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人類? 神の奇跡として誕生した真核細胞の一つの末裔にすぎない🤣


私は最近、

生命史を勉強すればするほど、

人類という存在が小さく見えてきた。

もちろん悪い意味ではない。

むしろ逆である。

あまりにも生命史の土台が凄すぎるのだ。

人類はよく、

自分たちを進化の主役だと思いたがる。

文明を作った。

科学を生んだ。

宇宙を観測した。

最近ではAIまで作り始めた。

確かに凄い。

だが私は最近、

こう思うようになった。

人類?

そんなものは、

神の奇跡として誕生した一個の真核細胞の末裔にすぎない🤣

考えてみてほしい。

もし地球最初の真核細胞が、

誕生した翌日に死んでいたら?

もし一回目の細胞分裂に失敗していたら?

もしミトコンドリアと宿主の共生が崩壊していたら?

もし活性酸素で遺伝子が壊れていたら?

その瞬間、

植物も、

魚も、

恐竜も、

哺乳類も、

人類も存在しない。

もちろん私もいない。

この文章も存在しない。

しかも不思議なのは、

真核細胞が誕生したことだけではない。

私はむしろ、

その最初の一個が消えなかったことの方が不思議である。

生命史を振り返ると、

消えたものの方が圧倒的に多い。

種もそう。

生態系もそう。

文明もそう。

企業もそう。

ブログもそう🤣

ところが、

あの最初の真核細胞の系統だけは、

20億年以上も途切れなかった。

しかも、

真核細胞は最初から完成していたわけではない。

内部では、

別々の生物だった存在が共生し、

活性酸素という毒を抱え込み、

分業し、

統合し、

修復しながら、

ようやく維持されていた。

今の私たちは、

その奇跡の安定化の上に立っている。

人類はよく、

自分たちを「進化の到達点」のように考える。

だが生命史を眺めると、

むしろこう見えてくる。

人類は主人公ではない。

主人公は、

あの最初の真核細胞だったのではないか。

人類は、

その物語の最終章近くで登場した、

ただの子孫にすぎない。

もし生命史を一本の長編小説とするなら、

人類は主人公ではない。

主人公は、

名前も残っていない。

化石も残っていない。

誰にも知られていない。

それでも全ての植物、

全ての動物、

そして全ての人類へ繋がった、

たった一個の真核細胞である。

私は最近、

人類を見ていると感じることがある。

私たちは、

進化の頂点なのではない。

20億年前に奇跡的に生き残った、

一つの細胞の遠い遠い末裔なのである🤣


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