山の記録|逢いたい朝に、君がいなくとも。|風まかせ文芸部《初夏》
今回の「風まかせ文芸部」のお題は《初夏》なので、季節を先取りして、1年前の初夏の山行記録を紹介しようと思う。鳥の囀りが一段落する頃が、わたしの思う「春と初夏の境目」である。
このシリーズは四季を通じてを続けていくつもり。ゆるやかに楽しみにしていてほしい。
春の記録は、こちら。→君と約束した、何気ない朝は。
可児やすらぎの森(岐阜県可児市)に鳥を見に行く。
初夏の鳥たちは、育雛が一段落し、歌をやめてしまう。雨をいっぱいに吸い込んで葉色が濃くなった木々で、姿を確認しづらくなる。雨が降れば鳥は見られず、降らなくても湿度で双眼鏡が曇る。つまり、探鳥には最も適していない季節である。
今朝は雨こそ降らなかった。しかし、厚い雲が低く垂れ込めていた。曇りは光量が足りず、鳥の色がはっきりと見えない。葉陰に見える影絵のような鳥影では識別が難しい。
たいした収穫もなく、展望台に上がる。遠くの山々は曇り空のせいで見えないが、頬を通り過ぎる風はひんやりとして気持ちがいい。
遠くからアオゲラのドラミングが響き、ホトトギスがけたたましく鳴いている。はっきり姿は見えずとも、木の中を移動する鳥影は認識できる。ぎこちない動きと、無邪気な鳴き声からして、まだ巣立ったばかりの雛だろう。実際、カラ類の多くは、親元を早々に離れたあと、巣立ち雛同士で集団生活を送るという。まるで鳥たちの幼稚園である。雛たちはそこで、生きる術を学び、お見合いまでしてしまう。園児のくせに、ませたやつらだ。
地上では、アジサイの花が盛り(実際には「萼(がく)」が変化したもので、装飾花と呼ばれる)。はっきりした「花」の色は、梅雨空によく似合う。色とりどりの色は、土壌の酸性度で変わるという説がある。しかし、酸性度だけに頼っていたら、日本のアジサイのほとんどは青色になってしまうので、もともとの花色の影響も大きい。
ハンゲショウも、この時期だけの薄化粧。おしろい不足で、葉が半分だけ白くなる。目立たない花の代わりに、白くなった葉で虫を呼び寄せようという戦略だ。花の色にも、いちいち合理的な理由がある。
「探鳥」とは、「Bird Watching」の訳語だが、鳥を見ることにとどまらない。鳥を探す過程を楽しむ行為である。この地域、この時期、この環境になら、この鳥がいるはずだ。そう推測しながら鳥を探すのは、まるで推理小説のページを一枚一枚めくるようなもの。いることが分かっている鳥を見るのでは、その行程の面白さが失われる。たとえ、逢えなくても、物語のひとつの終末である。
そして、鳥だけに注目して、他の自然の営みに気がつかないのは勿体ない。注意深く目を凝らし、耳を澄ませ、神経を尖らせれば、さまざまなものが五感を刺激する。
ホオノキの葉を透過した柔らかな光は、森のステンドグラスのようだ。木の葉を虫が食む音。無数の青虫が食事をしているとき、木々は鳴動する。雨上がりに立ちのぼる、むせかえるような樹液の匂い。子供の頃の記憶が蘇り、カブトムシがいそうな気がする。ヤブムラサキの葉。ビロードのような軟毛が柔らかそうで、気持ちよさそうで、つい触ってしまう(実際そのとおり)。キイチゴの季節に、黄色い実を楽しむのもよいだろう。記憶の彼方に置いてきた甘酸っぱい思い出をふっと思い出す。
森林全体が息づき、その一瞬を生きている。わたしたちには鳥の姿は見えないけれど、彼らには、わたしたちが見えている。きっと、そっとしておいてと、息を潜めているはずだ。わたしたちは、鳥の生活を勝手に覗き見る闖入者に過ぎない。その意向を汲んで、わたしはその場をそっと離れた。
わたしははじめ、鳥を通して自然の見方を学んだが、いまでは、鳥を見に行くことそのものが目的ではない。たとえ君が姿を見せなくても、その過程で出会う自然の調和や息づかいを感じとることが、今の楽しみとなっている。──たとえ、逢いたい朝に、君がいなくとも。

(付録:山行記録:2025年6月22日)
山名:生活環境保全林・やすらぎの森(岐阜県可児市)
形態:グループで周回、約120分
天候:快晴
水分:0.5L携行→0.5L消費
行動食:なし
植生:落葉広葉樹二次林
(初出2025年6月22日。改稿・再掲2026年5月24日)
↓ 詳しいフィールドノートは、こちらから。
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