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硝子の靴異譚07|黒猫杯・ものや思ふと

専制君主制など、この国ではとうの昔に形骸化し、わたしが嫁いだ頃には、専制女子会制、要は、意思決定が女子会ネットワークで行われ、その結果を男性陣が承認する政体が確立していたわ。

その専制政治の最高権力者が、現国王妃のマキヴェリア・マリノール=ダイアンサス王妃。わたしの叔母にして義母ね。もっとも、彼女は今のところ国王にべったり、いえ公務に忙しいご様子で、権限のほとんどはわたしに委譲されている。

そして、ナナメ45度に常駐し、わたしにだけ鋭い突っ込みをしてくる故シノヴェリア・マリノール=ダイアンサス先代王妃(おばあちゃん)は、最高評議会議長といったところ。

ミ・キノ総監も、ぽんこつに見えて、けっこうすごいのよ。黒曜石の観察能力をもって、史記の最高責任者と王族の主席主治医の座にあり、さらには、機密院への情報アクセス権をアングラながら取得しているわ。そのうえ行政府の長たる次期宰相を調略(実態は、面倒くさい彼女ムーブ)しに掛かっているわけでしょ(これも非公式)。

色恋沙汰こそ専制女子会制の最高の燃料、いえ最重要案件よ。ところが、ミ・キノが頑なに認めないものだから、シノヴェリア王妃が、女子会(パジャマパーティ)に直々にお出ましになるという知らせが入ったわ。王妃が本気を出したらどうなるか、もう考えただけでおもしろ、いえ、おそろしいことになりそう。

女子会の前の隙間時間に、いつものように宰相くんと推し語りで盛り上がっていた。もう滾るしかないでしょう。ガチ勢だけ加入できるFCから、推しピの新譜とライブ情報が一度にリークされたのだから。わたしたちは、興奮気味にいつもの画面ではなく、「通話モード」で喋っていたのよ。

「ミナ、ミナ、わらわは楽しみでならぬ。ミ・キはまだか?」

そんな時、時間より随分前に、マキおばちゃんが息せき切ってわたしの部屋に飛び込んできたわ。おばちゃん、ノックもしないではしたない!わたしは慌てて、後ろ手にスマホを隠した。ただ、置いたのよ。──「そのまま」枕元に仕舞っただけで、他意なんてないのよ?ね、シノおばあちゃん。

定時少し前、ようやくミ・キちゃんが到着し、判決を言い渡される被告のような、神妙な面持ちで、ドアを後ろ手に閉めた。ミ・キノ総監ちゃんへの王女三代による仁義なき尋問というキャットファイトは、こうしてはじまったわ。そしてこれは、真の黒猫は誰かという聖戦でもあったのよ。

開廷。花柄パジャマを着たマキおばちゃんが、重厚な面持ちでミ・キちゃんに告げる。

「ミ・キノよ、日頃よりの働き振り、まことに大儀である」

やや畏まって、ミ・キちゃんが答える。黒猫のロゴが入った黒のジャージ。白の刺繍で「み・きの」。あなたは、誰のどんな性癖に訴求しているの?

「身に余る光栄であります。王妃殿下におかれましては、ご機嫌麗しく~」

「堅苦しき話はよい。先日処方してもらった○×▼のおかげで、国王陛下はとてもお悦びで……、なあ再度──」

この急転直下の湿度上昇には、わたしもシノおばあちゃんもたじたじになったわ。えっとね、おばちゃん。その「○×▼」が、ちょーっと聞こえ辛かったのだけれど。そして、そのつやつやお肌は何なの?相変わらずのらぶらぶ夫婦で何よりね。

そのとき、ミ・キちゃんの黒曜の瞳がわずかに揺らいだのを、わたしだけが見逃さなかった。ああ、やっぱり──この聖戦、勝つのは、わ・た・し。わたしは、紗のネグリジェの裾を軽く払った。そう、勝者の所作ってこういうものよ。

「ミ・キノよ、まずはこの美酒で喉を潤すがよい」

花柄のおばちゃんは、厳かな手つきで懐から一升瓶を取り出した。これは、わたしの王国に伝わる秘酒。マリノールの花を醸造した、とても強いお酒よ。おばちゃんには、このお酒で、これまで数多の女子会を鎮めてきた武勇伝があるわ。

ミ・キちゃんは、差し出された一升瓶(ビン直)を前に、こくりと喉を鳴らした。どうしたの?黒猫たるもの、この程度の儀式、平然とこなすものよ。

ちゅぽん。やけに湿った音が、天蓋付きのベッドに響く。刹那、深い紫を思わせる香りが、瓶の口から立ちのぼった。黒猫が好むと言われる夜香。──ナナメ45°で、おばあちゃんが小さく肩をすくめたのが見えた。

ミ・キちゃんの黒曜の瞳が、その紫の香りに色づいた。そう、もし弱い者なら、香りを嗅ぐだけで酩酊に陥ってしまうほどよ。

小柄なミ・キちゃんが一升瓶を受け取る姿は、「禁中の儀式」を執り行う魔女のような静謐さを湛えていた。彼女は、小さな喉を規則正しいリズムで上下させ、水たまりに映る色を確かめる黒猫のように、慎重に、しかし迷いなく飲み進めた。そして、瓶の口を離すと、ペロリと唇を拭い、水面の色を記憶するように静かに息を整え、ニヤリと笑みを浮かべたわ。ああ──この子、黒猫の所作を理解しているわね。夜はまだまだ深くなる。

「見事である。──それではミナ」

わたしは、落ちついた振る舞いでその瓶を受け取った。王家の姓を冠する花のお酒。余裕綽々の表情で、その花の夜香をひと息味わ──

……あれ?

ぴやっ。世界が一気に歪んだ。

最後に、霞ゆく視界の先で、おばあちゃんが呆れたように見下ろしていたわ。

「ミナ、そなたはイキがりすぎじゃ」

ほんに仕方のない孫ね。わらわが語りを継がねばならぬではないか。誰の視線かは定かではないが、先代王妃はそう云うとほくそ笑んだという。……さて。この黒猫聖戦、語り手が変わったところで、第二ラウンドに行くわよ。

今思えば、ミナ王女がマットに沈んだのを認めた瞬間、わたしはどこかで慢心していたのだろう。だが、マキ王妃と二人きりになった途端、その慢心は、薄氷の危うさへと変わった。王妃は、わたしの目の奥底を、逃げ場のない角度で覗き込んだ。

「よもや王女に一服盛るとは……恐ろしき娘よ」

笑っている。けれど、その笑みは氷のように冷たい。部屋の空気が、ひと筋だけ鋭く張りつめた。

「王付薬師でありますから」

わたしは低頭したまま、ほんのわずかに顔を上げる。

「──わたしを王女様の先にしたのは……そういうご意図でしょう?」

その一言で、空気がわずかに揺れた。ただ、緊張が緩んだのではない。弦が空気を揺らしたまでのこと。

王妃様は、ふっと優しいまなざしを漏らした。だがそのまなざしは、獲物を値踏みする大型猫科のそれに近い。

「女子会は弱肉強食の世界。弱者が悪よ。だが、ミ・キノ──」

ひときわ低く沈む。

「わらわは気の永き質ではないゆえ、単刀直入に訪ねる。面倒くさい彼女ムーブの件であるが、そなたが宰相くんに越権行為をしておるというネタ投下……いや、奏上があった」
王妃の紫の瞳が、万華鏡のようにくるくると彩度を変える。わたしの黒曜の目は、もはやその表面上の事実しか観察できない。

「そなたの瞳は、あれを見つめるときだけ黒猫のように細くなるのじゃ。それを──いかに申し開き致す」

わたしの黒曜の瞳では、王妃の底は読み取れない。読み取れぬからこそ、ここで退くわけにはいかない。このサシの勝負に負ければ、わたしの心底の思慕の情は、暴かれてしまう。それは、まだ誰にも露呈させるわけにはいかない。

「宰相くん殿は次期宰相の器。我が国の安寧のため、記録院には彼の行動をつぶさに観察する義務があります」

わたしは淡々と告げた、つもりだった。だが、王妃の前では、何の意味もなかった。マキ王妃は、床に胡座をかきつつ、あたりめを乱暴にかみ切った。それはまるで、獲物を噛みきる獣のようだ。

「ふっ。ではこれでどうじゃ」

その声は、地の底より響き渡った。

「──執務中にも関わらず、乙女らしからぬ顔。そなたは、宰相くんを思ってイケナイ妄想などしておるのであろう」

王妃様は写真を掲げた。チェックメイトの瞬間のように、迷いのない動きで。

ひっ。わたしは、喉の奥で微かな悲鳴を上げた。そこには、直視すら憚られるほどとろけた顔のわたしが写っていた。口元のよだれなどは、ほんとうにまずい。もはや物証というより、人としてまずい。

──これが最終カードか。そう思った。だが、負けるわけにはいかない。

「記録院は多忙を極め、先月のサビ残は週平均80時間を越えました。院士の体力は限界を迎えています。ごくたまには、ぼーっとすることもあるでしょう。これは三六協定に抵触しています。──このうえは、労働環境改善のため、記録院の長として労基局に告発いたします」

王妃の眉が、わずかに跳ねた。まだ息をしておるわ、とでも言いたげな、女豹の驚き。

「ふっ。まこと強情な娘よ」

王妃は、あたりめを噛み切りながら、獲物を追い詰める女豹のように言葉を重ねた。

「──ならば率直に聞く。『忍ぶれど色に出でにけり』。そなた、宰相くんを好いておるのであろう?」

空気が、沈んだ。喉が、締めつけられる。

「……幼馴染みに対するそのような感情が、わたしにあるはずが──」

そう言い切る前に、紫の眼光がわたしを射抜いた。
その間も、王妃様は豪快にあたりめを咀嚼しておられる。

くっちゃ、
くっちゃ、
くっちゃ、
くっちゃ。

その音だけが、室内に響く。

度重なる追及に、わたしの心はついに折れそうになった。しかし──負けてはならない。ここで折れれば、すべてが露見する。

わたしは、立っていなければならない。

「──ところで王妃様。ご夫婦仲は良好であられますか?」

ぎくぅ。

その瞬間、空気が分かりやすく断裂した。わたしは悟った。この先は、わたしの勝利へのカウントダウンである。

「な、なぜ、そのようなことを?」

「本日の夕刻、『例の』お薬を三回分、調合しておきましたわ。あのお薬は、ほんとうに『鮮度』が大切でありますゆえ~」

「そ、そうか♡」

王妃様の声が、うって変わったように甘く跳ねた。その刹那、背筋に走った気配は、もはや隠しようもない。

わたしは、風花堂の「スーパースペシャルプレミアム抹茶ふわとろプリン・季節限定クランベリーソースがけ──今なら特別ブラックベリー入り」の包みを差し出した。
国王様のお気に入りのスイーツである。
ひとつ。
ふたつ。
みっつ。
ゆっくりと、畳みかけるように、王妃様の目の前に積み上げる。
(経費は記録院の雑費で落とそう)

「さあさあ、首を長くしてお待ちですよ」

わたしは慈悲深い笑みを浮かべながら、王女様を部屋から追い──いえ、送り出した。

王女様は、スリッパを高らかに打ち鳴らし、いそいそと夫婦の寝室に向かわれた。その後ろ姿は、もはや女子会の女豹ではなく、恋に浮かれるただの飼い猫であった。

わたしは日数を指折り数えたあと、頭の中の王国史記カレンダーに、予定日を★印で大きく記入した。わが国の慶事である。ついでに、男女各百通り分の名前を思い浮かべた。

完全勝利である。王女様をシーツに沈め、王妃様をリング外に退け、さらには王家の慶事を確定させたうえで──黒猫杯は、わたしの勝利で幕を下ろした。女子会の喧噪が嘘のように消えた。

そう思って、少し気を抜いたのかもしれない。

水晶はわたしを映す余白。されば義なくば黒はただの濁り。

宰相くん殿に対するわたしの思慕は、誰にも打ち明けるわけにはいかない、今は。そういう思いが、少しだけ胸を刺した。

「──ものや思ふと人の問ふまで」

わたしは、自嘲を込めて小さくそう呟いた。

そして、天蓋付きのベッドを見た。ミナ王女はよく眠っておられる。さすがは、わたしが調合したマリノール家だけに効く睡眠薬である。ミナ王女の寝息だけが、天蓋の内側で規則正しく揺れていた。

王女に掛け布をしようと、ふと立ち上がったとき──。

視界の端で、光が揺れた。

小さな、しかし不自然な光。枕元で、まるで記録者の目のように瞬いていた。

わたしは、反射的にその光源を覗き込んだ。

──通話中

その文字が、わたしの黒曜の瞳に突き刺さった。
無慈悲に。
容赦なく。

呼吸が止まった。

脳裏に、女子会の会話が逆流する。
あの喧噪。
あの暴露。
あの思慕の片鱗。

観測されていたのは──わたし。

わたしの声。
わたしの動揺。
わたしの恋。

ぴ、ぴやっ。

やれやれ。ひとりはリングアウト、ふたりはノックダウン──。こたびのキャットファイトは一体、誰が制したのであろう。窮鼠猫を噛む。いや違うわね、いずれも猫じゃ。まさに薬師策に溺れる。だが、宰相家と薬師家とは、往古より奇しき縁で結ばれておる。薬師家だけにな。

おしまい。

──おいおい、ばあさんや。

余は、墓の上で足組みしておる老妻に声をかけた。まだ、うまく仕舞ったつもりになってはならぬ。

これまで紡がれし物語を、シンデレラのパロディだと思っておった諸君よ。

どこの誰が、いつそのように申したか?この物語は、観測こそが至上主義。観測の主導権を争って激しいバトルを繰り広げる現代ファンタジーであるぞ。

──やややや、王国に風雲急を告げる事態が発生したと?ならば余も、観測者として馳せ参じねばなるまい。物語はまだ、誰の手にも収まっておらぬ。余の観測ははじまったばかりじゃ。
(……なんじゃ、この打ち切りめいた幕引きは)

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