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硝子の靴異譚04|合コンの落としもの

宰相一族は、昔からまことに油断ならぬ。やつのじいさまなどは、いつも余の邪魔ばかりしておった。と独りごちた、はずが、そこに割って入る者があった。

「何を言っているの、先代陛下。宰相さんなしでは、わらわと会っても呉れなかったのに」

そう言い放ったのは、背後で腕を組んでいた先代王妃である。既に鬼籍であるが。

「先代宰相などは『まずはご公務を』と、地獄の門番のように立ちはだかりて──」

老妻は、王家の墓石の上で腕を組み、あたかも余を玉座から見おろすような風格で告げた。

「はいはい。で、そのケルベロスに泣きついていたのは、どこのどなた?『二人きりになるのは……』などと泣いて離さなかった殿方がいたと、記憶しているけれど?」

泣き付いてなどはおらぬ。余は、些か強めに頼み込んだまで。あれは忘れてほしい青春の黒歴史である。墓の下でさえ思い出すと頬が熱を帯びる。いやとうの昔に血など通っておらぬが。

「今回も、ひとえに宰相くんの影の献身の賜物でしょう?あの一族は昔から、背中をそっと押すのが上手かったもの。若い王子様の気づかぬところで、いつもね」

いや、あれなどただのウェイ勢ではないか。王子様お付き用務はいかがしたのだ。しかし、妻はわたしを一瞥すると、さらりと告げた。

「『後生ぞ、恩に着る』と、宰相さんの陰で不安げに袖を掴んでいたのは、どなた?」

余は、もはやすごすご退席せざるを得なかった。とは云え所詮は同じ墓石の下だ。そっぽを向くぐらいしか術はないが。

「うむ。わかればよろしい」

老獪な先代王妃は、満足げにふっと微笑んだ。そのやわらかな微笑みは、あれから幾星霜を経ても余の心をなお捕らえて放さぬ。
……が、そのどや顔は腹が立つ。背中を向けたままぼそりと呟くと、妻は、墓石の上でふふんと鼻を鳴らした。余も生前は歩く言霊などと名を馳せたものだが、この頃めっきり舌が回らぬ。老妻に言い負かされっぱなしだ。

「あら、陛下が、わらわにお勝ちになったことなんてあったかしら?」

妻はそう言って、余を覗き込むように微笑んだ。少し勝ち気で、きらきら輝く瞳は、若き日と寸分違わぬ。

「でも、歩く言霊でも、滑舌が悪くても、こちらの世界でも、そんな我が君が好きよ」

クリティカル。まさにオーバーキルの極みである。余は、冷たい土の中でそっと目を閉じた。死してなお、胸裏が熱くなるとは、なんとも理不尽な仕打ちである。まるで気まぐれな黒猫のようじゃ。……やはり無性に腹が立つ。

「はいはい。わかればよろしい」

そう言うと、老妻は墓石の上で満足げに頷いた。

先よりストーリーテラーを演じてきた歩く言霊とやらが、そっぽを向いてしまったので、ここからはわらわが語ることとしよう。どうせあの御仁は、言い負かされてしばらくは戻って来ぬ。

さて、刻はこれより少し戻って、合コンがお開きになった頃。まずは、宰相くんの独白から──。

「王女様、なにゆえ此処に?」

王子様の元に置いてきたはずの王女様を拝見し、わたくしは周りには聞こえぬよう舌を打ちました。王子様は、中世より続く王国の第一位王位継承者であり、絶賛婚活中であらせられます。とはいえ、後期ヴィクトリア朝あたりの本邦においても、専制君主制など今や形骸化した過去の物。それでも王子様は、我が唯一の主君にして、ただ一人の親友です。

ですが、戴冠の儀を経て幾年も経つのに、あの初心さは何なのでしょうか。特別天然記念物であらせられますか?いや、絶滅危惧種では?

ここで、わらわは大きなため息を漏らした。……我が孫ながらほんとうに箱入りに育ったものね。王家の男ったら代々こう、なよなよしいのよ。ねえあなた。

まこと、さようでございます。古典的なコンパですら、参加女性に声をお掛けにならぬようでは、国家存亡の危機でございます。そもそも、令嬢方も、殿方との出会いを求めて参加しておいでなのですから、それを楽しむのがコンパというものです。もはや、王子様は白い馬にでも跨がって、登場なさればよいのです。

わたくしは、ウェイ勢を演じてはおりますが、それは仮初めの姿。このうえは王子様と巷間の潤滑油たらむとの思いで、陽気に振る舞うことにいたしましたが、一介の陰キャが、陽キャに擬態するは、なかなか骨が折れることなのです。王子様よ、この臣下の気苦労を少しはお酌みいただきたい。そのように、誰にともなく愚痴をこぼします。

……ほんとうにそうよね。今宵のそなたの献身、まこと見事であったわ。

ああ、何やら今宵は心安く独白できそうです。

今日も、王女様以外の外野を引き受けて、戦略的な撤退をしたというのに。その王女様が、なぜ二次会のカラオケボックスにいらっしゃるのでしょう。ああ、わたくしの血の滲むような裏工作は、何処へ。王子様のお相手をお持ち帰りしては、ただの国家反逆の大罪人ではありませんか。わたくしは、心の中で盛大に頭を抱えました。と、ここまで0.5秒。

「──会場に、残られたのでは」

しかし、そのようなわたくしの苦悩を知ってか知らずか、王女様はさも当然のように言い放ちました。

「久々に推しの新譜が出たゆえ、今宵は存分にシャウトしたくてな」

ああ、このお方は、もしやわたくしの同担であられるのではないでしょうか。分かります。むしろ、わかりみの深さしかございませぬ。推しの新譜は、ほんとうに心の点滴でございます。しかもそれが三年ぶりともなれば、まさに聖遺物。乾ききった心にラム酒がすっと染みこむような感じさえ覚えます。わたくしは、魂の扉が大きく開く感覚を持ちました。

……手には缶酎ハイ。足にはつっかけ。しかも片足だけ。その姿勢には、王族らしさのかけらもない。されど、黒猫のような気侭さとしなやかさは、まこと魅力的で……ふふ。わらわの若い頃にうり二つね。我が義孫娘(予定)よ、気に入った──。

と、どこからか聞こえる地の文のようなものをぶった切って、わたくしは喰い気味に申しあげました。

「分かりますとも。あの歌い手の魅力は、類い希なハイトーンボイスにあると──」

いやいやいやいや、一刻も早く王子様の元にお戻しせねばならぬというのに、推し語りしてどうするよ。

「そう思うであろう?わたしも、あの胸の透くような声が好きでの」

王女様の両の眼は、その刹那、夜目が利く猫のようにギラリと光りました。そして、案の定、きらきらと目を輝かせながら、推しトークに加わってこられました。初対面の会場で思いがけず同担に巡り会うことほど、心安まるときはないのです。少年誌ならば、もはやハイタッチか熱い抱擁を交わすような場面でございます。

……しかし、このたびばかりは、そういう問題でありません。この危急的状況において、奇跡的に話が噛み合ってしまうなど、なんと間の悪いことでしょう。一刻も早く、王子様の元にお戻りになるようお諫め申しあげようとした、その時でございます──。

「ところで宰相くん、新LPのあの曲はいかに鑑賞すべきであろう?」

「もしや、あの三曲目……でございますか」

王女様は、同担の覚悟を試しに来られました。怖ろしい試練です。あのアルバムの三曲目は、まさに白眉のできでありまして、その回答如何によって、沼の深度を正確に測定できる試金石のようなもの。わたくしは反射的に答えてしまいました。王女様は、ぱあっと花が咲くように微笑まれました。畏れながら、王女様との魂のシンクロ率はみるみる上昇してまいりました。

「ええ。あの、転調してから一気に天へ昇るような──」

王女様の興奮気味の声。

総休止符──

息を呑みました。悟りました。王女様は、運命のお人だ。これぞ、世に聞く魂の共鳴。ふたりのプラグ深度は、450パーセントを突破しました。

見れば王女様も、青い薔薇のように満開の笑みを浮かべておられます。ああ、だめだこの人、もう完全に語る気です。それに対して、わたくしも一介の推しとして、語りたい。語りたい。語りたい。同担と思いを分かち合いたい。

しかし、そうしてしまえば、王女様を王子様の元へ送り届けるどころか、ふたりで推し語りの沼に沈む未来が見えます。ゆえに、王女様と、この場で魂の交歓をさせてはならぬことは明白。……それが、わたくしの胸裏を鋭く切り裂くのでございます。

同席の女の子たちには白けムードが漂い、男どもは推し語りの尊さも知らず、スイーツに魂を売り渡しております。ヤツらにはきついお仕置きが必要です。まずは我が父──いえ、宰相に上奏して速やかに令を出し──わたくしは心の中でそう決意しました。

ああ、事態のあまりの混迷ぶりに、思わず現実逃避をしてしまいました。推し語りの熱量と王国の幾久しき命運が、よもや天秤に掛かることになろうとは。

まるでロメオとジュリエット。トニーとマリア。──神よ、我を見放されたか!

わたくしは、今や完全に孤立無援。

……はいはい、宰相くん、そのような圧の語りでは隠し立てできぬ。だから厳に語るなと言っておろうに。されど手出しは能わず。わらわは祈るような気持ちで、ことの推移を見守った。

忠臣としてのわたくしが、推しとしてのわたくしに急ブレーキをかけます。それはパッドの摩耗ではなく、魂の摩耗でした。しかし、同時に王子様の幸せを願う友としてのわたくしがございます。

「畏れながら申しあげます。──わたくしの趣味にはあいませぬ。あれは世俗に迎合した、ただの凡作駄作(……許せ、我が国の未来のためだ)。堕落。凋落。怠惰。……もはや語るに忍びませぬ(……すまぬ、すまぬ、すまぬ)」

それは魂の自死にございました。自己同一性の破断でありました。わたくしは心中にて血の涙を流しつつ、辛うじてそう奏上いたしました。一句一句を発するたび、わたくしの細胞がひとつずつ静かにアポトーシスしていくのを覚えました。

「──そ、う、か……」

王女様の魂が、座屈する音が聞こえました。王女様とわたくしとの間に置かれた沈黙は、まさに海溝のように深遠でありました。それは、決定的な断絶にほかなりません。

「……ならば、致し方あるまい」

王女様の瞳は色を失い、明らかな諦念の色が見受けられました。ああ、これでいいのです。わたくしは、その沈黙に胸を刺されながら、ただ立ち尽くしました。

「そなたとは、同担であると、思うておったが。──解釈違いで、あったな。まこと、残念である」

おっしゃるとおりでございます。しかし、ここで認めるわけには参りませぬ。わたくしは、失恋ごとき遠く及ばぬ魂の断裂の痛みに耐え、胸裏で悲鳴を上げながら、辛うじて言葉を紡ぎました。

「王女様、もしやお召し物を、一次会の会場にお忘れではありませんか?」

王女様の履き物、いや履き物などいう大仰なものではありませんが、女物のつっかけが、片方しかないのには気づいておりました。それが合コンのドレスコードに適合するや否や、などコンプライアンスに言及するつもりは毛頭ありません。もはやそれどころではありません。

わたくしは、お国のために誇りを捨てたレネゲードでございます。しかし後悔だけはしておりませぬ。ウェイ勢とは、もとより斯くの如き存在。道化に徹する者です。後悔はしておりませぬが、この視界を曇らす雨粒の群は何なのでありましょうか。

「──やや、会場で履き忘れていたか」

そう残して、闊達にカラオケボックスを後にする王女様の後ろ姿を、わたくしはとても晴れ晴れしい気持ちで見送りました。ただ、そこに立ち尽くし、魂のとてつもなく大きな損耗を伴いながら。

「王子様、グッドラック!」

宰相くんは、そう呟くのが精いっぱいであったという。ウェイ勢の歌う安っぽいラブソングが、その場に虚しく響いていた。

まさに殉節奉公の精神、まこと天晴れではあるのよ。ゆえに、この貴い犠牲を誰も認識しておらぬのが、わらわにはまこと口惜しい。

先代王妃は背筋を伸ばし襟を正した。その姿は死してなお気品に満ち、まるで未来の王妃の姿を見るようだった。

さて、このあたりでメタな発言をお許しくださるのであれば──
歴史というものは、一部の英雄ではなく、民草の尊い犠牲の上に成り立つものよ。
やがて王になる可愛い孫よ、そのことをちゃんと覚えておきなさい。
宰相くん、すべての国民が忘るるとも、あなたの殉節をわらわだけは拾いましょう。

おしまい。

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