道ゆく余録|Heroic Saga: ヒルコ異譚|風まかせ文芸部《半透明の海》
これは、国生み神話と文明批評が交錯する世界をもっともらしく語りながら、その実はただ、豆菓子についてのごく卑近なやり取りを描いた、まるで取るに足らない叙事詩である。
◇英雄の誕生

──英雄とは原始、こぼれ落ちる存在である。
春日井三山を仰ぎ見る西高森山(愛知県春日井市)と、その裾野に広がる築水池へ向かう。なんでも、神々の世界では、声をかける順番にすら深い意味があるらしい。今日は、わたしから「山の神」を誘って、神話世界の深淵を覗いてみよう。
はじまりは揺れる水面。
神と神が巡り会い、はじめに生まれた命には、名さえ与えられなかった。
ヒルコとは、日本神話における異端である。認知さえされず、生まれながら遺棄された存在。それは、異形であったからとも、太陽神アマテラス(ヒルメ)に並ぶ「日の子(ヒルコ)」であったからともいわれている。
英雄の強大な力は、世界の均衡を壊すらしい。世界に、それを受け入れるだけの器がなければ、英雄の光は眩しすぎる。ゆえに、天地開闢において英雄はしばしば棄てられる。桃太郎しかり、ジャングル大帝しかり、もののけ姫しかり、そしてダイナソーしかり。
◇仮初めの器

──英雄とは、半透明の海に葦船で翻弄される存在である。
蕩蕩と水を湛える築水池のほとり。わずかに残された湧水湿地で、ここにしかない、この時期にしか咲かない花を眺める。決して急がず、ただ静かに。そうすると、ふだんは気付かないものが風景から浮かび出す。それは、とても有意義な時間の使い方であった。
山域の表層を薄く覆った砂礫層は、大雨などをきっかけに地を滑る。山脚部には、地域特有の湧水湿地が多発的に誕生する。大地からは常に水がしみ出し、湿地を潤して下流に注ぐ。こうした湿地は、大海の間に揺れる船のような儚い生態系を育む。しかし、湿地の寿命は短い。水脈が変われば、乾燥してたちまち消えてしまう。湿地の生命たちは、仮初めの器に乗り換え、その命脈をつないでいく。それは、頼りない葦船に乗り、半透明の海の波間に翻弄される幼きヒルコの姿のようでもある。
死と再生が目まぐるしく繰り返される湿地生態系は、輪廻転生が分かりやすく可視化された場であった。それら象徴的な場を山体に宿す春日井三山。両側にたおやかな尾を引き、朝に拝めば山体の背後から朝日が昇り、夕に祈れば夕映えが山を赤く染める。その姿はまさに、神奈備(かんなび)山の相である。
岩舩神社は、神奈備山の水が集まる流末、花崗岩の岩体の上に立つ。祀られるのは、異端の神・ヒルコ(蛭子命)である。境内にはヒルコの葦船=花崗岩の岩船が用意され、祠は捨てられし神を再び迎え入れる場である。さら花崗岩が産出するのは、まさに神社周辺のみ。砂礫層の混沌に突き出した花崗岩の岩峰は、天沼矛によって始原の海から引き揚げられし秩序である(※1)。
ここに舞台装置はすべて揃った。わたしはヒルコ=日の子説を採る。これが「日の子」の遥拝施設でなかったとしたら、いったい何であろうか。岩舩神社は、神奈備山である春日井三山の遥拝場である。
◇英雄の凱旋

──英雄の英雄たるかは、わたしたちが負っている。
西高森山の頂を踏み、中京の大都市圏を眼下に俯瞰する。今日のおやつは、もちろん──緑のお豆さん(何か期待しましたか)である。静かで落ち着いた時間。言葉はいらず、ただ豆を砕く音だけが響く。繁栄を極めた現代社会を遠くに眺め、ぼんやり考える。この平和なひとときは、物言わぬ何かを密かに葬り去ってきた結果でもあるのだ、と。
英雄は長じて凱旋し、強大な光で世界の秩序を壊す。ヒルコ神は、岩船に乗って帰還した。それは、神話的世界というアニミズムに対する、テクノロジズムという新たな秩序の幕開けであった。
彼が携えていたのは、科学技術という強烈な光。海の向こうからもたらされた光は、人間社会を目映く照らした。洪水を防ぐための堤を築く技術、湧水に頼らないための溜め池を作る技術。土砂崩れを防ぐための治山技術。それらは、確かに現代社会の安定と安全を守る礎となっている。しかし、その光の裏で、影のように消えゆくものがあった。水脈を絶たれた湿地は枯れ、水が失われれば命のハーモニィは静かに断ち切られていく。
人間中心の文脈で語られる科学技術は、時にアニミズムを否定し、神々の言葉をも沈黙させる石火矢にもなる。一撃必殺のその矢は、森羅万象を焼き尽くす諸刃の剣。果たして現代社会は、新たな英雄を受け入れるだけの器を持っているのだろうか。
桃太郎の物語には、二面性がある。人間社会から見れば紛うことなき英雄。しかし、鬼の世界から見れば侵略者であり破壊者でもある。人間社会の言語体系を持たないものたちは、語ることなく、残されることなく消えていく。それを知ったとき、わたしは怖くて眠れなかった。
ダイナソーの物語には、思想なき理想の危うさがある。肉食恐竜を廃して構築した草食恐竜のユートピア。それはカタストロフの序章にすぎない。それを見たとき、わたしは子ども向けフィルムに仕込まれたアイロニィに喝采した。
光は、時に祝福であり、時に呪いでもある。ヒルコ神は、荒魂だったのか、和魂だったのか。それは神ではなく、わたしたち自身が決めることである。その選択の責任を、いま、わたしたちは負っている。そしてまた一艘の葦船が、人知れず静かに流れはじめる。──どんまい (^_^)v では済まない。
◇世間はそれを奥様と呼ぶ

──散歩道とは国生みの舞台であり、神話とは日常に回帰するものである。
そう考えると、二人でゆっくり歩く山道が、国生みの舞台にも見えてくる。そう、「山の神」とのコミュニケィションは、神話の時代から続く永遠の命題だ。声をかける順番すら意味がある、神様にも奥様にも。そういうわたしたちの暮らしは、すでに神話の只中にある。──だよね?
「あぁ、春日井の緑の豆(※2)ね!」
「山の神様」が、そうアルカイックにほほえんだ。
一般的には、そういう掴めない存在を奥様と呼ぶらしい。──どんまい (^_^)v
(注釈)
※1 ただし、地質年代的には逆で、花崗岩の上に砂礫層が乗っている。
※2 もともと春日井市との関係はない(ただし、現在は市内に工場があるらしい)。
(山行記録:2025年6月21日)
山名:築水池~西高森山(愛知県春日井市)
形態:妻と2名、周回
コース:春日井市都市緑化植物園を起点、約3時間
天候:晴れ
水分:1.0L持参→1.0L消費
行動食:グリーン豆(春日井製菓)、なごやん
植生:落葉広葉樹二次林~湧水湿地
(初出2025年6月21日。改稿2026年7月14日)
#夫婦の歩み #山歩き #あわい #自然と生きる #神話 #湿地の生態系 #ヒルコ #山の神 #どんまい #フィールドノート #わたくさす節 #風まかせ文芸部 #半透明の海
▼より詳しいフィールドノートはこちらから。
いいなと思ったら応援しよう!
最後までお付き合いいただきありがとうございました。皆様からのサポートは、登山の際の安全装備の調達に使わせていただきます。登山はわたしの創作の源──応援よろしくお願いいたします。