑽している今こそが、最も充実していると言い切れること。

これが人生の成功であり、自己実現であると僕は思う。

5−6 未完成のままでいい。書き続けることがプロセスだから


ここでも過去記事を引用します。

そして僕はそのような習慣を心がけ、日々彼を探し、言葉を浮かび上がらせ続けた。

浮かび上がってきた言葉は、僕の頭の中にはっきりと形づくり、僕はその薄皮を剥いでいった。
言葉の薄皮を剥ぎ、少し洗い、天日に干した。
その言葉たちは、最初は戸惑っているようであった。
けれどすぐにその環境に慣れ、言葉たちは次第に自分の意思を、その言葉自体が持つ意志や力によって磨かれていった。

僕は自分の中に浮かび上がった言葉を切り刻み、再構築していく。

それを繰り返すことによって、彼に出会った際、彼に伝えるべき言葉、文章を作り上げていったのだ。
それは、言葉を見つけ、磨き上げる作業であった。

その過程において、僕は今までの習慣を固く守り続けた。
とにかく自分にできる事はこれだけだと、不器用な僕の全てを注ぎ込んで言葉を磨き続けた。
そうすることによって、僕らはもっと早く出会えるかもしれない。
いや、言葉を磨くことによって遠ざかっていく可能性だってある。

言葉を重ねて切り刻んでいると、その言葉の中に入った芯の部分が抽出される。
最初は野暮ったくて、田舎者の言葉が、重ねて切り刻む作業を繰り返していると、途端に洗練されてきて、急に都会に染まったシティーボーイが現れる。

僕はそのシティーボーイに尋ねる。
「どうやってそんなにおしゃれな服を着ているんですか?どこでその服は買っているんですか?」

すると、シティーボーイは答える。
「何でもない、ただのユニクロの服です。全部、全部ユニクロで買える服、それを着ているだけです。」

僕は驚く。
「ユニクロだけでこんなにもシティーボーイが出来上がるなんて。」

シティーボーイは続いて言う。
「ユニクロの服の組み合わせ、そしてサイズ感、色、それらを最適に並べることで、洗練は生まれるのです。洗練さえ生まれれば、服の質やデザインは関係ありません。ただ、そこに洗練があって、誰も服など見ていないのです。」

僕は言う。
「僕にもその洗練に到達できるでしょうか?どうか僕にその洗練を教えてくれませんか?」

すると、シティーボーイは、
「洗練は教えられるものではありません。自分で気づかなければなりません。自分で気づけば、誰に教えられることもなく洗練になることができます。洗練になればどんな音楽も、書いた文章さえも洗練で包み込まれるでしょう。そういうふうに洗練はよりはびこるのです。」

シティーボーイはそう言うが、僕ら庶民はなかなかその洗練に近づくことができない。
だから追い求めるのだ。

そうして、重ねて切り刻んだ言葉は僕の想像しているよりも、ずっと大人で、深い哲学者のような塊となって、皮肉な意味をこぼしながら、僕の目の前から消えていった。
おそらく、夜の街でシティガール達とシャンパンナイトを楽しむのだろう。


さて、この長い記事も、いよいよ終了です。

noteをめぐる冒険、と言ってもいいかもしれない、僕はnoteで自己実現する方法について何も決めず、何も考えず、ただAIが出してきたタイトルを見てしゃべり続けている。
すべてアドリブです。
過去記事を用いて加筆・修正は多少したものの、ほとんどそのまま使っております。もちろん完成度が高い低いはあるでしょう。
それ気にせずに、ただ未完成でも良いので、書き続けることが大切です。
そのためにどんどんインプットしてそれをすかさずアウトプットするのです。

その先に見えるものはきっと光輝いているはずです。

あなたにとってnoteが、アウトプットが少しでも良いものになることを願います。

あとがき


無理なく、負荷をかけずにnoteを続ける。
長期的に見れば正しいnoteとの付き合い方です。

けれども、多少負荷をかける、制約を課した方が刺激があって良いと僕は思っています。
ただ、生活に支障が出るくらい負荷をかけてしまうと、続かなくなります。
バランスです。

息をするように記事を書く。
それは手癖で曲を作ってしまうミュージシャンのようですが、職人芸のレベルに高めていくことはできます。
しかし、それだけでは文章はきっと面白くなくなる。

色々とこのnoteで試してきましたが、ややスランプ気味であります。
どうすれば良い文章が書けるのか。
そんな傲慢なことを僕は考えているわけです。

そうです、僕は良い文章が書きたい。
けれども、それを求めるがあまり、良い文章はふらっと離れていく。

そうです、かつて僕が良い文章だと思っていたものは、凡庸なただの味気のない文章になったのです。

つかまえた、と思ったその良い文章。
その背中を叩いた途端、振り返ったそれはどこかで見覚えのある自分であった。

そう、とても魅力的な女性に思えたんだ。
だから声をかけようとした。
けれども、それは過去の自分であった。
そして思い出すのだ。

かつて、僕はそうやって自分の文章を追いかけて、そして到達したと思ったら、以前に書いていたものと変わらなかった。
そこに発展性も何もなかった。

けれども、何かが違う。
かすかに何かが違うのだ。
それが僕の今までかけてきた時間である。
経験である。
そうやって文章はきっと磨かれていく。

完璧な文章と言うのはない。
誰かが言った、その通りだ。
けれども、それを目指して日々文章を見出していくことが、唯一凡人に許された文章の磨き方、良い文章を作るための方法なんだと思います。

みなさん、note記事の更新、いつもありがとうございます。
刺激をいっぱいいただいております。

今日も良い記事が書けますように。

と、いうわけで、約30,000字語り尽くしました。

脈絡もなく話も前後していることも多々あります。
この執筆にあたった時間としてはトータル3時間ほどです。
(編集に20時間ぐらいかかりましたが)
3時間で1冊30,000字を書き上げました。
一方ChatGPTは同じタイトル、目次で、1つの項目につき、1000字程度と言うことで、条件を出して書き上げさせました。
作業も含めて30分程度です。
ChatGPTが考えている時間だけを言えば、おそらく10分にも満たない。
それで作り上げた30,000字の文章をこの最後に付録として載せます。
人間とAI、これは既に共存の道を検討している現在ですが、今真っ向勝負した結果と言うことをここに示したい。

というか、AIが何を書いたのか、まだ読んでいませんので、それを読みつつ、本書を仕上げたいと思います。

(AI文章読了後追記、ツッコミ多めになりました。)

僕は負けているかもしれない。
人間っぽい文章ということでは、僕の方がそれらしいものだと思いますが、それが正確なのか、読み手にとって有益なのか、たくさん得られる文章なのかという点で、AIに軍配が上がるのかもしれません。
ですので、試しに斜め読みしてみてください。
僕の語りと比較して、ここの点は興味深いね、など考えるのも一興かと思います。
別にAIの書いた文章など読みたくないと思われるのであれば、ここまでで充分でございます。ここまで読み上げてもらっただけで感謝しております。

僕はnote、Kindle出版で様々書いていますし、今後も書き続ける予定です。どうぞ僕の冒険にお付き合いください。


巻末付録noteで書く習慣(AI執筆版・抜粋)

*以下はAIの文章に、ニッポニアが合いの手を入れるスタイルです。
*同じ目次でニッポニアが書いた版との比較をお楽しみください。
*完全版の記事は
こちらから有料ですが半分は無料で読めます。


第1章 書くことを始める ― 発信の第一歩
1. noteという扉をそっと開いた日

はじめてnoteを開いたとき、何を書けばいいのかまったく分からなかった。
誰かに読まれることを想定していなかったし、特別なテーマがあるわけでもなかった。
ただ、頭の中に溜まっていく思考のかけらを、(思考のかけらぁ)どこかに置いておきたかった。(思考のかけらをどこかに置くぅ、粗品登場)それが最初の動機だった。
SNSのように「反応」を気にしなくていい空間が欲しかった。
Twitterでは速すぎて、(速?)Instagramでは綺麗すぎる。(綺麗?)
けれどnoteには、“余白”があった。(ほんで余白ぅ、粗品)
言葉を整え、少し時間をかけて思考を並べていくには、これ以上ない場所だった。
最初の記事は、たった300字ほどの文章だった。(小島だよ、いや、100字だよ!)
タイトルもなければ、(ないと投稿できん!)ハッシュタグの付け方も分からない。
投稿ボタンを押した瞬間、胸の奥で小さな音がした。
あ、発信ってこういうことなんだ、と気づいた。
アクセス数は1。(俺だけか、って違うわ!)
スキはゼロ。(違うわ!)
でも、不思議と虚しさはなかった。(虚しいやろ!)
書くという行為そのものが、すでに「誰かとの接点」になっていたからだ。
文章は、自分の中にある“もう一人の自分”への手紙だと思う。
あのとき書いた言葉を、半年後の自分が読み返して、「そうだったのか」と気づく。
それが僕にとっての、最初の「循環」だった。
(循環、出てきた、サイクルにつながるか?)
そして、少しずつわかってきた。
書くとは、記録ではなく“再生”なのだと。
頭の中で散らばっていた思考が、言葉にすることで新しい形に組み直されていく。
noteはそのための「編集室」だった。
(なんか渋滞してない?)
あの日、扉を開いた瞬間に始まったのは、文章の旅というよりも「自分の再構築」の旅だった。
読まれなくても、評価されなくても、文章を書き残すという行為が、確かに自分を支えてくれる。(まあその通りなんだけどなあ)
静かな夜に、パソコンの画面の前で、ただひとりで言葉と向き合う。
そこに“誰かに届くかもしれない”という希望がある限り、
僕はきっと、このnoteという場所で書き続けるのだと思う。
(おまえ多分友達おらんやろ)

noteで書く習慣(AI執筆)


第1章 書くことを始める ― 発信の第一歩
6. 書くことで、静かな孤独が変わった

僕は、基本的にひとりの時間が好きだ。
喫茶店の隅で本を読むのも、夜の机で黙ってノートを広げるのも、心地よい静けさの中にいる感覚がある。(ノートを広げる?紙のやつ?今時それはないかなあ)
だけど、ある時期から、その「静けさ」が少し重たく感じるようになった。
孤独と静寂は似ているけれど、違うものだと気づいたのだ。
仕事や人付き合いの中で、自分の言葉が薄れていく瞬間がある。
誰かに合わせて笑い、無難な意見で空気を読んで、
「それでいいや」と飲み込む。
そうやって過ごした夜ほど、部屋に帰った途端に、心の中がざらついた。
(そんな自分殺してへんけど)
そんな時、僕を救ってくれたのがnoteだった。
(ドラえもんか!)
noteに向かって書く時間は、誰に気を遣うこともない。
「どう思われるか」よりも、「どう感じたか」に集中できる。
自分の中の小さな声を拾い上げて、言葉にして並べる。
それだけのことなのに、少しずつ胸の奥の空気が入れ替わっていく。
孤独が、孤独のまま優しくなっていく感覚があった。
(尾崎豊か!)
不思議なことに、そんな正直な文章を書いたときほど、
「わかります」「自分も同じ気持ちでした」とコメントが届く。
誰かの心の中にも、同じ静けさがあったのだと思うと、
孤独が“分かち合えるもの”に変わっていった。
(そして盗んだバイクで走り出すんだもんなあ)
それは大げさなつながりではない。
派手なフォロワー数でも、バズでもない。
ただ、誰かの一言が、画面の向こうで灯のようにともる。
その温度が、僕の孤独をやわらげてくれる。
書くことは、世界に向けたメッセージではなく、
自分の中の「静寂の再編集」なのかもしれない。
(静寂の再編集!)
言葉を綴ることで、沈黙が少しずつ意味を持ちはじめる。
その静けさは、もう“孤立”ではなく、“休息”に近い。
(ゆとり世代か!)
そして、気づいた。
書くというのは、孤独を消す行為ではなく、
孤独を「飼いならす」行為なのだと。
(なんかもう孤独こねくりまわしてない?)
自分の中の静けさと仲直りし、そこに少しの光を灯す。
そんな小さな営みの積み重ねが、僕にとってのnoteだった。
誰も読まなくても、誰かに届かなくても、書くことで孤独は形を変える。
書くことが“声”になり、声が“誰か”へと届き、
気づけば、ひとりでいても、どこかで繋がっている気がする。
あの頃感じていた重たい孤独は、今はもうない。
代わりにあるのは、言葉を持つ者だけが感じられる静かな自立。
「書くこと」で、僕はようやく、孤独と手をつなげるようになった。
(手つないだ!次のシーンでは孤独と踊り出してチューチュートレインしとるで)

noteで書く習慣(AI執筆)

第4章 発信を仕事に/法人へ ― 次のステージへ
4. 共感がコミュニティをつくる現場

法人noteを運営していて、最も大きな発見だったのは、
“共感”が組織や活動の中心にあると、自然と人が集まるということだ。
フォロワーを増やすことを目的にしなくても、
共感を軸にした発信には“静かな磁力”がある。
(なんでやねん!)
かつて僕は、「発信=拡散」だと思っていた。
けれど、noteを続けるうちにそれは違うと気づいた。
発信とは“共鳴”だ。
音叉のように、ひとつの音が別の音を震わせ、
(音叉!今も音叉、使ってるんや、アプリちゃうんや)
その振動がまた誰かの心に伝わっていく。
共感は、拡散よりも深く、長く残る。
たとえば、ある記事で「地域の小さな店のストーリー」を紹介したときのこと。(小さな恋のメロディーみたいな)
特別な宣伝をしたわけでもないのに、
コメント欄やDMで「自分の町にも似たお店があります」といった声が届いた。(それはいいコメントなんか?)
それは“反応”ではなく、“共感の共有”だった。
人は、正しい情報ではなく、“自分の感情が映る言葉”に惹かれるのだ。
コミュニティは、仕組みではなく“感情の接続”から生まれる。
「わかる」「感じる」「一緒に考えたい」──この3つが揃うと、
人は自然とその場所に留まる。(なんでやねん!)
だから、法人noteを運営する上で大切にしているのは、
「共感を呼ぶ余白」を残すことだ。
(余白、は一つのポイントね)
完璧な文章ではなく、少しの未完成さ。
読んだ人が“自分の想い”を重ねられる余地をつくる。
共感が生まれる現場には、必ず“誠実さ”がある。
それは、かっこつけないこと、見栄を張らないこと。
数字を追わず、言葉に真摯であること。
そんな発信には、時間はかかっても確実に信頼が積み上がっていく。
その信頼が、コミュニティの「土壌」になる。
やがて、noteのコメント欄やX(旧Twitter)などで、
読者同士がつながり始める。
「この記事、すごくわかる」「この考え方、参考になります」
そんな会話が生まれる瞬間、
発信は“個人の声”を超えて“場の声”へと変化する。
この現象は、SNS的なバズではなく、“共感の連鎖”だ。
(音叉、からの連鎖?時間差リリック!)
僕は思う。
noteという場所は、コミュニティを「作る」ためのものではなく、
「育つ」ための場所だと。
人を集めるよりも、言葉を重ねる。
参加を促すよりも、安心して読める空気を作る。
その静かな積み重ねの先に、気づけば温かい輪ができている。
共感のある場所には、強制がない。
「共感しなくてもいい」という余白すら、優しさの一部になる。
だから、僕はこのnoteを“共感の畑”だと思っている。
毎日少しずつ水をやり、言葉の種をまく。
花が咲くのはいつか分からない。
けれど、その土を耕し続けることこそが、
僕の仕事であり、喜びなのだ。
(兼業農家!粗品)

noteで書く習慣(AI執筆)

第5章 書くことで「僕」は変わる ― 自己構築の旅
3. 夏目漱石が内側で語りかけてくる瞬間

書くという行為を続けていると、ときどき“声”が聞こえる瞬間がある。
もちろん幻聴ではない。(幻聴やろ!)
心の奥で、何かが静かに語りかけてくるような感覚だ。(紛れもなく幻聴やろ!)
僕にとって、その声の主のひとりが──夏目漱石である。
(お化けが出たぞ!)
漱石は、明治という時代に「個」と「社会」のあいだで苦しんだ人だった。(そうやったんや)
西洋の合理と日本の情緒、そのどちらにも完全には馴染めず、
それでも“自分の中の誠実”だけを頼りに筆をとった。
彼の(夏目漱石のことあんま彼って言わん!粗品)『私の個人主義』を読んだとき、
まるでnoteを書いている今の自分に向けられたメッセージのように感じた。
「他人に迎合するな。だが、他人を軽んじてもいけない。
 自分の良心に正直であれ。」
この言葉が、今も僕のnoteの背骨になっている。
(背骨)

noteで書く習慣(AI執筆)

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