硝子の靴異譚08・幕間|ハイトランジアの月・そろそろ日常回の頃合いだよね|風まかせ文芸部《半分、過ぎて》
王暦ハイドランジアの月も半分過ぎて、王都には、まるで雨の気配に促されるように、豪奢な花束が叢生しはじめた。いろいろ立て続けに起きたせいで、物語的には、そろそろ日常回でも欲しくなる頃合いである。
この時期の王都には、雨がよく降る。──なんて言ったら、ミ・キちゃんが、隣でぼそっと呟く。
「王女様、花ではなく装飾花です。そもそも花とは──」
「細かいことはいいじゃない」
「細かくはございません。事物の定義は、世の理です」
ミ・キちゃんは、霧雨の降る音より静かに言う。
──それよりわたし、女子会で一服盛られた恨みは忘れてないのよ。でも、あの揺蕩うような夢見心地は、悪くはなかったな。わたしが何気なく置いた通話中のスマホも、とてもいい仕事をしたしね。
すべての理は物理法則。テレパシーより5G。魔法や乙女の念道でどうにかなるほど、男女の仲は甘くない程度には面倒なのよ。
面倒といえば、この王暦。月によって月の長さが変わる。
「可変長データは、最適化アルゴリズムのもと大量データを扱いつつ、容量圧縮──」
それ何。呪詛か何か?ミ・キちゃんの語りそのものを容量圧縮して、続ける。
ニンファエアの月は13日、ウィステリアの月は全50日、今月は30日。
短い月は月締めが早まるし、ウィステリアの月なんて上旬と下旬で季節が違う。
「王女様、ウィステリアは50日ではなく52──」
そして、王暦の月名はどうして、いちいち長いのかしら。そんなもの、覚えていられるわけがないでしょう。多様性が大事って、どこかのスローガンじゃあるまいし。
クリサンスマムの月なんて、書いているうちに日付が変わるわ。
サングイソルバの月に至っては、書類の記入欄に収めるのに苦労するのよ。
ブタノマンジュウの月って何よ。何でこれだけ「豚饅」なのよ。
「王女様、『豚の饅頭』は蒸し料理ではありません。シクラメンの古名です。『可愛いという文化的価値観』が優先され──」
お休みは多いわね。
穀物に感謝を捧げる日とか。青い風に祈る日とか。
王家の子息の誰それの誕生日とか。誰と誰かの結婚記念日とか。
しかも、どんどん追加される。
ダイアンサスとマリノールの結ばれし月なんて、8日しかないのに祝日が3日もある。もともとあったシノの祝日とマキの祝日に、最近、ミナの祝日が加わったから。──これはわたしが短い月に結婚した所為だから、文句は言えないわね。
もう。だいたい、お花の名前のくせに、花期と月が一致した試しがない。
ほんとうにお花を愛でたいなら、まずはこの季節の雨を大概にしてほしいわ。
毎朝毎朝スリッパが濡れて、王女の威厳も機嫌もあったものじゃない。
レインブーツをお召しになれば、ってミ・キちゃんのぼやきが聞こえた気がするわ。
おまけに、わたしの国の暦とは、ふつうに互換性がないのよ。マリノール国なら、今日はただの水無月二十二日。すっきりしていて覚えやすくて──なんとなくミナちゃんの月って気がするわ。
そう言って、わたしは、マリノール王国のからりと乾いたこの季節を思いだした。
「王女様、結局、それをおっしゃりたかっただけなのでは」
抑揚のない声で、淡々と告げられる。最近、ミ・キちゃんが辛辣なのよ。容赦のなさでは、マキおばちゃんやシノおばあちゃんを凌駕する。
雨粒がひとつ、ふたつ、みっつ、窓を伝って落ちていく。
王暦がどうあれ、今日がわたしの月であることは変わらない。
王子が素敵なのも、ミ・キちゃんが正確ぽんこつなのも、宰相くんが鈍ちんなのも変わらない。そうそう──。
「わたしの国では、水無月には殿方への想いが実ると言われているわ」
そう言ってやった。
ミ・キちゃんの肩が、ほんのすこしだけ揺れた。
「そのような、迷信は、全く、科学的では、ありません」
ぽつり、ぽつり。ぷいっと横を向く。恋心そのものはもう否定しないわけね。もちろん、彼女は絶対に認めないでしょうけれど。
そして、その結婚記念の月。
後に、ある王女のお誕生日が追加されて、祝日がもう一日増えることになるわ。
「王女とは、王家に属し、かつ王妃ではない女性のどなたかひとりを指します。称号は出生時に与えられ、文脈上、特定の人物に限定されていません」
──あなた、ミキペディアか何かなの?
「あのような無責任なサイトではありません。曖昧な表現を是正しているだけです」
「……はいはい、それではミキペディアさん。頑固な総監ちゃんと鈍ちんな宰相くんの関係を定義して?」
ミ・キちゃんはわずかに頬を染めて、もう一度ぷいっと横を向いた。少しだけ尻尾が揺れた。黒曜の瞳は、相変わらず何色でもなかったけれど。
おしまい。
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