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照射|わたしは黒猫である feat. KYON2|あわいの掌編集6

わたしは黒猫である。クロと云ふ娘猫である。誰ぞ「安直な」などと云ふ者は。わたしにしてみれば、特段恥じ入るやうな名前ではない。なまじシュバルツなどと云はれた日には、自分と気付くにひと時は掛かろう。しりよ、しりよと云ってみたくなる。そのうへ響きに葡萄酒の影を覚ゆるもまた芳しからず。嘗てかの偉大なる猫殿も溺れし故、酒精なるもの猫の鬼門である。猫の名前などというもの、ミケでもトラでも人間の都合に過ぎぬ。主人が「クロや」と呼び、「にゃ」と応じれば事足りるなり。世の中存外、斯くの如くちっぽけな事で廻っていくものに相違ない。

わたしは、へそ天で眠るのを日課としておる。主人はこれを羨むのみならず、「気楽でいいね」などと皮肉を云ふ。誠に遺憾なり。午睡はわたしの天命にして天職。猫眠るからして寝子と云ふ。眠らぬ猫は猫に非ず。

然るに、主人のさすらひ業務なるもの始まりし以来、その習慣は悉く妨げられておる。職業はサラリイマンだそうだが、終日書斎に籠り、ほとんど出て来る事がない。寝入り端に「クロよ、ちょっとどいていてくれないか」と小声で申す。お気に入りの座椅子が、その度当然の如く取り上げられる事は、誠にけしからぬ事である。

彼は、薄っぺらい板のやうなものに、何やら文字を打ち込んでいる。当人は勤勉家であるかのごとく見せている。然し実際は、当人が思うような真面目な働き振りではない。わたしは時々、忍び足に彼の書斎を覗いて見るが、脳内に妄想の山々を描いては登攀を繰り返し、電子網の海を漂流しておるに過ぎぬ。あれは仕事と云ふより、遊戯と申すべきであろう。

近頃はまた、文体模写なる奇怪な遊戯に耽り、漱石だの太宰だのと現実からの逃走に精を出しておる。祖母猫様が生前、「体裁に逃げし猫、猫生からも逃げる」とよく言っておられたが、それをふと思ひ出した。そして、時折、いや朝も夜も、わたしを膝の上に呼ぶ。又祖母猫様、続けて曰く「膝に長居する猫、猫生を忘る」。とは云へ、書き物に耽る主人を見るは、日溜まりに瞑目する若猫の如くにて、存外嫌ひではないし、そんな主人の膝上でうつらうつらするひと時も、まあ、あっても困らぬ。

但し、主人が抱へるマウスとやら、鼠の分際で尻尾がないのは如何なものか。わたしは猫であるからして、鼠と見れば追う性分なれど、尻尾がちょろちょろせし故鼠である。尻尾のない鼠は追うに及ばず。あれは鼠のかたちせし只の文鎮。そう思ふは少し怠惰が過ぎし気もすれど、また一面では、猫の矜持が許さぬ。

ふと飽いて、大きな欠伸をひとつ置く。それすら彼の遠隔会議の邪魔になるとて睨まれる。娘猫たる慎みは心得ておるつもりだが、欠伸くらいは許してもらひたい。しりのやうには賢くないが、しりのはいからなる造型には少々自負ありし故、寧ろその映像装置で披露申せば如何。さすれば、全世界は定めし「旧都な匹夫に頭っ巾土っ禁」なりし事必至。

主人の日課はほぼ一定しており、現実からの逃走の後で少し仕事をする。二三分経つと眠くなる。厠に立つ。珈琲を淹れる。「駄馬だ~」なる妙なる旋律を口遊ぶ。妄想五分、仕事二分、厠と珈琲と吟唱が残り三分。猫ながら彼の本業の進み具合が気になる。書類の作成など過去の書類の模倣に過ぎぬ。されば太宰や森見など模倣せし前に、その情熱を持ちて過去の業務資料を模写すればよろしからうに。

蓋し人間の文化とは、模倣に次ぐ模倣の積層であると云ふ。その中に新たな創造生まれし余地がある、と主人は云うておった。さすれば、わたしは娘猫であるが故に、独立独行で和而不同の猫社会と違う人間社会の仕組みに、少しばかりの憧れがある。

時折、わたしは考へる。斯くの如きサラリイマンと云ふものは、実に楽な職に見えて、智に働けば角立ち、情に棹させば流され、意地を通せば窮屈で、そうとうに難儀な生き物かも知れぬ。然れども、わたしは只の娘猫である。世間体より午睡こそ肝要。だんだん瞼がとろんとしてきた。お花畑にいるのだか、座敷の上にいるのだか、判然しない。太平は日溜まりのへそ天にて得られる。即ち、猫天去私の境地たり。

へそ天はやめられぬ(にゃ)。

然れば、なんてったってにゃんどる、斯くして、今日もまた一日が過ぎゆく。ありがたいありがたい。

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