無我夢中だったあの頃の子育てが、ちゃんと今につながっていた
娘夫婦との一泊二日の湘南の旅。
今しかない孫の成長の記録を、写真よりも脳裏にひとつひとつ刻みたいと思った。
ふと心に残ったのは、孫に対する娘のまなざしや手をかける瞬間だった。
旅の最初に訪れたのは、山頂にある神社。
活発な孫は、これからが一番目の離せない年頃だ。
周囲の人の流れを妨げないようにと、パパが手をつなぎ、自分の足を使わせながら一歩一歩石の階段を上る。
私は、そんな孫の様子を微笑ましく眺めていた。
そろそろ歩く限界が来たところで、パパの役割を交代。
「はーい。そろそろ抱っこだね」
娘は少し後ろから追って、いざという時にだけ手を出すのだった。
海沿いの公園では、ゆるやかな坂道を「キャッ、キャッ」と声を上げながら、全速力で何度も行き来している。
その光景には、今にも転ぶんじゃないかとハラハラした。
でも、娘夫婦にとって、やりたいように自由に遊ばせるのが最優先だとわかった。
これって昔、私が子どもたちと接する時に、目を配ったり声をかけたりしていたこととよく似ている。
ちょうど、娘が今の孫と同じくらいの頃の、ある日の出来事を思いだした。
一人遊びをしている娘を見守りながら、台所のカウンター越しで家事をしていた。
いつのまにか、箱入りの絆創膏を見つけた娘は、それを一枚一枚テープから剥がして、リビングの床に貼りだしたのだ。
途中で「これは、止めさせなきゃ」と思った。
でも、当時シールに興味を持ち始めていた娘は、夢中になって絆創膏をシール代わりにして遊んでいた。
結局、箱の中身を全部使い切り、その後始末には苦笑いしたけれど。
あのときの満足そうな小さな娘の顔は、今でも思い出すことができる。
親が、手や口を出して先回りするのではなく、
この子は、何が好きか。
何をするときに一番集中できるか。
どんなときに、ごきげんになるのか。
子どもと過ごす時間に、いつも私が考えていたこと。
多忙を極めていた当時の私。その時と重なる、娘の姿。
そんな思いがけない場面を、この目で見ることができたのだ。
心待ちにしていた孫との時間が、娘を育てていたなつかしいあのときと、ひとつにつながった瞬間だった。
途切れ途切れにしか思い出せないほどに、無我夢中だったあの頃。
つい最近まで、どうして、もっと一緒に過ごせなかったのだろうと、戻れない時間に思いを馳せることが、たびたびあった。
でも、娘と孫のすぐ隣で過ごした旅のおかげで、後悔しそうだったあの頃の私が、救われた気がする。
完璧じゃなくても、ちゃんと伝わっているものがあるのだと。
