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「卒業式は10分で終わるイベント」なのか? 効率化社会で私たちが「人間くさい演出」を残す理由

先日投稿した「卒業式の門出の言葉」に関する記事について、あるnoteクリエイターさんからご指摘(引用記事)をいただきました。

▼今回ご指摘いただいた記事https://note.com/nanasi_san/n/n4b69305449bd
(※引用いただき、そして考えるきっかけをいただきありがとうございます!)

▼私が以前投稿した記事 https://note.com/gifted_pika6775/n/nb6fe4b0370cc

その投稿者の方のご意見を要約すると、「卒業式とは『卒業証書授与式』であり、極端に言えば10分で終わるイベントである」というものでした。

一番シンプルな形 極端に言えば本来はこれだけで成立します。
1.校長が修了を宣言
2.卒業証書授与
3.解散
10分で終わるイベントです。
実際、欧米の学校ではかなり簡略です。

このご指摘を受け、私なりに「卒業式という学校行事のあり方」について改めて考えてみました。

10分で終わる式に、参加したいですか?

たしかに、制度上の「機能」だけを抽出すれば、おっしゃる通りです。
しかし、ここで皆さんに問いかけてみたいのです。

もし卒業式が本当に10分で終わるただの「授与式」だったとしたら、参加したいですか?
保護者の方は、平日にわざわざ仕事を休んでまで、その10分のために足を運びたいと思うでしょうか?
そして私たち教師は、1年間(あるいは数年間)苦楽を共にした子どもたちを、10分の事務的な手続きだけで送り出して、心から納得できるでしょうか?

現在の日本の卒業式は、本来の「卒業証書授与式(=儀式)」に、結婚式でいうところの「披露宴(=文化的な演出)」を一緒にくっつけた形になっているのだと思います。 ご指摘いただいた通り、制度上は必ずしも必要ではない文化的な演出が、かなり盛り込まれているのは事実です。

私自身、これまで自分が参加してきた卒業式の中で、「もっと卒業生にスポットを当てて送り出してあげたい」という想いを抱き、自分の力が及ぶ範囲で極力“形骸化した文化的な演出”は減らし、改善してきたつもりです。
ですから、投稿者の方の「シンプルにすべき」というご意見に賛同する部分も大いにあります。

格闘技の「入場シーン」が教えてくれること

ここからは少し暴論っぽく聞こえるかもしれませんが…… 物事の「機能的・制度的な本質」だけを捉えて極端にシンプルな形にしていくと、世の中の様々なものが“無味乾燥なもの”になってしまうと思うのです。

例えば、格闘技の試合。 昨年の大晦日の朝倉未来選手 対 シェイドゥラエフ選手の試合では、朝倉未来選手の「入場シーン」がかなり話題になりました。あの“遺書”の一連の演出で、一体どれだけの格闘技ファンの心が動かされたことでしょう。

その後の「機能」としての試合自体は、シェイドゥラエフ選手の圧倒的な強さの前に、あっという間に終戦となりました。 しかし、ファンが「よくやった!!」「いやいや、やっぱシェイドゥラエフ怪物でしょ」と事後に熱く語り合い、感情を揺さぶられたのはなぜか。それは、散々引っ張った事前の煽り動画であり、入場シーンであり、「戦いに至るまでのストーリー」をエンタメとしてしっかりと演出していたからに他なりません。

学校教育も同じです。 もちろん学校はショービジネスではありませんが、子どもたちのエネルギーや地力、様々な力を底上げするために、学校教育としての全ての活動を「デザイン」しています。そこに関わる人々(児童、保護者、教師)の感情が重なり合い、感動したり、歓喜したりする。そうやって、ある種の「心揺さぶるエンタメ」としても形作られているのが、今の学校行事なのだと思います。

無味乾燥な儀式に、人間くささを注いできた歴史

効率的なデジタル社会、DX(デジタルトランスフォーメーション)が推進される現代において、物事の「機能的な本質」を問い直すことはとても大事です。

卒業証書は、卒業したという証として非常に重要なものです。しかし、「それを効率よく手渡すだけの無味乾燥な儀式」が、日本の卒業式の本質だとは私は思いません。

もっと本質的なことを言えば、無味乾燥になりがちな授与式に、あえて人間くさい演出を入れ、日本的な文化を絡め、先人たちが知恵と工夫を注いできた結果が、現在の『卒業式』なのだと思います。

「卒業証書授与式 及び 謝恩会」なんて、正式名称にすると長すぎますよね(笑)。 だからこそ、最近では第一部(厳粛な授与式)と第二部(門出の言葉などのお祝い)というふうに分けて実施する学校も出てきています。

学校現場も、思考停止しているわけではありません。時代の変化や教員の働き方、そして何より「子どもたちにとって何がベストか」をいろいろと悩みながら、少しずつ改善しようと奮闘しています。

私がnoteでこうして発信しているのも、そんな現場のリアルな思いを知っていただきたいからです。 どうか、日本の学校教育が進もうとしている道を、もう少し寛容的な目で見て、応援していただけないでしょうか。 そんな願いを込めて、今回のお返事とさせていただきます。

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