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ふるさとはマッドマックス(東京都日野市人外魔境)

東京のはずなのに、
会話に出すと少しだけ説明が増える。
都会のフリには土が見え、
田舎のフリには半端がにじむ。
日野市、蛇と傾斜と人間の妙な工夫で回っていた街。


今日の弁当

- 豚ロースとバジルのインボルティーニ
- トマト春雨
- 大根のアチャール
- 焼きピーマンの生姜麹和え
- ゆで卵の麹漬け

インボルティーニはのんのさんのレシピを
参考にさせて頂いている。 作り易いのに、
少しの工夫で普段の肉巻きが一気にイタリアンに。

弁当箱の半分はイタリアンでお洒落になったのに、
もう半分はうっすら土の香りがしてくる。
私はこれが東京の縮図に見えてしまう。

トマトと大根は私の地元日野市の名産であることは、地元民くらいしか知らない。


ふるさとはマッドマックス

東京都日野市百草


「あなたの地元ってどこですか?」

この質問をされるたび、
私は少しだけ姿勢が悪くなる。
日野市です、と答える。東京都の二十三区外です、
と補足する。すると相手の頭の中に、
「東京だけど、強く東京とは言い切れない東京」
という、妙なファイルが新規作成される気配がある。

日野市は、
はっきり言えば東京の中ではかなり田舎寄りである。
ただ、地方出身者が語るような「上京物語」のドラマ性はない。夢を積んで夜行バスで来たわけでもなく、
かといって都心の洗練に自然に混ざれるわけでもない。東京と地方のあいだで、どっちにも全力では所属できない。

カテゴリ分けの段階で少し取り残される土地、
それが東京の西側の現状である。
だから日野や多摩出身の人と会うと、
妙な連帯感が生まれる。

一度地元から出ると、もう戻る理由は驚くほど減る。
友人関係は薄まり、通学路だけがやけに鮮明に残る。
行けなくもない距離感が余計に行く気を削いでいく。

そんな私が日野市を思い出すのは、
街ブラ番組を見た時である。

知らない誰かが、私の故郷を勝手に編集し、
勝手に名所化してくれる。
住民より先にテロップが街を定義する。
あれは少し怖い。


ふるさとは横スクロール

以前、「アド街ック天国」で百草園の回があった。
私は放送前からかなり不安だった。百草園で二十位まで埋まるのか。失礼ながら、私の知る百草園は、
梅と坂と、また別の坂で構成されている。
観光資源より脚力が先に要求される街である。
不安はだいたい的中した。

もちろん番組側は最大限がんばっていた。
だが、よくよく見てみると
「前後の駅が大きくて通過される百草園駅」
「変な名前の公園の数々」
「町境がぐっちゃぐちゃ」
「勾配のやばい坂道」
と、ランキングの四分の一くらいに
街のPRではなく注意喚起が混入されている。

思い返せば、私の母校の中学は山を切り開いた場所にあった。そこには”蛇山”という、
説明を完全に放棄したような名前の山があり、
通学中に崖から蛇が落ちてくることもあった。

生徒たちは横スクロールアクションの主人公みたいにそれを避けて進む。
卒業生のあいだで「リアルドンキーコング」と呼ばれていたが、比喩というより記録映像のタイトルみたいになっていた。

野生動物も多い。
のらねこにしては丸すぎると思ったらタヌキ、
細長い流線形が横切ったと思ったらイタチ、
人間の暮らしの中に、わざわざエンカウント要素を足してくる。

しかも坂がきつい。近所にコンビニがなかった頃、
ファミチキ一個買うためだけに急坂を往復していた。
あれは買い食いではない。訓練である。
ファミチキにたどり着くまでに、こちらが先に仕上がってしまう。なぜ私は揚げ物一個のために毎回、
軽い強化合宿を開催していたのか。

コンビニが一件も無いくせに、
公園だけはやたらと多かった。

私の近所には「ちょうまんぴら公園」という、
地名なのか呪文なのか判別し難い名前の公園があり、
しかも昔ながらの安全性度外視の遊具が普通に残っていた。名前も相まって子どもの頃の私には、
あれが公園というより怪物の住処に見えていた。

日野市の自然は、海だの高原だののようにレジャーで分かりやすく活躍するわけではない。
そこまで華がないくせに、不便さにだけ異常な熱量で参加してくる。生活の邪魔だけは本気なのだ。

番組は、野菜の無人販売やマカロンの自宅販売まで動員していた。制作陣が、どうにか二十位まで埋めたいという切実さが溢れていた。
パフェで言えば、コーンフレークまで主役顔で積んでいる状態である。

そして極めつけが、
「私物のトゥクトゥクで街を駆けるお母さん」だった。

もう場所ですらない。ただの一般人の奇行である。
街の魅力というより、住民の急なキャラ立ちでランキングを埋めている。面白い。確かに面白い。

だが本来のベクトルと明らかに違う。
百草の団地をトゥクトゥクで抜けていくお母さんの映像には強烈な力があるが、それはもう観光地の魅力ではなく、都市伝説の類である。

でも私は、よくここまで絞り出したなと感心した。

そう思えたのは、
もっとすごい地元紹介を見たことがあるからだ。


ぶらり途中河川敷

昔、「ぶらり途中下車の旅」で中央線沿線が特集された。高円寺、西荻窪、吉祥寺と、途中下車のエース級が順に紹介されていく。

その次が日野駅だった。ちょうど実家で家族と見ていて、さて日野は何で勝負するのかと思ったら、
旅人のタレントはなぜか駅前をスルーし、
いきなり多摩川の河川敷に現れた。

そして河原で石を積み上げているおじさんと出会う。
ロックバランシングという競技らしく、
世界大会もあるらしい。

なるほど、知らない世界だ。
だが、その紹介が終わった直後、
画面はあっさり電車のカットに切り替わり、
ナレーターがお決まりのフレーズを言う。
「さて、次の駅へ向かいましょうか」

…まさか、これで終わりなのか?
駅の紹介が、駅前ゼロ、商店街ゼロで
「石を積むおじさん」だけで終了することがあるのか。

おじさんは熱意を持って競技を説明してくれていた。
だが、当時の無知な私には、あまりにも導入が急すぎて、世界大会の選手というより
自家製の奇行を極めた人に見えてしまった。

隣で見ていた姉が
「日野の紹介じゃなくて、多摩川の紹介なんじゃ」
とつぶやいたのを、私はまだ覚えている。

ここまでの情報を統合すると、私のふるさとは、
急坂と蛇とタヌキのいる過酷な土地で、住民がトゥクトゥクに乗り、河原で石を積みながら独自の生態系に進化していった町ということになる。

この紹介のされ方に思ってしまった。これ以上
私のふるさとをマッドマックスにしてはいけない。

だが最近、ある事に気が付いてしまった。
今年からnoteを始めたことによって、
私の日ごろの行いが文字化される。そうすると、
「友人のライブ配信に変なペンネームで参加する」
「人様のクリスマスパーティーにスーツで参加する」
「初めての美容院で自分の職業を偽る」
といった具合に、己の奇行を俯瞰でみると、
やっていることはTVで紹介された人達と
たいして違いはないのではと感じてしまう。

私は日野を笑えない。
世田谷区に住んでいても、
本質的なところで私は日野市の住民なのだ。
街の顔というのは、便利な施設ではなく、
そこに住む人の癖で決まる。

急坂を当然として育った人、蛇を避けながら通学した人、タヌキと猫の見分けが早い人、不便に対して場当たり的だが妙に逞しい工夫をする人。
そういう人間の動きの総量が、その街の輪郭になる。

私はもう長く世田谷に住んでいるのに、
肝心なところで日野の作法から抜けられていない。
故郷のDNAというと大げさだが、
少なくとも私は、あの土地の坂に鍛えられた脚と、
環境の不便さや、変わった人に対する雑な対応力をしっかりと受け継いでいる。

だから最近、
少しだけまた地元に行ってみたくなっている。
子どもの頃に怪物の巣に見えた公園も、
大人の目で見たらただの公園かもしれない。

そのときタヌキに会えたら、
今、君たちはSNSでかなり人気者だよ、
と教えてやりたい。

こちらもだいぶ変な大人になったから、
きっと前よりは、うまく挨拶できる気がする。




※弁当とエッセイをまとめた「弁当記録」というマガジンがあります。
今回の文章が気に入った方は、自己紹介と合わせてのぞいていただけたらうれしいです。

自己紹介エッセイ

マガジン|弁当記録

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