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MAKKENZも千葉雄喜もここが始まりとすら思える。ローファイアシッドヒップホップの金字塔。 『失点 in the park(2003)』 / ECD

ECDこと石田義則は1960年生まれ。
東京都出身。

26歳の時にRUN-D.M.C.の日本公演を観てラッパーを志す。

1990年にMAJOR FORCEよりデビューシングル『Pico Curie』を、1992年にセルフタイトルの1stアルバム『ECD』をリリース。

ECDは、高木完や藤原ヒロシ、屋敷豪太、須永辰緒(DJ Doc Holiday)といった面々とともにジャパニーズヒップホップ黎明に関わった日本語ラップのパイオニアの一人であり、CHECK YOUR MIKE(1989年〜)やさんピンCAMP(1996年)の主催者としても知られるジャパニーズヒップホップ史における最重要人物である。

1990年代を通じてMAJOR FORCEおよびavax傘下のcutting edgeから通算7枚のアルバムを発表。

2002年に大手レーベルを離れ、2003年に4トラックカセットMTRで録音された自主制作盤『失点 in the park』をリリースする。

失点 in the park(2003)/ ECD


この生々しさ桁違い。

音割れ寸前のざらついたサウンド、不穏さを掻き立てるノイズ掛かったブレイク。Roland W-30とマイク一本の「ヒップホップ版弾き語り」スタイルで異彩を放つ本作。
必要最小限の音数とループが鋭利なアウトラインを逆に浮き立たせるプリミティヴな「原始ヒップホップ」の様相。
杉並区の公衆トイレで起こった反戦落書き事件(2003)のカバーアートもインパクト抜群でサウンドの雰囲気そのまま。

当時栄華を誇った商業ヒップホップとは真反対のサウンドプロダクションは、まさにアンダーグラウンドを体現するローファイアシッドヒップホップの金字塔であり、ECD自身にも「これを超えることは不可能」と言わしめた傑作である。


ECDは本アルバムの発表以降、自主レーベルfinal junkyを立ち上げてインディペンデントでのリリースおよび音楽活動を一貫。
同時代にMAJOR FORCEからデビューしたスチャダラパーが大きな名声を獲得し、さらにそのカウンターシーンの盛り上がりによって日本のヒップホップ界全体が大いに活気づいていたその裏で、元を辿ればその全てのムーブメントの発起人であり張本人だったはずのECDは、それらのシーンから離反し、独自のヒップホップを追求し続けた。

社会運動や執筆業も盛んにおこないながら、孤高の存在感で知る人ぞ知るラッパーとして支持を受けたECDだったが、2018年に57歳の若さで逝去。

自著に記した壮絶な半生がクローズアップされ、そういったバックボーンがカリスマ性を帯びて一人歩きしがちなECDだが、彼の生み出すサウンドそのものが唯一無二の魅力を放つ素晴らしさだったことを本アルバムで感じてほしい。

強烈な危うさはMAKKENZの元ネタのように聴こえるし、言葉選びとライミングの率直さは千葉雄喜に通底するものがある。

ECDは、その音楽的価値において欠けてはならないピースとしてジャパニーズヒップホップ史に刻まれている。

否、ジャパニーズヒップホップどころか、「ヒップホップの始まりってどんなものだったんだろう」という問いかけには、『失点 in the park(2003)』を差し出せば事足りるはずだ。

「俺ラップできるしさ、あいつからサンプラー借りて、先輩からドラムマシン借りて、で、このMTRで録音してみよーぜ」

これ即ち最もシンプルなヒップホップでありラップミュージックなのである。


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